内野聖陽さん、市川亀治郎さん、ガクトさん、そしてスタッフが綴る「風林火山」日記 大河三昧
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12月16日 山本勘助役 内野聖陽

いい別れはいい出会いがあってこそ

 とうとう「風林火山」も最終回を迎えました。最終回なので“別れ”がテーマということだそうですが、実は私自身は“別れ”そのものに、あまり、こだわりや感慨はないんです。人が生きていれば、別れはつきものですよね。それより、いい出会いをしたいなって。

 今までの人生で、辛い別れというのは、女性、男性に関わりなく、やはり心に残っています。それは、いい出会いができたからで、そんな心に刻み込まれるような出会い方をしたいと思いますよね。
 ただ、そのためには心に準備ができていない…。と、たとえ目の前に出会うべく人がいたとしても、すれ違ったりして出会えない気がする。それは寂しいことですよね。何かしら命懸けで求めているものがあるゆえに出会うことができる。そういうものだと思うんです。単にぼーっと待つのではなく、何かアクションを起こさなくてはね。白馬の王子様は自分にはあり得ないということです(笑)。
 勘助の場合、ものすごい出会いをしていますよね。お屋形様となる晴信と出会い、そして由布姫様と出会うことができた。それは、それまでの勘助の人生に大きく結びついていると思うんです。勘助に苦闘の時代、踏みつけられていた時代がなければ晴信にも姫様にも会えなかったんじゃないかな。武田家に仕官して遅咲きのデビューを果たした勘助だけれど、それ以前にあきらめることなく生きてきた。そうやって出会いのエネルギーをためてきたんだと思います。
 『大河三昧』も最後となりました。これでお別れということになりますが、この1年、応援してくださった皆さんとは本当にいい出会いができたと思っています。だからこそ、いいお別れができそうです。本当にありがとうございました。また、いつかどこかで…。(完)

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12月9日 武田信玄役 市川亀治郎

僕の“大河”は1シーンごとに 完結していました

 「風林火山」もいよいよ最終回目前です。僕にとって映像の仕事は初めてのことで、13か月にも及ぶ長期間の撮影でしたが、今改めて振り返ってみると、いつの間にふーっとクランクインして、いつの間にか最後の日を迎えてしまった、そんな感じです。

 歌舞伎の場合、芝居は毎日同じことの繰り返しで、どんなに長くても1か月で終わりです。ところが大河ドラマは同じ人物を1年間ずっと通して演じてゆかなくてはいけない。しかし気持ちのうえでは、一話一話完結した物語だという心構えで収録に臨んでいました。もちろん役の性根や思想など、一貫して根底に流れるものはきちんと押さえながら、そのうえで一話の中にも起承転結を持たせ、全話を通すとそれがまた大きな起承転結になっているというように。そういう意味では、各話ごとに印象に残るシーンというものがあります。

 大河の経験から役者としての人生にどのような影響を受けたかというのは、正直、今はまだわからないです。すぐに何かが変わるものだとも思えない。おそらく、5,6年経ったころに見えてきたりするものじゃないかな。それぐらい自己の深い部分での交流だったんだと思います。ただ一つだけ断言できるのは、大河に出演したことで、内野さんをはじめ素晴らしい共演者との縁をいただきました。歌舞伎だけではご一緒することのない皆さんと共に仕事ができたことは、僕の一生の宝物です。仲間内では収録が終わりに近づくにつれ、名残惜しい気分が漂いました。せっかく出会えた方々と、これからも何らかの形でつながっていけたら・・・これが打ち上げのときのみんなの言葉でした。
 僕の『大河三昧』はこれで終わりです。一年間、本当にありがとうございました。今度はまた別なところで、皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。

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12月4日 デスク 中村高志チーフ・プロデューサー

このまま戦国時代に居続けてしまいそう

 「風林火山」の脚本を作るためのシナリオ・ハンティングを始めたのは、2年半前の2005年の夏のことでした。脚本の大森寿美男さん、プロデューサー、時には演出を担当するディレクターも同行して、山梨、長野、新潟など勘助ゆかりの地を訪ねて歩きました。
 道路や家並みは現代のものでも、そこに広がる自然は勘助の生きた時代と変わらない姿を見せています。『こんな山や谷を越えて信濃に攻め込んだのか』と、本の中の出来事を現実のこととして実感する旅でもありました。旅先の夜は、これから作り上げていく「風林火山」に対する思いを語り合って更けていきました。まだ何も形になっていないけれど、夢だけを語っていた一番楽しい時期だったかも知れません。

 そこからスタートした「風林火山」も今や川中島決戦の真っ最中。勘助の“キツツキ戦法”が上杉方に見破られ、武田が劣勢に陥るという状況です。これは余談ですが、トルストイの『戦争と平和』でも同じような逸話が登場します。ロシア軍がナポレオンの軍隊を本隊と別動隊で挟み撃ちにする作戦をとるのですが、迂回(うかい)しているすきに敵が前に出てしまい主人公が重傷を負って捕虜になってしまうというもの。ひょっとしたら原作者の井上靖さんも、これは山本勘助のキツツキ戦法とそっくりだと思われたかもしれませんね。興味のある方は、ぜひ「戦争と平和」を読んでみたら面白いと思いますよ。
 足かけ3年、まさに「風林火山」三昧だった日々も、まもなくゴールが見えてきました。しかし、これだけどっぷりと歴史の世界に浸っていると、現代の世界に復帰できないのではないかと、ふと心配になってしまいます(笑)。書店に行けば戦国時代に関わる本にばかり目が行くし、地方に出かけても『こんなところにこの武将が!』と、これまでなら見過ごしていたような史跡を発見したり。戦国時代にばかり興味がむいてしまう。すべてが終わったところで頭を切り換えなくてはいけないのでしょうが、もうしばらくは「風林火山」の世界に浸っていようと思います。

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