ぼくたちと駐在さんの700日戦争

僕はきまずくなるのを恐れて話をそらしました。

「洋次くん、ギターうまいですよね」。

しかしお母さんは、この時初めて笑顔を失ったのです。

「ギターはね。洋一に教わったの」。

洋一・・・。それが洋次の兄の名であることは誰にでもわかります。
独学じゃなかったんだ・・・。それで兄が好きなのか。その兄と洋次は・・・。
もっと言えば、このお母さんは、長男と別れているわけで・・・・。

「洋一もね。うまかったんだよ。ギターね・・・・」。

洋一が兄であることを説明もせず、ふりかえるように話すお母さん。
当時の僕は、親子が別れる、という意味を直感的にも理解できず、ただ黙って聴くしかありませんでした。

そこに外から賑やかな声が聴こえて来ました。
さっきの弟たちの声です。

　「洋次にいちゃん。お客さん来てるよー」
　「お客さん？」
　「うん。ギター持ってたー」。

やがて洋次が玄関から
「ただいま・・・」。

あまり元気がなさそうに入って来ました。

「おや。おかえり。おそかったね」。

「あ。うん。ママチャリ、来てたんだな」。

「ああ。ギター、練習しなきゃいけないだろ？おじゃましてた」。

「ああ・・・。ギター・・な」。

なにかあったのでしょうか？うかない表情の洋次。

洋次は鞄をおろしながら、

「母ちゃん。これ」

お母さんに茶封筒を渡しました。

「これで充たちの給食費、払えるだろ？2ヶ月分溜まってたよなぁ」

おおよそ客のいる前でする会話ではありません。

「あら？まだ給料日じゃないのに。どうしたんだい？」

「ん。もう明日から来なくっていいって・・・」。

「え・・・」。

「手、怪我してる警備員なんていらないんだってさ」。

「・・・・」。

お母さんは黙りました。それはあっという間に家計が窮地に陥ることを意味しているのでしょう。


「洋次、それって・・・。クビってことか？」
僕が尋ねました。

「ああ。手が治るまで休ませてくれって言ったら。お前らのかわりなんかいくらでもいるってよ」。

「え・・・・」。

「わかるか？ママチャリ。こんなもんなんだよ。俺の代わりなんかいくらでも、掃いて捨てるほどいるんだ」。

洋次はヤケになって言いました。
そしてポケットからシャボン玉の容器を取り出し、包帯だらけの手でしばらくそれを見てから

「これも・・・。もういらなくなっちまったな・・・」。

そう言ってテーブルにおくと、僕が前にいるというのに、そのまま畳に寝転びました。

お母さんは努めて明るく
「じゃ、また職さがしだねぇ。だいじょうぶだよ。お母ちゃんがんばるから。お前、音楽祭まで休むといいよ。ちょうどいいじゃないか」。

「母ちゃん・・・」。

高度成長期とは言え、オイルショックからまだわずかしかたっていなかった頃、不定期に通う定時制の子の働き口はけして豊富ではありませんでした。洋次もお母さんもそのたいへんさをよく理解しています。

　不定期・・・

「音楽祭かぁ・・・・」。
包帯の手を天井にかざしながら洋次がつぶやきました。

　不定期・・・

「そう言えばママチャリぃ。俺の学校にも音楽祭の案内来てたんだけどよー」。

「ああ」。

「もう、アルハンブラ、印刷されてた」。

え・・・・・。早い・・・。
それはまさしく寝耳に水でした。

「それでも演奏者に自分の名前、活字でめっけたときはうれしかったけどよー・・・・」。

「そうだったか・・・」。

洋次の演目は2曲でした。『アルハンブラ宮殿の思い出』と『スペイン組曲第５番』。いずれもボトルネックで演奏するには無理がありました。
（スペイン組曲第5番音源http://www.guitarsound.net/elixir/mp3/asturiag.mp3）

「演目はいいよ。僕から相模先生に話す」。

「・・・・」。

洋次は聴いているのかいないのか。うつろに天井を見続けています。


　不定期か・・・・。

　ん？

「洋次。ウエィターは？」

「ウエイター？」

僕は洋次の家から電話を借り、ポプラのダイヤルをまわしました。

「マスター？僕の代わり、ほしがってましたよね？」

「うん。ひとり見つけたんだけど。・・・え？借金？知ったこっちゃありませんよ！」

「はぁ？16万円？」

どうやら相模コーチ。その後もビシバシ酔いつぶれてくれたようです。
保険代ははねあがっていました。

「わかりました。じゃ、それは駐在さんの麻雀の借りと相殺ってことでどうです？」
理不尽には理不尽で対抗です。

「え？できるかって？僕ができないこと言ったことあります？ええ。相模先生よりず〜〜〜〜〜っと簡単です」。

「あれ？もしもし？マスター、なに落ち込んでるんです？」

「とにかく人ひとり探したんですから。ええ。明日ですか？」

僕は洋次に、明日あいているか目配せで合図しました。

「はい。大丈夫です。え？相模先生？だから知ったこっちゃありませんって」。

マスターの落ち込みと同時に電話は切れました。

「洋次。オッケーだ。不定期でいいってさ」。

洋次。喜ぶかと思ったら

「ママチャリ・・・。お前、高校生のくせに16万も借金って・・・。気の毒だな」。


なぜか同情される側になっている僕でした。



※総合ランキングだいぶ落ち。おかしいな。

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　　　　11章-第44話へつづく→


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