師走といえば「忠臣蔵」を連想する人も多かろう。赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのは、三百五年前のきょう未明だった。
四十七士の中には、主君刃傷の第一報を赤穂へもたらした早水藤左衛門ら岡山県出身者が四人いた。その一人、神崎与五郎が討ち入りの決意を固めた後、妻にあてた手紙が残る。
山本博文・東大教授(津山市出身)の近著「江戸人のこころ」の中で紹介されている。目を引くのは、私もあなたのことが恋しいけれども、これは「人たるものゝつとめ」だと言い切っていることだ。
赤穂浪士の討ち入りを「自らの信じる社会正義を実現するための行動」とみる山本氏は、忠臣蔵が今も根強い人気を誇るのは「自己犠牲の精神が日本人の美点であるという共通認識が現代人にもあるからだ」と分析する。
人形浄瑠璃や歌舞伎をはじめ、数々の小説、映画、ドラマにも取り上げられ、人々の記憶に生き続ける「忠臣蔵」という文化現象。時には国民意識高揚に利用されることもあったようだが、その魅力は各人が自分の役割を果たそうと必死に生きた営みへの共感ではないかとも思う。
翻って今年は、政治の世界も生活を取り巻く社会も、責任やモラルのたががはずれ、信頼が大きく揺らいだ一年ではなかったか。こんな時代だからこそ、忠臣蔵を教訓に日本人の魂の原点を問い直してみたくもなる。