書くことで 気持ちにけじめ
京都・嵯峨野に、女性や若者らが思いをつづるノートを置いた寺院がある。「そっと、その意地を捨ててください」と掲げられた本堂で、みんな一心にノートに向かう。抱えきれないほどの悲しみや悩み、苦しみ。書くことで、心が癒やされるようだ。小さな庵(いおり)で、そのページをめくってみた。
手作りのカバーでカラフルに装丁された「想い出草」
浄土宗・直指庵(じきしあん)(京都市右京区)。本堂に安置された阿弥陀如来の前の机に、「想(おも)い出草」と名付けられた10冊ほどのノートが並んでいる。
夫を亡くしたという女性は、人生が一変したことを記した。つらさから、自傷行為に及んだこと。夫の命日に、自殺を考えるほど思い詰めたこと。それでも前向きに生きよう――。自らを鼓舞した。
本堂は、凛(りん)と伸びた竹林の奥にたたずむ。時折、響く小鳥のさえずり。縁側から見渡す庭はすがすがしい。
小田芳隆住職(59)は言う。「静寂。そして、すぐ手が届くところに仏様がおられる。この雰囲気こそが、思いのたけをつづらせるのでしょう」
1冊目のノートを置いたのは1963年。静かだった嵯峨野が観光地化され、寺に目立ち始めた落書きを防ぐためだった。最初は、名前や住所だけが記される「奉加帳」のようなものだったが、いつのころからか、参拝者が心情を書き留めるようになった。落書きはぴたっとやんだ。
ペンを持つのは、20歳前後の女性が圧倒的に多いという。大半が恋愛の悩みだ。ふられた。不倫関係になった。子どもができてしまった。よく似たノートは、喫茶店などにも置いてあるが、決定的に違う。小田住職は「書くことで心を整理し、けじめをつけているのです」と語る。
「嫌いになった訳ではありませんが、これ以上、ご家族に迷惑はかけられません……」。妻子ある男性と付き合いながら、別れる決意をした女性は、自分に言い聞かせるように書いた。
中絶を繰り返した女性は、自らを強く責めることで、平静さを取り戻したという心境を記した。
小田住職は「人間らしく生きたい。そんな懺悔(ざんげ)の気持ちが表れている。仏様の前だから素直になれる。人間の本質、心の奥底を引き出すと思う」と言う。
「これからのことを思うと、とてもつらいが、ここに来て、気持ちを落ち着けることができた。やっぱり、頑張ろうと思う」と決意を記したのは、阪神大震災の被災者。いじめられたことも、いじめたこともある学生は「いじめはいけない」と心の叫びをつづった。
庭園を望む本堂で、「想い出草」について語る小田芳隆住職(京都市右京区の直指庵で)
「これが最後の旅行になると思う」。小田住職の前には、時折、胸を締め付けられる文章が現れる。幸せな結婚生活を夢見ながら、不治の病に侵され、余命幾ばくもないという独白。ひざをつき合わせて聞いてあげたかった。つくづく思う。
病気で先立たれたわが子が、生前に訪れたと知って、ノートを見たいとやってくる親たちもいる。そうした人たちのために、昨秋からは年1回、ノートの公開を始めた。
40年余り、ノートは6000冊以上になった。「みんな仏様と語り合っているのでしょう」と小田住職。ちょっと照れくさくて、人に言えないことも、仏は聞いてくれる。
少し変色するほど、古いノートに、当時、高校生だった男性の思いが書かれていた。
欠点が多く、女の子には見向きもされない。時々、自分なんか生まれなかったらよかったと思っていた。そんなある日、ふと手にした亡き母の日記。母は病気で入院中、自分を身ごもったことを知った。
文章は、こう結ばれていた。
「医者は産まない方がいいと言ったが、母は、あえて僕を産んで死んでいった。僕は一生懸命生きなければならないと思った。お母さん、天国で応援して」
その高校生を励ます、女性からの添え書きがあった。「本当にがんばってね!」
人が語りかける仏とは、ひょっとすると、人なのかもしれない。
文・西田大智
写真・伊東広路