2007年12月14日

◆ オタクの定義と本質

 オタクとは何か? その定義を試みよう。
 そのために、オタクの本質を探ろう。オタクの本質とは何か? 
 ( ※ 普通の人にとっても興味深い文化論。重要。必読。

 ──

 オタクの定義をしたい。
 定義するにしても、単なる定義ならば、いくらでも可能だ。だが、定義が意味あるものであるためは、まず本質を知ることが大切である。
 では、オタクの本質とは何か? 

 そこで、類似概念と比べてみよう。
  ・ 「〜好き」(アニメ好き,車好き)
  ・ 「〜マニア」(アニメマニア,車マニア)
  ・ 「〜狂」(アニメ狂,車狂)
  ・ 「〜オタク」(アニメオタク,車オタク)

 「〜好き」「〜マニア」「〜狂」では、単に、「好き」であることの程度が違うだけだ。しかるに、「〜オタク」になると、単なる「好き」であることを越えて、それ以上のものになる。

 では、ただの「好き」を越えているとは、どういうことか? 

 ──
 
 ここで、オタクと非オタクとを比べてみよう。
 一般に、オタクになると、正常な社会生活を営めなくなる。(だから、オタクは馬鹿にされる。)

 とすれば、オタクの本質は、何かを好きになること(のめりこむこと)それ自体ではなくて、その半面として、社会生活をまともに営めなくなることだ。
 だから、何かをなすことが本質ではなくて、何かをなせなくなることが本質だ。

 では、なぜ、何かをなせなくなるのか? なぜ、社会生活をまともに営めなくなることだ。

 ──

 ここで、たとえば、次の定義が可能だ。
 「オタクとは、現実の女性を愛するかわりに、二次元のキャラを愛する者のこと」

 
 これが「オタク」の定義として最適かどうかはともかく、こういう定義も可能だろう。
 この定義に従えば、私がいろいろと述べた「オタク」に合致する。普通の人は、アニメを好きになっても、アニメキャラにのめりこむことはない。しかしオタクは、アニメを好きになったあげく、アニメキャラにのめりこむ。そして、そのこと自体が問題なのではなく、現実の女性を愛せなくなることが問題だ。

 では、なぜ、「現実の女性を愛せなくなる」ということが起こるのか? 

 ──

 ここで、重要なことに気づく。こうだ。
 「普通の人は、いくらアニメキャラを好きになっても、アニメキャラに恋をすることはない。アニメキャラを現実の女性と比べることもない」


 たとえば、「めぞん一刻」の音無響子を好きになったとしても、それはただの暇つぶしの世界の問題にすぎない。漫画を読んで(またはアニメを見て)、その時間だけは物語の世界を楽しむ。だが、物語の世界はあくまで物語の世界であって、現実の世界とは何の関係もない。物語を見ている間は物語を楽しむが、物語を見終えたあとは現実世界に戻る。そして現実世界で、現実の女性を好きになる。
 その相手は、たいていは身近な女性だが、身近な女性がいなければ、テレビの長澤まさみでも新垣結衣でもいい。とにかく、アニメキャラではなく、現実の女性を好きになる。
 ところが、オタクはこういうことがない。物語の世界にひたったあとで、現実の世界に戻っても、「現実の女性よりも二次元キャラの方がかわいいな」などと言い出す。
 この際、比べられないはずのものを比べている。比喩的に言えば、「栄養のために、ちゃんとご飯を食べなさい」と言われて、ミシュランのガイドブックの写真を見ながら、「うちの食事より、こっちの方がおいしいよ」と言うようなものだ。
 たとえば、友人がオタクに「現実の女性となら、ちゃんと会話ができるよ」と告げると、オタクは「いや、アニメキャラとだって、ソフトを使って会話できるよ」などと言い出す。……とんでもないことだ。一種の精神倒錯。

 こういう精神倒錯の本質は何か? こうだ。
 「現実世界とバーチャル世界を混同している。両者の区別ができなくなっている」


 これこそオタクの本質だ。
 アニメキャラを好きになろうが、のめりこもうが、そのこと自体は、ただの趣味である限り、特に問題はない。ひととき楽しんで、その楽しみを終えたあとでは、現実の世界に戻ればいい。
 ところが、オタクは、これができない。いつまでも架空の世界にのめりこんだままで、架空の世界から抜け出せない。たとえば、「アニメキャラの方が現実の女性よりもかわいい」というふうに、とんでもないことを言い出す。彼の頭の中では、比べようのない別々のことを比べている。つまり、現実世界とバーチャル世界を混同している。両者の区別ができなくなっている。
 ここにオタクの本質がある。

 ────────

 本質を知ったあとで、概念の明確化を図ろう。オタクと非オタクの境界を探る。

 オタクと非オタクは、どうやって区別がつくか? 半分ぐらいオタクぽい人も多いからだ。区別は容易ではない。……ただ、次のことで、いちおう判別が付きそうだ。
 「単に受動的に漫画等を見るだけでなく、自ら積極的にフィギュアなどを購入して偏愛する」

 
 つまり、漫画を作品として鑑賞するのではなく、漫画の中のキャラクターを独立した個体として偏愛する。それも、ただのキャラクターとして好きになるのではなく、擬人化して好きになる。
 こういうふうに、アニメキャラを擬人的に愛好しているという時点で、もはや正常な人間の範囲を逸脱している。

 この手の変人は、オタクに限らず、昔もいた。それは「人形愛」である。元祖オタクとでも言うべきか。
  ・ 本物そっくりの少女人形を愛好する変人
  ・ 本物そっくりの赤ん坊人形を愛好する老人夫婦
   (子供を死なせたので、そのかわりに人形を愛する。)


 後者の例は、たしか、小林秀雄が述べていたと思う。子供を亡くした老夫婦が、「次郎ちゃん、さあ、お食べ」などと言って、人形の口に弁当の飯を運んだりする。人形を、まるで生きた人間のように扱う。それが、見ていて痛々しい。ほとんど発狂したようなものだからだ。
 なぜ発狂したようなものであるか? 現実と虚構(幻想)との区別がつかなくなってきているからだ。

 ──

 以上において、オタクの本質がつかめてきただろう。
 たとえば、涼宮ハルヒであれ、ポケモンであれ、ウルトラマンであれ、めぞん一刻であれ、それらの物語を愛好して、それらの物語世界を愛好することは、それ自体は問題ない。多くの人々は、こういう物語世界を愛好する。そのこと自体は、ごく普通のことだ。(ただの娯楽である。)
 ただし、普通の人は、物語世界を見終えたあとで、物語世界から脱却する。しかるに、オタクは、それができない。オタクは、物語世界と現実世界とを混同してしまう。そのあげく、「どっちのキャラがいいか」などと比べたりする。本来比べようのないものを比べてしまう。……頭がどこか狂っているのだ。人形を偏愛する老夫婦のように。少女人形を偏愛する倒錯者のように。

 ──

 だから、私が「オタクを脱せよ」という言葉の意味も、以上からわかるだろう。その意味は、こうだ。
 「虚構と現実を混同するほどに、虚構世界にのめりこむな」

 これが私の言いたいことだ。

 一方、次のことは、私の言いたいことではない
 「アニメや漫画を一切見るな。ネトゲを一切やるな。テレビゲームを一切やるな。そういうのを少しでもやると、頭がおかしくなる」
 私はこういうことを言っているのではない。こんなことを言い出したら、「日本中の99%ぐらいの子供はオタクだ」ということになってしまう。そんなことはありえない。

 アニメや漫画を、ちょっとだけ楽しんで、「物語の世界のこと」とわきまえているなら、問題はない。単にテレビやゲームをやるだけなら、問題ない。
 しかし、そのあと、「どうしても涼宮ハルヒのフィギュアがほしい」と言い出すと、要注意だ。さらには、「涼宮ハルヒは現実の女の子よりも素敵だ」などと言い出したら、もはや完全なオタクである。

 ──

 オタクであるか否かは、どうやって確認されるか? 
 その人がオタクかどうかは、次のテストに対する返答でわかる。
 「あなたが一番かわいいと思う女性は?」


 これに対して、アニメキャラで答えるか、現実の女性で答えるかで、オタクか否かがわかる。

  ・ オタクの返答
    …… 涼宮ハルヒ ,ベルダンディー ,音無響子 など。
  ・ 普通の人の返答
    …… 今つきあっている彼女 / 長澤まさみ ,新垣結衣 など。

 また、次の質問でもわかる。
 「あなたは暇なとき、どの女性のことを考えている?」


  ・ オタクの返答
    …… 涼宮ハルヒ ,ベルダンディー ,音無響子 など。(同上)
  ・ 普通の人の返答
    …… 今つきあっている彼女/長澤まさみ ,新垣結衣など。(同上)
  ・ 別の返答
    …… 女性のことなんか考えない。仕事のことで頭がいっぱいだ。

 最後の場合は、「仕事中毒」です。これは「仕事オタク」みたいなもので、やはり、一種の病気です。

( ※ なお、上記の質問に対して、アニメキャラと現実の女性とを並べて、「どっちかな」と悩むような人は、純粋なオタクではないが、純粋なオタク寸前であり、かなり重症だ。普通の意味では「オタク」と言えるだろう。)

 ──

 健全な男というものは、ふだん、現実の女性のことを思い浮かべるものだ。生物としてそれが当然本能だ。「あの子と××したいなあ」ということを、その人なりに考えるものだ。(××の内容は、デートだったり、キスだったり、それ以上だったり、いろいろであるが。本人の下品さしだい。)
 健全な男には、そういう本能がある。オスとしての本能が。一方、それをなくした「仕事中毒」の人々や、したくてもできない架空の世界のキャラに対してそうしたがる「オタク」は、もはや生物としては壊れているのだ。

 だから、壊れた頭を治して、治療しましょう。健全な人間になりましょう。健全な生物になりましょう。(その上で、現実に、デートとかキスとかをしましょう。)……それが私の言いたいことだ。
 頭のおかしい病人に対して、「おまえは頭がおかしい」と批判しているのではない。むしろ、「おかしな頭を治しましょう」というふうに、治療を勧めているのだ。決して批判しているわけではないので、誤解しないように。

 お医者さんは者の診断や治療をする。だからといって、「医者が患者を批判している」と文句を言う人はいないだろう。 
 しかるに、オタクというのは、被害妄想が強いせいか、私が診断をして、「こういう症状があるから、治療しましょう」と指摘すると、「おまえはおれを批判している!」と文句を言い出す。……被害妄想ですね。現実と妄想の区別がつかなくなってきている。

 現実と妄想の区別がつかなくなったあげく、虚構の世界にのみ生きる人々。それが、オタクである。(定義)
 
 ※ 「じゃ、気違いの定義と どう違うんだ?」とは聞かないでほしい。 



 さて。話をさらに発展させよう。(文化論ふうになる。)

 オタクに似たものは、気違いのほかに、もう一つある。それは、「人形を擬人的に愛する幼女」だ。
 たとえば、幼稚園児ぐらいの女の子が、「リカちゃん」を好きになって、肌身離さずもっている。「いつもいっしょにいたい」と言い出して、朝から晩まで離さない。寝るときまで、いっしょに寝る。そのせいで、人形はボロボロになるが、それでも手放さない。(熊の人形であることもある。テディベアなど。)
 ……こういうことは、度が過ぎてはいるが、精神の弱まった(何らかの精神的な傷を受けた)幼児には、けっこうありがちなことである。しばしば見られる。

 オタクもまた、これに似てる。とすれば、オタクの特徴は、次の二点にあるのかもしれない。
  ・ 傷ついて衰弱した精神
  ・ 幼児的な精神(退行した精神)


 これをまとめて言えば、「現実逃避としての精神的退行」である。

 ──

 ここまで理解して初めて、オタクの根源もまたわかる。
 オタクはしばしば、現実との交渉が難しくて、ひきこもりになりやすい。なぜか?
 たいていの人はこう考える。
 「オタクの大好きなテレビゲームなどのせいで、ひきこもりになる」


 しかし、これは、話がである。正しくは、こうだ。
 「現実逃避をするように、精神的退行を起こしたせいで、オタクになる」


 オタクは当初、現実の世界で、すごく傷ついているのだ。たとえば、容姿が悪いので、女の子にもてない、とか。いじめにあった、とか。成績がすごく悪い、とか。運動神経がすごく鈍い、とか。……こうして、現実世界において、ひどく傷つく。そのあと、傷ついた精神を癒すために、架空世界に逃げ込む。
 こうして、オタクが誕生する。

 ──

 では、オタクにならないためには、どうすればいいか?
 まず考えられるのは、次のことだ。
 「オタクになりがちな子供に優しくして、精神が傷つかないようにする」
 たとえば、いじめをなくす、というふうな。または、容姿の悪い子供にも優しくする、というふうな。
 しかし、これは無効である。なぜか? この世界では、人生において、誰もが激しく傷つくからだ。この世界から病原菌をなくすことができないように、この世界から不幸の原因をなくすこともできない。そんな夢想を望んではならない。

 ──

 では、何ができるか? 次のことだ。
 「傷ついても生きるだけの抵抗力をもつ。ちょうど、病原菌に対する抵抗力をもつように」

 これだけが、この世界でまともに生きる方法だ。
 では、そのためには、どうすればいいか? 「免疫」をつけることだ。すなわち、常に少しずつ傷ついて、少しずつ立ち直ることだ。
 そして、そのためには、現実との接触が必要だ。つまり、「現実からの逃避」をやめることが必要だ。つまり、「架空世界に生きること」をやめることが必要だ。

 ──

 要するに、「セカンドライフ」のようなバーチャルな世界に生きることをやめて、現実の人間と接触するべきだ。ネットの世界でおしゃべりするよりは、公園にいる暇なおばちゃんとでもおしゃべりするべきだ。
 
 バーチャルな世界に生きると、そこから悪循環が始まる。蟻地獄のようなもので、ますます抜けられなくなる。
 だから、できるだけ早く、その蟻地獄から脱するべきだ。そして、なるべく、現実世界において、たくさん傷つくべきだ。傷つけば傷つくほど、抵抗力が付く。……そして、そういうことがつまり、「生きる」ということだ。換言すれば、「人間的に成長する」とも言える。
 人を成長させるものは、幸福ではなく、不幸である。困難に投げ込まれ、困難のなかで耐えて抵抗して生きることで、人は成長する。
 バーチャルな心地よい世界に生きることは、そういう成長の機会を奪う。そのせいで、人は(子供は)成長できなくなる。

 「二次元の女の子の方がかわいい」
 などと言い出すのは、根本的に狂った見解だ。それは「甘いものだけを食べていたい」という、幼児の発想であり、退行した精神の発想だ。
 男子が女性と交際するのは、かわいいものを眺めるためではない。自分が傷つくためだ。傷ついて、成長するためだ。その際、「女の子が何を与えてくれるか」を考えるよりも、まず、「自分が何を与えられるか」を考えるべきだ。

 自分からは何も与えようとせずに、単に「女の子が何を与えてくれるか」だけを考えているようだと、いつまでたっても、幼児的な精神レベルを脱しえない。
 それは、いわば、大の大人が幼女に向かって、「ママー、お菓子ちょうだい、ほしいよー、ちょうだいよー」とねだるようなものだ。幼児退行。
 子供は親にねだる。だが、親は子供に与える。親は、与えることに喜びを感じる。与えることの喜びを理解できない人間は、まずはその精神を大人レベルに引き上げるべきだ、と自覚しよう。

 そして、その第一歩は、「オタクはいけないことだな」と自覚することだ。その自覚があれば、オタクを脱することも可能だ。一方、「オタクは正しいのだ。オタクのどこが悪い」と思っているようでは、もう手の施しようがない。
 「残念ですが、手遅れです」
 と診断したあとは、死ぬまで放置するしかないでしょうね。比喩的に言えば、「梅毒が脳に回った状態」である。治療のしようがない。治療しようとしても、本人が抵抗する。

( ※ なお、軽度の梅毒とうまく共存している患者もいる。彼は梅毒でも普通に生きていられる。それと同様に、軽度のオタク症状とうまく共存しているオタクもいるだろう。そういう人は、悪化も改善もしないで、そのまま放置することも可能だ。……ただし、大人ならば、だが。子供の場合は、さらに悪化する可能性も、十分にある。)



  【 追記 】

 オタクの泥沼に足を入れてしまった人の例。
  → http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3364866.html?ans_count_asc=20

 家族が見て、心配している。こういうふうに、いったんオタクの蟻地獄にはまると、急激にオタクに染まっていくものだ。宗教の洗脳に似ている。だからこそ、注意と自覚が大切なのだ。
(たいていのオタクは、オタク批判に耳を貸さない。「なるほど、そういう面もあるな」と思うことは少なく、「うるせえ」というふうに人を避ける。もはや病気ですね。)

 ──

 なお、上記のサイトのオタクである兄は、妹に不満タラタラなのだと思う。
 「うちの妹はちっとも萌えキャラじゃない。アニメのキャラの妹の方がいい」
 こう思っているのだろう。(報告を読むと、そういう感じだ。)
 これは、はっきり言って、異常です。ということは、つまり、たいていの自称オタクは異常だ、ということです。

 ──

 オタク化が深刻化した人の例。
 「オタクにだって現実と虚構の区別ぐらいつくぞ」
 こういうふうに言い出す。
 馬鹿じゃなかろうか? 「区別できない」という言葉を、文字通りの意味で解釈している。言葉の意味を理解する能力が欠落してしまっている。
 区別がつくかつかないか、という問題ではない。真の意味で区別がつかないのは、分裂病の患者ぐらいだ。オタクは分裂病とは違う。(分裂病:統合失調症)
 現実の女性と架空の女性を同じ水平面で比べてしまう、というところが、オタクの「区別がつかない」ということの意味だ。 (言葉の意味に注意。)




 【 関連 】

 「オタクが虚構の世界に生きる」という件については、別項でも論じた。次の項目を参照。

 → http://openblog.meblog.biz/article/52920.html (バーチャル愛)

 → http://openblog.meblog.biz/article/8634.html (バーチャルな自己)

  【 参考 】

 他の人の定義した、「オタク」。
 → http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310670323

 これに従えば、本サイトで言う「オタク」は、「最重度のオタク」ということになる。
posted by 管理人 at 21:48 | Comment(7) | 一般
この記事へのコメント
ああ、なるほど。ようやく南堂さんのオタク関連の話に納得出来ました。

>   ・ 「〜好き」(アニメ好き,車好き)
>   ・ 「〜マニア」(アニメマニア,車マニア)
>   ・ 「〜狂」(アニメ狂,車狂)
>   ・ 「〜オタク」(アニメオタク,車オタク)

世間一般の『自称オタク』の方は、南堂さんから見た「〜マニア」の段階からオタクと自称し始めます(私も同じく)。
その為南堂さんが今までオタクネタを扱われた時に、(私も含めた)皆さんが攻撃的な反応をしたのだと思われます。

一つ例え話をします。

身長170cmの人の標準体重は63.6kg辺りになりますが、プラス数kg〜15kg程度の人でも自分達の事を
「やや肥満、もしくは既に肥満」と自覚し始めます。

しかしそこで

「太っている人間は、もはや人として機能してない!(〜以降罵詈雑言及び非難の嵐〜)」

と、身長170cmにおける『体重200kgオーバー位の人に対する発言』を大声で言われたら、70kgの人はどう思うでしょうか?

「それは言いすぎだ。前提が間違いだらけだ。ちゃんと実際が(どんな体重+体型か)見てから物を言え!」

と反論する人も出てくるでしょう。

これが、今までの南堂さんと、『自称オタク』のやりとりの全てだった訳です。
以上、たとえ話おしまい。

「アニメやゲームやオタクを批判する前に、先にちゃんとどんなか見てくださいよ!」と、私も含め色々な人が書いてきたと思います。
だってお互いの前提があまりにもかけ離れ過ぎた為、違和感を感じずにはいられなかったのですから。

ちなみに大多数のオタクから見た『南堂さんの定義のオタク』は、『変態』と定義されます。オタクであるかどうかでなく『変態』なんですよ。
今後は『変態クラスのオタク』と書くか、この記事のURLを全て前置きで示されると良いと思います。
そうすればこの記事で『オタクの定義』についての言い争いは起こるかもしれませんが、『南堂さんが定義したオタクに関する別記事』については、余計な茶々は入らなくなると思われます。
Posted by pochi-p at 2007年12月15日 02:00
> これが、今までの南堂さんと、『自称オタク』のやりとりの全てだった訳です。

 いやー、そんなに甘くないぞ。
 オタクの道は、泥沼だ。いったん入り込むと、際限なくハマりやすい。特に、大人はともかく、子供だと、危険性が高い。
 いったんほどほどにやれる大人になら、そんなに注意はしないが、私は子供に対しては、「アニメマニアも駄目」と言いたいですね。フィギュアを買うようになったら、もう非常に危険だ。どこまでのめりこむか、わかったものじゃない。

 比喩的に言うと、飲酒です。「大酒飲みになる危険がある」というようなものです。だから子供からは酒を取り上げるべきだ。「まだ大酒飲みになっていないから、子供にたくさん酒を飲ませてもいい」とは思いません。
 ま、大人なら、程ほどに飲む限り、何の問題もないが。とはいえ、フィギュアを買うような人は、酒飲みでいえば大酒飲みのクラスだから、寿命が縮まるというようなマイナス面はある。そのマイナス面をちゃんと自覚してほしいですね。
 普通に酒を飲む人と、大酒飲みとは、明らかに違うんです。「死ぬほど酒を飲んでいないから安全だ」と思うようでは、自覚が足りないですね。「本来なら酒をほとんど飲まないのが理想だ」と思う方がいいでしょう。

 ついでに言えば、妊婦の場合、飲酒量は完全にゼロであるべきです。妊婦が酒を飲むと、胎児の脳に影響が出て、胎児が異常になります。たとえば、オタクになるとか。
 あれ? オタクが増えたのは、若い女性が酒を飲み過ぎたせいかな? あなたの母親は、酒飲みじゃないですか? 
 ふだんから飲酒癖のある若い女性は、注意しましょう。同様に、ふだんからオタク癖のある男性は、注意しましょう。どちらも危険です。今はまだ安全だとしても。

 とにかくまあ、私の言いたいことは、
 「子供はお酒を飲まないようにしよう」
 というのと同レベルのことです。これに対して、
 「お酒はまったく無害だ。(度を過ごさない限り)」
 というふうに主張するのは、受け入れられません。
 つまり、お酒の危険性をわかっていて小量をたしなむのならばともかく、お酒の危険性を無視することは受け入れられません。
 その意味で、オタクの定義として、
 「オタクであることの危険性を理解できない人」
 というふうにも定義できます。「オタクになるのはやばい」と思って涼宮ハルヒを楽しむのならともかく、「おれはオタクだ。これは大人の楽しみとして正当だ」と思って涼宮ハルヒを楽しむのは、相当やばいですね。
 その意味で、ローゼン閣下は、相当にやばい。オタクに支持されて、恥ずかしがるなら正常な人だが、得意になるような人は、一人前の大人ではない。彼は幼児退行を起こしている。ヒトラーと同類で、危険です。

 なお、オタクであることを恥ずかしがって、こっそりと少しだけ楽しむのならば、ま、それは、個人の趣味の範囲内でしょう。妻にバレたら「恥ずかしい」と思って、「ごめんなさい」と謝る男は、批判されることはないでしょう。妻だって許してくれます。

 ──

 なお、普通のオタクでも、次の発言はしばしばします。
 「二次元キャラの方がかわいい。現実の女はかわいくない」
 「オタクは浮気しないから偉い」
 これもまあ、変態レベルですが、こういうのは、たくさんいます。
Posted by 管理人 at 2007年12月15日 14:05
飲酒した妊婦から生まれた赤ん坊の症状と、オタクの症状とは、かなり似ている。(脳の発達異常)
具体的には、次のサイトを参照。

http://www.ask.or.jp/fas_keyword.html#4
http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brown/2111/s_index_alchohol.html
Posted by 管理人 at 2007年12月15日 15:13
> 罵詈雑言及び非難の嵐

 私はそんなことを書いた覚えはありません。

 私はオタクを攻撃しているわけではありません。逆に、オタクを救ってあげようとしているのです。いわば、麻薬中毒患者を救ってあげようとする医者のようなものです。その際、オタクの問題点を指摘します。
 「オタクやめますか? 人間やめますか?」
 というような言い方で。(麻薬撲滅と同様。)

 これに対して、普通の人は、「なるほど」と思います。「アニメは好きだけど、度が過ぎないように注意しなくちゃ。自覚が大事だな」と。そして医者に感謝します。
 しかしオタクは、医者の言葉を聞くと、「こいつはおれの悪口を言っている。こいつはおれを攻撃している」と妄想します。現実を理解できず、妄想世界で、被害妄想にふけります。「医者(南堂)はオタクの悪口を言って攻撃してくる」というふうに。

 したがって、私の見解を聞いて、「なるほど」と思うか、「オタクを攻撃してくる」と思うかで、その人のオタク性が判断されます。(現実を正しく読み取るか、妄想世界にふけるか。)
 
 とにかく、本サイトは、オタクを攻撃しているわけではありません。オタクになっていない人々に対して、「オタクになることの危険性を自覚しよう」と警告を発しているのです。
 ただし、すでにオタクになった人は、警告を聞いても、悪口にしか聞こえないのでしょう。たぶんもはや脱出不可能な状態に嵌まりこんでしまったせいでしょう。

 とにかく、本サイトの立場は、「オタクを治す医者になりたい。ヤク中患者を治す医者のように」ということです。白衣を着た医者を、悪魔だとは思わないでください。……たとえその医者が、萌えキャラのようにかわいくないとしても。さらには、ヒゲもじゃだとしても。
Posted by 管理人 at 2007年12月15日 17:22
 「いくら治療のためとはいえ、患者に苦痛を与えるようなことはするべきではない」
 という趣旨の声が寄せられた。

 しかし、これはオタク特有の誤解である。なるほど、萌えアニメの世界では、美人女医さんが登場して、甘い雰囲気で優しく治療してくれる。
 しかし現実は違う。ごっついおじさん医者が、痛い注射をして、苦い薬を飲ませる。さんざん苦しい思いを味わわせる。それが治療というものだ。「良薬は口に苦し」とも言う。
 現実世界の治療についてまで、オタクの妄想を当てはめないようにしましょう。

 「オタクを治療する」というのは、患者にとってはひどくつらい思いをすることになるんです。
 で、たいていの人々は、オタクに嫌われたくないから、口のいい甘い態度を見せて、「どんどん萌えに染まりなさい」と勧める。あるいは、放置する。で、オタクはどんどんスポイルされていく。
 ただし本サイトだけは違う。オタクにさんざん嫌われて、文句を言われて、大損をしながら、オタクを治療しようとする。本人には一円の得にもならないのに。

 私が利口だったら、ローゼン閣下のように、オタクに媚びて、票をもらいます。オタクを泥沼に突き落として、彼らの精神を荒廃させながら、自分だけは利益を得ます。(悪魔のように。)
 しかし私は馬鹿なので、利益を得るかわりにオタクの非難だけをもらいます。私はオタクを非難しないが、オタクはさんざん私を非難する。……ま、アフリカで命を落とした、シュバイツアーのようなものです。自分は損だけをして、人々の人生を救おうとする。

 ま、オタクが私を批判するのは、もともと覚悟の上なので、非難したければ、勝手に非難してください。私としては、自己弁解はしますが、オタクを非難し返すことはありません。

( ※ なお、以上を読んで、「オタクを非難しているじゃないか」とは思わないように。単に分析しているだけです。それを「非難している」と思うのは、オタク特有の心理。風邪の患者が「熱がありますね」と言われて、「おれを非難している」と怒るようなもの。)
Posted by 管理人 at 2007年12月15日 22:44
うーん、過ぎたるは及ばざるが如しなのは、たいてい全ての事にあてはまるのでは?
アルコールやニコチン等の中毒性のあるものに限らず、水も塩も酸素もカルシウムも全て、過剰摂取は死に至るほどの毒になりますからね。

オタクの嗜好する対象と(一般にイメージ)されている「マンガ、アニメ、ゲーム」に、「〜これこれこうだから、アルコールのような中毒性がある」との定義がなされたなら、その理論でも問題無いでしょうけどもね。

個人的見解を述べるなら、中毒性が認められそうなのは「単純なアクションやパズル等の一部ジャンルに限った、繰り返しが容易なシンプルなゲーム」位ではないかと思われます。
(二次元キャラ萌えが見受けられる)ギャルゲー的なノベルゲームには、何度も読み返させるほどの中毒性はイマイチ感じられません(時間がかかり過ぎて面倒だから)。

南堂さんのおっしゃるような『現実からの逃避行動』が先にあった前提において、『快適な逃避先』として成立しやすい「マンガ、アニメ、ゲーム」が(厳しい現実へ復帰する妨げとして)問題になるのではないでしょうか?
激しい出血を伴う外傷があった状態では、『血行促進する何か』が生命の危険になるかのように。(不適切な例えかもしれませんが)
逃避を伴わない快適な環境は、毒にはなりえないと思います。
Posted by pochi-p at 2007年12月16日 02:57
おそらくですが、南堂さんの想定するオタクというのは言ってみればアル中やパチンコ依存症のような状態ではないかと。
そういう状態の人に対して、口で言うだけではまったく無意味です。やめるわけがない。もう壊れているので。

引きこもりに説教をしたらそいつは引きこもりをやめるか?と考えてみれば分かると思いますが。

引きこもりがなぜ引きこもるかといえば、学校や仕事場で本人の考える所の面目がつぶされた状態になって、怖くて恥ずかしくて世間に顔向けできず、またそんな扱いをする世間にたいして怒り狂い、部屋にひとりで閉じこもるような状態だと思われます。

以前、引きこもり30代の長男が妹に説教されて、怒りり狂って両親と妹夫婦とその子供を皆殺し?でしたっけ?にした事件がありましたが、これはまあ安住の地が自分の部屋しかない、そんなギリギリの立場の人がそこから引きずりだされそうになって死に物狂いで抵抗したということでしょう。
結局家族も家もなくして刑務所に入るわけですが、この程度の予想ができる状態なら引きこもりになるわけがない、つまりそれくらい病んでいる。

オタクもだいたい同じような状態にあるんじゃないでしょうかね?完全に想像ですが。

したがって南堂さんの思いやりは無駄ということになるような気がします。
なるほど、と思うような人は本来そういった危険はないし、精神年齢が子供の人はここ読まないだろうし、ということです。

というか、順序が逆な気がしますね。
アニメを見るからああなるのではなく、
ああいう人間だからアニメを見るのではないか。
その相乗効果でみっともないオタクが誕生するのではないか、ということです。
つまり、現実世界では思ったようにはならない
そんな程度の底辺の人間が、現実から半分くらい
頭の中身を空想妄想の世界に、つまり普通の世界から引きこもっている状態、むしろそっちが本来の世界だ!などと考えていそうな。

そういう人のハートをガッチリキャッチするために
今の日本のアニメはあんな腐ったような作品が
多いのではないかな?と思うのですが。
Posted by NN at 2007年12月16日 04:38
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。