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四季物語4 一極集中避け小さな町で公演
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8月22日、礼文島の子供たちはフェリーに揺られながら隣の利尻島に向かっていた。当日は曇りで、波も高かったが、子供たちは初めて見るミュージカルへの期待でワクワクしていた。北海道の最北端にある町、稚内からフェリーで1時間40分の利尻島・利尻町に「どんと」という名の公共ホールがある。そこで劇団四季のファミリーミュージカル「ユタと不思議な仲間たち」が上演されるのだ。

利尻での四季公演は2度目。舞台装置、衣装などを積んだ11トントラック2台はフェリーで島に渡り、出演者は札幌から飛行機で利尻に着いた。公演は22、23日の2日間で、利尻町とお隣の利尻富士町、そしてフェリーで40分の礼文島・礼文町、3町の全小中高校生約800人が駆け付けた。一般客も含め2日間で連日満員の約1000人が観劇した。両島の総人口は約9000人で、9人に1人が見た勘定になる。公演に随行した関係者は「ミュージカルがはじめての子ばかりで、素直に見てくれていた」と話す。公演後もロビーで子供たちを見送る扮装(ふんそう)姿の出演者に「ありがとう」「また来て下さい」と声を掛ける光景がみられた。

新劇の劇団も地方公演を行うが、集客力を見込める中都市が多い。しかし、四季は人口2〜3000人の小さな町でも公演を行う。浅利慶太も全国を回った。「東京の一極集中から抜け出したかった。うちには損をしても取り組もうという姿勢があるんです」。

四季の柱の一つ、ファミリーミュージカルの原点は64年、日生劇場で始まった。寺山修司作、浅利演出、岩谷時子作詞、いずみたく作曲の「はだかの王様」。日本生命がスポンサーとなり、ニッセイ名作劇場として無料で小学生を招待した。以降、ニッセイ名作劇場は毎年続き、全国にその輪が広がっている。子供の時からミュージカルに親しみ、大人になって観客になる下地が出来上がっていた。

全国公演は69年に本格的に始まった。各地に「四季の会」という独自の組織を作るため、浅利をはじめ、俳優たちも駆り出された。浅利は「みんな3人の方の紹介状を持っていったんです。それがかなりの力を発揮した」と振り返る。1つは日本医師会の武見太郎。けんか太郎の異名を持った実力会長だった。もう1つは浅利の親友でウシオ電機社長、日本青年会議所会頭の牛尾治朗。そして慶大での恩師で慶応塾長だった佐藤朔。医師会、経済界、三田会の人脈をフルに生かし、全国公演を迎え入れる体制を作った。

「キャッツ」も東京、大阪、名古屋、福岡、札幌の大都市では専用の仮設劇場で上演したが、広島、静岡、仙台では公共ホールを2カ月半から5カ月貸し切って上演し、いずれも満員だった。浅利は言う。「日本では歴史的に演劇が根付いている。演劇に人が集まらないのではなく、いいものをやれば集まってくるんです」。四季の試みが実証している。
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