▼当時の朝鮮半島では、人身売買による性売買が横行していた!
1933年6月30日「東亜日報」より
「路上で少女略取。醜業中国時に売り渡し」
金神通を売った男女検挙~判明した誘拐魔の手段
記事では、金神通という少女を誘拐した朴命同(仮名)が6月18日に鐘路署の警察官に逮捕されたことが記載されています。朴命同は誘拐し、中国人に売ろうとしていた模様。誘拐の常習犯だったとも記載されています。1933年代には、中国に向けて人身売買があったことが分かります。
仮名ですが、名前からして朝鮮^人による犯行ですね。
1933年5月5日「東亜日報」より
「民籍を偽造、醜業を強制」 悪魔のような遊郭業者の所業~犯人逮捕へ
「市内に住む
呉*換は、漢南楼という商号で娼妓していたが、
朴*南という16歳の少女を350円で買い、年齢不足で娼妓が出来ないため、 兄弟の戸籍を使って営業許可を得ようとしていたことが発覚。前記のような方法で多数の幼い少女を使っていた・・・(一部略)」
ここでも「悪魔のような朝鮮~人業者」の話題が出ていますね。年齢不足を戸籍偽造で売春させるとは酷い業者です。これは都市部の話ですが、田舎になるとさらに酷い状況になっていたみたいです。
1936年3月15日「東亜日報」より
「春窮を弄ぶ悪魔!農村に人肉商跳梁」就職を餌に処女を誘い出し~烏山でも一名が被捉。
「就職斡旋」をネタにした悪徳業者の実態がよく分かる記事です。
1938年12月4日「東亜日報」より
「良家処女を誘引し、満州へ売却騙財」 ~釜山署、犯人逮捕
「群山の紹介業者、
田斗*(38歳)は、去る11月15日、釜山に住む
下*テイコ(19歳)と同じ市内の
菅*静香(17歳)を満州で就職を世話してやると甘言を用い、さらに遊郭に売るという委任状を偽造しようとし、群山につれていこうとしている時に召還、現在取調中・・・」とある(一部略)
当時の朝鮮^人の悪徳業者には、日本人まで食い物にしてたようです。
1939年8月31日「東亜日報」より
「悪徳紹介業者が跋扈(ばっこ)。農村婦女子を誘拐。被害女性が100名を突破する」~釜山の刑事。奉天へ急行
※跋扈(ばっこ)・・・わがもの顔に振る舞うこと。のさばりはびこること。「悪徳業者が跋扈する」
「朝鮮^人悪徳業者」と「それを懸命に取り締まる警察」の姿を書いた記事。
被害女性100名は凄いですね。
まあ、これは日本統治下での警察の史料ですが、史料には、
「申某某さんは、家庭が貧困なので、父母の意思に従って、1938年3月にソウルの西大門町2-121番地の"徐(Sou)某某氏"の仲介で、中国南京市の慰安所の慰安婦となって、1939年8月中旬に韓国に戻った。」
とあります。
韓国人が思う強制慰安婦像とは大分違うようです。
1939年8月5日「東亜日報」より
誘拐犯の顔写真入りの記事。
「処女貿易」とありますね。
1934年の4月14日「東亜日報」より
災害地で「仕事を紹介してやる」と甘言を用いて遊郭に騙し売ろうとした
1932年3月23日「東亜日報」より
33歳の朴容疑者は巡査出身で、遊郭の業者と共に恐喝を常習的に用いて誘拐していた
巡査出身の朝鮮^人誘拐魔が検挙された、との報道です。
1934年7月16日「東亜日報」より
「売られた養女 涙の訴え~11歳少女売春強要」
「7月17日に市内本町署保安係(?)に泣きながら保護を懇願する事件があった。宋相奉(11歳)は・・・養父という者がハンドン里の金弘植に250ウォンを受け、(宋嬢を)売ってしまった・・・・」
11歳!!・・って絶句。
1939年5月27日「東亜日報」より
人身売買防止の為、中国人が養女を取ること禁止した、という記事です。当時の警察は、人身売買を防ごうと対策に乗り出してたんですね。
1939年3月9日「東亜日報」より
河允明事件を受けて遊郭業者が娼妓を地方に転売していったことを報じる記事。
18歳の趙鶴南という少女が「山東省の畓鏡慰安所」に転売された、と報じています。
1939年5月「朝光」より
「満州に売られていった3処女」という見出し入り写真で誘拐事件を解説。
1939年5月「朝光」より
「処女の泣呼」、「色魔誘拐魔河允明」という見出しです。
(左・中)1939年3月15日 東亜日報より / (右)1939年3月15日 東亜日報より
(左側の記事)
「河允明誘拐事件波紋拡大」、「悪辣な遊郭業者」、「警察の救出を念慮」、「続々と外国に転売」といった見出しに続き「人事紹介所に検察のメス!」、「特別調査隊編成内探」
(真ん中の記事)
「誘拐した百余の処女」、「貞操を強制蹂躙」、「河允明余罪は続出」
これは当時、かなり注目を浴びたニュースだったようです。
秦郁彦著「慰安婦と戦場の性」(1999年 2刷)の54ページに、
「1939年3月5日付の「毎日新報(ママ)」(京城発行のハングル新聞)によると、逮捕された河允明は、妻と共に32年から各地の農村を歩き回り「生活難であえぐ貧しい農夫達」に良い仕事があるとだまして、約150人を満州や中国本土などに700円から1000円で売ったという。ついでに河から50余人を買った京城の遊郭業者を警察が呼び出すと、それを察知して彼女達を牡丹江や山東省に転売したことも判明する・・・・」
この記事は、その東亜日報の記事だそうです。
(右側の記事)
東亜日報では、3月29日に「誘引魔の跋扈」というタイトルで、この事件の社説を掲載してたようです。
▲こういう悪い人達(悪徳業者)に対し、日本は対処を施します。
▼慰安所を開設を許可制にし、慰安婦の公募制を実施します。
これはその広告。
1939年11月17日 「毎日新報」より
私設紹介所も許可制, 職業紹介所の国営へ移管, 同時に実施。
1939年12月3日 「毎日新報」より
人事紹介業を明朗に, 産業戦線女性を保護, 職業紹介令, 今月の中に発布。
時代が少し進み、各地での戦争が激化し、
〈1〉占領地の女性の強姦など将兵の性犯罪を防ぐ 〈2〉検診を受けていない現地の売春婦と接することで軍隊内に性病が広がることを防ぐ 〈3〉将兵の接する女性を限定し、軍事上の秘密が漏れることを防ぐ などの観点から、
日本軍は慰安所の必要性に迫られます。
▼そして、許可を受けたであろう私設紹介業者が新聞広告を出し、慰安婦を募集します。
「慰安婦大募集」
(左側)
『軍』慰安婦急募 1944年7月26日字「京城日報」
1.行先 ○○部隊慰安所
1.応募資格 年齢18歳以上30歳以内身体強健女性
1.募集期日 10月27日より11月8日
1.契約及待遇 本人面接後即時決定
1.募集人員 数十名
1.希望者 左記場所に至急問議の事
京城府鍾路区○園町195 朝鮮旅館内
光○2645 (許氏)
(右側)
慰安婦至急大募集 1944年10月27日字「毎日新報」
年齢 17歳以上23歳まで
勤め先 後方○○隊慰安部
月収 300円以上(前借3000円まで可) ちなみに、左の業者の名前を見ると、「許」とありますから、こちらの業者は朝鮮^人ですね。
▼しかし、かなり高給だったため、悪徳業者が横行していたので、日本は通知書を出します。
副官より北支方面軍 及 中支派遣軍参謀長宛通牒案
「悪徳業者を取り締まれ!」
しかし、1945年日本は敗戦してしまいます。
・・・これが、慰安婦の経緯でした。
ところが今度は、
▼米軍の強姦から米軍(連合軍)の慰安婦制が始まります。
1947年1月11日「東亜日報」より
列車の中での米軍兵士の韓国人への陵辱事件
朝鮮戦争が始まる前から、米軍は飛ばしていますね。
1954年11月11日「東亜日報」より
米軍兵3人が未成年(19歳)の女性を輪姦事件
1957年7月21日「東亜日報」より
米軍相手の慰安婦だった2人の女性が、自らの身を悲観して自殺した記事。
堂々と「美軍慰安婦」とありますね。
何故、こちらの慰安婦問題は問題にならないでしょうか?
1957年5月1日「東亜日報」より
米軍の黒人兵による慰安婦殺害(疑惑)が出ています。
1961年9月14日「東亜日報」より
国連軍を相手にする慰安婦の登録を「ソウル市役所」が実施するとの報道。
米軍による強姦事件が、上の記事のように氾濫してたんでしょうね。
日本と同じく登録慰安所を作ったことがわかります。
▲こちらについては、韓国はアメリカに対し全く抗議しないどころか、「慰安婦法案」などで媚びる始末!
新聞記事から歴史を紐解きましょうね、
朝鮮^人の皆さん。