妄想男




 エルヴァーンは美しい種族だと称されることが多いが、何事にも例外はあるわけで。
 俺も並くらいの顔立ちだったら、明るく健康的な冒険者生活を謳歌していたと思う。女の子とかはべらせて、PTに入ったら「キャールツィエサーン」ともてはやされ、何かイベントがある度に女の子たちから誘いをかけていただいたりとか。
 しかし悲しいかな、生まれ持った顔立ちはどうにもできない。死んだ魚のような目だとか睨まないでキモイとか散々言われて育った俺は、眼鏡を手放せない、とても内向的で人畜無害な腐男子に育った。
 今思えば、俺はずっと周りのエルヴァーンたちにものすごいコンプレックスを持ってきたんだと思う。高い背、たくましい肩幅、厚い胸板、くっきりと睫毛に縁取られた目。俺にはないそれらをいいなあとうらやましく思っている内に、彼らで妄想する癖がついた。
 誤解しないでいただきたいのだが、俺は決してホモではない。単に男と男のさりげない触れ合いを脳内で誇大解釈して萌えるのが好きなだけである。勿論、絡みの対象に俺自身が入ることはなく、見目美しいエルヴァーン同士であることが多い。
 俺がもしイケメンだったら、立派なホモになっていたのだろうか。でもそうだったらこんな妄想でお腹を満たすまでもなく、女の子をより取り見取りなのだから、普通の青春を過ごしていたに違いない。
 ちなみに、腐れ童貞である俺のオカズは男と男の妄想ではなくて、ちゃんと女の子であることが多いです。
 あの男がもし女の子だったら、っていう妄想した姿だけどね。余計やばいよね。分かってるよ、うん。
「やべールチどうしよう助けて!」
「金ならねえぞ」
 前触れもなく飛び込んできた通信に俺はすげなく答えながら、居住区の階段を上る。
 どうせ金の相談ではないだろうことは分かっていた。多分女絡みだ。声の主ジッカは、とてつもなくモテる。ヒュームのくせにモテる。
「ちげーよ、剃っちったよ」
「はあ?」
「俺パイパンになっちった」
「萌えねーなー」
「そういう話をしてるんじゃないんです。男がパイパンだったらやばくね? エッチできなくね?」
「あのね、剃ったってことはまた病気もらったんだろ? なのになんでエッチの心配してるわけ?」
「病気ちがう! 毛じらみ!」
「剃ったらもうエッチしていいの?」
「住むとこなくなってるから。毛じらみ」
「ホームレス毛じらみか」
「同情はできない。やべえよ、これ伸びかけたらチクチクするんだぜ、うぜー」
「おまえに同情できねえよ」
 何度目だろう。つくづく馬鹿な男だ。
 でも顔はいい。下半身性欲大魔神であっても、毛じらみうつされてパイパンになっていても、顔がよければすべてが許される。百人斬りの異名は伊達ではない。
 ああでもあの涼しげな顔で実は下つるつるっていうのもなかなかいいかもしれない。あくまでビジュアルの問題として、だけど。
「───うぇ」
 自室の前に辿りついてカギを開けようとした俺は、気持ち悪い声を上げて手を止めた。
 ドアノブにくくりつけられた気持ち悪い物体が、カギ穴をちょうど塞ぐ格好になっている。
「なに? おまえも剃った?」
「剃るか!」
「なんかキモイ声がした」
「キモイのは顔だけだ!」
 キレ気味に切り返しつつ、どうしようもないので指先でその物体を外しに掛かる。
 どう見てもゴムのそれは、触ってみてもやっぱりゴムだった。心なしか濡れているように感じられる。そして中身も入っている。
 あ、いわゆる棒じゃないですよ。当たり前だけどね。そうじゃなくて、どう見ても精子です。
 身内にはキモオタと崇められ、PTに入れば「ハズレじゃん」と露骨にがっかりされた顔をされ、しかもそれ以上に誰にも言えないようなホモい妄想で毎晩きゅんきゅんしている俺の部屋だと知っての狼藉だろうか。
 むしろ求婚か? 愛のアプローチか?
「おい、ルチ。どした?」
「いや今部屋着いたとこ。手洗ってた」
「俺のパイパン写真買って」
「ケツにモーグリの頭突っ込んでるとこなら買ってもいい」
「それ俺死ぬよね、きっと」
「そうだね」
 むしろ死んでエルヴァーンに生まれ変わるといい。俺はヒュームには萌えないんだ。
 誰のものか分からないゴムと精子をくずかごに捨て、念入りに手を洗う。こんなのから病気をもらってしまったらどうしよう。それならジッカからもらった方がまだマシだ。
 訳の分からない嫌がらせをされるのには一応の心当たりがあるが、犯人を絞り込むまでには至らない。男相手にこんな行動に出るとは、俺より余程変態だ。普通に生活を送っていけるのか他人事ながら心配である。
 大体俺もストーカー寄りの変態なのだから、やるならやるでもうちょっと方法を考えないと。
「今日暇なん?」
「おう。何かやるなら付き合うぞ」
「ルチたんと潜在外すために待っていました」
「いいけど白だぜ」
「おkおk、ヘキサ双竜脚で光だ問題なし」
「じゃアルザビ側で」
「おしゃー」
「サブリガ履いてこいな!」
「イイワヨ」
 ああやっぱり早めに死んでエルヴァーンに転生して欲しい。せっかくのパイパンサブリガが泣く。
 でもこいつがエルヴァーンだったところで、恥じらいはしないのだから、やっぱり萌えないんだろう。もったいない話だ。



 ジッカは俺のことをルチと呼ぶけれど、これはこいつが発音下手なせいである。俺の名前は正しくはルツィエだ。一見美少年風の名前のせいで、俺は幼少時代かわいそうな目に遭ってきた。
 美少年かどうかは見慣れすぎて何とも言えないが、とりあえずイケメンには間違いないジッカは、堂々と白サブリガを履いて拳を振るう。襲撃がいつもより多いのはサービスのつもりだろう。残念ながら萌えない。
 ヒュームにしては背が高くがっしりした身体、涼しげな目元、短い黒髪とすっきり秀でた額、薄い唇。
 問題ないどころか上物に分類されるべきスペックなのに、俺の琴線にちっとも触れないのが残念で仕方がない。萌えとは理屈ではないのだ。
 こいつの場合、あまりにも馬鹿すぎるからなのだけれど。
「どうなの、新しいLS」
 うおー蝉めんどくせー、とでも言いたげな顔で、ジッカが目を向けてくる。俺はエルヴァーンなのに貧相な体格なので、あまり目線が変わらない。
「普通。一応前から知ってる人たちだしさ」
「そか。なんかいつ見ても忙しそうにしてるよな」
「あーそう? 夕方以降は色々やってるけど、それまでは暇だよ」
「俺が暇じゃねー」
「だから、今までも毎日顔つき合わせてたわけじゃねーじゃん。何いきなりさみしんぼになってんの?」
「気になるじゃん。おまえいじめられてね? キモオタバレないようにうまくやるんだぞ?」
「バレるわけがない! めちゃめちゃ無口だ!」
「ほら猫背伸ばして」
 姿勢のいいジッカに背を叩かれると、言い返す気分にもなれず引き伸ばしてしまう。まあ猫背だけ直したところでキモイ目つきは直らないし、何より挙動不審なんだけどね。
「フレがいるんだろ? 無口ってこともないだろに」
「あー。フレっつっても野良サルの主催だからなー。よく参加してたらフレ登録しようって言われただけ。おまえに話したことない名前だったろ?」
「なんて人だっけ」
「係長」
「それ確実に名前じゃないよね」
「ヒゲさんって人」
「名前覚えてないのかよ」
 いいんだよ、俺の中では係長(受)なんだよ。でもそんなことまで言ったら、受け攻めの説明まで求められるので面倒だ。
 ジッカも敢えて言うならジッカ(受)である。
 どいつもこいつも受ばかり。攻キャラを求めて新天地に旅立ったのだが、やはり不作だった。理想の攻はなかなか転がっていない。
 どこかにこう、鬼畜で傲岸不遜で冷たい眼差しの攻はいないものだろうか。テンプレとは多数派に安定した萌えを供給できるからテンプレなのだ。求むテンプレ攻。王道よ永遠なれ。
「そのLSね、LSから係長と部下三名、残り二名野良補充してサル行ってたんだけど、俺が毎回来るもんだからフレどうよLSもついでにどうよってわけだ」
「前の美味しそうなパールはどうしたんだよ。似合ってたのに」
 一応説明しておくと黄土色である。軟らかいうんこ色である。リダ引退時に全員でシェルを買って勝手に色を作りダイスを振って決めたら、よりによって俺のうんこシェルが勝利した。
 チェリーパイという名前だったので、それが美味しそうという意味だろう。ジッカは受なので甘党だ。
「んー、裏とか空とか行きだしてからみんなと時間合わなくなってたからなー。こういう別れもあるんじゃねの」
「そんなあっさり捨てられるんならうちに来ればよかったのに」
 ジッカ(受)は口を尖らせてドカドカとカニを殴る。
 正確に言うと、サルベージに行き始めてフレ登録をし、その伝手で裏空リンバスといったコンテンツにも誘われるようになってからパールを外すことが増え、係長からパールをもらったのでLSを移ることにした。
 前のLSを外しがちになっていたことには当然ジッカも気づいていて、その時点でうちに来いよと言ってもらえていた。全員と面識があるわけではないけれど、共通のフレが他にもジッカのLSにいるので、随分悩んだ。
 世間のLSには三つの種類があるのだと思う。ひとつは、曜日と時間を決めて集う目的別LS。もうひとつは、雑談しながら基本的にはバラバラに好き勝手なことをする雑談LS。そして残るひとつは、LS全体で一定以上のレベルが求められるコンテンツも消化していくLSだ。
 俺がずっと所属していたうんこ色LSは、勿論二番目の普通の雑談LSだった。今世話になっている係長のLSは一応雑談LSではあるけれどどちらかというと三番目。そして、ジッカのLSはHNMにも手を出すような、紛れもなく立派な三番目だ。
 俺はジッカに、アイテムに興味ないし緊張するからイヤダと言って断っていた。
 そう言いながら係長のLSでやれサルだナイズルだ裏空だと駆け回っているのだから、憮然としている節がある。
 いや俺もね、別にアイテム欲しくてやってるわけじゃないんだよね。勿論緊張はするけれど、未経験の戦闘が思ったより楽しかったりする。係長や部下たちと一緒に過ごすのが新鮮だというのもあるだろう。萌えはないけど。
 あと。
 絶対にジッカに言いはしないけれど、仲のいいフレの厄介になるのがどうしても嫌だった。
 俺がうんこ色LSと決別することを決断したのは、LSメンが連れてきたフレとどうしても馴染めなかったせいだ。俺のせいでジッカのLSの誰かが同じ決断をしてしまうのではないかという不安があった。
 キモオタだしね。生理的に受け付けない人もいるだろう。
「ジッカんとこHNMLSじゃねえか。嫌だよ、絶対萌えキャラいねえじゃん」
「係長のとこはいるのかよ」
「いねえんだな、これが…」
「同じじゃんか」
「可能性に賭けたんだよ」
「うちなら候補が二十三だぞ。係長のとこは何人だって?」
「一応十人いるらしいんだけど、よく見かけるのは四人だなあ」
「四人の中に萌えキャラがいるかもと考えるところが甘いよね。オタ失格だよね」
「二十三人とか絶対むり。現実問題としてむり」
「何が?」
「そんな大規模なコミュニティは恐ろしい」
「オタ的な保身と萌えへの探求、どっちを取るの?」
「保身を確保した上で初めて萌えを求める余裕が出てくるのだよ」
 やれやれという顔をジッカはするけれど、普通に考えてアイテム目的でもなくHNMLSに所属する物好きはいないだろう。萌えキャラストーカーするためなら考えてもいいけれど。
「エルヴァーンじゃないとダメなのかよ」
 戦闘を終え、連携した回数を地面に足で書きつけながらジッカが聞いてくる。俺じゃなかったら求愛だと受け取られるところだ。サブリガを履いた脚がくねくね動くので、きわどい部分が見え隠れする。
「うーん、今のところヒュムで萌える奴に会ったことないんだよな」
「ほら、シリルとかどうなの。短いし」
「その冗談面白くないよね」
「ですよね」
 シリルというのが、ジッカとの共通のフレだ。彼らは同じLSにいる。
 短いというのは背丈を指す。ヒュームのシリルは一見すると愛くるしい顔立ちで、女の子のようなかわいい名前を持ち、大抵の男からは見下ろす格好になる低い身長なのだが、受攻の分類することさえ躊躇われるガラの悪さを誇る。いわゆるただのチンピラだ。彼の前で低いだの小さいだのといった形容詞を使うと顔面に拳が飛んでくる。ジッカの鼻筋が僅かに歪んでいるのはその爪あとだ。
 そもそもそんなシリルにはかわいい彼女がいるので、最初から妄想の対象に入らないという事情もある。
 あんな暴力短小チンピラにも彼女がいるというのに、一度も女の子と付き合ったことがない俺はどれほどキモイのだろう。我がことながら計り知れない。
「なに、ジッカんとこヒュームばっか?」
「いや、エルヴァーンもいる。つか、エルとヒュムしかいない」
「へー、ミスラいないんだ?」
「ミスラどころか女の子いない」
「え。そりゃ珍しいな」
 単純に男ばかり二十数人もいるところを想像して笑っただけなのに、ジッカは嫌そうな目を向けてきた。誤解だ、俺は別に目を輝かせてなどいない。
「古いLSだから仲いいし、ルチにとっては美味しいかもよ」
 ああ! ジッカは仲よさげな男の触れ合いに萌える俺の心理を知り尽くしている。エルヴァーンが十人もいるのだ。HNMLSの連中は大抵自信ありげで強気な奴らばかりなので、その中にひとりくらい攻がいるかもしれない。
 混じるのは嫌だけれど遠くで観察していたい。
「な、なんかエピソードねーの、萌えるエピソード」
 キモオタらしく興奮も露にどもりながら言うと、さっさと次の獲物を釣ってきたジッカが、うーん、と頭をめぐらせた。
「その萌えってのが俺にはわかんねえし」
「女の子に聞かせたらキャー! って言われそうなやつだ」
「あ。うち、オカマさんいる」
 それは意味が違うんですけど。
 でも俺は、ちょっと萎えつつも訊いてしまう。
「エルヴァーンの?」
「ヒュム。禿げてる」
「そりゃまた強烈だなオイ」
「リダなんだけどね」
「マジか。どんなんよ」
「や、リダマジすごい人。面倒見いいし、モラルあるし、普通にいい人」
「でもオカマ」
「みんなナイト上げてあたしのこと庇いなさいよォ、って言う」
 やる気のない声真似をするジッカもナイトが75だ。そうか、オカマさんのお気に入りか。
 言われてみればジッカはいかにもオカマ受けしそうだ。こういう清潔で涼しげな外見の若い男は、オカマや腐れた男に受けるのだ。
「おまえなんて呼ばれてんの?」
「普通」
「普通になんて?」
「ジッカちゃん」
「うへえ」
「いや普通にみんなちゃん付け」
「あ、なるほど…」
「アナルとは呼ばれてない」
「呼ばれてたら大問題だな」
「シリルは尻ちゃんって呼ばれてるけどな」
「すげえ! さすがだなリーダー」
「汁ちゃんって呼ばれてる奴もいるぜ」
「楽しそうなとこだな! ごめん俺偏見持ってた」
 何故だかまた嫌そうな顔になりつつ、ジッカはTPをうるさく報告してくる。もうカニの体力は残り少ないんだから、連携発生しなかったら損なのに。
 でもあまりにうるさいのでヘキサ撃ってあげたら、案の定連携にならず双竜脚で削りきってしまった。
「その汁とか、おまえ気に入ると思うんだけどな」
「かっこいい感じ? 冷たい感じ? 傲慢な感じ?」
「なにそれ。そういうのが萌え?」
「そっち系統のキャラに飢えてんだよ」
「残念だけど逆だ。末っ子っぽい元気ないじられ役」
「ああ…」
 なんだ。俺はがっかりしながら、近場に湧き出したカニをディアで釣る。
 それもオカマさんの趣味なのかもしれない。若い男らしい清潔さを匂わせるジッカ、顔立ちだけ愛らしいシリル、元気キャラの汁。聞いただけでも受大集合だ。
「係長ってどんな人?」
「ヒューム黒髪のヒゲ」
「俺は種族とか髭の有無に興味はない」
「男」
「性別もどうでもいい」
「受」
「ウケ?」
「まあ主催慣れした人って感じだよ。いかにもリーダータイプっつーの? 盛り上げるときは盛り上げるし、仕切るときはテキパキ仕切る。んで気遣いが細かい」
「萌える?」
「ジッカくん。萌えにも色んな種類があるんだけど、俺は特にギャップ萌えに弱いのね。しっかりした人がぽろっと弱音こぼすとか、お調子者がいざってときに必死になるとか、そういうのがいいのよ。つまり内面をうかがい知る機会がないと萌えがやってこねえの。俺はまだ係長のそういう面見るほど馴染んでねえの」
「あごめん、理解できなかった」
「今のところ、萌えない」
「理解できた」
 でもあのしっかり具合は受なんだけどね。年下ヤンチャ攻あたりに下克上されるといいよ。すごくいいよ。
 しかし係長の部下は女の子が多く、攻めキャラになる可能性がある人材自体限りなく少ないのだった。一応十人在籍していると言っても三人は休業中、三人掛け持ち、残り四人しかいない。その四人の半分は女の子だし、一人はタルタル、残る一人がやっとエルヴァーンという有様だ。
 こんな実質五名で何ができると思うかもしれないが、係長がやたらと顔が広いらしく、何かやるとなったら知り合いから集めてしまうし、大規模な戦闘の場合は知り合いのLSと合同でやる。そういった面倒を面倒と思わない社交的な人物のようだ。引きこもりオタも見習いたい。
「でも身内引きこもりのおまえが外に出たんでびっくりした」
 まるで俺の内心を読んだようなタイミングでジッカが笑った。パイパンサブリガとは思えないさわやかさだ。
 それほどの何かがきっかけになったんだろ? とその目が言っている。
 俺は気づかないふりをした。
「色々誘われてやってたら、いつのまにか元のLSにいるより、係長たちと一緒にいる時間の方が長くなってたからな。そんな状態ならもういっそ、って感じ」
「思い切ったもんだ」
「そうでもない。つか、あんまり変わった気がしない」
「そか」
 ジッカは溜息を吐き、TPを連呼した。




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