空襲・震災乗り越え98年 神戸の老舗古書店、閉店へ2007年12月14日16時09分 神戸・三宮にある老舗(しにせ)の古書店「後藤書店」が来年1月14日、98年の歴史に幕を閉じることになった。太平洋戦争末期の空襲で丸焼けになり、阪神大震災では入居するビルが全壊したが、そのたびに乗り越えてきた。けれども、店を守り続けてきた兄弟が80代になり、体力の衰えに逆らえなくなった。常連客の惜しむ声に包まれながら、15日から閉店セールを始める。
JR三ノ宮駅からほど近い三宮センター街の東側入り口近くに、店はある。黄ばんだ化粧箱に入った全集や史料などがぎっしりと並ぶ。ドイツ語やラテン語の原書、江戸期の和本、仏教書などがあり、人文科学系の本が充実している。 兄の後藤正夫さん(85)が店番、弟の昭夫さん(80)が仕入れを担当して店を守ってきた。 父親の故・和平さんが1910(明治43)年、現在の神戸市中央区で創業した。関西学院や神戸高等商業学校(現・神戸大)などの学生客を見込んでいた。同市出身の社会運動家でキリスト教の布教に努めた賀川豊彦や、仏教研究で名高い増谷文雄らが常連だった。 自然災害や戦災に泣かされた。センター街に支店を出した矢先の1938年、阪神大水害の濁流に襲われた。45年の神戸空襲では、北東に2キロほど離れた本店が全焼。支店を本店にした。 95年の阪神大震災では、店が入ったビルが全壊し、書物の3分の1を失った。昭夫さんと妻の茂子さん(72)は、同市灘区の自宅も全壊。正夫さん宅に身を寄せた。店に戻れたのは震災から約1カ月後。雪崩のように本が崩れ落ちていた。4カ月かけ、まだ商品になる本を大阪・南港の倉庫に移した。 その時点で閉店も考えたが、「ここでないと見つからない本がある」との常連の声に後押しされ、約2年後に再開した。いま店が入っているビルの再建中は、前の道沿いに建てた小屋などで営業を続けた。 「お客さんが先生だった」と昭夫さん。大学教授らの専門性の高い注文に応えていくことが、本を見る目を養った。中国の仏教書を京都の寺院が1200〜1300年代に出版した「五山版」や、明治期に神戸で発行された日本最初のキリスト教週刊新聞「七一雑報」なども扱った。「見つけたというより、巡り合った感じ。本の価値を見極めるのは最後は勘でしかない」という。 年齢を重ねるとともに本が重く感じ、持ち運ぶ作業がつらくなった。インターネットの時代になり、古書店の存在価値は薄くなったとも感じた。1年半前、直腸がんの手術を受けた。後継ぎもいない。「これ以上は体がもたん。元気なうちに店を閉めよう」。正夫さんと話し、決めた。 昭夫さんは「常連さんには、もう堪忍してもらおう。一生懸命働かせてもらったから」と話す。閉店セールでは、数十万〜数百万円する書物も、すべて3割引きで売る。 約40年前から通う鈴木利章・大手前大教授(70)=西洋中世史=は「古本独特のにおいと、いい本をよう知ったはるご主人。いまどき珍しい格式を感じさせる店でした。行くと学術書や美術書などを数冊買ってしまい、手ぶらで帰ることはなかった。ほんまに寂しい」と惜しんでいる。
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