物語の主人公にでもなれそうな人生を謳歌している奴は、トラブルがあればきっちりきれいに解決して、大変だったけれど得るものもあったね、という形で山を越えていくのだろう。でも対人関係も人生自体も億劫な妄想オタとしては、解決なんて面倒の一言に尽きる。人生は理不尽の連続で、色んなものを諦めながらやり過ごしていくものなのだ。
 というわけで、俺は嫌がらせが収まるのをひたすら待った。何のアクションも起こさないままこの一件は終わった。前のLSの人とばったり出くわす機会があれば別の展開もあったのかもしれないけれど、ひきこもっているか係長に呼び出されているかのどちらかなので、余計なフラグを立てずに済んだ。
「最近嫌がらせは?」
「んー、収まったっぽい」
「何もなし?」
「なしなし」
 ジッカがさりげなくにじり寄ってきながら訊いてくるので、俺も負けじとさりげなく肘を突っ張って牽制する。いくら人通りがないとは言っても、ここは一応街中だ。キモオタがイケメンに肩を抱かれて歩いてたりしたら、目撃した人がかわいそうすぎる。
 今までもどうでもいいことで通信を入れてきていたのであまり変わらないかと思っていたけれど、まず格段に会う回数が増えた。
 おかげで俺は妄想に費やす時間もなくなり、その分抑え切れないパッションがジッカ相手に滲み出そうになって気が気ではない。
 勿論性欲とかではないんだけれど、ジッカの視線やちょっとした仕草にドキっとすることが増えた。多分こめられているものが自分に向けられたものだと分かってしまっているからだと思う。
 そうやって意識しているのはもしかしたら俺だけなのかもしれない。案外ジッカは思い切った行動に出ることもなく、会えて嬉しいなあとでも素直に思っていそうだった。
 でも奴は百人斬りの異名を持つ男だ。その手のエキスパートだ。俺を油断させて、その手の雰囲気に持っていこうとしていることも有り得る。
「そろそろ星芒祭だなー」
 ジッカの気を逸らすつもりで言ったはずの言葉だったが、奴は思い切り反応して背筋を伸ばした。
 ああやだやだ、やめてくれよ男同士で聖夜にどうとかこうとか。
 と思ったのが伝わったのか、ジッカは何でもないですよという顔をしてそっぽを向いた。
「…なあジッカ」
「なんだよ」
「セフレと手ぇ切っとけよ。恨まれたら嫌だし」
「んなもんいねえ」
「嘘つけ」
「切ります」
「うむ」
「寒いな」
 ジッカは大袈裟に肩をそびやかし、手を擦る。俺は後衛だからミトンをはめっぱなしでも日常生活に困らないけれど、彼は前衛だから戦闘中以外は素手だ。
 見え透いてるなあと思いつつも、俺は右手のミトンを外した。ジッカが期待している気配をスルーして、彼の右手を取り、ミトンをはめる。
「……ありがとう」
 手を繋いでくれるとでも思ったのだろう、ジッカは微妙な顔で礼を言った。
 分かりやすい奴だ。俺は笑って素手の右手で、彼の左手を掴む。
「どういたしまして?」
 冷え切った手にぎゅっと手を握られた。おまえは本当に俺がいいのか。未だに不思議に思ってしまう。
 まあ肩を抱かれるよりは手を繋ぐ方がまだマシだろう。マシだと思ってくれ、不幸な目撃者よ。
「三年前に何があったっけって言ってただろ」
「あ、うん?」
 静かに口を開いたジッカを見上げると、彼はぶすっと唇を曲げて前髪を掻き上げた。これは照れている顔だ。
「あんときも、今みたいに手袋はめてもらった」
「へ…。え? そんだけ?」
「そんだけ」
 ジッカがフンと顔を背ける。だからおまえは受だっていうんだ。俺は、あー、と適当に頷いておいた。
「そか。あれもちょうど星芒祭の辺りだったな」
「嬉しかったんだよ」
 その頃忍者が低レベルだったジッカがずっと欲しがっていたNMドロップの篭手を、暇を持て余していた俺が取りに行って、くれてやるよ一生崇め奉れよ、とあげた話だ。あれは間違っても星芒祭とは無関係で、関係あるとすれば星芒祭のおかげでNMを張り込んでいる人が少なかったという点に尽きる。
 当時とても買えない金額だったそれを取ってきてくれた、という嬉しさを、こいつはちょっと勘違いしたんじゃないだろうか。
 嬉しかったのは篭手をもらったことに対してだろう。間違ってもそれをはめてもらったことではないはずだ。
 バカだバカだとは思っていたけれど、なんだか哀れになってきた。
 こいつはその程度のことで三年間も。
「キスする?」
 俺の視線を何だと思ったのか、ジッカがそんなことを訊いてきた。
 しねーよバカ、と言いそうになったのを堪えて、俺はぎこちなく頷く。ジッカは訊いてきたくせに足まで止めて驚いた顔をした。
「い、いいの? ほんとにするぞ? キスだぞ?」
「あー…軽く、な」
 ジッカの喉元がごくりと動く。早まった気がしないでもないが、もう彼の手が顎に掛けられている。今更逃げたりしたらかえって勢いづかせてしまいそうだ。
 ミトンをはめた方の手が顎から耳元を包み込む。繋いだ方の手はそのままだった。唇が触れ合う寸前になって眼鏡の存在を思い出したらしく、ジッカが思い切り顔を傾けて最後の距離を詰める。
 意外と普通なんだな、というのが感想だった。唇がくっついた感じ、ただそれだけだ。
 でも耳元を撫でてくる手と、唇を離してじっと覗き込んでくる目がやばかった。それさえなければ平然としていられたのに。
「ちょ…っと、もういいだろ…」
「もう一回だけ」
 何度も何度もちゅっちゅっとやられていると、気恥ずかしくて顔が赤くなってくる。大体一回だと思って了承したのに、街中でこんなに何回もやる奴があるか。
 もう一回だけ、と言いながらジッカは三回も押し付けてきて、しかも唇の隙間を舌でくすぐってからようやく離れて行った。
 じんじん痺れる唇を思わず手で覆おうとするけれど、ジッカが手首を掴んできて阻止しようとする。
「離せ、離れろバカ」
「拭くなよ。傷つくな」
「おまえが妙な真似するからだろ。なんか唇が変な感じする…」
「もう一回したい」
「絶対嫌だ」
「ルチ」
 嫌だって言ってるのに。嫌なら俺も顔を上げなければいいのに。
 促すように名前を呼ばれ、両手をぎゅっと握られて、ついつい覚悟を決めてしまう。一体どのタイミングで目を閉じればいいんだ、さっきはどうしたんだっけ、と考えている内に焦点が合わなくなり、慌てて瞼を伏せた。
 ジッカは人の下唇を唇に挟み込んで、そっと噛むような真似をしてくる。両手を繋いだままではもどかしいのか、片手を解かれた。その手が額に向かい、前髪を掻き上げられる。
「前髪切れば?」
「…う、るせー。目つき悪いのカバーしてんだよ」
「前髪が長すぎるから目つきが悪くなるんだ」
「ほっとけ」
 口では機嫌の悪さをアピールできるけれど、押しやっていいのかいまいち分からない。付き合うならこれくらいのことはきっと普通なのだろうし。
 ジッカにとっても、もう慣れた行動なんだろう。こういうとき攻は一体どうすべきなんだ。悶々としていると、ジッカがようやく手を引いて歩き出した。
「帰ろっか」
「おう。鼻水垂れてきたわ」
「ツリー出たらバスのやつ見に行こうぜ」
「サンドだろ!!」
「バスだろが。青と銀色ですげーきれいじゃん」
「あんなんツリーとは言わねー」
「じゃ両方見に行く」
 な? とジッカが笑う。
 嫌だよ星芒祭の三国はカップルだらけだぞ、と思うのだけれど、その嬉しそうな笑顔を見たら頷くしかなくなった。
 まあこれくらいの夜更けにならいいかな。ロマンチックかどうかは難しいところだけれど、記念にはなるだろう。
 ジッカはバカだから。
 深く考えていないに決まっている。現実を知り、熱が冷めるまでの付き合いになるのだと、俺はちゃんとわきまえている。



『ルツィエ。風邪治ったか?』
 係長の低い声は背骨にくる。通信なら尚更だ。
 俺は鼻水を啜ってから、はいはいと答えた。係長が通信を入れてくるなんて珍しい。
『大したことないんで大丈夫です』
『昨日遅くまで出歩いてたろ?』
『……あれ』
 競売に出品しようとクリスタルを数えていた手が止まった。
 無駄にLSリストを開いてみると、係長は同じエリア、バスの鉱山区にいる。
 含み笑いが聞こえた。通信越しではなく、直接だ。
「あ、いたんですか…。びっくりした」
「おはよう」
「おはようございます」
「夜更かしすると風邪が長引くぞ」
「…いえ、昨日はちょっと飲んでただけで。こないだいたフレと」
 キスなんかもしましたけれども。
 へっぴり腰で逃げ出そうとしたタイミングで、係長がふと背後の階段を振り向いた。
「持ってきた?」
「ほんとに炎クリ? 土クリだよね?」
「炎だってのに」
「炎クリ持ってない;;」
「買えよ」
「単品の出品がない;;」
 やたらめそめそしながら現れたのは、小柄なヒュームだ。どこかで見た顔だと思っていたら、係長が彼を指差した。
「サルか何かで一緒になったんじゃないかな。ジルっての」
「ああ…何度か確か。こんちは」
「こんちはー」
 愛想よく笑う彼は、何となく覚束ない足取りで俺の方へ近づいてきて競売を眺める。
 寝起きでとりあえず礼服だけ着て身づくろいをしてきました、といった様子だ。目元が赤らんでいて、妙な色気がある。そこまで観察してから、ああこいつが噂の奴だったと思い出した。
 やっぱり、同性さえ惑わすような人にはそれなりの魅力があるものだ。目が大きく顔の輪郭が柔らかいせいで子供っぽく見えるのに、一方ではやつれたようなはかなさが白い肌にまとわりついている。
「ジル。合成いいなら俺は帰るぞ」
「;;」
「さっさとしろ」
「あ、だって買えないから…。いいよ、ごめん;;」
 ごめんね、間違えてごめん、とジルは俯いて繰り返す。なんだか子供が叱られたときのような反応だ。対して係長は溜息を吐いた。
 仲がいいフレなのだと思い込んでいたけれど、そうでもないのかな。ジルは縮こまってそわそわしている。逃げたそうだ。
「ダースで買えばいいじゃねえか。また呼びつけるつもりなんだろ? めんどくせえ」
「ダースも一個しか出品ない;; 俺が買ったら本当に要る人が気の毒じゃん;;」
「俺は気の毒じゃねえのか」
 ジルが係長に合成依頼をしたのだけれど、クリスタルを間違えて持ってきたという話だろうか。
 ジルがごめんごめんと繰り返すのがかわいそうなので、俺は鞄を探った。
「あー、何がいるんです? 炎クリ?」
「あ、うん…。持ってる?」
「あるよ。何個いる?」
「ふたつ」
「ほい」
 ダースで出品しようと持ってきたクリスタルだから、あげると半端になってしまうけれど、哀れなジルを救うためにはそれくらいなんてことない。二つクリスタルを手渡すと、ジルは嬉しそうに頭を下げた。
「ありがとう。助かったー;;」
「ういうい」
「おい。タダでたかるなよ、おまえは…」
「あ、ごめん;;」
「いや、いいよ。普段は店売りしちゃってるから」
 そなの? ほんと? と聞き返してくる顔もかわいい。ああ、萌える萌えないで考えたことは今までにも何度もあったけれど、かわいいと思ったのは久しぶりかもしれない。
 こんな調子だから、ホモとか悪口を言われてもじっと我慢するだけなんだろうな。ちょっとかわいそうだ。
 ジルは係長にいそいそと材料を渡し、そこでも何故か叩かれていた。かわいそうに。
「な。ジッカとかシリルと一緒のLSなんだって?」
「そうだよ。知り合い?」
「二人ともフレ」
「マジで! シリル最近痔で悩んでる」
「アホのように食うからなー」
 あいつはそんな話題をLSで言いまわっているのだろうか。競売前で嬉しそうに言うジルもジルだけれど。
「黙ってれば男前なのに、最近痔の話かうんこの話しかしてない」
 と言ってまたジルは係長に叩かれた。シリルのせいだ。
 でもこんなにバシバシ人を叩く係長というのも新鮮だ。きっと仲がいいんだろう、うん。兄弟みたいな仲のよさだ。
「ジッカは上手くやってけてる?」
「ジッカはすげモテるね。かっこいいからなあ」
「でもアホなんだよね」
「そうかな。クールだよ。あれは男から見てもかっこいい」
 ジッカがクール! ありえない。ぼーっとしているくせに目だけがやたら涼しげだから、そんな誤解を招くのだろう。
 そこでジルが、えーと、と口ごもって俺と係長を見比べた。係長は顎で俺を示す。
「ルツィエ。最近うちのLSに入った」
「ども」
「ルチエ」
 ジッカみたいな舌足らずな発音をするジルが、一応は間違っている自覚があるのか、また頭を叩かれることを警戒して首を竦めた。
 が、係長は笑ってジルの唇をつまみ、ほっぺたをぐにぐに伸ばす。これも結構痛そうだ。
 痛そうなんだけど。
「いい年して人の名前もろくに言えないのか? 何人目だ?」
「いはい;; いはいごめん;;」
「初対面なのに失礼だろう、ジル」
「あーいっすよ、フレからもルチって呼ばれてるんで…」
 ジルが本当に涙目になっているのでさすがに声を掛けると、係長はやれやれと溜息を吐いて彼を放した。ジルは頬を押さえて大袈裟に呻いている。
 これはもしかして、もしかするのかな? 係長は受ではなかったということなのかな? 係長は機嫌が悪そうだ。
 ジルがジッカをかっこいいだの何だのと言ったから?
 仲いいんですね、と言おうとしたタイミングで、係長が笑って俺を見た。
「ルツィエは前髪ちょっと切った方がいいね」
「へ?」
「もったいない」
「は?」
 なに。なんですかそれ。ジルが何とも言えない顔で係長を見上げたのも意味が分からない。
「…あ、そですね、鬱陶しいし切ろうかな。じゃ俺帰ります」
 俺は文字通り逃げるようにその場を後にした。振り返りたい欲求に駆られたけれど、絶対見ない方がいい。これはやっぱりそうだ、本物だ。係長は意外と子供っぽいんだな。ジルが自分の前で他人を誉めたから、同じことをやり返そうとしたんだ。
 うわー初めてホモ見ちゃったよ、と思いつつ、やっぱりこういうものなんだよなあと思わなくもない。ジルみたいな男なら、そりゃそういうこともあるだろうってなもんだ。
 俺は有り得ないだろう、うん。妄想の世界だけで十分だったのにな。
 かと言ってジッカの気持ちをただの勘違いだと笑うには、付き合いが長すぎた。過保護な友人だとずっと思ってきた。俺はこいつの引き立て役になっているんじゃないのか、こいつと一緒にいるせいで彼女のひとりもできないんじゃないのかと思うこともあったけれど、それでもジッカを選んだ。俺は選んでいたのだ、彼は決して気づくことはないだろうけれど。
 風邪をこじらせたとき、一晩中看病してもらったことがある。トイレの世話までしてもらった。クフタルで迷ったとき、レベル上げ中だったにも関わらず抜けて探しに来てくれた。例の嫌がらせされている話をしたとき、拳を固く握り締めて怒っていた。
 一度ホモ仲になると決めた以上、撤回してジッカを落ち込ませたくはない。それくらいジッカは大事な友人だった。
「…前髪ねー…」
 ひとりごちながら伸びっぱなしの前髪を引っ張ってみる。目が怖い、目が暗いと散々言われたからなるべく目立たないよう伸ばして、更に眼鏡もかけているのだけれど、係長までそう言うなら切ってみるべきだろうか。
 挙動不審なのはすぐには直せないけれど、これくらいの努力はするべきだ。ジッカに恥をかかせてはいけない。俺に惚れた時点で奴は大恥をかいているのだ。
 そして自室へ戻った俺は早速前髪を切ったのだけれど、前髪が短くてさわやかなジッカやジルが頭にあったせいで切り過ぎてしまい、しばらく引きこもることを決心せざるを得なくなった。
 許してくれ、ジッカ。前髪が伸びるまでおまえとは会えそうにない。俺は涙目になりながら、溜息を吐いた。



end

#あまり深く考えない子を書きたかったんですけど…ウーンウーン