(その2からのつづき)
敵が外にいる上に大雨に見舞われたため、小用をたすにもそれができなくなってしまったのです。がまんしようにもがまんもできずしかたがないので、各々、入口ですませることになりました。
しばらくしてのどがかわいたため、さき程小用をすませた後流れていったものが、溜まった水と一緒になって逆に流れてきたのも知らず、それを飲んでしまいました。何という味でしょう、それでもがまんできないので、いやな顔をしながらもみんな、お腹いっぱい飲んでいました。
その後、これまで私達だけが残されているとばかり思っていたものの、私達の話声を聞いたのか隣の穴から久しぶりに顔を会わせる友人がでてきたので、お互いびっくりするやら喜ぷやら、感激の対面をしました。それと同時に、仲間が増えた事で、心強くもなりました。
仲間が増えた事も手伝って、きょうこそ、私達も壕を出て行こうと準備をしている所ヘケガした朝鮮人※3がはいってきました。
「私達はこれから出て行こうと思っているのに、ここに何しに来たの」と腹だたしさも混じえて言うと、
「もうどこにも逃げることはできない。敵は完全に上陸してしまった」
と言うのです。そうしているうちに、兵隊さん達もみんな帰ってきました。やはり壕を出るのは無理なようです。しぱらくは動かないことにしました。ところが、壕に留まることに決まってから少し気持ちが落ち着いたせいか、みんな水を要求してきました。無理もありません。先程から水らしい水を飲んでいないのです。がまんできないという事で、梅干しの樽が空いていたので、将校が朝鮮人に水をくんでくるよう命令して、いやがっているにも拘らず反発することなく水をくんできました。水がくると、みんなは飛びつかんばかりに水を飲みはじめました。ところが、容器が梅干し樽なので、すっぱくてかないません。それでも、飲まないよりはましだ、とみんながまんして飲んでいました。腹いっぱい飲んで終わった所へ水谷少尉が、「もう、みんな腹いっぱい飲んだのだから」と残った水に手や顔を洗ってしまいました。その後、やはりすっばい水では水を飲んだ気がしないということで、手や顔を洗った後の水を、再ぴ飲む人もいました。
何時間かしてから、やっとその壕を出ることになり、手りゅう弾を一個ずっもらって自由行動をとることになりました。手りゅう弾一個あれば、五人家族は充分死ねるのです。
女の人達四、五人は高月山の方へ登っていきました。下の方を見下ろすと戦軍やジープが走りまわり、それに鉄帽をかぶった兵隊が行き通っている様子です。もう、いくさは勝ったので友軍はまっすぐ歩いているのだなと思いました。
ある程度楽観の気持ちで歩いていると、防衛隊として参加している村の青年達と会ったため、大和馬の整備中隊の壕へ行こうと相談しました。そして、
「手りゅう弾は男が持っている方がいいから自分たちによこしなさい。君たちは自分たちの後を追ってくれぱいい」
と言うので、それに従うことにしました。ところが、私達が歩き出そうとした時、上の方で語し声が聞こえるため、顔を出してみるとちょうど私達を撃つのに都合のいい場所に、米兵が銃剣をかまえて立っているのです。団体で行動すると感づかれる恐れがあるため、別行動をとろう、と相談した所、いつの間にか男の人たちは姿を消していました。それからというもの、心細くても弾の中を縫っていかなけれぱいけません。
途中、山が深くて避難に絶好の場所まではいりこんできたため、目的地の整備中隊の壕に行かずに、そこで一休みすることにしました。しばらくすると、番所の山から大ぜいの住民が下りて行くのが見えるため、何があったのだろうと、ふしぎに思っている所へ、今度は、阿佐道の方からたくさんの米兵が銃剣をかついでずらっとならんでおりてきました。そして、私達のいる方を向いてすわりこんでしまったのです。私達は、全く逃げる手段を失なってしまいました。しばらくは、沈黙の状態が続きました。
何時間か経過してから、彼らが移動を始めたため、私達もひき返すことにしました。
大急ぎで山道を歩いていると、三中隊の壕で一緒だった水谷少尉や、ケガした長谷川少尉らと会ったため、今までの状況を話すと、三中隊の壕へ全員、引き返すことになりました。暗い坂道をケガした兵隊をかついで夢中で登り、やっと壕にたどりつくことができました。あたりは真暗やみで入口が見えないため、マッチをつけてみると、せっかくやってきたにもかかわらず、入口は、開けられないようにしっかりと閉じられているのです。しようがないので、また引き返すことになりました。山を登って行く途中で、夜が明けてきたため、明かるくなってからは、自由に道を出歩くことはできません。敵に発見されるからです。
竹やぶをかきわけ、安全な場所を見つけて、昼中はそこに隠れていることにしました。
by ni0615
教科書が教えない歴史(1)恣…