2.28事件中心人物 謝雪紅写真集(台湾)
編集 徐宗懋
出版 時英出版社 台北市新生南路3段88号3階の1
TEL (02)23637348、(02)23634803
出版年 2004年2月
価格 新台湾元 250元
編者紹介 徐宗懋
1958年生まれ、福建省古田県人
輔仁大学スペイン語学科卒業
中廣会社、中国時報歴任
1980年代に続々と「台湾人論」「実際的なものを重んじる台湾人」
「時代の転換点」などの作品を出版し始める。
1995年、歴史写真の整理編集を開始、今までに多くの歴史写真
作品を出版している。
はじめに
2004年手記
謝雪紅はその名のとおり、冬の雪の冷たさもあり、春の野山の明るさもある台湾
百年の激動の歴史の中で、一人の貧しい家庭の女性の人生であり、そのために
今日の台湾人が振り返って彼女を見るとき、多くのロマンチックな想像をさせ、
あるときには一個の時代に反抗することを忘れ多くの苦しみを飲み込まざるを
えなかった。
2004年「2・28」の前夜、筆者は北京の八宝山革命家陵墓に来て、謝雪紅の
位牌に敬虔な気持ちで祈りを捧げた。何の疑いもなく、謝雪紅は一人の革命家
であった。彼女は強烈な手段によってあの時代のすべての不合理な規範を打ち
破った。筆者はもともと革命的精神は欠如しており、あるときには「反革命」に
相当することもある。しかし筆者は完璧な精神を追究することを好む。なぜなら
このような精神は人を有意義に、価値を持って生きるようにさせるからである。
これが筆者がこの本を編集した最大の動機である。歴史的写真の収集家なら
びに愛好家として、この謝雪紅の貴重な写真集は世間にでて人びとをこのうえ
なく興奮させるであろう。なぜならこれは1949年以降の謝雪紅の中国大陸での
仕事と生活の様子が現われており、我々にこの歴史に対してさらに完璧な、さら
に明晰な理解を与えるからである。最も重要なのはこれは謝雪紅に本来の姿を
回復させ、真実の歴史の中の謝雪紅と小説の中での謝雪紅との明白な違いを
はっきりさせるからである。台盟中央が提供してくれたこのきわめて貴重な写真
資料によってこの写真集が編集できたことを感謝したいと思います。筆者は元の
資料の特色を保持するように努め、多くの注釈は避けた。史学界が直接引用で
きるように、また一般の人々が空虚な先入観に陥るのを避けて、直接もとの姿の
謝雪紅に接することができるように。
写真目録
謝雪紅と毛沢東
台湾人最高政治代表
謝雪紅の任命書
第1回全国政治協商会議
少数民族の代表田富達
謝雪紅と朱徳
上海での台盟(台湾民主自治同盟)
「2・28」四周年
「2・28」三周年
謝雪紅と楊克煌
建国初期の台盟
無産階級革命戦士
仕事中の謝雪紅
台湾民主自治同盟の計画(1947)
台盟の雑誌「前鋒」「自治と正統」「明日の台湾」「新台湾」「台湾人民の出口」
北京での座談会(1959)
謝雪紅と陳嘉庚
大晦日の宴会
毛沢東、台盟と会見
国際婦人大会(1956)
文章
台湾民主自治同盟準備会第1回会員代表会告知 1947.11.12
台湾民主自治同盟綱領草案 1947.11
台湾民主自治同盟規定草案 1947.11
台湾民主自治同盟準備会時局スローガン 1947.11.12
台湾民主自治同盟を擁護する中国共産党の台湾同胞への呼びかけ 1948.5.7
台湾民主自治同盟を擁護する毛沢東の8つの主張の声明 1949.1.17
台湾自治同盟首席代表謝雪紅の第1回政治協商会議での発言 1949.9.23
謝雪紅の魂、八宝山に眠る
付録1:台湾民主自治同盟の年表 1947.6ー1970.6
付録2.周青暢、謝雪紅を語る
かなり以前から、謝雪紅は台湾人の心の中で伝説的な人物であった。不屈不撓の堅い
意志を持ち、あの時代の台湾人の精神的な象徴であった。そして謝雪紅に関する資料
が長いこと非公開であったため、神秘的なベールに包まれ、各種の政治的な想像もされ
この中国共産党の革命リーダーは台湾独立を主張する学者からは「台湾の独立を主張
していた」と描かれた。この歴史を明らかにして、謝雪紅の真実の姿をつかむため、
筆者は謝雪紅の長年の親友である周青を訪問し彼が謝雪紅を認識し、彼女と肩を並べて
作戦を行なった過程を聞いた。周青、本名は周伝枝、1920年台北市に生まれ、日本の
植民地時代には労働運動に参加し、「2・28」事件では「中外日報」の新聞記者をしていた。
そして呉克泰とともに「2・28」に関する報道文を書き、後に台湾を逃れ、上海で中国共産
党に入党した。1948年初め、周青は台湾に帰り、地下活動に従事するもほどなく上海に
逃げて大陸では長期にわたって文化活動に従事した。
問: あなたは最も最初に謝雪紅を認識したのはいつですか?
答: およそ1930年から1931年の頃だったと思います。そこは日本植民地時代の幸町
七間子で今の台北市の済南路の一帯です。私の住んでいた部屋の隣に突然、7、8
人の若者がやってきて、一部屋を借りました。男もいれば女もいました。2枚のござを
ひきました。
問: その後どのように謝雪紅と連絡を取りましたか?
答:
問: 台湾共産党は中国共産党と組織的関係はありましたか?
答:
問: あなたが謝雪紅を知ってから、彼女はどんな人だと思いましたか?
答:
問: 史料によると、台湾は光復後、謝雪紅も「三民主義青年団」に参加したことがあるようですが
その背景は何ですか?
答:
問: 人民協会の政治目標は何でしたか?
答:
問: 「2・28」期間に処理委員会が提出した32条の精神と大体一致しますか?
答:
問: 台湾が光復後、中国共産党は延安から台湾籍の幹部蔡孝乾、張志忠を台湾に返し
組織を発展させようとしました。これは直接中国共産党に直接隷属する地下党組織と
もともとの台湾共産党とどんな関係がありましたか?
答:
問: 「2・28」事件が起こってから、蔡孝乾が統率する中国共産党台湾省工委と謝雪紅は
路線上の対立があったのですか?
答:
問: 「2・28」の期間、あなたは謝雪紅の活動に追随しましたか?
答:
問: 人民協会は武装闘争をする計画があったのですか?
答:
問: どうして陳儀は謝雪紅を「2・28」事件の首謀犯にしたのですか?
答:
問: その後、謝雪紅はどうして香港に行ったのですか?
答:
問: 歴史的事実に照らして言うと、謝雪紅が正式に中国共産党の党員になったのはいつ
ですか?
答:
問: 当時直接謝雪紅の行動を指導したのはどの組織部門でしたか?
答:
問: 台湾民主自治同盟は上述の趣旨で成立したのに、どうして分裂主義者の廖文毅と
協力する状況が生まれたのですか?
答:
問: 1949年以後、謝雪紅の大陸での政治活動はどうでしたか?
答:
問: どうして一部の台湾独立派の学者は文革の時期に謝雪紅が台湾の独立を主張した
から批判にさらされたというのですか?
答:
問: 謝雪紅の親友としてあなたは謝雪紅の歴史的地位をどのように評価しますか?
答:
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