2007年11月25日

昭和初期の『ほしのこえ』? 『すゞみ舟』(日記風)

 ちょっとプライベートでバタバタしていて、プチ『クレイマークレイマー』状態(古い)でした。おかげでここ数日まとまって仕事をする時間がとれません。こういうのもリア充っていうんでしょうかね(苦笑)。そこで細切れな時間を利用して、ちまちまと遊びで調べものをしてみました。もちろん専門の方には常識的なことでしょうが、そこはそれ門外漢の手すさびと思ってお見逃しください。なにしろ資料は蔵書とネットのみ(いちおうネットはあまり使わない、という縛りを決めてみました)なので。

 そもそもは谷沢永一の『紙つぶて―自作自注最終版』を読んである本に興味を持ったのがきっかけ。そこでその本をネットで求めてみました。
『ぶるうふいるむ物語 秘められた映画史70年』(三木幹夫、立風書房)。
 タイトル通り、ブルーフィルムの歴史をおった本。ブルーフィルムとは、厳密な定義は知りませんが、8ミリなどで制作されたアンダーグラウンドのエロ映画の総称とでも理解してもらえればいいでしょうか。もはや歴史的単語になってしまい、言葉をしっている世代も30代半ばあたりが最後じゃないでしょうか。非合法故に全貌がつかみづらいブルーフィルムの世界について、戦前から戦後にかけて連続コラム形式で総覧したのが、上記の本です。

 どうしてこの本を買ったかというと、昭和初期に作られたエロアニメの記述があったからです。
 タイトルは『すゞみ舟』
 同書によると、東京・小石川春日町のある画家が、ひとりで3年がかりで制作した10分の作品という。ひとりでコツコツと、というあたりはなんだか『ほしのこえ』を彷彿とさせまます(笑)。ただし、フィルムはなんと35ミリ(モノクロ)と本格的ですが、ブルーフィルムとして流出していたのは、16ミリへのデュープのようです 当初は2巻ものにする予定が、昭和7年に当局にご用となり、1巻で完結してしまったものだそうです。

 舞台は江戸時代。うぶなお嬢さん風な女が、年増の乳母の手引きで、猪牙舟に乗った色男と密会をする。やがて二人の舞台は屋形船へとうつり、乳母は船頭にそそのかされその屋形船をのぞくことに。そして乳母もまた、船頭と……というような内容だったようです。
 浮世絵タッチで日本情緒を感じさせる内容で、著者の三木幹夫も「いまどきの洗練されたカラー動画にくらべたら、稚拙のひとことに尽きるかもしれない。しかし、細部はともかくとして、筆者が20年余りたっても、まだいくつか強く印象に残る場面があるというのは、やはり、並々ならぬ作品といえよう」と絶賛しています。
 『すゞみ舟』は、ブルーフィルムの通例通りいくつかのタイトルで呼ばれていたそうですが、その中の一つが『マンガ』であったそうです。ほかには、こうした作品は例がなかったからだと同書では推測しています。

 で、気になるのは同書では作者の名前について特に触れられていないこと。
 ここでふと思って、全国×万人のアニメライター必携(笑)である『日本アニメーション映画史』(山口且訓・渡辺泰、プラネット)をひもといてみますと、ありました、第十二章ポルノアニメの項に『すゞみ舟』が。
 ただ、同書の『すゞみ舟』のストーリー紹介はすべて伝聞でかかれており、どうも『ぶるうふいるむ物語』を下敷きにしたっぽく、さまざまな言い回しがそっくり(『ぶるうふいるむ物語』は75年刊、『日本アニメーション映画史』は77年刊)。
 原稿中には資料として『人間探求』(昭和27年7月号)に掲載された「映画「すゞみ舟」鑑賞」と題して画家の毛利厄九という人が書いたという原稿が言及されているので、あるいはこちらの原稿のほうが下敷きになっているやもしれませんが。
 とはいえさすが『日本アニメーション映画史』のほうは、作者に言及しており、木村白山であろう、と記しています。

 では、木村白山とは何者か。
 これはネットで検索をかけると、すぐわかります。代表作『塩原多助』(大正13年)、『赤垣源蔵徳利の別れ』(大正14年)で知られる戦前のアニメーション作家です。生没年不詳の謎の人物であることもわかりました。
 調べるうちネットのあるサイトでは、アニメーション作家北山清太郎の門下と記していたので、ここでアニメーション史家津堅信之の『日本初のアニメーション作家 北山清太郎』(臨川書店)を持ってきます。
 同書には北山映画製作所のスタッフを紹介している一節があるんですが、木村の名前はない。かなり詳細な調査に基づいている同書ですから、これはネットのほうがなにか間違っているのでしょう。

 というわけで、じゃあ何か手がかりになりそうな本はないかと書棚を見ますと、2冊ありました。2000年に川崎市民ミュージアムで開かれた展覧会「日本アニメの飛翔期を探る」の図録と、2004年に東京都現代美術館で開催された展覧会「日本漫画映画の全貌」の図録です。

 で、さっそくページを繰ってみるとありました。
 まず「日本アニメの飛翔期を探る」のほう。こちらはアニメーション研究家渡辺泰による、「日本アニメの黎明期 戦前アニメーションの流れ」という本文の一節です。

 それに(引用者注:文部省主導による教育映画としてのアニメーション)対して異色のアニメ作家がいた。木村白山(生没年不詳)は大正時代、映画館の看板絵などを描いていたが、外国アニメを見て興味を持ち、北山映画の橋口寿にアニメ製作の技術を教えてもらう。朝日キネマの依頼で1924(大正13)年、時代劇アニメ『赤垣源蔵徳利の別れ』を製作、25(大正14)年の『塩原多助』は親孝行の教科書のような教訓アニメだが、大好評であった。木村は時代劇アニメを得意としていた。32(昭和7)年『すゞみ舟』と題する浮世絵タッチのポルノ・アニメを独力で3年がかりで製作したものの、小石川署に検挙され、フィルムも押収された。


 さらに文末に註がついて

 ポルノ・アニメはアメリカでは1920年代に早くも製作されている(引用者注:これは『ぶるうふいるむ物語』に言及あり)。日本初のポルノ・アニメを製作した木村はアニメ界から足を洗ったと思われたが、38年、日本空軍が中国で活躍する戦争アニメ「荒鷲」の作画、演出を担当した作品を1本だけ残して姿を消した。出身地、生没年など不明の謎のアニメ作家である。


 と解説されています。

 一方、「日本漫画映画の全貌」のほうはプロフィール形式で記されており、看板絵描きからアニメの世界へ、といった大まかな部分はさきの内容と共通しているものの、「北山映画製作所で漫画映画の制作技術を学んだのち」と記されています。
 またそのほかの作品として『ノンキなトウサン竜宮参り』、SFタッチの『三角の世界』、プロキノ(日本プロレタリア映画同盟)による『アジ太プロ吉消費組合の巻』、『』奴隷戦争』といったタイトルが挙げられています。ただし前述の『荒鷲』については言及なし。ネットで検索すると『三角の世界』は、雑誌に広告が出ただけで幻の作品らしいとされていましたが、SFというあたり微妙に気になります。

 「日本アニメの黎明期 戦前アニメーションの流れ」のほうで木村の師匠と記されている橋口寿(壽)は『日本初のアニメーション作家 北山清太郎』の中に登場します。こんな具合に。

 生没年不詳。やはり北山の「線映画の作り方」で、スタッフの一人として名前が登場するだけで、具体的な仕事等は未詳である。(以下略)


 こうなってくると生没年不明で具体的な仕事が不明な人が、生没年不明で詳細不明の人にアニメ制作を教えたらしい、というなんとも雲をつかむような話になってしまいました。

 気になるのは、「北山映画の橋口寿にアニメ製作の技術を教えてもらう」は、どのあたりが情報源になっているのか、とういうこととがまず一つ。さらに「北山映画の橋口寿にアニメ製作の技術を教えてもらう」と「北山映画製作所で漫画映画の制作技術を学んだ」では意味がかなり違うのだけれど、これは元となる資料が二つあるのか、それとも単なる情報の劣化なのか。
 橋口は北山映画からアクメ商会に移籍したそうですが、アクメ商会の設立は大正8年(このあたりも『日本初のアニメーション作家 北山清太郎』に寄っています)。ということは、アクメ商会時代の橋口が木村にアニメを教えた可能性もゼロではないということになりそうです。
 
 というわけで、オチもなんにもないままこのお遊びは終わるわけですが、とりあえず、もし万が一にも機会があれば『すゞみ舟』は見てみたいなぁという思いはつよくなったのでした。なにしろ『ぶるうふぃるむ物語』の中で「現在でも『もし入手できるなら100万円出してもいい』という人もいるほど。いまなお100万円の値を呼んでいるのは、この『すゞみ舟』と、戦後製の『風立ちぬ』ぐらいではなかろうか」と書かれているほどの作品なので。その後に書いてある、ディズニーがひそかに見て絶賛したという噂はさすがに噂なんじゃないかと思いますが……

 おまけにブルーフィルムで検索していてみつけた、2ちゃんねるの投稿を最後においておきますね。なかなかほほえましい話です。

 俺、むかしカメラ店で働いていたんだけど、中年のおっさんで 「一番安い8ミリ映写機をくれ」と言ってくる客は、まずほぼ100%がブルーフィルムを見る目的の客だった。
なぜなら家庭用なら家族連れで来店するはずだし、第一、撮影機(8ミリカメラ)が不要で映写機のみというのが不自然。

「カメラの方はどうですか?」とわざと聞くと「いらん。カメラは持ってる。映写機だけでいいんだ」なんて答える。

ところが困った事に、一番安い8ミリ映写機というと、当時は富士フィルムの「シングル8」。
ブルーフィルムはほとんどが「ダブル8」なんでフィルムの端の穴の形が合わず、これでは見ることが出来ない。

こちらもブルーフィルム鑑賞目的ということは察しているので「ダブル8」の映写機を
すすめるんだけど、おっさんはその違いを知らず「いや、一番安いのでいいんだ」と言って聞かない。まさか「お客さん、ブルーフィルム見るんでしょ?」とも言えず、仕方なく富士の映写機を売ってしまう。で「お客さん、もし不都合があったらすぐ持って来てください。交換しますから」といって帰ってもらう。

そして次の日(時によっては数字間後)、予想通りそのおっさんは再び店に訪れてこう言う。バツが悪そうな顔をして「すまんが、やっぱりアンタがすすめてくれた方と交換してくれ」
俺たち店員は笑いを抑えて「はい、分かりました」と言って交換品を渡す。
「まったくブルーフィルム見るんなら正直に最初からそう言えよ」 と言いたいのを我慢して・・・・・・懐かしい思い出デス。


紙つぶて―自作自注最終版

日本アニメーション映画史 (1978年)

日本初のアニメーション作家北山清太郎 (ビジュアル文化シリーズ)


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