年金記録漏れ問題の原因や責任の所在を検証してきた「年金記録問題検証委員会」が最終報告書をまとめた。
責任はだれにあったのか。検証委は名指しをしなかったが、歴代社会保険庁長官の責任が「もっとも重い」と断じた。のみならず、歴代厚相、厚生労働相も「責任は免れない」と指摘した。つまり、最高幹部による見て見ぬふり、監督の甘さがこの問題を引き起こす根っこにあったと言っている。
ただ、報告書は靴の上からかゆいところをかいた感じも否めない。責任の所在を一般的な役職名でとらえただけで、個人の責任まで言及しなかったからだ。
検証委は「歴代社保庁長官らの責任を追及する」と言い切った安倍晋三前首相の肝いりで設置された。座長の前検事総長はじめメンバーの検証作業は評価するにやぶさかでないが、責任者名を特定せず結果的に責任が不問に付されるのでは納得できかねる。
とはいえ、基礎年金番号が導入された1997年前後に社保庁長官の職にあった人らがとりわけ重大な責任を負っているのは、だれの目にも明らかだ。にもかかわらず、この人たちが公の場に出てきて、経緯を説明したり、責任を認めて謝罪したりしたことはこれまで一度もない。平身低頭のおわび会見は何も民間企業のトップの専売特許ではない。
社保庁は、不正に手を染めなかった現職職員にもボーナスの一部返納を求めたり、退職した幹部に相当額を国庫に返すよう要請した。真に責任を負うべき人たちが知らぬ存ぜぬで押し通すなら、舛添要一厚労相は国民がわかりやすいように行動を起こすべきだ。報告書は出しっ放し、聞きっ放しでは何の意味もない。
報告書は、記録漏れの発生要因を「使命感、責任感が厚労省、社保庁に決定的に欠如していた」と断定する。その底流には(1)厚労省からの出向幹部、社保庁採用職員、地方採用職員の3層構造が内部統制を欠いた(2)加入者が申し立てた時に修正すれば済むという制度上の不備が助長した(3)待遇改善にかたよった労組の運動がサボタージュを生んだ--と指摘する。いずれも、すでに言い尽くされてきたことばかりである。
肝心なのは、報告後の対応だ。社保庁は解体され、2010年に日本年金機構として生まれ変わる。厚労省は報告書の指摘を真摯(しんし)に受け止め、組織の再生に生かさなければならない。それなしに国民の年金不信をぬぐうことなどありえないと心得るべきだ。
また、報告書はだれのものかわからない5000万件の年金記録のサンプル調査で、入力ミスなどによって本来の持ち主にたどりつくのが難しい記録が約4割にのぼったことも明らかにした。やはり、という思いだ。安倍前首相も舛添厚労相も「来年3月までに照合作業を終える。最後の一人まで明らかにする」と公約した。揚げ足を取るつもりはないが、あれはその場しのぎだったか。政治家の公約の軽さを思わざるを得ない。
2007年12月9日