ぼくたちと駐在さんの700日戦争

「その、鹿目ってやつが？」

「ああ。それが原因でジムをやめたらしい。かなり期待もされてたらしいぜ」。

「それってラリっちゃってるってこと？」

「いや。そこまでいってない。ドクターストップだ」。

ボクサーは、もともとが殴り合いを生業としているため、体にたくさんのダメージを受けます。
ボディなどは鍛えようもありますが、チン（顎）と、頭は鍛え用のない場所で、多くのパンチを頭で受けると脳に障害が出て来ることがあり、この症状にかかった者をパンチドランカーと言います。激しい場合、それは廃人になることもあり、ボクサーでは最も恐れられている「職業病」のひとつです。

「ってことは相当プロとして試合してたってことかな？鹿目」。

「いや。ヘッドギアしててもパンチドランカーにはなるからな。そこはわかんねぇ」。

「西条・・・」。

みんなが西条くんを見ました。
西条くんがベラボーに強いのは周知のことでしたが、相手がプロボクサーともなれば話は別です。

「うん・・・」。

注目の中、西条くんが口を開きました。

「俺もジム通ってるからな。鹿目のことはおおよそ知ってた」。

そうだったのか。

「あいつは骨がもろいって致命的欠点もあってやめたらしい。パンチドランカーは、その言い訳みたいなもんだ」。

「で。勝てそうなのか？西条」、

「んーーーーー。心配すんな。まっかせなさい！」

なんの根拠もないくせに。
西条くんはみんなを安心させようとしているに違いありませんでした。

「それによ」。

「ん？」

「パンチドランカーなら、俺らにもいるぜ！孝昭ってドランカーが！」

「んな！なんだとぉ!?」

孝昭くん、猛烈に怒りますが、これにグレート井上くん

「あ！そう言えばそれでかぁ。孝昭が夕子の熊にこだわるの。悪い。病気ならそう言ってくれれば・・・」

グレート井上くんは、ジョークのつもりでしたが、孝昭くん。
これに怒るどころか

「はい〜〜〜、そういうわけで熊ください〜〜。お兄様」

「え！」

井上くん、墓穴。

大笑いするみんなには、その日、とんでもない決戦をするなどという緊張感は微塵も感じられませんでした。
あるいはみんな気を使ってそうしていたのかも知れません。
その雰囲気が、逆に今までの数々の戦いと違う得体の知れない不気味さをものがたっているようにも思えました。

「それにしても洋次ってやつ、監禁されてんのかな」。

「ああ。昨日は連絡とうとうとれなかった」。

そうです。洋次は夕べとうとう家にはもどりませんでした。
僕は、洋次の言った「足抜け」のたいへんさを、あらためて思い知らされていました。

「監禁は犯罪だろ？」

「でも電話してきたってことは、軟禁にしてるんだろうな」。

「慣れてやがんだなぁ。暴走族」。

監禁と軟禁は少しだけ違います。外部と連絡がとれて、扉などが開けられる状態であればそれは「軟禁」となり、監禁ほどの重罪にはなりません。
（みなさん、あまり縁はないかも知れませんが、監禁は、その時に行われた押印、契約、すべて無効となります。印鑑社会である日本では、なんでも押印されたものは絶対、みたいな風潮がありますが、時と場合によって違うのです）。

　洋次・・・・。

僕は洋次を強制的な「足抜け」に誘い込んだ事を、少しだけ後悔していました。

「チャーリー。ブツは用意できた？」

「ああ。メットと一輪車、それから・・・」

「ツナギ」。

あ！バカ！

当然みんなは「ツナギ」に反応。

「お、俺さ。こないだMでかかったからSにしてくれる？チャーリー」。

「おお、お、俺もS！Sだぞ！」

「お、お、お、俺も」

「千葉ぁ。お前190近くもあってSは無茶だろ？」

「いや。俺は着やせするタイプなんだよ」。

着やせするとSで大丈夫なのか？

ようは全員、澪ちゃんが着たツナギに当たらないかと必死なのですが。

チャーリー
「え！ツナギ、全部かあちゃんが洗っちゃったぞ？」

「なっ！なんだって!?」
「チャーリー、お前、なにしたかわかってんのか!?」
「そりゃ法隆寺に放火したに近い罪だぞ！こらぁ！」

つまりは国宝級なわけです。みんなにとって。

「え？そ、そんなこと言われても」

「あああああ。チャーリーに返すんじゃなかった。俺んちにあればなぁ・・・」

「あればどうすんだ？西条」。

「え。そりゃもう大切に布団の上にひいて・・・」。

法隆寺シーツ。

「だいたい西条んとこはさ。レオって弟子いるんだから、なんかもってきてもらえばいいじゃん」。

「なんだとぉ!?仮にも武道の弟子なんだぞぉ！」

「え・・・。あ・・・すまん・・・・西条」。

「なにがいいかな？」

そんなもんだ。


その日、全員部活はサボりでした。
大会近くにレギュラーの3年生が休むというのも他校なら許されないところでしょうが、そこは地区大会落ち常連校。何のおとがめもありません。


やがてチャーリーと村山くんが、準備のためにもどり、僕たちは孝昭くんの家で普段着に着替えてそれを待ちました。

陽が少しずつかたむいて、その時刻が近づいていることを知らせます。

「よっしゃぁ。いくか」。

西条くんが言いました。

「おお。みんな！ぬかんなよ！」

「ああ」。


村山くんの軽トラックには、幌がついていて、後ろに自転車が2台ほどつんであります。
他のメンバーは全員がバイクでした。

僕たちは、途中、3つのコースに分れ、澪ちゃんの学校の側で集合しました。
西条くんの家だと、見張られている可能性があるからです。
学校側なら、何人の高校生がいても、さほど不思議な光景ではありません。

「村山。井上と森田たのむ」。

この3人は偵察隊でした。
軽トラックは、最も怪しまれない類いの車種で、下見には実に便利でした。
途中、森田くんとグレート井上くんがつんできた自転車に乗り換え、周辺を探ります。


「これといって準備はないみたいだったな。ただし、ドライブインにはすでに車があった」。

「何台？」

「んー。117クーペ、1台だ」。
（いすゞのスポーツ車　ジウジアーロデザインで人気を呼んだ）

やはりトイレのあるところを選んだのは長丁場覚悟のようです。

「すると多くて4人・・・か」。

「ああ。初めはな」。

「じゃ、俺たちも行くか」。
「ああ。そうだな。だが少しずらした方がいい」。

バイパスの入口付近で、グレート井上くんが最終報告です。

「1台だ。後はまかせろ」。

「ああ。たのんだぞ」。


僕と西条くんは、バラバラに現場に行く事にしました。
そのほうが敵の思惑からずらすことができるからです。


最初にドライブインに入ったのは、僕でした。


「洋次！どこだ？」


僕の到着を見計らって117クーペのドアが開きました。

人数は2人。

片方は坊主頭でした。スキンヘッドではなく、刈り上げた坊主頭。一度見たら忘れられないくらいに凶悪な顔をしています。
そしてもうひとりは、痩せた、やたらに眼光の鋭い男でした。
いや。鋭いというよりは、異様な目つき、という表現がピッタリです。

　こいつが鹿目だ！

いずれにせよ、高校生というのとはまるっきり違います。

彼らは無言のまま、ニヤニヤしていましたが、坊主頭が車に上半身をつっこんだかと思うと、荷物でもとりだしたかのように人間を放り出しました。

「洋次！」

「マ・・・・ママチャリ・・・・すまねぇ」。

彼は後ろ手に手ぬぐいのようなもので縛られていて、誰がどう見てもリンチを受けた後、というのがわかるような有様でした。

「な、なんなんだ。あんたら！」

僕はすっとぼけました。
当然わかりきっていました。

やがて後部座席から、よく後部座席におさまるな、と思えるほどの大男がおりてきて、相手は3人になりました。

「西条はど・・うしたぁ？」

やはりこいつが鹿目か・・・。

「西条はまだだ。西条になんか用でもあるのか？」

ふん、と鼻をならすと

「なか・・まっがよう？西条の世話んなった・・‥ってんでな？とったんに洋次も〜抜け出した・・・いとか言うっんでよぉ」。

奇妙なイントネーションでしゃべる男でした。
それは僕に不思議な威圧感を与えました。

　やばい・・・。こいつイってる目だ・・・。

そうです。久保くんのパンチドランカーという情報は本当だったのです。

「蛇巣眠の総長、とっちめて・・よぉ。聞き出したらな。ちょ・・・っとおっかしいこと言うから・・よぉ？」

3人はしゃべりながらじわじわと僕に迫って来ました。

　蛇巣眠がやられた？こいつひとりに？

と、そこに西条くんがようやく到着。

バイクから降りると西条くん。

「よぉ。待たせたなぁ」。

「さっいじょう君。ひ・・っさしぶりだねぇぇ？あいたかったよぉ？」


「なんだ？こいつが鹿目か？」

西条くんが驚くほどですから、よほど豹変しているのでしょう。

「俺を覚えてんのか？鹿目ぇ」

「あ・・ああ。わっすれらんないねぇ・・・。幼い頃のいい思い・・出だからねぇぇ・・ひゃははははははははは」

その笑いは常軌を逸していました。

僕はこの時初めて、生きた人間に恐怖を覚えたのです。





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