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長門: |
この本にも書いてくれているけど、初めて会ったのは、僕の長崎時代からの友達、小宮(やすゆう)の家、阿佐ヶ谷の”イタリアン荘”で会ったんだよね。 |
徳武: |
そうそう。名前はオシャレだけど(笑)。でもレコードがずら〜って有ってね。僕は当時、インストしか知らなくて、ただギターだけは弾いていて他人から褒められる(笑)っていう存在だったんだけど。仙台で田村君っていう人と知り合って、彼から”東京に戻ったら絶対に小宮君に会いなさい”って言われて、連絡もせずに、いきなり訪ねて行ったんじゃないかな。小宮君が、良く快く受け入れてくれたなって思ってね。今思うと、そんな巡り会いにもすごい感謝していますね。 |
長門: |
僕らの当時の音楽仲間は、ほとんど長崎の人達だったけど、そこに徳ちゃんとか東京の人が入ってくるって、あんまり無かったんだよね。僕は矢野(誠)さんに呼ばれて東京に来て、あの頃は矢野さんの家に、徳ちゃんを始め、ブレッド&バターのメンバーや、いろんな人が出入りしていたよね。 |
徳武: |
僕の最初のスタジオ仕事って矢野さんに誘ってもらったんだよ。譜面も読めないのに、コード譜とかだけもらって、アコースティック・ギターでアルペジオ。その後、インペグ屋から直接呼び出しがあって、スタジオに行ったら全然知らない人ばっかりなの(笑)。矢野さんは居ないし、これはマズイなっておじけずいちゃうわけ。出来なかったりするとディレクターから怒られてね(笑)。 |
長門: |
四谷のディスクチャートにも良く来ていたよね。僕が覚えているのは、徳ちゃんがコカ・コーラのCMの仕事をとってきて録音したり、夜中に一緒にター坊のデモ・テープ作ったりとかしていて。その時のセッションは、こないだ紙ジャケで再発された、ター坊の『Grey
Skies』にボーナストラックで「午后の休息」として発表されたんだよ。あの頃は山本コータローと少年探偵団をやっていたんだっけ? |
徳武: |
探偵団は、同じ頃かな?コーラのCMは、ジェリー・リードのスタイルでやった覚えがあるね。 |
長門: |
僕はスプーンをカチャカチャやっていた記憶があるな(笑)。セッションでは、ギターももちろん、ベースもやっていたよね。 |
徳武: |
そう言えば、(山下)達郎が、シュガーベイブ作る時に、”ベースで入らない?”とか言われて誘われたんだよ(笑)。僕は”ちょっと違うよ”って(笑)断ったんだっけ(笑)。 |
長門: |
そうか、もしベースだったら、ルイズルイス加部みたいに弾きまくっていたかもね(笑)。あの頃から徳ちゃんは、他の日本人が誰も弾けないようなギター弾いていたからね。 |
徳武: |
そうだね。というか、僕は自分に向いている、自分の好きなモノっていうのが早めに見つかったんだと思うね。それは、長門さんや小宮君のおかげなんだけどね。ベンチャーズが入り口で入ったんだけど、もっとアメリカ音楽の深い処を探っているうちに自然と見つかったんだと思うね。 |
長門: |
ディスクチャートではしょっちゅうベアフット・ジェリーとかをリクエストしてくれていたしね。いまだにスタイルを変えずに一線でやっているし。そうだ、ベアフット・ジェリーとも一緒にステージに立ったんでしょ。 |
徳武: |
‘98年にアメリカに行くっていうのが決まっていた時に、ベアフット・ジェリーのホームページを見たら、リ・ユニオンのライヴをやるのを見つけて、ナッシュビルに着いて連絡したら、”おまえギター持って来たか?”って言われて、”一緒にやろう”って(笑)事になって。次の日にリハで、その次の日に本番。曲順が書いてある紙だけもらって、譜面なんか無いんだよ(笑)。いきなり始まるんだけど、昔から大好きで聴いていた曲だから、できるんだよ、これが(笑)。ハモってたりすると、メンバー皆よろこんじゃったりして(笑)。こっちは心臓バクバクしてやっていて、”大丈夫か?こんなで良いのか?”とか思っていて(笑)。 |
長門: |
でもそれは、夢が叶ったって事だよね!(笑)。 |
徳武: |
うん!もう、夢だよ。帰って来て、大瀧(詠一)さんにセッションに呼ばれて行った時に、その話をしたら、”徳、おまえ、本懐を遂げたな!この野郎、最高だ!“って(笑)言われたっけ。 |
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