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桟橋県土地問題に関する裁判資料
 
○ 県の訴状

                          

桟橋県土地問題に関する裁判資料 和解内容
 
○ 和解内容

                          

 
 
○ 和解内容

                          

これからの私と企業活動

以前ブログで高知を出て行くと書きましたが、県の下級職員が納得のいく対応をしてくれたので、高知に居住し、高知の県勢浮揚・経済振興に協力します。
なお、私の開発した生鮮保存理論について、各メディア等の対応は下記の通りです。

============================================

日本経済新聞 高知支局長

     「うちでは掲載できないがノーベル賞受賞は確実」

朝日新聞 高知支局 

     「斬新すぎて記事にとても出来ない」

読売新聞 高知支局

     「全国に1面トップで、関連記事も書き、大々的に報道します」  

NHK高知放送局

     「特別番組を編成して全国に放送します」

高知新聞

     「西内関係の記事は、西内が捕まるとか訴えられるとかなら載せるが、それ以外は報道しな
      い」

===============マスコミ以外====================

国、農林水産省、通商産業省

     「ノーベル賞受賞は確実」

東北大学

     「理科の常識を覆す、アインシュタインの相対性理論に匹敵する、80年ぶりの原理発明」

高知大学

     「難しすぎて理解できない」

県工業技術センター

     「こんなことはウソで本当に有る訳無い」

 

以上 


H19年12月17日  


                                             

県が闇融資 私に2億円他


私のブログを見ている人は、私と県は対立関係にあると思っている人が多いと思うが、本当はそうでもない。
平成5年、東京から帰ってきた私を県に紹介したのは政府だったし、政府はそれから県との問題、私の仕事上のサポートも行ってくれた。
そもそも、私が入院し通院した細木病院・同ユニティ病院の件は、県と国が決めた事だったし、それ故細木は最大の敬意、細心の注意を払ってくれた。毎週火曜日は午後から4F外来は通院者を全てシャットアウトし、私一人の為に1つのフロアを提供してくれ、医師・看護士も私一人の為に待機してくれた。私は院内では「特別患者」と呼ばれVIP 待遇を受けた。全て県・国のおかげである。
通院しているしばらくの期間は日本最大の都銀関係の銀行マンが身のまわりの世話をしてくれた。これは財界、つまり銀行と東証一部上場の多数の私への心を込めたお見舞いであった。私はこれら大企業の技術上、経営上の相談に乗っていた。いろいろ頼まれては解決していたのである。ほとんど全ては国の政策と関係の深い内容であった。
県は、私が帰高した当初から次期知事になることを期待し、私にその環境を作ってくれた。各市町村との政策・要望等の打ち合わせ、郡部巡訪などについて、又その他出来る限りの事をしてくれた。
故に私の知事選出馬取り止めと帰京に大きな痛手とショックを受けている。
本当に申し訳ないと思う。
県も私が高知にいるから将来に展望を持てたのだろう。
又、私への県からの2億円の無担保・無保証人・無利子・無催促の融資案件も、この延長から出たものである。
しかし、今となっては全て済んだことだし、誰も自殺したり、罪につかせたくないから、私は死ぬまでこの件についてはこれ以上話さない。
私を苦しめた「県」とは、「県」の中の古い体質と思考だったのだろう。
上の人達、賢く誠実な改革を目指す県の上層部の人達は、私にとって大きな協力者だったし、心の許せる友でもあった。
今は只、「愛する高知県 されど 憎しみの高知県」である。


H19年10月24日                                              

知事選出馬取り止めと 高知の風土・役人

(一)
私は先に知事選出馬表明をした。(高新は否定)。
私は知事になり高知県の大改革を実行しようとした。
思い返せば帰高して14年。橋本知事を支え、県勢の浮揚に力を尽くしてきた。
私は平成8年末、米の減反に県が関与することをやめる様レポートを書き、橋本氏はそれを基に2週間後、庁議で関与否定を表明した。それに対し農協側の怒りは凄まじかった。「国に逆らうな!」「金を貰えなくなる!」「減反をせねば喰ってゆけない!」などなど、確かに一理ある。
農産品は5%供給過剰になると価格(市場)は70%暴落する。米は実際に消費されるより年間数十万トン供給が多い。作るも地獄、作らぬも地獄である。県内には米だけしか作れない農地も多く、又縁故消費や自己消費も多い。それを一律減反した故に益々困窮を極めている農家も多い。しかし、別のブログでも書いたように米は日本の最重要産品だ。減反より消費拡大に思考が何故シフトしないのか?又、補助金より米作農家の体力増強をしなければならない。私は自分のバイオ科学の原料として年間数千トンに及ぶ米を南国市の農協連のパールライス課へ直接買いに行った。課長は憎々しげに言い放った。「あんたらあに米は売らん!どうしても欲しいなら県外から買え!大体うちは園芸が主体や。米らあどうなってもかまんがや!!」こいつらは農協か?脳狂か?これが県内の米作農家を統括する最高組織の責任者の言である。
 

(二)
私共のバイオ技術は、米のみを原料として農産品を農家自ら長・中・短期保存(数日から2年間)し、従来市場に出荷が不可能だった時季、或いは通年野菜・果物・花等を出荷しその莫大な利益を全て農家が得る。そして、高知県の活性化と地域振興を図ると言うものであった。
しかし、県も農協も私の呼びかけに全く反応せず只一人の協力者も支持者も現れない。数億、数十億の金を出すから付き合ってくれと言ってくるのは企業ばかりである。
 

(三)
私は高知を去る。
これから世界122ヶ国のIPO国際特許料や国内ライセンス料など何もしなくても年間数百億円以上の個人所得が入ってくる。又、メーカーとしても社員1万人以上、株式は100%私所有にするから想像もつかない様な利益を私の好きに出来る。それ故に高知を去る。高知の地域振興も、過疎地も、何の能力も金も無い県がしたら良い。出来るものなら。私以外誰が知事になっても、今後益々高知県は貧困化するだろう。
私は血と汗と涙で研究し築き上げた特許などの利益を1円も高知県に落とすいわれは無い。会社も住居も東京へ移し、莫大な年数百億円の国税・県市民税を高知に落とすのを避ける為、年内に東京へ帰り東京都へ税を納める。


(四)
私も未だ50代。東京で東証一部上場の企業の大半と付き合いがあるので今なら私も大企業をたやすく作れる。特に「兄弟会社」と私共のことを言ってくれる旭化成工業や「身内」と言ってくれるオリエントコーポレーション・伊藤忠商事・マルハ・イオンその他多数の善良で誠実で思いやりのある紳士のいる企業と残り少ない人生を楽しく謳歌したい。この世の地獄で鬼ばかりの高知県を出て。
県民の皆さん、私を恨まないでください。私が高知を去れば県の最高幹部たち、国の機関、警察、市町村、多くの人が悲しむだろうが、こうなった原因を恨んで下さい。
「国民は自分達のレベルの国家しか持てない」と言う言葉がある。
「県民は自分達のレベルの県庁しか持てない」と言うところだろう。
「県政に関心が無い。自分に関係ないし。」「政治経済は難しいからイヤ。」そう言っては痴呆テレビ番組ばかり見たり、食べること、車のこと、異性のことしか頭に無いあなた!あなたのその考えが今日の高知の事態を引き起こしているのですよ。
貧乏している人、あなたは自分のせいで貧乏しているのですよ。
決して他人や社会のせいにしないでください!!皆が自覚していたら何とかなっていた。
私は5歳ごろから、新聞は朝日新聞を、テレビはNHKの教育番組を、読書は自分を向上させる本を見てきました。
花がどうした、猫がどうした、隣のおばさんがどうした。この様な白痴テレビと同様の高知新聞が1番だと言うあなた!全国紙普及率の高さが知的レベルの高さと正比例する事実を知っていますか?全国紙記者は高知新聞を皆嘲笑しています。

とりあえず、知事選出馬とりやめと、高知を去るについて私の心中をつづりました。


                        

皆さんお元気で!!


H19年10月9日                                              

高知県この犯罪と悪行の地獄県(日本の中の北朝鮮について)

(一)
 ”この人なら高知を変えるかもしれない”私はテレビを見ていてそう思った。あれはとある正月。橋本知事が成人式で騒ぐ若者達を怒鳴りつけていた。
高知へ帰って橋本知事に協力し、あの日本一貧しく閉鎖的で因習にとらわれた高知県を共に変えよう。私はその時決意した。
順序は変るが、以前、日本最大、いや世界最大の銀行グループに私はいわれていた。「西内さん、申し訳ないですが、私達はあなたの事を色々調べさせてもらった。これは、その結果です。どうですか?西内さん、我々はあなたを三井、三菱に負けない、日本最大の・・・いや世界屈指の大財閥に育てあげます。資金は必要なだけ無限に出します。そして、これはあなたに出資する予定の企業のリストです。」そう言われて見せてもらったリストには、日本航空、伊藤忠商事、日本通運、旭化成石川島幡磨重工、神戸製綱、資生堂、富士通、イオン・・・日本の代表企業の名前が、100社程在った。
私は応諾した。それ以来銀行関係者や各企業の幹部の人達からありとあらゆる教養マナー、などの帝王学を教わっていた。
しかし、いつしか疑問が湧いて来た。何の為に大財閥を作る?それが何になる?
その頃、私が作った歌がある。

「明るけきビルの職場に夢は無く肩書見いる東京の春」

私は、関係の企業、銀行、政府の方々に謝辞を述べ、決意を込めて高知へ帰った。平成5年の春だった。
私は高知へ帰ると高知新聞へ親愛のメッセージを送った。
「私はこれから自由な発想と自分の努力で高知県の為に尽します。」(略)直ぐ野本という経済部の記者(現経済部長)から電話がかかって来た。「西内さん!あんたは自由な発想やら自分の努力などと好き勝手を言うが言うちょくけんど、この高知は県庁と四国銀行が支配しゆうがや。勝手な事は一切できん!あんたはどうなるか覚悟しちょきよ!」そして続けて言った。「あんたがどんな大きな事をしても、うちは一切取り上げん!」
私は、その時まで日本は民主々義が国家理念として謳われ一切の権力は国民に由来する、という事を信じて来た。しかし、理解した。高知には民主々義は無い。憲法の基本理念は無視され一部の権力者が支配しているのだと。

(二)
それから、本当の地獄は始まった。私は生化学の研究を重ね(注.土佐バイオ化学HP参照)その成果を過疎化が進み、仕事も無い中山間地や郡部の活性化、振興の切り札にしようと県庁商工労働部を訪ねた。
担当の池田班長はこう切り出した。
「この技術を我々が応援している県内企業にゆずって下さい。明日にでも工業技術センター食品部長の久武に会って企業にゆずる手続きをして下さい。そしたらあんたには、見返りにハンコさえもって来たらベンチャー基金の5000万円を差し上げます。」
私は怒りの余り、目が昏みそうになりながら言った。
「企業にゆずる心算は無い、いくら企業が儲かっても基幹産業の一次産業農業は良くならん!この特許は、苦労している農家や、さびれていく田舎の振興の為に使う!」
これが今に続く県庁との戦争の始まりだった。
その頃、私は市内長浜に小さな家を建てていた。
県庁の件から間も無くとなりの家の男がやって来て「お前の家の下水浄化槽に穴があいていて、うちの井戸水に下水が入ってくるかも知れん!すぐ浄化槽を潰せ!」と気狂いじみた脅迫を行い出した。
又、その頃から国見山開発という暴力団関係企業の人間が毎日やって来て「西内出て来い!」と凶器をもって夜中まで家の前で騒いだ。それ等が続き、ある昼下り県警のパトカーがやって来て、警官が、切迫した表情で告げた。
「西内さん、あなたは多分、今日明日中に殺される。今すぐただちに高知署管内の市内へ潜伏して下さい。」
私はすぐ様、家を捨て、市内井口町にアパートを借りた。私もすぐ行動を取った。この犯罪は県庁の外にどこが行っているか調べようとした。そして入居数時間後に、だれ1人今の住所を知らせず四国銀行上町支店へ行き故意に東京のマルハ(旧大洋漁業)へ文書を発送し、私の新住所を四銀に判る様にした。
その夜、アパートへ帰ると、私のたった2人の味方の内の1人の女性が、「西内さん四銀から帰って、しばらくして、うちへ無言電話が2回かかって来てこっちが『西内です』と言うと切れるの。何か確認しているみたいで気持悪い。」と青ざめた表情で言った。
そして、翌日、家主の黒岩がやって来て、
「西内さん、わしはあんたみたいな世界的な学者がうちを借りてくれたたとえ僅かの間でも住んでくれたら、末代まで語り草になると家の者と言いよった。けんど、銀行が『西内を今日中にほり出せ!ほり出さんと融資の金を引き上げるぞ!』と言われた。誠に申し訳ない、わしらあも生きていかんならんきに、今すぐ出て行ってくれ」と頭を下げた。
これで敵の中心の1つが判然とした。
私は、黒岩に迷惑をかけたくないので、他の町に移住した。
長浜の家は弘田組系の「赤ずきん運送」と「弘田建材」によって浄化槽に砂がぶち込まれ、家財は全て庭に投げすてられて、家そのものが使用不能になっていた。

(三)
私はそれでも歯をくいしばり、私を待ってくれている人々の為に研究を続けた。
平成8年11月のある日、サニーマート系企業(現日産サティオ)の部長、嶋の内と云う男がやって来て、「西内さん、私はあなたの理念に共鳴している。山崎会長も高く買っている。金の方は私らが何とかするから、あんたは研究を完成させて下さい。」とありがたい申し出が有った。まさに地獄に仏だった。
嶋の内は「ついては、あなたの長浜の家と乗っているシーマ、ベンツとそれに携帯電話を預からせて貰う」と言ったので不審に思いながらも応諾した。
しかし、1ヶ月経ち、いよいよ年末になっても嶋の内は何もせず毎日ブラブラし、サニーマートにいつも、私には判らない様に何やら報告ばかりしていた。私は
「金は大丈夫ですか?もう年末で支払いが有るけど?」と言うと
嶋の内は
「金?何の話かね。」と言った。私は
「あんたが構えると言った金の話だ」
すると嶋の内は手のひらを返す様に
「支払いする金が欲しいなら、あんたの特許も含めて、もっているもの全てサニーマートへ差し出せ、そしたら金はやる。そしてあんたは最下層の雑役夫としてサニーマートで月10万で働かす」と言った。
私は激高して、
「何を言うか、この犯罪企業が!お前らが今まで俺にどれだけ悪行をして来たか、今はっきりと判ったぞ。去ね!」
と言うと、嶋の内は腹を立てて、私を殴打した。
この嶋の内は警察、検察ではない某国家機関により私の前から消えた。
しかし、又、別の暴力団が替りに毎日やって来て私は殴る、けるの暴行を受けた。

そうして、私は狂った。私は狂人になった。
その狂った頭の中でいつも思い巡ったのは、私同様に、潰された個人、企業、声も上げられずに殺された人々、それを直接、間接に行った、県庁銀行、そしてそれらに連動する連中、サニーマート、建設センター、数十社にのぼる犯罪企業シンジゲートそして、これらの番犬の高知新開を頭にした県内マスコミ、報道機関の事であった。
例えば、KUTVは犯罪に積極的に加担していなかったが、私にこう言った。
「あんたの事を報道すれば、うちはつぶれる。だから取材はしない。」
しかし県外マスコミは違った。日本経済新聞の当時支局長、岩田氏は「橋本さん一人がいくら頑張っても、県庁は変らないよ」となげきつつ、「県内のゴミ企業がうちに、西内さんの味方をしていると脅迫する。しかし、うちは屈しない。でも西内さん、悪い事は言わない、もう高知の改革は99%不可能だ。生きている今の内に東京へ帰って下さい。」私は、彼の言葉に男泣きに泣いた。そして答えた。
「ありがとう、でも私は、ここで死にます。」
狂った頭の中で、いつもこうした過去の出来事がよみがえった。その頃、私は歌を作った。その狂った頭で。

「うなだれば、そこに花有り ふり返れば、そこに実りが 泣くな秀雄よ」

(四)
その後精神病院に収容され、治療を受け、平成10年には退院し、今の鴨部アパートへ移った。
それ以来、東京で私を援助してくれていた某都銀関係の次長がつきっきりで身の廻りの世話をしてくれ、5年、6年と経つ内に少しずつ正常になり、会話も出来だし、人と会う事も可能になりだした。
平成17年春には高知県フリーマーケット協会を作り、バイオの研究も再開した。
しかし、県庁の悪行、高知新開の協会桟橋店の事など多々の誹謗中傷記事等により、殆どのフリマは中止に追い込まれた。
私は悪人として県民に印象ずけられ、何1つ前へ進めない。又、今まで書いて来た犯罪行為もほんの1例にしか過ぎない。いつか、詳しく発表したい。敵は無傷で私を今もあざ笑って迫害を続けている。
しかし私は負けない。私の行為で困っている人、泣いている人を楽に出来たら。過疎地、中山間地や田舎で人が楽に暮せる様になったらどんなに良いことだろう。

私の事でも判るように、高知県が多くの指標で全国最下位なのは、能力の無い支配機構(公的、犯罪組織をとわず)が全てを握り、新思考の企業や、卓越した技術、経営理念をもつ企業をやっかみ憎み或は、その技術を横取りして潰して来たのが主因だ。
私は優良企業、秀れた企業がありとあらゆる方法で彼等に潰されたのを知っている。
ある会社は、ヤクザの手に依って、又、別の会社は、巧妙な資金封じによって。
これらの今は無き会社が今も高知に在れば、高知はどれだけ発展していたか想像もつかない。無念で涙が出る。
そして、今、又、私も彼等が言う偽装交通事故殺人か何かで秣殺される。
マスコミに汚名を着せられ、何も知らされない県民のいわれないあざけりを受けながら。
けれども、私はそれでも良い。自分の信念と良心に従って死ぬのなら何の意味も無い人生を全うするより、はるかにすばらしい。
そして、だれかがこの私の事を後世に伝えてくれるだろう。
私は、殺され死にゆく時、静かにほほ笑んで逝くつもりだ。

「だれ一人恨みもしまじ憎しみも、只胸響く人の世の哀」

平成19年8月19日 西内 秀雄

犯罪銀行、四国銀行と豪友会

四国銀行と山口組系豪友会、弘田組そのた全ての暴力団は表裏一体の間柄である。
これは、昔から言われてきた事実だが、この関係を口にするとただであっても生きていけなくなる。
殺されるか自殺するか狂死するかである。

私は、平成7年下記の事実をこの目で見た。
場所は豪友会系関係の事務所、私が内偵していた豪友会の当時最高幹部Aと中堅幹部B(2名とも現在堅気になっているので特に名を秘す)の会話の内容である。

わたしがAと話しているとBが入室してきてAに
『例の件四銀に話してきました』といった。
するとAは『それでどうなった』
Bは
四銀は、ほんまにお前らは悪(ワル)やね、ゆうてわらっていました
続けてBは「けんど『四銀さんのほうがもっと悪(ワル)やないですか』ゆうて2人で大笑いしました

これは四銀と豪友会の関係のほんの一コマである。
どんなに優れた人物、卓越した優良企業でも(それゆえに)殺しつぶすそしてこの体制を守る番犬高知新聞を頭にしたマスコミ・・・
高新は私の何百倍以上もこうした情報を保有し共有しているだろうが四銀とヤクザの敵を誹謗中傷し攻撃するが(つまり正しい人たちを)この悪党共の事実は一切報道しないしさせない。
これで高知県が発展するはずが無い。
今の高知県の状況はこの当然の帰結である。
ところで四国銀行さん、いつになったら私を殺しに来るのですかあ!
高新さんが私が死ぬのを楽しみにしてますよう!
もっとも四銀、ヤクザが一歩でも動いたら、その瞬間に四銀もヤクザもつぶれるのが判っているから私に手も足も出せないでしょうが。

H9.9.9  西内 秀雄

米作りの現状と課題 その解決法

 戦後国際経済の分業・相互依存が顕著になり、物資の諸国間の移動によって、一国の経済が成長するという図式が鮮明になってきた。戦後、我国は繊維、石炭・造船そして自動車・電気製品・情報通信へとその基幹産業が変遷して来たが、その主要因は市場が海外まで拡大し、又、製造・生産が低コストを求めて、海外へシフトしたためである。
 この一方、先進国であるアメリカへは日本から当時二百万台を越える自動車が輸出された。これにより米国内の自動車産業は一時衰退し、日本叩きが起こった。
 この一連の事象は、米自動車産業界の強大なユニオンの権利主張が重視された結果の経営の不健全化の進行と、経営資源を製品の高付加価値化、即ち、高機能、高性能、顧客ニーズに合致した車の開発・生産に振り向けず、主に株主への配当という利益金処分の形で放出した為、製品の陳腐化が進行し、販売不振に陥った。この二つが、その主因である。国際経済が多角化し、関税障壁が取り除かれ自由資易が推進されるのは、国民・企業・国家の存続成長と富の確保のために消費・販路を求めるのが目的であるのなら、米国政府、米国自動車産業と米国民はこの分野で矛盾した国策を選択した事になる。
 又、これに依り米国自動車産業の雇用労働者総数は、一九六十一年度と比較すると一九八五年度までに五十万人減少した。米国自動車産業界は日本製自動車の対米輸出を「第二のパールハーバー」と叫んで制裁を求めたが、これは一方的な主張である。たとえば、米国自動車産業四社が日本車に対応できる製品を造り、無駄を無くしコスト、販売価格を下げれば四十万人の労働者が合理化によって、職を失ったといわれている。
 こうした一方的な情報操作によって国民感情を自国の衰退に向かわせるには、かつての日本の軍国主義もそうであったし何も米国自動車だけではない。日本の稲作もこうした現象の典型的な事例である。国際分業が進み、低価格で秀れた品が消費者に歓迎されるのは、消費者の利益になるばかりでなく、生産国・原産国・原産地にとっても重要である。国内産業の活性化と国民の所得向上のために生産・販売・消費を通じ利益の分配という共通の紐帯に依ってその国の製品が求められるのは自由貿易の基本的な理念と合致する。この結果、国際協調と相互理解、後進国の所得向上等のプラスの結果が生まれる。(但し、これは無原則的な商取引が実行されない場合に限ってである。)
 米は例外的に国産米が主食で、外米は加工米中心であるが、こうした観点で見れば、市場原理により、不必要な産品、時代が求めていないものは淘汰されるのが自然であり、そうなるべきである。これを莫大な費用をかけて保護、助成を行うのは、国費の濫用である。日本はこの繰り返しによって、他の新規産業の育成、進展へ資金が投資されなくなり、生産シフトの円滑化が行われず、国家経済、そして廻り廻って国民の福祉等、社会保障が阻害されて来つつある。又、生産者の勤労意欲と誇りの喪出にもつながる。
 では、米・稲作は不必要か?この視点のみしか見ずに、判断すれば結果は当然である。市場、国民が受け入れれば必要であり、受け入れなければ不必要である。これを無視して、莫大な資金の投入を要求するのは、全く異常である。米、稲作が単に主食としてのみの視点から見れば、需要が減少すれば生産量を低下させるのが当然だが、しかし、主食としての観点以外で見れば米、稲作は古来からの日本の最重要産業である。なぜならば、弥生時代以来、我国の伝統文化、気質、思想は稲作によって培われてきた。各地の数限り無い祭りや風習、地域ぐるみの相互援助、そして、今でも地方に見られる田舎と言われる風景には、稲作がその原点にある。稲の栽培による定住は村(群)国(クニ)を形成した。
 稲作、田舎は日本の原風景である。
 日本人の勤勉と協調性を養い、今日の繁栄を築いたのも、営々と続いてきたこの稲作という日本の原点と日本人の支柱となるものが存在したからこそである。又、自然環境、保水性、国土の保全の面からも、農家と稲作の果たす役割は極めて重要である。こうした数多くの分野から見れば、米・稲作は、日本と日本人が存在する限り不可欠であり、又、将来の食糧危機の備え、食糧自給率を高める為、存在し続けることが必要である。これら経済論・感情論・社会構造論等の多数のプラス・マイナスの要素を内包して、現実は農家は減少し、減反が強制され、国土は廃墟に向かい、“田舎”といわれる日本の原点は確実に消滅の危機に直面している。では、どうするべきか、答えは単純である。稲作がもうかり米が高く売れれば良いのである。“それが出来ないから、今日の状況になって来た。それが出来たら世話ない。”という反論がすぐ返るだろう。その通である。しかし、米は売れる。又、絶対に売らなければならない。そして稲作、農業は繁栄し、農家と就農人口は増加し、もう一度、“田舎”に灯の点る方法がある。“米”の高付加価値化である。
 米の特性を理解し、米のみならず、ぬか、もみがら、茎根まで研究し、利用し、開発し、商品化し、高い価格で売れる“商品”に高次加工する。しかも国内産米のみで。これが、そしてこれのみが日本を永久に存続させ、繁栄させる、そして日本人であり続けるたった一つの方法である。

プライベートの西内秀雄
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