<< 2007年11月
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

『文部省へ突撃せよ!』;検定政治介入命令書 "あho-1号" (その4)

2007/11/29 00:24

 

『文部省へ突撃せよ!』;検定政治介入命令書 "あho-1号" (その3) 
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/404444/のつづきです。

(その1)~(その3)では、藤岡信勝センセが、林博史さんをクソミソにいう立場に無いことを論証しました。ここでは、林博史さんをクソミソにいっている藤岡センセの中味が、全くの出たら目であることを論証します。


ハイ、藤岡センセはこんなことをいってます。

 


いいわけのオン・パレードである。では、その「軍による強制・誘導」とは何か。林氏は、次の四つの内容を挙げている。 

(1)捕虜になるのは恥だから自決せよと教育されていた。 
(2)米軍につかまれば、男は戦車で轢き殺され、女は辱めを受けたうえでひどい殺され方をすると、米軍に対する恐怖を日本軍が煽っていた。 
(3)捕虜になるのは裏切り者で、殺されて当然だという考え方を植え付けられていた。(4)軍が玉砕する時は住民も一緒に死ぬという「軍官民共生共死」の意識がたたき込まれていた。 

だが、これらは沖縄に限ったことではない。戦争末期には、多かれ少なかれ日本中がこういう意識を共有していた。だから、米軍が侵攻してくるという、沖縄と同じ条件が現出すれば、似たようなことが本土でも起こった可能性がある。 

え~? 藤岡センセ?
似たようなことが本土でも起こったとして、それはめでたいことなんですか? 
そっと手榴弾を渡された女性や老人は「死ね」と言い渡されたってことでしょう。

わいの慈悲じゃあ、満足セイ!
そんなふうに藤岡センセはおっしゃるのですか。『命令』じゃあないとイイワケしながら。


ハイつぎ、藤岡センセはこんなこともいってます。

 


林氏は、アメリカの公文書館で、沖縄を占領した米軍の歩兵第七十七師団砲兵隊による「慶良間列島作戦報告」という史料を発見した。 
この報告書は、一九四五年四月三日付けで、米軍上陸一週間後の日付である。その中に慶留間(げるま)島の住民への尋問で「三月二十一日に、日本兵が慶留間の住民に対して山中に隠れ、米軍が上陸してきた時には自決せよと命じたと繰り返し語っている」と記述されているという。 

Civilians,-when-interrogated,-repeated-that-Japanese-soldiers,-on-21 
March,-had-told-the-civilian-population-of-Geruma-to-hide-in-the-hills-and 
commit-suicide-when-the-Americans-landed. 

これって翻訳すると、
『日本兵(複数)は、慶留間の住民に、米軍が上陸したら山に隠れるかさもなくば自決せいと言っていた。』でしょ。

『命令』というのは怪しからん! を藤岡センセはわめいていますが・・・・
そうすると、藤岡センセにいわせれば、
防衛事務次官が「ありゃ随意契約にせい」と『語』っても命令ではないから責任を負わなくてもいい、ということになっちゃうわけですね。それを勝手に命令とうけとって処理した課長補佐が、きっと、"命令でもないのにやってしまった罪" を一人で背負い込むんだよ、きっと。藤岡ワールドでは。

 
ハイさらに、藤岡センセはこんなことをいってます。

  米軍文書に書かれた複数形の「日本兵」が本当に日本軍の正規の兵士であるかどうかも、ははなはだ疑わしい。というのは、慶良間諸島には当時、陸軍海上挺進隊という正規の部隊が駐留していたほかに、防衛隊という名の、地元住民からなる義勇兵が存在したからだ。 
慶良間諸島には、すげぇアヤス~イ兵隊がいたんだってさ。最高指揮官である戦隊長のいうことを聞かない。手榴弾は盗んじまう。

へ~、造反部隊かな? 

もしかして何かね、住民は造反部隊だからスパイ容疑で惨殺したってか?

 

実際の日本軍はこう。

敵に囲まれた地域(=合囲地境)では、駐屯部隊司令官が軍・民全体の指揮権を握る。きちんと軍法(戒厳令)にかいてあるのだよ。

 

『軍制学教程』〔昭和17年改訂版・陸軍士官学校の教科書〕第2篇第9章第6節「戒厳」は、戒厳令を説明したうえで、「戦時ニ際シ兵営、官衙、要塞、海軍港、鎮守府、海軍造船所等遽カニ合囲若クハ攻撃ヲ受クル時ハ其ノ地ノ司令官臨時戒厳ヲ宣言スルコトヲ得又戦略上臨機ノ処分ヲ要スル時ハ出征軍ノ司令官之ヲ宣スルヲ得」との説明がある。 

だから、全ての人間は部隊長の指揮下にあるっちゅうの。そうでなければ、指揮官の職務怠慢。


ハイハイさらにさらに、藤岡センセはこんなことをいってます。

 

結局、米軍が来襲した時、慶良間諸島には次の三種類の人々がいたことになる。 
①日本陸軍海上挺進隊 
②防衛隊 
③一般住民 

ちがいます、よ~う。慶良間諸島にいたのは、

①日本陸軍海上挺進隊
②日本陸軍基地整備隊(①の約2~3倍)
③防衛隊員
④朝鮮人軍夫
⑤朝鮮人従軍慰安婦
⑥一般住民 
です。

 

藤岡センセ、朝鮮人従軍慰安婦がいたことは、梅澤隊長さんにきけば教えてもらえますから。怪我をした彼は、朝鮮人従軍慰安婦に看病してもらって、従軍慰安婦は命の恩人だったはずですから。

 

 

それに、住民証言のオリジナルを読めば、「○○中尉さんに玉砕せよと言われた」とか「xx軍曹から手榴弾を渡された」とかあるんだよねぇ。防衛隊員には、軍曹さんも中尉さんもいないもんねえ。


藤岡センセったら、
やったらめったら、出たら目ばかりジャン!!

カテゴリ: コラむ    フォルダ: 沖縄戦   このエントリをイザ!ブックマークに追加 (0 user)

コメント(0)  |  トラックバック(0)

 
 
このブログエントリのトラックバック用URL:

http://ni0615.iza.ne.jp/blog/trackback/406725

トラックバック(0)