昭和20年(1945年)3月、沖縄慶良間列島、座間味島で強制集団死=「集団自決」が起こった。
その時、座間味島にいた日本軍の総司令官は、梅澤裕さんという人でもう直ぐ91歳になろうとする方だそうだ。げんざい大阪地方裁判所に、作家大江健三郎さんを訴えている人でもある。
【写真】世界日報
この人(写真右)は、
"自分は、住民の命を大切に考えていたので、集団自決の命令なんて出すわけがない"、と裁判で主張している。司令官=隊長でありながら住民の命を無視した、といわれることが、よっぽど腹に据えかねるのだろう。
梅沢さんはいう。
司令官である自分に自決するから弾薬をくださいと申し入れた村民に、ワタシは、バカなことをするな生き長らえよ、と諭したと。
だが、不思議なんだなあ?
そんなに住民思いの元司令官隊長さん。昭和32年33年(1958年)つまり12年13年後まで、「自決させてください」と申し入れた村人たちの、その後の消息を全く知らなかった、知らないだけならまだしも、確かめようともしなかったそうです。関心を持ったのは、自分が「その時の島の隊長だ」、と週刊誌が書きたてた昭和33年(1958年)からだったというのです。
この梅沢さんは昭和21年(1946年)に復員した後は、「斬り込み特攻」で命を捨てた部下たちの留守家族を尋ねたり、手紙で、隊長としての不甲斐なさを隊員遺族に詫びたりしている。
でありながら、島民が「集団自決」したことを13年間も全く知らなかった、というのだ。
しかも昭和55年(1980年)に島を訪ねたとき、座間味住民が自決した場所には見向きもせず、部下のことだけ尋ねたそうだ。
それがホントなら、
あなたは、ずいぶんと、自分勝手な隊長さんだった、んですねえ。
(追記)
1.戦死した部下の遺族を尋ねて、力及ばぬ上官であったことを詫びた人を「自分勝手」というのは怪しからん、という声を寄せてくれた方がいました。また、
2.帝国軍人たるもの民間人の生死を杞憂して作戦を疎かにすることはありえぬ。それを「自分勝手」というのは、平和というお花畑にいるものの台詞だ、というお叱りもいただきました。
・・・・2はなるほど、もっともだと思います。梅澤隊長はその時も、そして戦後も、帝国軍人としての面目が大事なので、作戦に従事した部下の死は放っては置けなかったけれど住民のことは眼中になかった、ということがよ~く理解できます。どこの戦友会でも皆さんの意識は同様です。(現代の消費者を見ない会社とか、国民を見ない官庁とか、同期の桜的仲間意識の共通性ですね)
しかし、そこで納得すると、梅澤さんの法廷内での「住民思いの供述」が余りにも迎合的な取ってつけたものになってしまい、お花畑どころか宙に浮いてしまいます。
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by ni0615
教科書が教えない歴史(1)恣…