創友会だより


11月に創友会総会を開催(「創価教育同窓の集い」)

 毎年秋に開催されてきた創友会総会は、本年、創大祭期間中の11月3日(水)に池田記念講堂で行われる。
 今回の総会参加対象者は、創価大学24期・25期(入学年度)となっており、参加対象者には開催通知(はがき)が郵送される。

各県でも総会を開催

 あわせて、各県・支部単位の支部総会が翌日の11月4日(木)午後7時より、全国各地で開催される。ここでは、11月3日に行われる創価教育同窓の集いの模様を録画中継した後、各支部の創友会、会友会等が集っての合同総会となる。

神奈川が会友会・創友会合同総会を開催

 7月4日に、神奈川県会友会・創友会・通教創友会・短大白鳥会が合同の総会を、代表3,000名が参加して創大池田記念講堂で盛大に開催した。
 総会の第1部では、D・Iクルーダンス部のアトラクションや、民文連による民謡や踊り、通教創友会代表あいさつ、短大白鳥会代表あいさつなどが行われた。
 第2部では、通教創友会9期の上野浩太郎さんの活動報告、創神会(会友会)前田代表幹事のあいさつ、高梨創友会東海道委員長あいさつなどの後、来賓として出席した岡安理事長、深瀬理事から、大学への支援に対する謝辞が述べられた。

平成11年度  創友会スカラシップ奨学生が決定

 このたび、平成11年度創友会スカラシップ奨学生が下記のように決定した。  創友会スカラシップは、これまでの創友会育英会制度を拡充し新たに設置された制度で、卒業まで毎月2万円が給付される「一般スカラシップ」と、海外留学や各種国家試験に挑戦する学生のために、単年度30万円を給付する「特別スカラシップ」の2種類からなっている。
 今回は、「創価大学における学問の探求」とのテーマの小論文を提出した213名の応募者の中から、論文と願書審査の第1次選考そして面接試験の第2次選考を経て、一般22名、特別7名の合格者が選抜された。
 合格者は以下のとおり。
 なお、最優秀論文を下に掲載する。

特別一般
氏名 学科 学年
大場 啓子 法律
竹島 百合子 人文
堀田 正明 法律
石山 薫 生物工
大石 幸子 英文
飯田 達夫 経営
睦 源徳 日本語日本文
氏名 学科 学年
吉村 美映 英文
崔 瑞潤 教育
田中 紀久子 経営
谷口 恵美子 経済
釜谷 秀昭 経済
大石 雅子 児童教育
吉良 香峰子 社会
米津 啓子 情報
高橋 梢 人文
若尾 美智子 人文
渡邉 祐馬 法律
韮沢 順子 法律
鴨志田 次郎 法律
森田 めぐみ 法律
吉田 泰子 経済
海老 亜矢子 人文
加藤 伸代 人文
角田 和博 法律
高橋 幸恵 法律
納富 恵子 英文
荒木 さおり 経営
韮沢 智子 児童教育

「創価大学における学問の探求」
法学部2年 森田 めぐみ

 私は将来新聞記者として働きたいと考えている。そのため、社会への好奇心と物事を人に伝える知性を養う努力をしている。私は新聞やテレビで情報を収集したり文章を書くことに加え、「自分で取材をする」という姿勢を貫こうと決めている。自ら足を運んで得た情報を自分で表現する。何を知らなければならないかを自分で考えることが必要だと思い、その機会を多く作ろうとしているのだ。
 まず新聞社の実際の現場を知りたいと思った。そこで私は、新聞社でアルバイトをすることにした。丁度短期アルバイトの募集をしていたのだ。昨年の参議院選挙と今年の都知事選、区・市議選の時、ある新聞本社でパソコン入力の仕事をするチャンスに恵まれた。これは選挙開票当日、開票終了と同時に各立候補者の得票数を入力する作業だ。そしてこの数字が、投票日翌日の朝刊に掲載される。この作業の練習を毎週行い、世論調査の手伝いをした。
 昨年は新聞社の中に入り、新聞完成までの流れを見るだけで感激していたが、今年は記者と話すゆとりができた。文芸部の女性記者と経済部の方と一緒に仕事をし、職場での女性の立場や地方局にいた頃の話、編集局の仕組みなどについて話を聞くことができた。ここで驚いたのが、記者といっても雑用が多いということだ。今まで持っていた記者イコール現場取材という安易なイメージはなくなった。そして共に仕事をした他大学の学生達の知識の多さだ。かなり勉強しているという印象を受け、随分と触発されたものだ。
 最後には、新聞の作成に携わったという充実感が残った。ニュースを毎日記録し伝える仕事に改めて魅力を感じ、絶対なりたいと思った。現場経験は私の意欲を高めるのに最高だった。
 もう一つの体験では、マスメディアの倫理について考えた。今年の春休み、私は「大分みどり荘事件」の冤罪被害者、輿掛良一さんにお会いしに行った。輿掛さんには、昨年の創大祭の時にマスコミ研究会企画の講演会でお話をして頂いた。今回はさらに詳しく話を聞き、その後の輿掛さんの活動を取材するために大分に行くことにしたのだ。
 「テレビ、新聞では凶悪犯事件と結び付く写真しか使ってもらえないから、地元の人は自分を犯人だと思ってしまった。マスコミの人は、自分達の報道がいかに影響を与えるかを考えてほしい。」輿掛さんは、冤罪を晴らした自らの体験を語ってくれた。
 1981年6月27日深夜、大分市のみどり荘というアパートで、女子短大生が殺害される事件が起こった。輿掛さんは殺された短大生の隣室に住み、殺人容疑などで逮捕された。大分地裁は、捜査での自白調書や科学鑑定の結果などを根拠に、無期懲役の判決を下した。しかし控訴審では、自白の強要や科学鑑定のずさんさなどの問題点が次々に指摘された。なかでも、DNA鑑定の権威とされた大学教授が部下に任せて誤りに気付かないまま鑑定書を提出している事実が分かったのだ。事件発生後から14年後の95年6月、福岡高裁は自白調書や鑑定書の信用性を否定し、逆転無罪を言い渡した。
 マスコミ報道からもまた、輿掛さんは大きな被害を受けた。逮捕されたことで、マスコミは真犯人と決めつけて報道したのだ。それによって輿掛さんのお姉さんは離婚させられ、お母さんには嫌がらせの電話が多数あったという。それにも関わらず、無罪が確定した後も警察、検察、マスコミ側からは謝罪はなかった。13年間もの拘置生活で人生の三分の一を失った、と輿掛さんは言う。さらに報道によって植え付けられた犯人というイメージを払拭することは非常に難しかったと語っていた。
 マスメディアの無責任な報道がいかに人の人生を破壊することか。輿掛さんをはじめ、報道被害者は想像を絶する苦しみを受けているのだと、胸が痛んだ。確かにその痛みは受けた本人しか分からないが、報道被害を明日は我が身として受け止め、少しでも理解しようと努めることが、それを無くす唯一の道ではないかと思った。輿掛さんは、窃盗や覚醒剤事件のような刑期の短い事件ほど冤罪が多く、マスコミも注目しない、ということも教えてくれた。今は労働組合やハンセン病患者支援団体のサポートをしながら、採石場で重機の運転手をしている。「苦しんでいる人を助けたい」という思いからの行動だ。
 このように、華やかに全国に紙面を提供する一方で、このマスコミによって人知れず被害に苦しむ人がいる。こうした現状をどうにか改善できないものか。この経験をふまえ、実力を充分に備えた、一人の人を大切にするジャーナリストを目指し、さらに貪欲に学んでいきたい。



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