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JAPAN 「信念の倫理」抜粋(すさまじく長文)   |  伝統
No.81051    投稿者: dameman_kuga    作成日:2007-12-09 02:09:39 閲覧数:814    推薦ポイント:14 / 0
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19世紀の英国の哲学者、ウィリアム・キングドン・クリフォードの論文です。
一部抜粋してご紹介したいと思います。(長文です。意訳・修正あり)


クリフォードはまず、ひとりの船主を例に出します。
この船主の持ち船は移民船で、満員の乗客と乗員を乗せ、いままさに出港しようとしています。
しかし、船主には気がかりなことがありました。
彼は、自分の船の老朽化が進み、状態が悪く、加えてもともと造りがよくないことを心配していたのです。
はたして、この船はもう一度、無事に航海をつとめることができるのだろうか?
しかし、いまさら船を改装するには時間も資金も足りません。
船主はなんとか自分を納得させます。いままでだって無事に航海をしてきたのだ、今度だってきっと上手くいくさ。船員たちは皆優秀だし、船大工だって立派に自分たちの仕事をこなしてくれたはずだ。彼らを疑うようなまねはよそう。自分の船を信じてやろうじゃないか...

そして、船は出港し、乗客乗員もろとも大海原に沈みました。

この船主は罪をまぬがれることはできない、とクリフォードは言います。
「船主は、自分の船の安全を、誠意をもって信じていた。しかし、そのような誠意はなんら罪を軽くするものではない。その確信は、忍耐強い調査によって得られたものではなく、疑念を押し殺すことによって、意図的に自分に思い込ませたものなのだから、責任を問われなければならない」

次にクリフォードは、話の結末をちょっと変えて語ります。
船が運よく、無事に目的地に到着し、乗員乗客すべてのひとが命を失わなかったとしたら、この場合はどうなるのでしょう。
船主は罪を負わずにすむのでしょうか?

「そんなことはない。発覚していないだけで、船主が無実になったわけではない」というのがクリフォードの結論です。
「問題は、結果として正しかったかどうかではない。何を信じたかでもない。なぜ信じたのか、どのような過程を経て信じるに至ったか、目の前にある証拠を信じる権利があったかどうかである



クリフォードはもうひとつ、例をあげています。
むかし、ある町に、とある宗教組織がありました。
あるとき、町のひとたちのあいだに、「あの宗教は、非合法な活動をしている」「若者を拉致監禁して、無理矢理信者にしている」などという噂がひろまりはじめます。
噂を聞きつけ、義憤にかられた市民の団体が、その宗教組織を糾弾するキャンペーンを開きました。
市民団体は、さまざまな場所でその宗教を告発し、批判し、関係者をきびしく非難しました。
騒ぎが大きくなったので、町は専門家による委員会を組織して、調査を開始しました。
ところが、委員会による調査の結果、その宗教組織はまったく無罪であることがわかったのです。
市民団体は、噂をうのみにし、ちょっと調べれば用意に入手できたはずの無罪の証拠を見ようとせず、まともな証拠もないまま告発していたのです。
この市民団体が、信用を大きく失墜させたことはいうまでもありません。へたをすると所属メンバー各人の人間性さえ疑われたかもしれません。

この市民団体もまた、自分たちの告発を誠意を持って信じていました。
しかし、そのことはなんの免罪符にもなりません。
かれらの確信もまた、地道で堅実な調査のうえに成り立ったものではなく、偏見と感情から生まれたものだったからです。

ふたたび、話の結末をちょっと変えてみましょう。
さらに綿密に調査した結果、くだんの宗教組織は非合法活動をしており、罪があることがわかったとします。
これによって告発した市民団体への評価は変わるのでしょうか。かれらはヒーローとしてよみがえるのでしょうか?
これも「NO」だと、クリフォードは断言します。
「問題は、信じていたことが正しかったか間違っていたかではない。正しい根拠に基づいて信じたかどうかである」
「結局はおれたちが正しかったじゃないか、という意見にはなんの意味もない。自分たちが、目の前にある証拠を信じる権利もないのに思い込みを深めていたことを正当化するものではない」




このふたつの例をふまえて、クリフォードはつぎのように論じます。

「不十分な証拠にもとづいて信じることも、疑念を押し殺し調査を避けることで自分の信念を強めることも、どちらも間違いである。信念とは、長い経験と果てしない労苦によって立証され、さまざまな追求にも耐えうる堅固な真実に対して持つべきものである。証拠もなく追求もされていないものを、自分への慰めや個人的な快楽のために信じれば、その信念は神聖なものでなくなるばかりか、われわれを貶め、卑しめるものとなる」

「正しい信念を持っていると賞賛されるひとは、不適切な対象を信用して汚点を残したりしないよう、徹底的に用心を重ねて自分の信念を吟味し、その純粋さを守ろうと努力しつづけている」

「知の感覚には、力の感覚が伴うため、自分の知識が正しいと立証されたとき、人は高揚する。その知識が人類共通の財産であり、他者と共有できるものであると認識できるからである。しかし、不十分な証拠をもとに何かを信じたとしたら、その喜びは不当に得たものであり、本来得られないはずの力の感覚を得ることで自分自身をだますことになる。そしてそれを周囲に共有させることは、疫病を伝染させるようなものである」

「不十分な証拠をもとに何かを信じたとしても、それだけではさしたる害にならない、という声もある。その何かはほんとうは真実かもしれないし、真偽があきらかになる機会は、未来永劫こないかもしれない。しかし不適切な理由で何かを信じるたびに、われわれは自己統御力を弱め、疑問を持つ力を弱め、公正かつ公平に証拠を吟味する能力を弱めている」

「自分の信念について常に注意を払っているひとは、他人が自分に話して聞かせる物事の真偽についても、常に相手に注意を求めるようになる。この義務は厳しいものだが、誰もが自分の心と相手の心の誠実さを尊重すれば、人は互いに真実を話す。しかし、もしわたしが真実に無頓着だったら、そして自分が信じたいから、そのほうが安心できて楽しいからという理由で物事を信じる人間だったら、周囲のひとはわたしの心の誠実さを尊重するはずがないではないか」

「軽々しく物事を信じる性質を持ちつづけ、不適切な理由によって信じることがあたりまえのようになると、これはさらに大きな悪を生むことになる。
”わたしが誰かから金を盗んでも、単に所有者が変わっただけで、何の害も無いかもしれない”
”相手は金を失ったことに気づかないかもしれないし、相手が悪いことに金を使うのを防げるかもしれない”
そのうちに周囲は虚偽と欺瞞の空気につつまれ、その中で生きていかなければならなくなる」

そして最後に、クリフォードはこう結びます。

「結論を言うと、不十分な証拠をもとに何かを信じることは、いつでもどこでも誰にとっても間違いである。子供のころに教わったことやその後に説かれたことを信じているひとが、それについて自分の心のなかにわき上がった疑念を払拭しつづけ、それについて疑問を呈することや本を読むことや論ずる人々の輪に加わることを意図的に避けて、それを揺るがしかねないような質問を不信心だとみなした場合、そのひとの人生は人類に対する長いひとつの罪となる」

いかがでしょうか?
わたしはこの文章を数年前にトム・デマルコ著「熊とワルツを」という本で知り、たいへん感銘を受けました。
最近読み直してみて、これは赤青問わずエンジョイ住人のみなさんに示唆する部分の多い文章だと思いましたので、書き写してみた次第です。

自分には「目の前の証拠を信じる権利」があるのか?
われわれが歴史を見つめる際、これはたいへん重い言葉だと思います。
もしも、わずかでも証拠が不十分だと感じたとき、そのときは迷わず出港を取りやめ、リスクを避けるのもひとつの手段です。
そうすれば少なくとも、冒頭の愚かな船主のように、船が沈んでから「なぜこうなったのだ」と嘆く事態だけは避けられるのですから。

たいへん長文になりました。お読みいただいたみなさまに感謝いたします。

IP xxx.14.xxx.71
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削除申告  
  tnaks4412 12-09 02:34  
  yujukinokimi !! 日本古代史の優秀性を証明したい気持ちは分かるが,どうするか yujukinokimiが泣き叫んでも日本古代史は韓国史の 一部であるゴッヌン変わらないです!! お前には無理.捏造能力も知識もないから. お前の 低知能と厚かましさと卑劣さを世界万方に知らせなさい.教授を 詐称する捏造人生 無職 yujukinokimiコルコルゴル............¥" 哀れ!!
  p9cm 12-09 03:34  
  青虫には無駄だったようです。
  rubyheye 12-09 04:31  
  個人的に目の前にある証拠を信じる権利がない,と言ったら, そんな権利がないのみならず, その証拠を無視する権利までもない, と言う考えです. 証拠が残って一つの事物自体が意味になるそういうものではなく, 人の腹中にドエムルリョズドロック残ってしまった以前の経験を証拠の有無で抑制して沈黙させて, どうすることができることではないです. ヒントを言わば最小限人間としてその人々を尊重する姿を見せること, それが解決策の手始めです. 痛みは理由のなく残るものではなくて, 人と人間に必ずどんな事物がなければ不可能な相互関係は健全ではないです. 証拠なしに何かを主張すると言ったら, それはまるで間違ったように見えられるが, 人々はその主張に対してどんな態度を持っていると思いますか? 何か一つでも直視して言う人を人で見ながら聞く態度ですか? それとも面倒だうえ侮辱でもしたい態度ですか?..
   → fogman8 12-09 10:37
      具体的な例に対して議論したいのならば、別のスレッドを立て、そちらで論じてください。ちなみに、「根拠も無く信じる事」「根拠の無い証拠を認める事」、それらは、それのもたらす結果に係らず「罪」である。と、このスレッドでは言われております。あなたはこの内容には同意できるのですか?
  rubyheye 12-09 04:43  
  また一つ. 誰かには証拠が見えて, またどんな誰かには証拠が見えないです. 事物をどんなに認識するのかによって, 事物自体に対する主観が変わると見られるが, また一つは事物をどんなに認識するのかによって, 初めからどんな事実自体は目に入って来ない時があります. 曖昧な状況でも判断の基準は実は明らかになるのが可能な時があるにも, 認識の方向によって試みないで無視するのが可能だというのです. 歴史の研究者がドエザヌンゴッではないです. ただ, 歴史を対するにおいて韓国人をどんなに対しているのかに対して, 私はあまり信頼が行かないです. それは政治ならでも, 教育面でも, 誰かの言葉を無視しなさいと教える構造でから証明されたと思います. いや, 誰かの言葉を無視するに値する状況を作りなさいと教える構造でから証明されたと思います...
  sannjyuurou 12-09 08:38  
  「自分の信念について常に注意を払う」←耳が痛いですね。
  sas_mi6 12-09 10:04
  私はここで「航海の中止」を議論してきたと思っています。「航海の中止」を決める「自分の船の状態」を誰も正確に把握している保証がない状態で判断する事が多い事が問題だと思います。悪い結果が起こった多数の航海を「中止」しなかった理由でさえ、「過去は裁けない」等と言って、「出港」の勇気を讃える人がいます。 
  kokeodoshi 12-09 10:12
  示唆に富んだ文章を紹介してくださったことに感謝。『軽々しく物事を信じる性質を持ちつづけ、不適切な理由によって信じることがあたりまえのようになると、これはさらに大きな悪を生むことになる。』 →東アジアの大衆レベルでまさにこの兆候が見られることを憂慮します。
  sas_mi6 12-09 10:23
  「信念」が問題だと思います。例えば、「信念」が「間違った軍人らしさ」であった場合、合理的な不安要因を無視することが「軍人らしさ」として正しくなります。 人は 「偏見や感情を廃した地道で堅実な調査」が実施できるのでしょうか。
   → dameman_kuga 12-09 13:30
      (´_`)「個人の信念であっても、他者による倫理的な判断は免れえない」というのが、この論文の眼目です。歴史認識についてもそうですし、スレ立ての際の心得としても、マスコミの氾濫する情報への対策としても、仕事でのリスク管理としても、「信じる権利があるか?」という問いかけは有益ではないかと思います。
   → sas_mi6 12-09 16:33
      人は見たくない物を見ない、聞きたくない物を聞かない。「信じる権利があるか?」と自問してもしないよりは益しと思いますが、「出港」を止める結論に結びついていないと思います。最近の食品偽装なども「出港」した事例だと思います。
  cruciancarp 12-10 21:26
  食品偽装に関しては法を破った(あるいは法を破ってないが社内規定を破った)点で糾弾されてしかるべきでしょうが、法、ないし社内規定のほうを再検討するのも良い視点では無いですかね。
  cruciancarp 12-10 21:26
  推薦します
  kill_kimchi 12-11 17:27
  良スレage
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