社説(2007年12月13日朝刊)
[年金記録照合]
開き直りは許されない
基礎年金番号に統合されていない年金記録約五千万件のうち、約四割に当たる約千九百七十五万件がまだ「宙に浮いた」状態にあることが分かった。
そのうちの約九百四十五万件は、オンライン入力時の転記ミスや偽名、誤った届け出などだ。今後も紙台帳との突き合わせが必要で、本人の特定は困難とみられている。
国の年金制度に基づいて負担したはずなのに給付が受けられない。まったくひどい話である。
他のうちわけは、結婚などでの氏名変更が約五百十万件。漢字からかなへの変換で誤ったのは約二百四十万件に上る。死亡とみられる人の記録も約二百八十万件あった。
約千五百五十万件は死亡判明か新たな受給に結び付かない記録だという。
それにしても、コンピューターに入力する際に誤って打ち込まれたのがこんなにあっていいものか。
この問題では、保険料納付の領収書や年金手帳を持っているのに、社保庁のオンラインシステムや市町村の台帳などに一切の記録がなく、記録訂正に至ったのが今年六月までに五百七十一件あったことも分かっている。
社保庁の仕事のずさんさには、あらためて怒りがわいてくる。
台帳廃棄もあった社保庁の管理体制をみれば解決の難しさは想像できた。
しかし、だからといって舛添要一厚労相が「ここまでずさんとは予想外だ」と言ってしまっては、まるで人ごとのように聞こえてしまう。
担当大臣として、言い逃れだと受け止められても仕方がない。
先の参院選で「一年間ですべての統合を完了させる」という公約を掲げ、「責任政党として言ったことは必ず実行する」と訴えて支持を求めたのは安倍晋三前首相である。
福田内閣も同様であり、厚労相が「最後の一人、最後の一円まで確実にやる」と述べたのはそのためだろう。
なのに町村信孝官房長官は「選挙だから『年度内にすべて(解明する)と縮めて言ってしまった』」と言い訳し、厚労相も「すべてを解決すると言った覚えはない」と開き直る。
公約を破る発言は政治不信を高めるだけだ。容認するわけにはいかない。
現時点で解決の見通しが立たないのであれば国民に対しその理由を丁寧に説明し、謝罪するのが筋だろう。なぜそうしないのか、不思議でならない。
政治の務めは解決までの行程表をもう一度練り直し、年金受給者の不安を解消するような道筋をきちんと描いていくことだ。政府の責任もそこにこそあると考えたい。
社説(2007年12月13日朝刊)
[ビラ配布有罪]
表現の自由萎縮しないか
共産党のビラを配るため二〇〇四年十二月、東京都葛飾区のマンションに立ち入ったとして住居侵入罪に問われた僧侶荒川庸生被告(60)の控訴審判決で、東京高裁は逆転有罪(罰金五万円)を言い渡した。一審東京地裁の無罪判決を破棄したもので、荒川被告は即日上告した。
荒川被告はマンションの廊下を歩きながら各戸のドアポストに共産党の都議会報告などを入れて逮捕された。
高裁判決は「マンション管理組合の理事会は、住居の平穏を守るため住民の総意で部外者の立ち入りを禁止した。その意思に反して立ち入れない」と認定した。表現の自由は、「憲法で無制限に保障されたものでなく、他人の権利を不当に害することは許されない」との判断を示した。
政党ビラの配布は、憲法二一条で保障されている。無罪判決を言い渡した一審地裁判決も、他人の「住居の平穏」を不当に害することは許されず、各戸へのビラ配布について「憲法二一条だけを根拠に直ちに正当化することは困難」としている。その上で、「ビラ配布の目的だけであれば、廊下など共用部分への立ち入りを処罰の対象とする社会通念は確立していない」とまったく逆の結論を導いた。
ここ数年、同じようなビラ配りで逮捕、起訴されるケースが目立つ。背景には、プライバシー保護の高まり、不審者への警戒感などセキュリティーに対する住民意識の変化がある。
それでも、政党ビラの配布が身柄を拘束し、刑事罰を科さなければならないほどの事件なのかどうか。一審、二審のいずれが市民感覚の「常識」に沿った判決だろうか。
考えてみると、この問題はビラを配布する側と受け取る側が現場で解決できるものかもしれない。嫌がる相手に、ビラを押し付けることはないだろうから。
社会が多様な意見を認め合う寛容さをなくすれば、息苦しさは増すばかりだ。今回の判決がそれを後押しし、表現の自由を萎縮させないか憂慮する。
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