◇立ち上がった助産師5人
島根県の離島・隠岐諸島は昨年4月から半年間、産婦人科常勤医が不在となり「子どもが産めない島」となった。1年後の今年4月、隠岐病院(隠岐の島町)は助産師5人の院内助産科を開設し、元気な産声が戻った。しかし、初産やリスクの伴う分娩(ぶんべん)で妊婦が本土に渡らねばならない状態は変わらず、現場の模索が続く。離島のお産の現状を報告する。
◇残したお産の灯、抜本策へ議論を
「大丈夫、しっかり大きくなっていますね」。今年11月、隠岐病院の助産科診察室。エコーで胎児を診ていた古川みね助産師(43)が、検診に訪れた柳原恵美子さん(33)=隠岐の島町=に明るく話しかけた。柳原さんがほほ笑む。おなかの子は10カ月。「何かあればいつでも連絡してね」。約40分ほどかけて検診を終えた。
柳原さんは10歳の長男と8歳の長女を抱えて、第3子の出産となる。上の2子は同病院の産婦人科医にかかったが、助産科での出産は初めて。「1人で本土に渡って産むのは精神的につらいし、島に残す子どものことも心配。島で産めることは本当に助かります」と安堵(あんど)の笑顔を見せた。
同病院の助産科では現在、出産経験があり正常なお産が見込まれる妊婦に限って、助産師の介助で出産を扱っている。4月から11月末までに27人の赤ちゃんが生まれた。
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隠岐諸島は松江市から約70キロ離れた日本海に浮かぶ島群で、島前(人口約7000人)と島後(同約1万7000人)からなる。隠岐病院は島後唯一の総合病院だ。
かつて同病院の常勤産婦人科医は、島根大医学部が派遣していた。だが医師不足から04年9月に派遣をやめた。その後は県立中央病院(出雲市)が引き継ぐが、同じく医師不足を理由に昨年3月で派遣を停止した。島でのお産はできなくなり、通院していた約60人の妊婦は、フェリーで約2時間半かかる本土に渡った。予定日の1カ月前から松江市のホテルやアパートなどに滞在し、全員、無事出産したものの、経済的・精神的な負担を強いられた。
この「お産危機」が、助産科創設のきっかけとなった。「隠岐のお産の灯は消したくない」。産婦人科医の業務軽減と分娩継続を目指し、隠岐病院の助産師5人が院内助産科設立を決意。県外の院内助産科の見学や検診などの研修を積んだ。
昨年11月には県立中央病院が医師の派遣を再開し、隠岐病院は産婦人科医2人体制で分娩を再開した。4月には1人体制に戻り、再び医師による分娩はできなくなったが、同時に助産科を開設して、お産の灯だけはともり続けている。
「私たち助産師は医師に頼りすぎていた。医師不在の危機に直面して初めて、自分たちの役割を考えました」と、常角しのぶ助産科師長(50)は振り返る。
助産科で扱うお産は、これまでの同病院での年間分娩数約120件の3分の1程度。それでも、院内助産科の取り組みは地域のお産を維持する一つのモデルとして注目を集めている。
しかし、同じ隠岐でも島前の3町村は「子どもが産めない島」のままだ。
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今年5月のある夜、荒れ狂う日本海を切迫早産の妊婦を乗せた警備艇が島前・西ノ島町から隠岐病院に急いだ。陣痛に苦しむ妊婦のそばには、隠岐島前病院(西ノ島町)の看護師、家中ふみ代さん(47)が寄り添う。激しくうねる波の中、必死で処置しながら島後についたのは約40分後だった。「先生、そろそろ産まれそう!」。港で待ち受けていた産婦人科医に妊婦を引き継いだ約2時間後、元気な赤ちゃんが産声をあげた。
島前には常勤産婦人科医がおらず、診療も隠岐島前病院で月2回だけだ。お産は年間30~40件で、妊婦の本土出産が定着している。だが本土に渡るまでに破水などが起きれば、県の防災ヘリコプターや船で産婦人科医の待機する病院まで救急搬送が必要となる。
ここで妊婦を支えるのは、病院でただ一人の助産師でもある家中さんだ。医師の不在時に異常があれば対応できるよう、常に島の全妊婦の状態の把握に努めている。「島の妊婦は不安。せめて産前産後の支援が十分に受けられるよう、あと1人助産師がほしい……」と訴える。
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昼夜を問わない過酷な勤務や医療訴訟の多発で、産婦人科医は全国的に不足する。しわ寄せを直接受けるのは隠岐のような離島や中山間地だが、影響は基幹病院にも及ぶ。島根県内で唯一、総合周産期母子医療センターの指定を受ける県立中央病院も、来年1月から出産予約の制限を始める。
隠岐病院は今年9月、お産の方向性について住民の意見を聞こうと同町の女性約1800人を対象に初めてアンケートを実施。回答した約700人のうち7割が「現在の体制に不満」「隠岐で産みたい」と答えた。常角助産科師長は「住民の希望を知り、できることを考えたい」と説明し、結果を受け、助産科での分娩を広げる体制の検討を始めた。
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産婦人科医を派遣に頼る隠岐では、これまで医師不在の危機に直面するたび確保を巡って紛糾した。だがいったん派遣が決まると議論をやめてしまい、抜本的な解決策には至らない。一方で現場では、住民の期待に応えようと手探りが続く。これが、隠岐を訪れるたびに抱く私の印象だ。「島で産みたい」との妊婦の思いはもっともだろう。しかし、本土の基幹病院ですら医師不足の現状もある。行政、医療、住民が現状について共通認識を持ち、具体的な方向性を見いだす議論を重ねるべきだと思う。
毎日新聞 2007年12月12日 大阪朝刊