「忠臣蔵」の赤穂浪士が主君の遺恨を晴らすため、吉良上野介邸に討ち入りをした日に当たる14日、福岡市南区寺塚2丁目の興宗寺(通称・穴観音、谷山昭道住職)で四十七士を顕彰し、冥福を祈る「福岡義士祭」が行われた。

 福岡の篤志家木原善太郎が1935年、東京都港区の泉岳寺にある四十七士の墓を模した墓地を興宗寺に築造。その後「福岡義士会」ができ、毎年討ち入りの日に有志が義士祭を催している。

 この日は厳しい寒さだったが、約1000人が参列し法要が営まれ、その後奉納行事として筑前琵琶の演奏や福岡藩に伝わる陽流抱え大筒の砲術が披露された。境内では、討ち入りそばやかゆが振る舞われ、参列者は墓標に手を合わせ四十七士に思いをはせていた。

 同会の中村健士会長(81)は「四十七士の遺徳を受け継ぐためにも地元で祭りを守り続けたい」と話した。

=2007/12/14付 西日本新聞夕刊=