それ以来というもの、なんだかやたらとジッカが通信を入れてくる。よほど暇なのかと思ったら大抵PTに入っていたり、NMが湧くエリアに佇んでいたりする。どちらかというと、暇を見つけて声を掛けてくるといった様子だ。
 そんなに気になるもんかね。あまり変わった気がしない、という俺の言葉は嘘ではなくて、既に見知った人たちだったせいもあり、俺はのんびり係長のLSで過ごしていた。
 忙しく色々と連れまわされるのもいいものだ。妄想する隙がない。俺はこのまま一般人に復帰してしまうのだろうか。嬉しいような、さびしいような気持ちになる。
 相変わらず思い出したように、ドアノブに白く濁ったゴムがくくりつけられていたり、ドアに白いものがへばりついていたり、ドアの前に縮れ毛がばら撒かれていたりしたけれど、その変態がゴムをここまで運んでくる心境を思うとどうしても笑えて、あまり気にせずにいた。
 大体、ドアにぶっかけるってどうしたんだろう。しこしこしちゃいましたか。いつ人が通るか分からないことに興奮しましたか。縮れ毛は自分で毟ったんですか。興奮しましたか。
 俺も相当なキモオタだけど、そのキモオタに性的な意味で嫌がらせするこの変態は何者だろう。俺がマゾならよかったんだろうけど、残念ながら積極的に愛されると萎える根っからのストーカー気質なので、いい反応を返せない。
 というわけで俺は、なんとかこの変態のおかげで自分の性質を思い出し、腐った心地よい世界に踏み止まっていた。
 ある日、係長たちとアサルトをこなしているときに、暴力チンピラから通信が入った。あれ、今忙しいの? 俺暇なんだけど、というよく分からない用件で、夜飲むことになった。どうせジッカも来るのだろう。
 チンピラは今日はシーフなのか狩人なのか、デナリの上下を着ていた。いくら腐った俺でも男にこれはねえな、と今まで思っていたデナリ装束だが、小柄で目が大きいシリルには普通に似合っている。
 彼は俺に気づいて手を上げた。
「よっす」
「あれ、ジッカは?」
「席取りに行った。混みそうだからな」
 こんな時間に出歩くの久々だよ、とシリルはダルそうに言って歩き出す。夜行性が半周して朝型の生活にスイッチしていたのだろうか。
「おまえLS移ったんだって?」
「うん。普通のとこな」
「んだよ、うちに来いってんだよ。ホモもカマもいる耽美な男の世界だぞ」
「そのオカマがリーダーなんだってな。どうなのそれは」
「どうしてそんなに大食らいなんだっつってうるせー」
「ほう。メンバーの健康管理にも気を配ると」
「あとあれな、喧嘩っ早いのどうにかしろ、黙ってろとかな」
「メンバーの評判にも気を配ると」
「腹減ったな」
「だな。ジッカジュノか」
「ちょっと食ってこうぜ」
「いや、ジッカジュノで店にいんじゃねの」
「ジュノ遠いよな。腹もたねえな」
「おまえ胃に穴開いてんじゃね?」
「なに!? 消化されずに腸に行くってことか!」
「ドボーンってな」
「最近うんこ硬いんだ」
「間違いなく消化されてねえ」
「痔になったらって思うと心配で腹が減るんだ」
「掘られたって言っときゃ自然だよ」
「そうか。腹減ったな」
 ジッカも馬鹿だけれどシリルも輪をかけて馬鹿なので、俺はこの二人が本当に生き馬の目を抜く世界でやっていけているのか心配で仕方がない。張り込みとかしないんだろうか。餓死すると喚いているんじゃないだろうか。
 シリルが消えたと思ったら屋台で何か買い込んで戻ってきた。行儀悪く歩きながら串焼きを頬張る。
「うんこ硬いのは食物繊維を取ればいいらしいんだ」
「食いながらうんこの話題か」
「俺は今食物繊維を摂取しているのだ」
「軟らかくなるといいな」
 色々間違っていると思うけれど、突っ込むのも面倒だ。さっさとタルタルに貨幣を渡してジュノへ飛ぶ。
 この容姿で大食漢なのはまだいいとして、うんこちんこの話を平気でするのはいただけない。嘆かわしいことだ、俺の萌えセンサーには引っかからないけれど騙される男はごまんといるだろうに。
 もっともこの男の根本的な問題は喧嘩好き、頭が弱い、目つきが悪い、と他にいっぱいあるのだけれど。
「ホモもいんの? なんつーか選りすぐってんな」
 やはりオカマの趣味で集めているとしか思えない。もしかしてオカマとデキているのだろうか。
 シリルは硬い肉を野獣のような顔で食いちぎりながら頷く。
「前はホモっぽいとか、ホモじゃねーのって言われてただけなんだけど、最近ホモになったらしい」
「そいつに痔の予防法聞けばいいんじゃね?」
「食物繊維取れって言われた。あとマッサージしてちゃんと濡らせって」
「難易度たけえ」
「そういうローションがあるらしいぞ」
 あるにはあるだろうな。ていうか誤解されているよな。そのホモに仲間だと思われたに違いない。
「そのホモ、オカマリーダーとデキてんの?」
「よく知らんが、リダの知り合いらしい話を聞いた。興味津々だな?」
「リアルホモの話題初めて聞いた。なかなかいなくね? 都市伝説かと思ってたぜ」
「結構いるもんだべ」
「恐ろしいLSだな」
「ああ腹減った」
 切なげにシリルは腹を押さえる。いつのまにか串焼きが消えていた。
 元々どの店に入るかは打ち合わせてあったらしい。ほとんど疾走に近い勢いでシリルが飛び込んだのは、下層の酒場だった。
 奥の席で手持ち無沙汰に頬杖をついていたジッカが、俺たちに気づいて手を上げた。
「何食ってきた?」
「串焼き一本」
 とても今から飯を食おうという人間の会話ではない。
「早かったよな。もっと食いまくってくるかと思った」
「ルツィエがうんこうんこ言うもんだから食欲が失せたんだよ」
「うんこ色チェリーパイに未練があるんだな」
 隣に腰を下ろした俺に、ジッカが気遣わしげな目を向けてくる。簡単に騙されるのはいい加減やめてほしい。
 シリルは案の定店員がぎょっとする量の料理を注文した。彼と一緒にいる場合、俺たちの食事代は奢りになる。チンピラのくせに太っ腹なのだ。俺たちを単に子分だと思っているのかもしれないが。
 空腹時に酒を飲むとますます腹が減るといってシリルは運ばれてきた酒には手をつけず、恨めしい顔で厨房をちらちら眺める。メニューの誤字を不思議そうに見つめていたジッカが、ふと顔を上げた。
「ルチ、おまえ物欲すごいんだって?」
「へ」
「ならやっぱりうちのLSに来いよ。ポイント制だから本命は時間掛かるけど、どうでもいい奴ならすぐ揃うって」
「自慢じゃないが物欲はあまりない。性欲ならもてあましてるけど」
「性欲か…そっちはどうなんだろうな、うちは」
「おっぱいがいない」
 ジッカの視線を受けてシリルが切ない顔で答える。かわいい彼女がいても、おっぱいはいくつあってもいいものなんだな。腐った俺でも同意だ。柔らかそうだし。
「ジッカなんかはモテまくってんじゃん。あれはLS内部での話じゃなかったんだな」
「男しかいねえっつってんのに」
「ジッカはセフレ多いし野良にもほいほい出て行くから、おっぱいとの遭遇が多いんだよ」
 専属おっぱいを持っているくせにシリルは妬ましげだ。こいつは一応自分の目つきの凶悪さを自覚しているので、ジッカが醸し出すさわやかイケメンオーラがうらやましいらしい。目つきも顔も悪い俺からすれば嫌味のようです。
 それからジッカが毛じらみをうつされてパイパンになった話で大笑いし、思い出したら痒くなってきたとくねくねするジッカを蹴りながら、運ばれてきた食事が悪い魔法のようにシリルの胃袋に消えていくのを鑑賞しつつ、自分の分も確保することに躍起になっていると、突然ジッカが首をかしげた。
「いや違う」
「ん?」
「何食ってんの、それ。もう一皿頼んでもいい?」
「頼めよ、おまえの奢りなんだから…」
「どこから話が逸れたんだろ。ルチの物欲の話だったのに」
「それとっくに終わった」
 違う違うとジッカは首を振る。その隙にシリルが肉のソテーを奪い取っていった。
 口に出した端からぽろぽろと忘れていくジッカが話を蒸し返すのは、珍しい。俺は空腹が満たされたこともあって、彼に話を促す。
「なんだねジッカくん。俺が物欲すごかったらとっくにいい装備に身を包んでると思わんかね」
「俺とシリル一度さ、ミッションでルチんとこのLSの人と一緒にやったじゃん?」
「やったな」
「そのときいた人だと思うんだけど、最近なんかtel来てさ」
「え?」
 酔いかけていた頭が思考停止した。
 得体の知れない不安の正体に思い至る前に、どうでもいいや、せっかく飲んでるのに、と正気と耳の間にシャッターが降ろされる。これぞキモオタの得意技。都合の悪い現実はシャットアウト。
 でもこちらを見てくるジッカの目元が酔いで赤く染まっていて、ああこれぞ受顔だなあと感心している隙に涼しげな声がシャッターをこじ開けてしまった。
「ルチは変わりましたよねーあいつあれが本性なんですかねー、とかなんとかうるせえの」
「……え…。つか誰?」
「アロイスって人」
「あー。あいつ萌えないんだよなあ」
「話聞いてますか」
 聞いてますとも。萌えないヒュームの筆頭だ。
 あまり考えたくない話題のようだ。再び防御本能が働いてなんだか眠くなり、俺は頬杖をつく。目の前ではシリルが八重歯を剥きだしにして料理を貪っている。
「わりーけどBLしちゃってよ。話すのめんどくせ」
「おまえさあ、そいつと揉めてLS抜けたの?」
「違うよ」
「でもそいつおまえのこと恨んでるっぽいぜ。普通一回会っただけの人間にこんなtel入れないだろ」
「普通の頭じゃないんだろ」
「な、ルツィエ」
 無心に食べていたシリルが、忙しく酒で飲み下してから口を開いた。
「ヨシュって奴も前のLSにいた奴か?」
「知らん。LSにはいなかった」
「んじゃ倉庫か」
「おい、シリルんとこにも変なtelいってんのかよ。なんて言われた?」
「ジッカがLS抜けた理由知ってますかウッヘヘヘ、みたいな内容だべ」
「俺みたいな笑い方だな…」
「物真似にしちゃ似てなかったぜ」
 この三人で飲みながら下らない話をするのは別に珍しいことではないのだが、どうやら今日はこれが本題のようだ。
 アロイスは、前のLSのリーダーが連れてきて途中から加入したメンバーだった。リーダーのフレなのだそうだ。
 一言で言うと萌えない顔、萌えない性格のヒューム。といっても萌えを発見するほど親しくなかった。向こうにしてみても、俺は空気扱いだっただろう。
 それが、俺が係長たちと行動することが増えてから変わった。
 LSの雰囲気自体が変わった。
「あーめんどくせーうぜー」
「おまえんとこにはこういうtel来ねえの?」
「来ない」
「腐ってんな」
 珍しくジッカが忌々しげに毒づいた。ジッカよりは喧嘩っ早いシリルは、とりあえずまだ事態が飲み込めていないらしく、なんとも微妙な表情でメニューを眺めている。まだ食うのか。
「ルチが人の恨みを買うとは思えねえんだけどなあ」
「人畜無害の空気ですしね」
「あれじゃねー? おまえLSの男に手出したんだべ?」
 人畜無害と言ってるだろうが、この馬鹿チンピラめ。
 ジッカも真顔で否定してくれる。
「ルチは生身の男に興味ねえの。あくまで妄想するのが好きなんだよ」
「その通りだ!」
「じゃなんで恨まれてんのよ」
 シリルの素朴な疑問に、ジッカが注意深く俺を観察している。鬱陶しいので手を振り、俺は酒を一口飲み下した。
「あれだろ、俺のこと好きでいじめたい心境なんだろ」
 それは勿論冗談であって、二人は、なんでキモオタのしかも空気野郎にそいつは熱い情熱注いでんだよとか、実体験して妄想に生かそうという発想にならないところがキモオタだなとか、突っ込んでくれないといけないシーンのはずだった。
 でも無言だ。シリルは相変わらずの表情のままちらりとジッカを見やり、ジッカは俺から目を逸らしてテーブルの上を睨んでいる。
 何なのこの空気。常識外れの粘着も鬱陶しいが、こいつらも鬱陶しい。
「……ま、とりあえずBLしといて。正直言って関わりたくねえんだよ、何かあったってわけじゃないんだけど」
 ごめんな。関係ないけどBLっていう響きにときめいちゃうよな。なんでかは言わないけど。
 俺の態度になのか余計にいらっとした顔になったジッカが、どうでもいいけど、と呟きながら顔を背けた。
「移動先のLSのリダに教えてあげた方がいいかなとかほざいてたから、気をつけとけよ」
 知らない知らない。そんな面倒ごとよりもBLの世界にときめくのが俺の生き様だ。
 でもさすがにこの状況で妄想にふけるのは難しかったので、腹立ち紛れにシリルがジッカを襲っているところを無理矢理想像してゲップが出そうになった。



「おーいルツィエ、リンバス行くぞ。ジュノおいで」
 係長の声に、俺はハイハイと答えつつ飛ばしてくれるタルタルの元へ走った。
 係長(受)は、知れば知るほど魅力のある人だ。たくさんの人がこの人の下に集まるのも頷ける。
 やることはきっちりやるけれど、きっかけはただの思いつきだったり暇つぶしだったり。だからかなり適当で気まぐれな面も見せる。そして強引で、そのくせ語調がやさしい。この「おいで」の一言に俺はきゅんとしてしまう。
 攻に昇格させてあげたいところなのだけれど、腐りきった性がそれを許してくれない。きっと新参の俺には見せない苦労もあるのだろうな、と思う点もいっぱいあって、そういった弱い部分を年下の男にガツンガツン突き崩して欲しい。
 俺はただの美形エルヴァーン好きだと思っていたのだけれど、実は係長のようなオッサンもいける口のようだ。これは大発見だった。
『あ、馬鹿…っ、やめろ、駄目だ…っ』
『何が駄目なんですか? ほら…ヒゲさんこんなにして…かわいい』
『ア、アッ』
 ああ、いいなこういうシチュエーション。
 問題は攻が具体的にイメージできないことだ。もどかしい。
『な…、おまえは若くて顔もいいんだから、俺みたいなオッサンを選ぶ理由もねえだろ…』
 こういうこと言わせるのもいいな。かなりいい。そして係長に本気で夢中な攻は腹を立てて、余計にひどく扱えばいいのだ。泣き顔を隠そうとする係長。ぎゅっと抱き締められて切ない顔になる係長。
「洗剤買ったか?」
「あ」
 実物の係長に言われ、スミマセンと頭を下げながら買いに走った。
 実際、こんなふうに萌えてしまうのは、まだ付き合いが浅いせいに他ならない。その内ジッカやシリルのように、いくら顔はよくてもどうやっても萌えられない仲になってしまう可能性もある。
 なんて言ってますけど、俺が他人行儀な態度を崩さないのは、ただキモオタの自己保身に他ならないわけですがね。
 六人で行くようだけれど、まだ係長と黒タルしかきていない。この黒タルは、言うことがあくどい割にやんちゃで憎めないので性格的には理想の攻にうってつけなのだが、いかんせんタル。タルはさすがに無理だ。エルヴァーンの俺からすると、彼らはどれだけ難しいことを言っていても、頭のいい子供が頑張っているようで微笑ましくなってしまう。
「シグ忘れた」
「あ、俺も…」
 先に走り出した係長を慌てて追う。ガードのところで係長はしばらく足を止め、俺がシグをもらったタイミングで顔を寄せてきた。
「変な心配いらないからな」
「……はい?」
「いや、余計なことかもしれねえけど」
「え?」
 係長は俺より少し背が低いので、目を伏せられると睫毛に視線が行ってしまう。この人は随分黒目がちな印象があったけれど、睫毛が濃いせいだったらしい。胸毛とかあるんだろうか。
 悩むような間を置いて、その目が俺を見る。そして笑った。
「なんか悩んでるなら、遠慮なく言えよ。おまえさんより長く生きてんだ、年の功ってやつも少しはあるんだぜ」
「あ、はい、ども。ってか、えーと何かありましたか」
「何も」
 何もなかったらこんな変なタイミングで変なことを言ってくるわけがない。話したくないのか、係長は集合場所へさっさと戻っていく。
 これはあれか。数日前ジッカが妙に気にしていた件か。前のLSで一緒だったアロイスが、係長になにやら吹き込みかねないとかっていう。
 アロイスは俺が今係長のLSにいることを知っているかは分からないが、サルベージ以降色んなことに誘ってもらっていたことなら知っている。いいなあ、俺も紹介してくれよ、としきりに言ってきていた会話の中で、名前を聞かれたのだった。
 考えてみると、俺への求愛行動というより、むしろ係長への偏執的な愛情表現のような気がしてくる。罪な係長(受)だ。というか巻き込まれた俺が普通にかわいそう。
 あのドアノブやドアへのぶっかけ行為がアロイスなのかはいまいち確信が持てない。いかにもそういうことをしそうなキモメンだったら変態乙で済んだ話だが、奴はその辺にごろごろしている普通の男だった。
「お、ルツィエって詩人できるんだ。白のイメージがあったよ」
 さっさと戻っていた係長となにやら話していた黒タルが、俺の周りをぐるぐる回る。子犬のようだ。
「白はあまり出さないんですよ。慣れてないからヘタクソで」
「そんなことないって。すげ丁寧な感じ!」
「はは」
 四六時中奇声を上げてはなにやら怒っている印象のある黒タルだけれど、こうやって新参の俺に話題を振ってくれる辺りいい奴だ。まだ知り合って間もない俺を拾ってくれるくらいだから出入りの激しいLSなのかと思っていたがそうでもないらしく、久しぶりの新人が早く溶け込めるようにと気遣ってくれている節がある。
 ややして見慣れた係長の部下たちや、何かと同席することの多い他LSの知り合いが集まった。リンバスはヒキメンな俺にとってもさすがに暇つぶし程度の娯楽でしかなく、危なげなく戦闘が進んでいく。
 こうやって忙しく毎日が過ぎていくから、あまり嫌なことを考える暇がない。
 相手にしなければその内嫌がらせもやむだろうとぼんやり思っていた。




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