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証言と犠牲者を冒涜する原告側トリミング(Yさん その2)

2007/11/25 12:36

 

(その1からのつづき)

二、三日してから、私達の壕の前を、だれかがしきりに往き来している様子が伺えたので「こんなに危険な状態なのに」と隙間から外をのぞいてみました。仲間とぱかり思っていたのに、いっのまにか米兵が上陸してきていたのです。

 

あんなに敵が歩き回っているのに、どこからか水谷少尉が入ってきました。私達の壕は米兵の上陸に備えて機関銃をとりつけていたため、水谷少尉は、

 

「相手が撃ってこない限り、こちらからは絶対に撃ってはいけないぞ」と命令を下しました。

 

ところが言い終わらぬうちに、中に残っていた兵隊さんたちが、さかんに壕の前を歩いている兵隊におびえて銃を発してしまいました。それからというもの多量の手りゅう弾が投げられ、入口ふきんでは、あっちこっち「ポコ」「ポコ」と破裂音が聞こえ中の方からは銃を発し、しぱらく撃ち合いが続きました。

 

そこで水谷少尉が、


「もうしかたないから玉砕しよう」と言いだしました。

 

私達女性群は、しばらくすみの方にちぢこまって「きょうまでの命か」と思いつつ戦闘の様子を伺っていましたが兵隊さんたちが玉砕しようというのを聞いて、

 

「私もお願いします。私も」と我れ先に、伏せている兵隊さんたちの上におおいかぶさる恰好でとぴついていきました。ケガした長谷川少尉は、傷が痛みだしたらしく、早く死んで、楽になりたいといった様子です。それを、

 

「がまんして下さ,い。兵隊さんたちだけ死ぬような事をしないで、私達も一緒に死なせて下さい」と女の人たちは頼みました。

 

「これだけ大ぜいいては、手りゅう弾一個では全員死ねないな」とどうして死んだらいいかうちあわせている所へ、米兵からガス弾が投げこまれてきたのです。急に白い煙がたちはじめたので、兵隊さんたちが、

 

「ガスだ、ガスだ」

 

と叫びました。すぐさま、むしろなどを持ってガスをあおぎたてながら兵隊さんの毛布を大急ぎでかぶりましたが、急に目が見えなくなり始め、のどがかわき、息苦しくなってきました。その時兵隊さんたちは、

 

「今のうちだ、自決しよう」

 

とあわてましたが、どういう心変りか、水谷少尉は今度は、

 

「自分が命令を下すまでは絶対に自決をしてはいけない」

 

といいました。水谷少尉は防毒マスクをかけていながらも非常に苦しそうです。

 

煙がしだいに薄れてから各自の生存を確認しあい、そして水谷少尉手持ちの酒があったので、それで少しずつのどをうるおしてやっと落ち着きをとりもどしました。ところが、最初は全員無事だと思っていましたが、後で気がついてみると奥の方にケガしてはいっていた人は死んでいました。

 

その晩、「場所を敵に知られた以上、早めにここを出なければいけない」ということになりました。一緒にいた突貫隊の兵隊さんから、

 

「三中隊に連絡をとるため自分たちはこれから出かけるが、お前たちはここを動いてはいけないぞ」

と命令を受けたので、私達だけ不安ながらも残っていなければなりません。まもなくすると大雨が降り出しました。

(その3につづく) 

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