(その3からのつづき)
あたりが暗くなりはじめた頃、月がでて、道をあかるく照らしてくれました。安全だから、と出かけようとした時、水谷少尉から、水をくんでくるよう言われましたが、不安なので、断わってしまいました。それからというもの、少尉はカンカンに怒り出し、別の人に言いつけてから、私に向かって、
「お前は、俺たちについてきてはいけないぞ」
と言うのです。そうは言われても、一人だけ置いてきぽりにされては心細いので、こっそり、うしろからついて行きました。ところが見られてしまったため、
「おまえは来てはいけないはずだ」
と日本刀をふりまわしてきました。私は、
「どうせ、いくさで死んでしまう身です」
と逆に反抗して行ったので、とうとうおどかすだけで、斬りつけてはきませんでした。
そのような事がありながらも、水谷少尉は、自分の手元にある食糧を、兵隊や私たちに同じように分けてくれ、
「食糧はもう心配ないだろう。さて、どこへ行こう」
と、案内してくれるよう言われました。ところが、みんな、自分の家族の壕一帯だと、地理的にも詳しいが、その他の所となると、全く皆無の状態です。さっぱり見当がつかないので、全員、自由行動をとることになりました。その頃からは、みんな疲れが出たということで木かげにすわったまま、だれも立てません。しばらく休んでいると、いつの間にか仲間の一人がいなくなっていることに気がつきました。あわてて彼女の名前を呼んだり、あっちこち調べてみると、ゆうゆうと大和馬の方からやってくるのです。どうしたのかたずねてみると、一人で大和馬の整備中隊の壕に行こうとした所、水の豊富な場所を見つけたので一人で飲んではもったいないと思い、私達をよびに来たとの事。さっそく、その場所に向かうことにしました。なるほど、着いてみると、水は豊富な上、山が深いため、敵に発見されることはありません。みんな思うぞんぶんに水を飲んでそこで一夜を明かすことにしました。ところが、やっと水が飲めたと安心しているところへ、ケガした長谷川少尉が破傷風になったらしく、
「何か首すじが変だ、、どうしたんだろう」
とくり返し言っています。少しずつ水を飲ませてやると、あの大の男が水を飲み込むのにもがきにもがいてからしか、飲み込めません。彼は自分の持っている日本刀でさし殺してくれるよう頼んでいましたが、生きのびられるだけは生きてくれるよう、私達は逆にお願いしました。しかし、あまりにも苦しそうなので、一緒にいた兵隊さん達も最初は断わり続けていたのに、見ておれなくなったのかどうせ死ぬものだから、と念願をかなえてやることにしました。
残されたわずかの時間を同僚たちとあれこれ話しをしてから最後に、
「私が死んだ後、上から何も見えないように土をかぶせてくれ。そしてあなた方は私の死ぬ姿を見ないように上の方に行っていなさい」と言葉を遺しました。私達は言われた通り彼の見えない場所に行き、銃声が聞こえた後、戻ってきました。長谷川少尉はすでに事切れていました。その後、遺言どおり、土をかぷせてから、銃声がした以上、そこに留まるのは危険だとして移動することになりました。そろって歩き出した頃、みんなまともに食事らしい食事もとってないので、少しでもつまずくとすぐひっくり返ってしまう状態になっていました。
月夜の道を、夜通しすべってころんでははい上がりとくり返しながらガケを登っていくと、稲崎山の中腹までやってきました。つまり、島の裏側に着いたわけです。海岸は軍艦がぎっしりと埋めつくしていました。これまでの疲れが一度におおいかぷさってきたせいか目もあけてはおれません。みんなも黙りこくっています。
いつの闇に寝てしまったのか目をさますと、またまた先程の女の人がいません。どこへ行ったのだろうとみんなでさがしていると、夕方になってから戻ってきました。話を聞いてみると、山のふもとを二、三人影が往き采していたため、伺事だろうと、一人でさっさとおりていったという事です。彼女の話では、こんなに逃げ回って歩いているのは私達だけで、民間人は大ぜい一か所に避難しているということでした。なるほど山の上からみると住民が壕の中を出入りしている姿が伺えます。一週間近くだれにも会うことがなかったため、住民はみんな死んでしまって、自分たちだけが生き残っているとばかり思っていたものが、こんなに大ぜい生きているとは、夢みたいな感じもします。そこでは、だれそれは捕虜になったとか、だれは玉砕したとか、あらゆる情報が聞かれたとの事でした。私達も仲間に入れてもらって山をおりて行くと、やはり顔見知りの人たちが大ぜいいます。その時から私達は住民と共に生活することになりました。
みんなは夜になると芋を人の畑からこっそりとってきたり、なべがないため、ちょっと大きめのゆがんだ空罐をさがしてきて、それ一つで、芋を洗って炊いたり、水をくんできて飲んだり、野菜を洗ったりしました。
芋がやや炊けたと思った頃、大急ぎでつぶしますが、だれか来る気配がすると、それをやめ、火が残っているかまには水をかけて急いで消し、煙をかくそうと、一生懸命あおぎたてたりしました。
そのような生活が二日も続いた頃、敵にぱれそうになったため、阿佐部落の裏海岸へ行くことになりました。食糧がないため、何か流れてくるのをさがしながら行こうと海岸ぞいを歩いていると、いつの間にか部落民の避難しているユヒナの壕へたどりつきました。
そこでは、この壕にいただれだれは出ていってしまったと話をしていましたが、そう言いながらも、やはり自分たち自身、食糧もないし、島全体は軍艦に囲まれているし、先が見えて不安になったのでしょう。だれからともなく、自分たちも出て行こうという話がもち上がりました。私達もこれ以上抵抗しても……、と、やはり決心を固めました。みんなが支度している所へ、まるでうちあわせていたかのようにタイミングよく大発※4がやってきて、私達を座間味都落の方へ連れていったのでした。
証言 おわり(沖縄県史10巻には、証言者のフルネームが記載されています)
by ni0615
教科書が教えない歴史(1)恣…