婦日の寝不足日記

僕の身の回りでは毎日のようにテレビドラマさながらの出来事が起きます。
その全てを記す事はもちろん出来ませんが、どうしても漏れ出してしまう僕の心の声を聞いて下さい。
僕には語りたいことがあまりにもたくさんあるのです。

                              
2007年12月10日
仕事は誰がするの
 職員旅行絡みの温泉週末はあっという間に過ぎて、またすぐ仕事の日々に戻らないといけない。とりあえず今日の午後までいてくれる代務の先生のお陰で夜はしっかり眠れた。
 今日は午前中は外来診察がぎっしりと詰まり、午後からは開腹手術が3件とハードな一日だ。
 新たな要注意の急患さん受診もあるし、3件の開腹手術の麻酔も全て自分でかけなければならない。楽でない日々が延々と続いている。肉離れで山スキーにもいけないし、よくぞこれでプッツン切れずに仕事を続けていられると自分でも思う。

 さてさて、僕の勤める久美愛厚生病院は看板こそれっきとした総合病院だが、総医師数も30人程度と少なく、どちらかというと小規模な総合病院だ。
 この規模の病院は都会にあればとっくに淘汰されている所だろうが、きちんと生き残っているのは飛騨の地域医療にしっかりと根付いているからだと言える。

 とはいえ産科だけで考えれば、医師は僕一人しかいない。だから産科だけ考えると限りなく個人病院に近い態勢だ。
 にもかかわらず多くの患者さんは総合病院並みの医療レベルを期待して受診してきていたりする。僕もその期待に応えれる様今まで日々努力していたが、最近の忙しさにさすがにしんどくなってきた。

 僕のところには個人病院の産科医が手に負えない患者さんを僕に回してくる事も多い。他科の医師がこれは産科関係だからだという事で仕事を回してくる事もある。
 更に都会の大病院からも、近場に適当な産科病院が無いからという理由で、僕のところに患者さんを回してくる事もある。黙っていれば仕事は増える一方の態勢なのだ。

 一番困っているのは患者さんだから、誰かが何とかしてあげないと行けないのは良く承知している。しかしそこで自分ががんばりすぎると結局自分で自分の首を締める事に繋がる。

 僕は子供の頃から期待されると張り切る方で、他人の期待を裏切らないために精進する人間だった。すなわち良い子だったのだろう。
 しかし良い子だけでは上手く生きて行けない事にいい加減気づかないといけないと、この歳になってあらためて日々思っていたりする。
2007年12月09日
オンとオフのスイッチ
 この週末は寄り道つきの職員旅行で新潟の月岡温泉に行ってきた。
 ここのところガン手術多く特段にストレスフルな日々を送っていたから、もうとにかく僕の目的はリラックスと癒しだ。できれば携帯電話の電源を切って、完全に仕事から離れたい。
 しかし所詮は職員旅行だし、もし何かあった時の事を考えるとさすがにそこまでは出来なかった。

 逆に若い職員の中には、携帯を一時も離せない方も多く、寝る時すら手に持って寝ていたりしていた。何がそんなに携帯電話が楽しいのか、僕にはてんで見当がつかないが、そういうのを携帯中毒と言うらしい。
 なお僕は逆に携帯なんて手放せるものなら、少しでも身から離しておきたい。

 さてさて、携帯電話の電源が簡単にオンオフできるのと同様に、人間も仕事モードからリラックスモードにすぐスイッチが入れ替われば良いと思う。しかし人間そうは簡単にはいかない。何週間も連続し出発当日まで散々仕事していた緊張感は、遠く新潟まで車で走ってもすぐにはなかなかほぐれなかった。
 それでも極上温泉につかり、帰りはしっかり私用の寄り道をする事で、何とか24時間くらいは仕事から離れてリラックスできた気がする。
 
 また高山に近づくと病院から電話が入ってきたりして、嫌でも仕事モードに今戻されつつある。とはいえこの僅かな時間は、少しでも煮詰まらないために、とても価値あるものであったには違いないだろう。
2007年12月07日
職員旅行に行くのにも
 仕事は毎日きついが、ここのところ運良く深夜労働は無しで済んでいる。偶々の事ではあるがこれは幸運な事だ。今日の午後からは代務の先生が名古屋から来ていただける事となっている。
 今日昼からは日曜日までの予定で、新潟の温泉に職員旅行に行くつもりだ。週末を利用した年一度の慰安旅行だが、職員旅行に行くための時間をひねくり出すのも、僕にとって大変な事だ。

 僕の仕事量を決めているのは、病院ではなくて患者さんだ。いくら病院の慰安旅行だと行っても患者さんがのっぴきならない状況ならば、職員旅行にも行けない。
 似たような境遇にいる勤務医は他にもたくさんいるだろうが、それでも僕は特別大変だとやはり思う。

 僕以外の職員旅行のメンバーは今朝早く既にバスに乗って、温泉に出発している。僕はどうしても抜けられない仕事が山ほどあるので、後から一人で自家用車で職員旅行グループを追いかけ、現地合流の段取りとした。
 外来は受付時間45分で締め切りとする。それでも外来待合室は一杯となるから、一日で券を売り消り武道館を一杯にする人気ロックグループみたいだと思う。

 検査、外来、急患診察、回診、引継ぎ、その他業務を大急ぎで済ませて、何とか昼には職員旅行を追いかけて出発できそうだ。患者さんたちはあまりの慌しさに目を丸めていたが、許してもらおう。
 職員慰安旅行に行くのにも、こんなに大変で多くの方たちに迷惑をかける境遇にいる自分が可愛そうに思う。
 せめて極上?温泉で癒されてこようと思うが、実は一番悲しいのは、密かに狙っていた、旅行帰りのパウダー山スキー計画が肉離れで頓挫した事にもあったりしたりする。
2007年12月06日
不妊治療の進歩が産科医の首を絞める
 先月末から目の回るような忙しい日々が続いている。ただでさえもう限界的に仕事しているつもりなのに、更に輪をかけて忙しいとなるとやはり辛い。おかげで夜はバタンキューで直ぐに眠れる。
 今日は珍しくどんな電話にも起こされず朝を迎えた。

 ここの所の外来の混雑は目も当てられない状況なので、ちと早めに外来出動し、何時にもましてせっせと秒単位外来を続ける。何とか数をこなし仕事を先に進めないと、僕には週末休みさえ無くなる。
 外来終了後は、各種検査、最近目をかける事が出来なかった病棟業務、急患さんの処置となる。合間に家族への説明や事務方さんとの打ち合わせも入る。
 普段全く隙間無く仕事しているので、たまに隙間が出来ると必ずなにか他の業務が入り込んでくる。出来れば今日はちょっと早く仕事を終えたい思惑だったが、そんな願いは適わず今日も遅くまで仕事が続いた。

 さてさて多くの産婦人科医の間にはもう既に常識となっている事象の一つに、不妊症治療の進歩が産科医の仕事をますます逼迫させているというのがある。
 この10年間で体外受精を始めとする不妊症治療は、格段にポピュラーなものとなった。今や幼稚園児の1クラスに1名は、かって試験管ベビーと言われた体外受精による出生児という時代だ。
 
 しかし考えてみれば分かるが、体外受精というのはとっても不自然な妊娠法だ。
 つまり普通なら絶対に子を授からない様な高齢の方や合併症を持った方が、どんどん妊娠するようになっている。更には危険な双胎妊娠もどんどん増えている。
 つまり不妊症治療の進歩により、世の中に危険な分娩がどんどん増えているのだ。
 
 多くの現実を知らない方は、この不妊症治療の進歩が日本の少子化を救うと考えていたりする。しかしそれは大きな間違いだ。
 現実には、不妊治療の進歩が産科医の仕事を更に増やし疲弊させ、それがまた産科医不足に拍車をかけている。
 少子化を救うには、不妊症治療で危険な分娩を増やす事では駄目なのだ。
 安産で何人も子供を産める人が、更にもう1〜2人余分に安心して子供を産める政策を立てないといけない。

 行政の数ある的外れの政策の一つに、不妊症治療の助成事業というのがある。市町村が中心となり、体外受精を受ける患者さんに一律数十万円を援助するというものだ。
 もちろん高山にも形だけだがそういう制度があるし、都市部では利用者も多い事だろう。しかしその政策は逆に産科医のパワーを分散させ、少子化を更に進めている可能性がある。
 本当に正しい政策は3人、4人、5人と子供を産む人を、強烈に援助する事なのだ。

 さてこの事で僕は思う事がある。僕は最近なけなしの貯金をはたいて家を建てる事にした。直接の理由は病院提供の院宅では子供部屋の数が足りなくなったからだ。これはもちろん僕にとって経済的に大きな負担だ(人生設計の問題とも絡むしね)。
 子供が増えて何に困るかというと、僕の場合住宅問題だった。多分その事は都市部では尚更多くの人に当てはまる事だろう。

 つまり僕の考える少子化対策は、3人以上の子供のいる家庭に、確実にそれなりの住宅を提供する政策を建てる事である。
 これは不妊治療を助成するよりきっと役立つ。
 3〜4(4〜5)人以上の子供を持つ家庭が家を建てる場合、住宅資金を相当金額(部屋を一部屋増やせるくらい?)援助するというのが多分一番良いと思うのだが、果たしてどうだろうか。
2007年12月05日
分身の術を覚えたい
 毎日身を削られる忙しさの日々が続いている。仕事で毎日疲れきるおかげで、肉離れで運動にいけなくても運動不足という感じはあまりない。独特のイライラ感はあり時々周囲にぶつけたりしているが、夜は眠れてるからまだ大丈夫だ。
 
 今日も分娩室からの呼び出し電話で朝は始まった。同時に病棟からは入院中の患者さんがベッド上流産したという連絡が入る。
 更に救急外来からターミナルの患者さんが腹痛で受診してきたという連絡が入り、その上外来から別の進行流産の方が出血受診してきたという連絡が入った。この間約5分である。

 どれも僕に少しでも早く来て欲しいという連絡だ。しかし僕はもちろん一人しかいない。素早くトリアージをして、重症緊急度の高い順に仕事を片付けていく。
 この一つ一つの出来事にそれぞれのドラマがあるわけだが、僕にはそれぞれにきめ細かく対応する時間は無い。朝から戦場みたいなものだ。

 これらの緊急対応が済んで一段落したと思ったら、破水入院が入る。その指示を出していると今度はドック室から健診業務の依頼が来る。ドック室から戻ると今度は事務さんがレセプトの束を抱えて待っていた。
 水曜日定例の書類業務も多いし、その外に集団検診、看護学校講義、各種処置、また別の分娩。とにかく今日は一段と彼方此方から呼ばれ続けただ。師走で大忙しの人気芸能人さながらだと思う。

 おかげで今日も仕事でふらふらだ。足を壊して運動できない分、仕事で疲れきれている。
 何だかこれじゃ奴隷労働だよとも思う。しかしこの奴隷労働を命じている特定の誰かがいるわけではない。病院経営者側から仕事もっとせよなんて言われた事は、僕は未だかって一度も無い。
 僕はもう十分労働基準を越えた労働を長い事しているし、常軌を逸した売り上げも上げている。
 誰かが僕にもっと仕事せよみたいな事を一言でも言ってきたら、絶対切れてやろうと思っているのだが、まともな感覚を持っている人はそんな事を言う事は決してない。

 僕に仕事をさせているのは、困った顔や悲しい顔をして何とかして欲しいと僕の前に次々と現れる患者さんそのものだ。
 患者さんの多くはきっと僕より不幸だ(例外もありますが)。
 自分より強い誰かが、無理やり僕に仕事させているのならば、僕は幾らでも反抗し衝突し戦うだろう。しかしそういう人は実は何処にもいない。
 僕に無理やり仕事をさせている人たちの多くは、社会的弱者に当たる人たちが多いから、きっと僕は身体に鞭打ち続けていられるのだろう。
2007年12月04日
術後回診もできません
 昨夜と一昨日夜は、仕事こそハードだったものの夜中に呼ばれる事は無かった。
 太ももを痛めて以来トレーニングにも行けないし、しばらくは温泉にも入れない身体となった。おかげで夜は大人しく家で過ごすしかない。
 ちょうど星野ジャパンの野球オリンピック予選が行われており、めずらしく野球でテレビに釘付けとなる。

 やはり野球でもサッカーでも、国際試合が見てて面白い。
 特に一昨日の韓国戦はまさしく痺れる試合だった。派手なスタンドプレーこそ無いが、超一流の選手が勝ちに拘り、デッドボールや四球を狙い、データに基づいた計画野球を行う姿は、まるでプロレスのガチンコ勝負を見ているかの如くだった。
 プロの勝負は魅せる事が大事なのだろうが、たまにこういう真剣野球を見ると、野球も面白いスポーツだなあと改めて感じたりする。

 さてさて今日の仕事はまたしんどかった。
 ガン再発の患者さんは、それこそ命を懸けて僕の一つの挙動判断に注目している。多くのガン患者さんにとって、医師の前に座っている時間というのは、まさしく真剣勝負と同じ時間だ。

 僕は妊婦健診や、良性疾患、各種炎症性疾患に混ざり、同時に多くのガン患者さんの治療にも当たっている。
 しかし外来をやる日は一日に100人の患者さんの診察に当たらないといけない関係で、僕は命がかかったどんな重要な判断でも、いつもその場で数秒で決断を下さないといけなくなっている。
 もちろんその判断を得るために、患者さんに説明したり、意見交換をしたりする時間は非常に少ない。
 患者さんは少しでも僕の話をゆっくりと聞きたいのだろうが、誰かに余分に時間をかけたら、その陰で時間を減らされる患者さんが出てくる。非情でもとにかく僕はどんどん重要な判断をベルトコンベア式にしていかないといけないのだ。

 しかも僕は今日のような猛烈な外来診察をしながら、同時にたくさんの入院患者さんも抱えている。
 中には重要な手術で術後管理が難しい方もいる。抗がん剤を点滴している方もいる。更には分娩も突然入る。なにか特別な事が入院患者さんに起きてきても、僕は外来やその他業務で全く手が離せなかったりするのだ。
 仕事に余裕のある医師は一日に何度も回診する方も中にはいるが、僕にはそんな余裕は全く無い。

 だからせめて減らせる業務は徹底的に減らさないといけない。僕はもうその点で全く妥協するつもりはない。レセプト業務とか保険書類業務、病名付けとか、薬の処方の記載など、普通は医師がやらなければならない業務でも、どんどん周囲コメディカルの方たちに業務を回すようにしないといけない。
 仕事には重要度に差がある。真剣勝負の仕事の方が優先されるのは当然だろう。
2007年12月03日
手術を受けるのに同意書は何枚?
 深夜に呼ばれる事こそ無かったが、今朝も分娩室からの呼び出し電話で一日は始まった。とはいえ今日もいろいろな事があったので朝のことでも随分前の様に感じる。

 良く年を取れば、月日の経つのが早くなるという話を聞く。それは確かに僕もそう思う。30歳の頃の1年間は40歳の頃の1年間と比べ、確かに何倍も長かった。
 とはいえ一日の仕事の濃密度はもちろん今も昔もほとんど同じだ。一つ一つの仕事の価値が高い分、今の方が売り上げは多いだろう。
 自分の身の回りを動く時間の長さは変わらなくても、自分自身が感じる時間は短くなっている。なせそうなるか、いつかその秘密を科学的に解き明かして欲しいものだ。
 
 さて、今日の外来ももちろん何だかんだと色々な事があった。午後からは大きな手術があり、冷や汗も書く。
 手術中に一生懸命止血操作をしている時は、痛い左足肉離れの事も忘れて、左足にしっかり負担をかけた立ち方をしていた。
 こんなにいろいろな仕事をしていては、肉離れのリハビリに安静にしているなんて、絶対に不可能だ。
 とはいえ肉離れの痛みは確実に快方に向かっている。整形外科医の教えに背いて、正月までに山スキーに復帰できないかとアミノ酸を飲みながら策を練っているが、果たしてどうなるだろうか。

 さてこの数日間は大きな手術が、ひっきりなしに続いている。そのほとんどがガン手術だ。
 金曜日に手術代務に来てくれた先生にも、まるで名古屋の日赤病院の様に(たくさんの)ガン手術をしていると言われたが、確かにこの1週間はそうだろう。
 しかもそのレベルや内容も多岐に亘っている。なかなかハードな日々なのだ。たまたま深夜分娩が手術前日に無く、夜中に僕が寝れている事は、患者さんにとっても僕にとっても本当に幸運な事だ。

 さてさて話は変わり、ガン手術となれば帝王切開等のルチーン手術と比べ、医師の手術以外の書類業務も各段に増える。
 同意書一つとっても、僕は一件のガン手術で同意書を5枚書いている。
 内容は輸血、血漿成分、血液製剤、麻酔手技、及び手術自体の同意書だ。これだけの同意書が必要になるのは、厚生省の指導もあるからだ。
 しかしもちろん忙しい産科医に、同意書毎にその内容を懇切丁寧に説明などできる時間など絶対に無い。はっきり言えば、同意書なんて形式だけの事とも言える。

 僕が医師になりたての頃は、良く「何があっても文句言いません」という意味の同意書だけ取って、後は全て医師の裁量任せという時代の名残がまだ残っていた。
 医師の世界の同意書の変遷は、ある意味医療の変遷を良く反映している。
 しかし産科医の需給事情は昔より今の方が更に厳しい。産科の世界は理想と現実が全く遠く離れている。理想ばかり周囲から要求されても、産科の世界ではもはや形式的な事ばかりが増えていくだけなのだ。
2007年12月02日
健康食品でも薬でも健康グッズでも何でもありで
 せっかく代務の先生に来ていただいている週末だが、肉離れのために何処にもいけない。調べたところによると、肉離れを起こした直後は特に安静が大事だとの事で、できるだけ出歩かずに今日は過ごす。まだ足の痛みはしっかり続いている。
 これでまた明日(今夜)からは厳しい仕事が始まる。そうなれば安静にしてなんていられない。だからせめてこういう日曜日に大人しく過ごすしか僕にはないのだ。
 話では長男の中学校でも今日は親子サッカーがあるそうだが、滅相も無い話で当然キャンセルする。もう当分サッカーは御免だ。

 しかしせっかくの日曜日に家でじっとしているなんて、ストレスがたまる一方だ。せめて子供達と食事に行ったり、床屋や本屋に行ったりして。それなりの家族サービスで過ごした。
 ついでに薬屋さんで、身体に良さそうな健康食品を買ったりもする。溺れる者は藁でも掴むと言うが、とにかく安くて良さそうな物を幾つか購入したりする。

 またネットや本でもいろいろ身体に良さそうな物を調べて、通販で今日は購入してしまった。中に肩こりからガン予防にまで効く赤外線発生ゴムみたいなものもあったが、何だかピンと来るものがあって、高いが思い切って購入してしまった。
 僕は慢性肩こりの人間だ。酷い時は肩こりから頭痛にまでなる。もしそのゴムがてきめんに効いたら、またこのHPにその体験レポートを書こうなんて思っていたりする。何事も物は試しだ。

 僕はがん治療も良くする。多くのがん患者さんも、藁にもすがる気持ちでこの手の代替医療に手を出すものだ。
 中には法外な値段のものもある。その手の代替医療で折角の遺産を使い切ってしまう方も多い。僕はそういう例を良く知っているので、あまり代替医療には感心していない。もちろん患者さんに勧める事は無い。しかし人間はやはり、弱いもので。何かが起こるとやはり何かに期待してしまうものだ。

 肉離れはもちろんガンとは違う。いずれは必ず治るだろう。しかし今回の肉離れからどれだけ早く回復できるか、自分の身体で実験してみるつもりでいろいろなもの(高価なのは不可ですが)に挑戦するのも悪くないと思っていたりする。

お昼は高山のお好み焼きの名店独楽へ(ミシュランの日本旅ガイドにも載っているという噂あり)


絶品お好み焼きに興味津々


とりあえず薬屋をチェック。肉離れに効くかどうかはともかく、安くて身体に良さそうなものを試したり・・・

 
2007年12月01日
RICEな週末
 昨夜は仕事から解放された以前から付き合いがあり、今回手術のために特別に手伝いにきていただいた開業医さん等と、高山を代表する美味しいお寿司屋さんに出かけ食事をする機会ができた。
 木曜日の夜に傷めた太もも後ろ側の肉離れは、まだほとんど回復の兆しを見せていない。しかしこの機会に良質なたんぱく質とコラーゲンを摂取すれば、きっと早い回復に役立つだろう。
 また人間悲しい事があった後には、アルコールと美食で気持ちを切り替えるのが最も良いに違いない。そこに楽しい話し相手がいれば、もうそれに越した事は無い。

 とはいえ以前にも書いたが、僕はどちらかというと悪食味盲の方で、割と何でも美味しく食べる人だ。だからこそ若い頃は長期間に亘ってアフリカやアジアを元気に旅できたのだと思う。
 だからせっかく日本海の幸や、山の幸、更には絶品飛騨牛に恵まれた土地に住んでいながら、それほど高山の料理店に詳しくはない。
 しかし僕も高山に来てから既に10年近くが経った。それなりにはあそこのお店の何が美味しいとか大体把握はしてきている。

 考えてみたら、どこの料理店にも季節に応じた得意料理というのがあるものだ。足が故障した分、今月は山の話題がほとんど書けないだろうから、その代わりにすこしづつ高山の料理について、地元人ならではの話題でも出して行こうかなあと今は思っていたりする。何といっても秋から冬は、高山の味が一層際立つ時期でもあるのだ。

 というわけで、昨夜は遅くまで飲み、食べ、帰宅後は気持ちよくぐっすりと眠った。代務の先生が来てくれているお陰で深夜に起こされる事も無い。(とはいえ早朝未明にオペ患さんの問い合わせ電話でいきなり起こされましたが。トホホ)
 さて人間足が動かないと、その行動範囲は極端に狭まる。特に今は肉離れ受傷後の安静が大事な時期だ。せっかくの代務のいる休日だが、今日はひたすらRICE(安静、冷却、圧迫、挙上の事)な日々を過ごすとしよう。

飛騨牛とネギと椎茸は基本の味。味付けは塩のみ


おかしら料理は良質タンパクとコラーゲンの宝庫


大将と美しい若女将??さんも載せちゃいました

 
2007年11月30日
故障しても仕事します
 昨日の肉離れの影響で昨夜からまともに歩けない。インターネットでハムストリングの肉離れの治療法を調べると、とにかく安静と冷却だと書いてある。受傷後24時間は足を挙上して、じっと動かないでいろと書いてあるものもある。
 しかし僕にはもちろんそんな安静にしていられる余裕は無い。どんなに痛くても今日も朝から仕事がびっしりだ。
 昨夜は深夜の仕事まであったので、今日ももちろん眠たい。これで登山や山スキーが出来ない身体になったらどうしてくれるんだと思いながらも、次々とやってくる分娩や手術や患者さんには対応せざる終えない。代わりのいない仕事の辛いところだ。

 幸い今日の外来は割りと混まなかった。外来終了後手術までの僅かな時間を見つけて、院内の整形外科を受診する。友人の整形外科医は、「今年(の山スキー)はもうこれで終わりだね」と軽くのたまってくれた。
 スポーツ障害というのはそれで半年くらい休養を余儀なくされるのは普通のことだと言う。
 だが僕はプロスポーツ選手と違う。せめて正月までになんとかしてくれと頼んだら、それは絶対に無理だと言われてしまった。
 悲しい気持ちになるが、そこを何とかならないかと一人で思い悩んでいたりする。

 そんなこんなで今日は痛い足を引きずって、精神的肉体的に辛い仕事となった。ネットによると受傷後3日間の安静がその後の回復期間を左右するらしい。しかし足の肉離れで手術をキャンセルする訳にもいかない。
 その他に嫌でも分娩は次々とある。今日の午後はほとんど片足立ちで手術を行った。

 以前僕はカナディアンロッキーで雪崩に埋めれらて右手の尺骨神経を損傷した事がある。
 その時は字も書けなくなったし、箸を握る事やスプーンを持つことも出来なくなった。仕方なく左手で何とか食事を取っていた事を思い出す。
 そういえばその時も完全回復には3ヶ月近くかかったものだ。そしてそれでも仕事はせざるおえなかったのは今と同じだ。

 産婦人科の世界は、手が動かなかろうが、足が動かなかろうか、その看板さえあれば猫の手でも使うという世界なのだ。10数年前のその時は、通常の予定手術では助手に回り、深夜の緊急手術は左手と碌に動かない右手でしのいでいた事を思い出す。
 しかし今は助手に回る事は許されない。片足立ちでもちろん執刀した。

 たしかその時も傷めた右手が完全回復するまで3ヶ月くらいかかった。
 今回これから3ヶ月左足が使えなかったら、僕の今年の山スキー計画は全て頓挫になる。何だか生きがいを無くした気分までする。
 とはいえインターネットのとあるページではと軽い障害なら3週間くらいで、痛みが取れてかなり良くなると書いてあるものあった。今はそれを期待して、昔の尺骨神経障害の時の辛さも思い出し、何とか今回のこの故障を克服したいものだ。
2007年11月29日
身の程知らずで痛すぎる親子サッカー
 全くこの日記を書く時間位が気が休まる時で、他は常に何かに追われている様な日々が続いている、木曜日の朝も分娩室からの呼び出しで始まった。
 外来も混むが、午後からは長時間手術がある。外科医、病理医、手術室看護士、患者さん及びその家族が待っている以上、一刻も早く外来を済ませなければならない。とにかく患者さんのマイナーな訴えはできるだけ無視して、何とか手術時間に間に合わせた。

 手術は予想以上の大変な手術となった。外科の先生の頼りになるヘルプを得て何とかこなすが、昼休みが碌に取れてなかったので、後半は脱水と低血糖で術者である僕がふらふらだ。
 手術が終わり、その後のアフターフォローもこなし、急いで着替えると。直接今度は親子サッカーが行われる大八グラウンドに向かう。火曜日に小学生チームに大敗を期した親さんチームは、リベンジマッチを今日改めて小学生チームに申し込んでいたのだ。

 ここは僕も張り切って試合に参加する。前半にラッキーなゴールを決めて調子に乗った僕は、更に2点目を目指し果敢に走りゴールを目指した。
 イメージでは三男仕込みのマルセイユルーレットを決めてゴールだと思った瞬間に、左足太もも後に激痛が走る。瞬間肉離れした事に気づいた。

 もちろんマルセイユルーレットは失敗し、子供の前で情けなくも戦線離脱となる。結果は僕の前半のラッキーゴールが決勝点となり親さんチームがリベンジに成功したが、その勝利の最大の功労者はGKを務めた監督の再三のスーパーセーブにあった。
 なお僕は後半全く動けず、子供の前で逆に無様な姿をさらす事となった。
 
 それどころか帰宅後肉離れの痛みが益々酷くなり、歩くのすら辛い状態になってしまった。
 思わずこれは今シーズンの山スキーを棒に振る故障をしてしまったかと青ざめる。風呂にも入らず、家に転がっていたテープとコールドスプレーで圧迫冷却をし、昨日はふてくされて早く寝る。とにかく安静で過ごさないとスキーできない身体になってしまうかもしれない。

 しかし過酷にも夜中の午前2時に分娩呼び出しが入った。手術の疲れとサッカーの故障に夜中の仕事かよと、さすがに悲しい気持ちになる。寒い中片足で着替えて何とか仕事はこなした。
 しかも今朝もまた別の分娩呼び出しから朝は始まった。
 いつまで続く泥沼の様な気分だ。まだ先はあるが、時間が無いのでとりあえず今はここまでにしよう。また続きは後で。
2007年11月28日
小学生VS大人の感想でも
 昨日の外来はまた記録的に混んだ。ひたすら秒単位外来を続けたが、それでもなかなか外来は終わらない。
 外来でBGM代わりに流しているHit'sFMのラジオから、今年はインフルエンザの流行が殊の外早く始まっているというニュースが流れた。そういえば僕は今年のインフルエンザワクチンをまだ打っていない。

 にもかかわらず昨日は相当数の患者さんの各種飛沫を浴びてしまっていた。これはいけない。患者さんと患者さんの隙間の僅かな時間を見つけ慌てて内科外来に駆け込み、インフルエンザワクチンを注射してもらった。
 ここは看護士さんにお願いして、ちょっと多めにワクチンを注射してもらう。この手のものは多く打てばそれだけ良く効くというものでもないだろうが、鰯の頭も信心で、沢山打って効果が高いと信じる気持ちが大事だと思ったりする。

 注射を打ってからも外来がまだずっと続き、その他業務が終了した頃には、何だか脳内のアドレナリンを使い尽くしてしまった様な気分になった。何となく身体もだるい。これは多めに打ってもらったインフルエンザワクチンの影響も有るに違いない。
 しかし帰宅後気づいたら、夜から大八グラウンドで親子サッカーが行われる予定がある事に気づいた。

 思わずインフルエンザワクチンを言い訳に親子サッカーをキャンセルしようかと思う。一応参加したなら、このHPに散々サッカーの話題を書いている以上、それなりのプレーを僕も見せないと格好がつかない。
 ちと迷ったが、子供にカッコ良い場面を見せたいというには親の本懐?でもある。ここは多少身体がだるくても親子サッカーには参加を決めた。押入れの奥から親子サッカーのためだけにあるサッカーシューズを取り出す。

 さて主に40代?の親さんチームと小学生チームの試合は白熱したバトルが続いたと書きたいところだが、その実際は小学生チームの圧勝だった。
 県大会の最終戦でぼろ負けした姿を見て、この程度のチームなら親さんの勝利間違いないという気持ちもあったが、とんでもなくて、僕も含んだ親さんチームは小学生に全く歯が立たなかった。
 もしかしたらと思ってはいたが、子供の癖にこの子らはサッカーがこんなに上手だったのかと、改めて驚いたりもする。

 なお親さんも、ほとんど過去のサッカー経験者である。しかもサッカーの現役コーチまでいる。それでも親さん惨敗の原因は何かと言うと、組織力と持久力が全く違うのだ。
 何といっても親さんは皆何とか自分が技で目立ちたい?という思惑があったりする。
 組織的な協調性が無いのだ。だから最初だけ元気で派手なプレーをするものの、後半ばててくるともう小学生にやりたいようにやられてしまった。

 まあ親さんチームにはポジションも在って無い。組織力が無いのも当たり前だと言える。アルコールとニコチン漬け(誰とは言いません)だったりしたら体力が無いのも当然だろう。
 僕はアルコールとニコチン漬けではないものの、僕が昨日動けなかったアリバイは、インフルエンザワクチンと仕事のせいだという事にしておこう(今日はこれが書きたかったのです)。
 それはさておき何だかんだで惨敗を期した親さんサッカーチームは、次回は正月元旦の初蹴りサッカーで必ずリベンジしてやると、密かに心に決めていたのであった。

 さてさてこういうブログも俊足技ありコーチが作ってました。ついでにどうぞ。
2007年11月27日
情報は大いに越した事は無いが
 一時的だろうが分娩はここの所少なめで、昨夜はきちんと眠る事が出来た。一方外来は猛烈に混んで、見習いの看護婦さんもその慌しさに呆然と立ち尽くすのみという感じだ。
 今日は特に初診さんが多く、30人はみえただろう。
 今は僕はほとんどの妊婦健診を助産師さんに任せているのだが、それでも外来患者さんは増える一方で減る事は無い。今日もそんなこんなで100人強の患者さんをひたすら診察しまくった。具体的な受診者数制限を検討しないといけないと思うが、何とか歯を食いしばって耐えている。
 
 あまりに里帰り分娩希望の方が多く、里帰り希望初診の方には田舎に里帰りなんかしないで、そのまま都会で分娩しなさいと勧めている。 しかしそれでも殆どの方はどうしても僕のところで分娩したいとおっしゃる。
 もしかしてまたなにかネット上にでも、久美愛病院産科の素敵な情報が載ったのだろうか?

 一昔前は妊婦さんは分娩先を決めるのに殆ど口コミを頼っていた。今はネットに流れる情報を読んで分娩先を決める妊婦さんが増えている。
 となるとこの寝不足日記を自宅PCで読んでいる妊婦さんもいると思うが、果たしてどうだろうか。冷や汗ものの気もする。
 しかしだったらなおさらもっと本音を書かないといけないという思いも有る。

 さて話は変わり、今はネット社会だ。妊婦さんがネット上で調べた情報を元に分娩先を決めるのと同じく、僕も山スキーの行き先をネット上で得た情報を元に決めていたりする。
 特にこの日曜日に行った針の木雪渓は、時期を誤れば雪崩の巣となる事で有名な雪渓だ。昨年も何人か遭難者を出している。
 だからもちろんネット上で流れる情報が無ければ、僕もこの時期に敢えてこの危険な針の木雪渓に山スキーに向かう事は無かっただろう。

 確かに情報はあればあるに越した事は無い。
 しかし結局は雪崩の危険の有無を判断し行くか戻るか決めるのは、その場で五感プラスαを最大限に駆使し、自分の能力を信じるしかないと思う。
 その場で自分で判断できるという自身が無ければ、やはり雪崩の危険の多い地域に山スキーに出かける事は避けるべきだと思う。
 
 さてさて考えると、ネット上で流れる情報と言うのは、口コミと決定的に異なる部分がある。それは情報の発信元がネットでは見えないという事だ。
 情報の発信元が見えない分、複数の情報を簡単に得れる訳だが、やっぱり妊婦さんにも具体的に自分の運命を賭けた分娩先を決めるには、その場の自分の五感で決めて欲しいと思う。
 
 僕は自分の所の医療レベルを低いと言うつもりは無い。しかし医師数や周産期センターの有無、備蓄血液の有無等、僕がどうあがいてもどうしようも無い部分は有るのだ。
 そして何より僕の秒単位外来の状況を見て、それで自分の頭で妊婦さんに分娩先を決めてもらいたいと思うのだが、それはあまりにも妊婦さんにとって酷な話だろうか。

 と言うわけで何はともかく、日曜日の針の木山スキーの最新報告をネット上にUPしました。ふらふらする動画付きですので、ぜひどうぞ。
2007年11月26日
引き返す理由は山ほどあります

まずは昨日の山スキーの地図です。青線はアイゼン歩行となった所


 お陰様で毎日いろいろな事がありすぎるくらいあるので、日記に書くネタは有り余るほどある。HPの更新も全く追いつかない。これでどんな事でも遠慮なく書けるとなると、そんじゃそこらの小説よりずっと面白いと思うが、仕事柄それは不可能なので残念だ。
 まあ報告するにも時間がかかる訳だし、今のままのスタンスでこの日記も続けていこう。

 今日も朝から外来と手術で忙しかった。中にはタフで手間取る手術もあり、肩がこるし目も疲れる。しかし日曜日の山スキーの感動の余韻も残ってるから、まだ大丈夫だ。

 さて昨日の山スキーは絶好の好天の中、後立山連峰の主稜線に立ちながら肝心の針の木岳の頂上には立てなかった。
 その理由は様々あるが、一番の基本は稜線上の岩峰を越えるのに手間取ったからだ。多分ちと無理すれば十分超えれただろうが、気温が上がってたので下りの時に雪が腐ると危険になると考えたのだ。
 後アイゼン歩行で膝ラッセルが大変だったのも有る。更に雪が少しでも重くなる前に滑降を開始したいと言うのもあった。

 その上困ったのはストックが突然ジョイント部で折れた事だ。このストックは買ったばかりの新品だ。全く通常使用中の破損だから、これは明らかに製品の不都合だと思う。
 製品名はハーガンのカーボンエアと言うものだ。たまたま品質の悪い製品に当たったのだろうが、それでも気分は面白くない。もし危険なところで破損したら冷や汗物でも有る。その場は応急処置でしのいだが、きちんと後から修理に出すのも手間と時間がかかるのだ。

 そんなこんなで気分が乗らず昨日の頂上は割愛となった。頂上がないと滑降も今一つの気分になるから、僕はやっぱり山スキーヤーと言うより、スキー山屋なのだろう。
 山登りの成否を握るのは、結局は自分自身なのだとは良く分かっているつもりだが、とはいえ何だか少し言い訳を書かせて貰いたかったりもする。

根性ラッセルを経て陽に輝くコルに出た


この先で引き返す事を決める


幾らやっても治らなかったのはジョイントが折れていた。(引き返す言い訳にはなりませんが・・・)
2007年11月24日
24日土曜日の県大会中日旗、東小サッカー写真集です。よろしければどうぞ(ご自由に持って行って下さい)

開会式セレモニーではヘリコプターが来て、あっという間に飛び去った


活躍する東小サッカー選手たち(順不同です)






























中日新聞の号外も出ました

2007年11月25日
負け癖はつけないように
 好天と代務の先生が合致する嬉しい週末となった。これから病院は忙しくなる事が分かっているので、せめて少しでも有意義な週末を過ごして、リフレッシュしておこう。
 というわけでこの土曜日は次男のサッカー県大会中日旗の応援で岐阜羽島まで、今日日曜日は長野県側から針の木雪渓を辿り針の木岳頂上を目指す山スキーをしてきた。

 その結果はというと、まず土曜日の県大会は2連敗の惨敗となる。
 ここまで危うい試合を次々と僅差で勝ち抜き、ここまで勝ちあがった高山東小サッカーチームだが、ついにその強運もここで尽きることとなった。子供達の成長は著しかったが、やはり圧倒的な力の差はどうにもならない。
 特に第2試合は強敵と当たり、7−0の完敗を期す。5年生の多い東小チームのそれが実力と言ってしまえばそれまでだが、後に引きずらないで、また来年度以降も更なる上を目指して欲しいと思う。

 さて次いで僕の今日日曜日の山スキーの結果はと言うと、首尾よく好天下かなり良好のコンディションを当てたものの、頂上直下の岩峰を越えるのに危険を感じ、こちらもあえなく惨敗撤退となる。
 何だかんだとマイナートラブルで手間取っている内に、時刻が遅くなりパウダーと言うよりも重雪滑降となってしまった。その分雪崩の危険は比較的少なかったと思うが、技術が足りない僕の滑りの出来は満足できない結果に終わる。
 スキーはもちろん楽しかったが、スキー山屋の僕としては頂上を踏まないと、やはり何処か満足できないのだ。

 この土日は次男も僕も健闘したが、残念ながら結果はついてこなかった。
 とはいえこれでも十分上出来だとも思う。変な負け癖や失敗癖をつけないで、これからも精進して行こうと思いなおすとしよう。

気持ちは負けていなかった


この岩峰をスムーズに越えられず、涙の撤退を決める。根性無しだったか


雪面の変化は激しかった
2007年11月23日
親も子供もまあまあ上出来
 身を削られるような忙しい日々を経て、嬉しいのか悲しいのか良く分からない3連休が来た。代務の先生は今日の午後2時にならないと高山に到着できない予定である。
 山には雪が積もってきたし、僕も早く今季初スキーがしたい。天気予報もまあまあ良さそうだ。しかし今日僕が山に行くには様々なハードルをクリアしなければならなかった。
 
 まずお世話になった内科の先生の送別会が昨夜あった。もちろん不義理は出来ない。とはいえ送別会は1次会までとし、あまり飲み過ぎないよう気をつけた。しかしそれでも帰宅はそれなりに遅くなる。その他に残業業務も有った。

 次いで今日代務の先生が来てくれるまでの間に分娩や急患さんの受診があると困る。
 しかしそれは今朝午前5時に病棟に確認電話を入れたところ、幸い分娩入院は今の所無いと言う返事だった。
 この時間に入院が無ければ、早い時間の午前中なら初産さんの分娩は多分無いと判断できる(運次第だけどね)。

 次いで今日11時半からの三男のマラソン大会(高山市民健康マラソン)で、集登の活躍を見たいというものもあった。
 何といっても彼は昨年の大会で3年生の中で一位だったという。
 彼の出場する3,4年生の部にエントリーしている小学生は300人を超えているが、その中でトップを切ってゴールに走りこむ可能性があるのならば、やはりそれをチェックしたいのが親心だろう。
 またその他に今日の午後には次男のサッカー県大会関係の準備も有った。つまりなんとしても今日の昼前までに僕は高山に戻っていたいのだった。

 そういう条件で、まだ山の雪が少ないにもかかわらず、スキーができる有難い山が、平湯峠北側にある輝山だ。というわけで今年の僕の初スキーは輝山南尾根となった。まだ雪が少ない尾根下半分は、地図に無い林道を利用する事で解決した。
 明るくなる頃に平湯トンネル手前からスタートして無事頂上を踏み、それなりの快適スキーを楽しむ。もちろん予定通り午前10時半には高山に戻れた。これでシャワーを浴びてからでも十分に集登のマラソンに間にあう。

 さてさてこれで集登の結果はどうだったかというと、体調不良か実力か9位と言う結果だった。トップにならないかなあとカメラを構えて僕は待っていたが、ちょっと残念。しかし300人中9位と思うと悪くは無い。
 病院も何とかなっているし、そんなこんなで今日は親も子もまあまあ上出来の日となったのでした。

短いがそれでも豪快スキーが楽しめた


朝日の中の滑降


集登最初から飛ばしすぎたか


最後は大分ばてました

 
2007年11月22日
新人賞も仕事も無理ありで
 新規ガン患者さんが多く来院してきた関係で忙しい日々が続いている。せめてもの救いは分娩がここの所少なめで経緯してくれている所だ。何だかんだとストレスはあるが、昨夜の仕事はまあまあの時刻に終了する事が出来た。

 さて昨日の夜は、病院フットサルチームの表彰式であるリーガオクサニョーラアォーズが朝日町の居酒屋さんで行われた。
 今年度のフットサルの成績発表が美しいプレゼンターのコメントと賞金(金額は不明)付きで行われる。 とはいえ、その実態はもちろんただの飲み会である。
 昨夜は上手い事仕事が早めに終了したので、無事表彰開始時刻に間に合う事が出来た。

 僕はサッカー素人である。ただ子供達が全員サッカーを始めているので、僕もそれに触発されて病院フットサルチームに今年から参加させていただいていている。
 子供から教わったしょぼいフェイントを武器に、何試合かでシュートを決めた僕は、昨日の会で密かに新人賞を貰えるのじゃないかと期待していた。

 しかしあらかじめの互選による投票結果で、僕の期待は大きく裏切られ、あえなく何の賞ももらえず終わる。
 新人賞を逃すと来年度以降のMVPや最多得点選手に選ばれる見込みは非常に薄いので、ちと落胆して?いたりする。

 とにもかくにも、サッカー好きの方は総じて乗りが良く、全員で2次会カラオケになだれ込む。ちょうどサウジとの戦いが終わり、日本チームが五輪予選を勝ち抜いたという報道が流れた。
 だからという訳ではないが、目立ちだがり屋?が多いフットサルチームの方々は、分娩が無かった事を良い事に遅い時刻まで妙に盛り上がったりするのでした。
 
 というわけで今日はやっぱりいつもの寝不足外来となった。二日酔いもやや残りちと辛い。しかし外来に没頭するうちに徐々に昨日のアセトアルデヒドは体内から消えてくれた様だ。
 明日が休日なので当然のごとく猛烈に外来は混む。心を無にして、余計な事を考えず、ただひたすら数をこなした。
 患者さんの中には、あまりの短時間診察と僕の無愛想さに驚いている方も多いようだ。中には不満そうな雰囲気をされる方もいる。

 しかし早く診察を終了できる人は少しでも早く終了させないと、何時まで経っても外来が終了しない。肝心の重症さんの診察時間も削られる事ともなる。もちろん外来以外にも僕にはたくさん仕事がある。
 僕のような医者は患者満足を目的にした医療はできない。その場の患者満足を追求するよりも、社会から本当の悲惨や悲劇を少しでも減らす事の方が重要だ。それが今の僕の基本的な立場である。そしてこのスタンスは身に沁みてしまっているので、これから先容易に変えれないとも思う。
2007年11月21日
今年の雪はどうなるかなど
 昨日はいろいろあって帰宅こそ遅くなったが、深夜呼び出しは無く久しぶりにきちんと朝まで眠れた。夜中に起こされないで朝起きれたらそれだけで幸運だと思えるが、これはマインドセットによるもので、とっても謙虚な幸福感だと思う。
 今日はペーパーワークの水曜日だ。とはいえその他にドック検診、集団検診、緊急処置、分娩、看護学校講義等々が入る。何時もの様にあちこち呼ばれまくって一日が過ぎた。

 特に重要なのは明日から来週の仕事の段取りを間違えない事だ。
 どの日にどの手術を入れるか、どの様な検査を組むか、週末の段取りも考慮しながら慎重に決めないといけない。
 患者さんには様々な合併症や全身状態の方がいる。診断に苦慮したり、治療に特別な注意を必要とする方もいる。更には人手不足の医者側の都合も有るし、患者家族の都合も有る。
 その辺を全てクリアして、誤り無く段取りを組むのはかなり至難の技だったりする。

 さて今も外では冷たい雨が降っている。この雨は山ではもちろん雪だろう。毎年この時期になると、仕事の都合はともかくとして、山の状態が気になって仕方が無くなる。
 基本的には雪が多ければ多いほど、山スキーで踏破できる山域は増えその可能性は広がる。
 しかし雪の状態やコースを誤れば雪崩の危険も同時に増える。手術の段取りを組む事と同様に、山スキーの段取りを組む事もなかなかこれで難しいのだ。

 贅沢を言えば、仕事がある時に雪が積もって、休みの時に雪が落ち着く晴天になってくれれば言う事は無い。しかしそう上手くいく事はもちろん少ない。特に僕の場合休日そのものがとても少ないので、高山在住と言う地の利を差し引いても、尚更山のコンディションにはナーバスにならざる終えない。

 さて今日とある新聞記者さんから、先日土曜日に高山国分寺の大銀杏の葉がわずか数時間で一気に落葉したという話を聞いた。
 国分寺の大銀杏というのは知る人ぞ知る高山の観光名物であり、数年前にはその大銀杏の木の幹から江戸時代の石仏が見つかり話題になった事もある。

 その新聞記者さんの話によると、国分寺大銀杏の葉が一気に落葉した年は大雪になったり天変地異が起きるという言い伝えが地元にあるそうだ。なお地元と言うのはどの程度まで指すのかは様々なので、あくまでもそういう噂があるという程度で思って欲しい、念のため。

 その話によると、前に一気に落葉した年は一昨年の豪雪で、その前は飛騨に大被害を出した台風23号、その前はなんと神戸の大震災に繋がったと言う。こういうのはこじつけもあるから、ほんまかしらんとも思ったが、何となく気になる情報ではある。
 つまりはこの大銀杏落葉情報によると、今年は大雪もしくは災害の年になるという事となる。

 さてさて僕は今どこかに小さな建築物を建てていたりする。山スキーに大雪は有難いが、建築には豪雪や災害は有難くない。
 どちらかと言うと、工期が遅れてでも大雪になってくれた方が嬉しいのが本音だけれど、それでもなかなか複雑な気持ちもあったりする。なおもちろん地震の様な天変地異は御免だ。

 そんなこんなで、高山にも近いうちに大地震が来るかもしれないねなんて、記者さんにかなり真顔で先ほど驚かされてしまったのでした。
2007年11月20日
混合診療でカルテが2冊
 昨夜は想定外のことで夜中に一度起こされたが、それ以外はとりあえす問題なく夜は眠れた。しかしやはり少し疲れがたまっているのか、朝は少し寝坊してしまう。
 毎日産直の僕には、病院の勤務時間なんてあって無い様なものなのだが、それでも患者さんを待たせ続けるのは心苦しい。
 慌てて朝食抜きで病院に駆けつけると、既に待合室は患者さんで一杯だった。

 というわけで今日も朝から晩まで秒単位外来を続け、約100人の患者さんを診察した。
 今日は特に各レベルのガン患者さんが多く見えて気を使った。ガン患者さんというのは自分の命が懸かっているので、それは真剣に医師の言動に注目している。その事は僕もガン患者になった事があるから痛いほど感じてしまう。
 多数の深刻な患者さんを短時間に診察するためには、有る程度の鈍感力も必要だ。その外に緊急の処置や説明も多く、いくら慣れているとはいえ、それでも疲れた。

 朝食抜きが応えたのか夕方からは立ちくらみと吐き気までしてきた。不整脈も出ている気がする、これはあまりにも働きすぎだよと感じる。
 夜には病院の会議があったが、その最中に今度は近所の開業医さんから緊急手術の手伝い依頼電話が来た。他院での分娩とはいえ、胎児が脳性麻痺にでもなったら、気分が悪いのでここは自分の仕事や会議をおいて開業医さんの応援に自転車で駆けつける。

 開業医さんの所で一仕事して帰ろうとすると、外には冷たい雨が降っていた。開業医さんのつけでタクシーに乗ってくれば良かったと思う。しかし今更遅いので仕方なくびしょびしょになって、自転車に乗り仕事が待つ病院に戻った。今日はこれでまだ手術や分娩が無かったから良かったが、これから来月にかけて手術ラッシュの日が来るのが分かっている。今から心と身体が持つだろうかと気が思い。

 さてさて話は変わり、東京地裁で混合診療禁止に違法判決が出たというニュースが先日流れた(ちょっと前だけどね)。これは司法が保険診療と自由診療の混合診療を認めたという点で、画期的な判決だ。
 これは国民皆保険で誰でも均一な治療を受けれる事を目指していた日本医療のあり方を変える可能性がある判決とも言える。これについての考察はまた別の機会に幾らでもネタを出して書こう。

 さて、なお産婦人科医療はもともと混合診療だらけで出来ている。というのは分娩や妊婦健診(もちろん中絶関係も)は保険診療に組み込まれてなく自由診療でできているからだ。産科と言うのはもともと、色々な意味で本音と建前が混在している分野なのだ。

 だから産科のカルテと言うのはちと変で、自由診療部分と保険診療部分で別れて2分冊で出来ている場合が多い。多分岐阜県内の主だった病院の産科外来カルテは、お上の指導で保険部分と自費部分で2分冊されているに違いない(電子カルテだとどうなってるのかなあ?)。

 なおこの2分冊カルテと言うのは、様々な伝達ミスに繋がるので、とても危険なカルテの在り方だと僕は思う。実際にこの2分冊カルテのために、検査オーダーが見落とされていたり、薬の処方が間違っていたり、そういう事は言っちゃ何だが山ほどあった。
 この手のミスはヒューマンエラーではなくてシステムエラーと捉えなければいけない出来事だと僕は思う。

 まして産科は出来ちゃった結婚や離婚の関係で、患者さんの名前が良く変わる。2冊のカルテに2つの異なる名前が書いてあったりしたら、これは人間違えするのが当たり前となる。
 僕の所では医師が僕一人しかいないので、まだ僕さえしっかりしていれば、2分冊カルテによる間違いは少なく済んでいるはずだ。
 しかし医療は分業で行われるのが普通だ。複数の医師が絡むとこの手の間違いはまた更に増えるに違いない。
 とにもかくにも、世の中のシステムやカルテなんてものは、シンプルであればあるほど良いに決まっているのだと僕は思っている。
2007年11月19日
山スキーに行くには
 山スキーの便りがメールで届く季節となった。僕も何処かで初滑りしたくて気持ちはうずうずしている。
 しかし仕事はなかなか僕を自由にさせてくれない。この土日も休みとはいえ各種業務に追われて過ごすしかなかった。
 特に日曜日と今朝は、深夜から早朝未明に各所で分娩が入り、それぞれで出動を要した。昨日も一昨日も共に寒い朝で、道路上の気温計は氷点下を指していた。今朝は雪も降っている。 

 山に雪が積もるのは嬉しいが、暖かい布団の中で突然の仕事の呼び出しを受け、寝ぼけながら病院まで舗装路を出動するのは嬉しくは無い。
 昔は寒い深夜でも歩いて病院まで出動していたが、最近は心臓発作等が心配になり、冬の夜は病院まで400mの距離を車で出動するようになった。ここで寒い中無理して歩くと、心臓にも良くないだろう。
 オシム監督ではないが、寒い朝と言うのは心筋梗塞や脳梗塞の発症率が格段に上がるものだ。
 
 さてさてとは言うものの、なにもしないでせっかくの休日を過ごすのはあまりに悲しいから、日曜昼間には分娩業務の合間を見て、山の偵察がてら家族総出で平湯温泉まで出かけた。
 雪の露天風呂という最高レベルの贅沢を簡単に楽しめるのは、高山に住んでいる有難みの一つだ。
 サッカーシーズンが一段落して、期末試験直前の長男には多分良い気晴らしになったろうと思う。

 平湯の森の露天風呂から見る峠周辺は完全なガスの中だった。乗鞍山頂周辺やこの時期定番の立山は吹雪に違いない。さすがにこんな状況で山スキーは辛いだろうと思いつつ山の天気を見て、自分の気持ちを慰める。
 しかし山スキーMLではそういう状況でも吹雪の中山スキーを楽しんでいる山スキーヤーの方々もみえた。僕もその根性を見習わなければならないと思ったりもする。

 昨日から今朝にかけての冬型通過で、山には大分雪が積もった。これで本格的に山スキーシーズンインだ。これからがパウダーの季節であり、それはすなわち根性スキーの季節でもある。
 しかし今月はまだまだ大きな手術が控えてるし、要注意患者さんも多い。その他雑用も多く引きずっている。

 家族は僕のわがままを許してくれても、仕事はそうはいかない。
 家族サービスと異なり、仕事上のサービスはやればやるほど、益々患者さんが集まるので、僕の拘束時間と業務量とストレスは益々増える事となる。これは僕のような勤務医最大のジレンマでもある。

 さてさてこのまま初スキーはどんどん遅くなり、トレーニングができないまま正月を迎えてしまうのではないかとすら思う。
 山で根性を発揮する前に、僕には超えなければならないハードルが幾つもありすぎるようだ。

家族サービスは山に行くための点数稼ぎでもあったりして
2007年11月17日
東京都の面積に一人
 高い山には雪が積もってきた。この時期には珍しく晴れマークと休日が重なった。今年度のスキーシーズン初日を飾るには相応しい日だ。
 ところが肝心要の代わりの医者が僕にはいない。強い見方の開業医さんは、あろう事か今日昼から医師会旅行で伊勢に出かけてしまった。
 というわけで、普段なら僕が留守番を開業医さんにお願いする事が多いのだか、この週末は逆に開業医さんの所のお留守番を僕が担う段取りとなっている。つまり今週末はどんな天気が良くても、僕は何処にも行けないのだ。

 しかしここの所僕は仕事ばかりの運動不足で、フラストレーションが貯まっている。
 そこで、今日昼までに帰るつもりで、雪が積もった乗鞍スカイラインを猫岳目指しラッセル訓練に出かけようと言う考えも少しあった。

 スカイライン上のスキー歩行はどうしても単調なのであまり気は乗らないが、トレーニングと割り切ればOKだ。
 何と言っても乗鞍スカイラインならだいたい携帯が通じるし、緊急時も割りと早く高山に戻る事が出来る。
 しかしその思惑は昨夜突然の急患入院で脆くも崩された。僕がいないうちに死人が出たらやはり困るのだ。
 しかも追い討ちをかける様に、深夜0時に分娩が入って出動を要する。これではもう早起きしてスカイラインに向かう根性なんて雲散霧消だ。
 というわけで今日は結局朝寝坊して、諸々の雑用で一日を過ごす事とする。仕事ももちろんあちこちであるし、やる事はいつでも僕にはたくさんある。

 さてさて、僕は様々な看板を持つ人間であるが、その一つに東海地区最北の産婦人科医というのがある。
 正確に言うと古川にもう一人別の開業医さんがみえるが、そこでは分娩を扱っていない。分娩を扱うのが産婦人科医の肝と考えると、自分の事を東海地区最北の産婦人科医と書いてもそれほど間違いではないだろう。
 そして僕のいる久美愛厚生病院は自動的に東海地区最北の分娩取り扱い施設となるし、東海地区最北の婦人科ガン取り扱い施設となる。

 さて開業医さんは僕の住む所より約1kmほど南に住んでいる。現況を分析すると、飛騨地区北半分の産婦人科業務を、僕の所と開業医さんの所の2件で担当していると言って言い過ぎではない状況だ。
 しかし今夜はその大事な開業医さんは、はるか彼方の伊勢にいる。つまり今夜から明日にかけて飛騨地区北半分の産婦人科業務は僕一人で診なければならないのだ。

 なお飛騨地区北半分の面積は東京都とほぼ同じ面積である。僕は今一つの都道府県より大きい面積の産婦人科業務を一人で担っているのだ。
 多分北海道や東北辺りにはもっと広い面積を担当している産婦人科医はいるだろう。しかしいずれにせよ僕が診ている面積は全国的にもかなり広い方になると思う。要するにそれだけ飛騨地域は産婦人科過疎地なのだ。
 というわけで僕の多々有る看板の一つに、東海地区最大面積の業務を担う産婦人科医といのも追加しておこうとしよう。

今日は晴れ。とある住宅の基礎工事現場からは、電線越しに笠が岳が見えました
2007年11月16日
山岳記録報告と医学症例報告
 昨日も仕事は慌しかったが、ちと早めに帰宅はできた。チャンスは逃さず大急ぎで車のタイヤをスタッドレスに替える。
 その後公文式の塾に通っている次男、三男を車で迎えに行き、コンビニに寄り肉まんを2個食べさせ、早着替えでサッカーのナイター練習場に送る。うちの家族は皆慌しい。その他雑用と買い物も分単位の移動で済ませ、遅い夕食時にビールを飲むと、やっと朝から続いていた仕事が一段落したような気がした。
 
 夜は眠れた。外来は混んだがそれなりの時刻に終了して、各種処置と回診も済ませた。
 これで週末モードには入れるかと思ったが、また先ほど陣痛発来の方が入院してきたので、これから深夜にかけてきちんと寝れるかふと不安がよぎる。 

 さて話は変わり、昨日発売されたばかりの山岳雑誌岳人12月号に、昨冬hosiyaさんと僕が行った西穂高北西尾根厳冬期日帰り記録がカラーページで掲載された。山行の内容に満足している訳ではないが、自分達の記録が雑誌に載り評価されたのは率直に嬉しく感じる。

 さて僕は医者だが、にもかかわらず医学関係の雑誌に載った事より、山岳関係の雑誌に載った事の方がずっと多い。
 医学関係の雑誌に載ったのは15年以上前、刈谷総合病院で働いていた頃に数回貴重症例報告を産婦人科関係雑誌に投稿した事があるくらいだ。
 日々人並み以上に臨床業務に励んでいるのだから、その事をもっと世間に生かす努力をしても良い気はする。山関係ではホームページまで作ってせっせと記録をUPしてるのに、医療関係ではその手の努力を全く怠っているのは何故だろうか。

 僕の生業は産婦人科医であるから、山岳雑誌に載る事より医学雑誌に業績が載る事のほうが大事だと思う。とはいえ僕は大学に籍をおいた時期が全く無く、基礎研究では箸にも棒にもかからない人間だ。だから僕くらいの年齢の医者の多くが持っている博士号も僕は持ってない。
 ただ臨床経験は比較的豊富なので、雑誌に投稿すれば載るくらいの症例は幾つも持っている。しかしどういう訳か医業の方では、それを発表するモチベーションがなかなか湧いてこないのだ。

 山の記録と医療の記録で決定的に異なるのは、医療では個人情報が絡む点だ。また産婦人科の世界は狭く専門的で、山の世界の様に広く開けようも無い。近年画期的に進歩した広く浅くのインターネットの世界は医療分野の報告にはあまり向いてない。
 また僕は多くの医者が勉学に励む頃に、遊んでばかりしていた事があったので、どこか医者の世界にコンプレックスを持っている。
 しかしコンプレックスは誰もがきっと少しは抱えているのが普通だとも思う。山の世界でだって僕は幾らでもコンプレックスを抱えている。

 山でもたくさんの傑出した登山を成していながら、それを全く報告しない人はたくさんいる。医者の世界でもそれは同様で、貴重な症例を密かに幾つも抱えて何の報告もしない人もいる。一方その逆の方ももちろんたくさんいる。
 ただ内容はともかく、やはり山の世界でも医者の世界でも、報告をたくさんする人の方が、報告しない人より偉いと思う。

 医学の学会でもいろいろな報告があり、中には突っ込みどころ満載の報告も有る。しかしそういう報告こそ勉強になる事も多かったりする。
 報告と言うのは面倒で、時に緊張したりめげたりするものだ。しかしそれでも自分の引き出しに仕舞い込むだけでなく世間に向かい何かを発信し続けていた方が、きっと自分のためにも他人のためにもなるに違いないだろう。
2007年11月15日
生殖機能の老化は早い
 何だかんだと慌しい日が続いている。昨夜も運動不足対策に仕事終了後クアアルプのフィットネスルームに行こうとしていたら、病院から続けざまに電話連絡が入ってきた。これでは運動に行く所ではない。
 結局入院患者さんの急変?という事で、午後9時前にに緊急手術が必要となった。
 夜間手術中だというのに救急外来から別の急患さんの診察依頼が入り、その対応も要した。
 その他に何時分娩となるか分からない経過中の方も入院してくる。

 睡眠時刻こそそれほどは削られなかったが、朝から夜まで僕には自由時間というものが無いのかと、ちと悲しくなった。
 今日の外来もしっかり混んでくれた。外来の最中に分娩と検査が入り込むし、これでは身体が幾つあっても足りない。
 今日は午後には予定の手術や検査は入ってない。色々と気になる患者さんはいるが、鈍感力を発揮して少しでも早く帰り、各種私的公的な雑用くらいは済ませたいものだ。

 さてさて話は変わり、昨日の看護学校の講義は主に不妊や避妊、そして性感染症についてのものだった。
 若い看護師さんの卵たちには、これから先たくさんの健全な子供を産んでもらわないと国が滅ぶので、この辺は特に力を込めて教えたりする。
 昔と異なり、避妊についてよりも、不妊症治療についてに時間を割いた。低迷著しい?産婦人科で唯一近年目覚しい進歩を遂げたのが不妊症治療の分野なのだ(総じてですが)。

 さて不妊症カップルは教科書的には10組に1組だと言われている。しかし最近は高齢での結婚が多いので、この不妊カップルの割合はもっと増えていると考えて間違いない。
 性交が上手くできないという、昔ではあまり考えられなかった不妊原因も増えているし、子宮内膜症や筋腫合併も増えている。しかしそれ以上に深刻な不妊原因は、単純な老化による受精卵の質の低下である。要するに生殖能力そのものが年と共に衰えていってしまうのだ。

 まだ結婚したばかりくらいの年齢で、老化も無いだろうと思われる方も多いだろうが、身体の機能は皆一様に衰えていくのではない。生殖機能というのは他に先駆けて、いち早く年老いて行く。
 古来人間というのは50歳まで生きれば上出来であった。つまりは30代で初めての妊娠を経験すると言うのは、生理的には遅すぎる。本当は人間は10代で妊娠を経験するのが自然であり、それで人間は子孫を延々と残しえたのだ。
 そう考えると、本当は看護士さんの卵の方は、勉強どころではなく出産育児に力を注いでもらわないといけないとなる。こんな馬鹿なと思えるが、それが生き物としての人間の正しい姿なのだろう。

 さてさてとは言うものの 複雑な現代社会を生きていくには、教育はどうしても必要だ。
 「女は勉強しないで産めよ育てよ」なんて言う時代ではない。そんな事言っていたら女医さんが主力となっている産婦人科は壊滅してしまう。要は誰もが言うように、女性が産み育てながら勉強とキャリアを積める世の中にならなければいけないのだ。

 そうじゃないと、今の世の中困る事になる。
 というのはこのままでは、学校の成績が×で、進学せずあまり勉強もせず性交渉に励む女性が子孫を残し、知能に秀でキャリアを積んだ女性が子孫を残せないとなる。これでは子孫の平均知的レベルは下がる一方だ。

 これは優勢保護の思想と繋がり、危険な発想と思われるかもしれない。いろいろ突っ込みどころの多い話だ、しかしここはやはり敢えて言わせて貰えば、優秀な女性がたくさんの子孫を残した方が世のためになると僕は思う。
 現場で様々な現実を見ている僕としては、これは由々しき大問題だとどうしても思えてしまうのだ。
2007年11月14日
講義をするからには
 昨日はまあまあの時刻で仕事が一段落した。
 今夜こそは大丈夫だろうと、油断?して子供のサッカーナイター練習の送り迎えその他をしていたら、近所の開業医さんから手術手伝い依頼の電話が入る。というわけで昨夜は想定外の仕事が入った。
 開業医さんからの帰りにはコンビニに寄り寒いのにビールとチーズを買って帰る。僕は仕事のストレスで食べてしまう方のタイプなのだ。

 今日はペーパーワークの日だ。書類の量は相変わらず多い。ドック、集団検診、看護学校講義、と次々と仕事が舞い込み、全く楽はできない。緊急手術になりそうな患者さんもいる。
 外は寒いが晴れている。山スキーのシーズンも近い。とはいえ僕は運動不足もあり、いらいらしながらあちこちで仕事をし続けるしかなかった。

 さてさて今日の看護学校講義は僕自身がいらいらしてたからか、看護学生達の緊張感が無かったのか、今ひとつの出来だった。 教室の隅で寝ていたり、ひそひそ話をしている学生がいると、妙に自分も気が散ってしまう。
 講義についていけず、集中していない子供がいると、自分の気持ちも焦る。そうなると説明がくどくなり、話をするスピードも早くなり、ますます授業は分かりずらくなる。これはちと悪循環だった。
 
 僕の講義は比較的若い男女から受けが良いので、さすがに教室崩壊と言われる様な状況にはならない。
 また教育と言うのは、自分の力を試される場でもある。僕も話の引き出しはたくさん持っている方だし、いろいろな技で子供達の興味を引きつつ話をしている。
 とはいえ僕は、自ら勉強する気の無い子を懇切丁寧に教えるほど、暇人でない。要するに地方の看護学校においては、産婦人科医が直接看護学生に教育を施すほどの余裕は無くなって来ているのだ。

 さてさてかく言う僕も学生時代はあまり良くない学生だった。また昔でも面白くない教師の講義を碌に聞いてない学生はたくさんいた。
 とはいえ昔の教室内の雰囲気と今の教室内の雰囲気はちと異なる気がする。端的に言うと子供達の集中力が昔より落ちている気がするのだ。
 これはゲーム脳のせいなのか、いわゆるペットボトル症候群なのか、親や教師の教育力低下のせいか、とにかく複合的な要因があるに違いない。今の学校の教師は多分昔よりずっと授業維持が大変なのだろうと思う。
 
 社会の教育力低下が叫ばれて久しい。これは学校の問題のみならず、家庭内のしつけの問題もある。
 テレビゲームが悪いのか、甘い飲料がいけないのか、忙しさにかまけての親の怠惰がいけないのか、それは良く分からない。
 いずれにせよ、現在進行形の子供を持つ僕としては、ここは家庭でも社会でも色々な意味でがんばりどころなのだろう。
 とはいえ既にもう手遅れなのかもしれない。世間から子供の量が減り、更にその質まで下がってるとなると、これから先自分達の老後はお先真っ暗だと思える。
2007年11月13日
高速道路とかの話
 昨夜は深夜0時に分娩があり、出動を要する。更に今朝早くにも分娩が入り、いつもより少し早めの出勤を要した。共に睡眠時間が削られる程ではなかったが、朝の医局会は産後の方を待たせるのもどうかと思い、例によってキャンセルさせていただく。
 昨日は平湯温泉の患者さんから初雪の便りを頂いた。国道158号では道路が凍結して多くのノーマルタイヤの車が立ち往生したらしい。

 そういえば昨夜深夜0時に分娩出動した時に、道路の気温計は0度を指していた。高山でも夜には霙交じりの雨が降っていたし、いよいよ季節が変わり本格的に冬が来たのを感じる。
 山でも雪が積もったようだ。早く車のタイヤをスタッドレスに変え、気持ちと山装備をスキーモードに切り替えたい。
 しかし子供がサッカー大会で勝ち抜いているので、それが終わらないとなかなか気分は変えられなかったりもする。
 さて今日は一日中外来の火曜日。外来の最中に分娩も2件入った。新規ガン患者さんの来院も多く、分娩の山は超えても、次はガン手術の波が来そうだ。これから山スキーシーズンなのに仕事量は減りそうに無いのが悲しい。

 さてさて話はがらりと変わり、この秋に高速道路が高山まで延びた。長い事山間僻地の烙印を押されていた高山の住民にとって、高速道路高山到達は長年の悲願達成にあたる。
 僕が高山に就職し10年前はまだ高速は郡上八幡までしか延びていなかった。だから用事で冬に名古屋に行こうとしたら、国道41号を延々と走り続けなければならなかったものだ。それを思うと確かに時代の進歩を感じる。

 お陰でこの土曜日に名古屋を往復、日曜日には岐阜を往復したが、それほど苦にならなかった。
 高速道路は除雪も早いから、下道より雪にも強い。同じ距離を走るのならば高速の方がずっと燃費も良いし、これで高速代がもっと安ければ言う事はないとなる。
 以前管直人は民主党のマニフェストで高速道路無料化を挙げていたが、もし民主党が政権を握れば本当にそうなるか、少し見ものだと思っていたりする。

 さてだからかどうかは知らないが、今高速道路には様々なETC割引制度が出来ている。
 導入された当時はあまり評判の良くなかったETCだか、これだけ割引制度が充実すると、誰もがETCを利用する時代ももうすぐそこだろう(上手く操られてる様な気もしますが)。

 しかしこのETC割引制度には、時間帯とか走行距離とかで様々な制限が散りばめられている。特に高山から岐阜に向かう場合、高山岐阜間の有料道路区間の距離は104kmで、通勤割引制限である100kmを4kmだけオーバーしてしまう。
 だから通勤割引を利用するためには、どこかで有料道路区間をスキップする必要が出てくる。せっかく作った高速道路でも一部下道を使わなければならないのは、節約のためとは言えちと複雑な気持ちだ。

 そこで試しに試算てみた。高山〜岐阜各務原の高速標準料金は2800円である。
 これが割引時間帯に清見〜荘川をスキップしたら1200円になる。関〜各務原をスキップしたら1300円になる。
 一旦インターチェンジを出てまた同じインターから入るという、ちと世知辛い作戦だと、関で一旦降りて入ると1750円となった。
 ちなみに帰りに荘川で一旦降りて入っても、帰りの高速代はやはり1750円となった。

 更にこれを名古屋で試算すると、高山〜一宮の高速標準料金は3150円だ。これが通勤時間帯に関で一旦降りて入ると2250円となる。帰りに高鷲で一旦降りて入ると2300円だ。
 まあこれを見てどういう選択肢で高速に乗るかは、人それぞれだろう。聞いた話ではETCカードを2枚持ってると更に上手く割引を利用できると言う。
 とにかくは、これから岐阜から高山に戻る時は、通勤時間を利用し荘川で降りて、桜香の湯で温泉に入って帰った方が、かえって安く付くという事は良く分かった。
2007年11月12日
ドラゴンズ、何時の間にかアジアで1番へ
 この土日は代務の先生が来てくれていて、山にこそ行けなかったが、仕事を少し離れ土曜に名古屋、日曜に岐阜へ出かけリフレッシュは出来た。
 特に昨日のサッカーの勝利は、ただの小学生サッカーとはいえ、その劇的な幕切れの余韻がいまだに少し残っていたりする。
 今日は朝から予約診察と手術とやや要注意の分娩が続き、何時もの様に忙しい週の始まりだ。これから深夜の分娩もありそうでちとそれは気になる所だ。

 さて昨夜遅くに帰宅したら、プロ野球のアジア大会決勝がちょうどテレビで行われている所だった。試合は点差一点の緊迫したゲームだったが、テレビ中継は試合結果を待たずに途中終了となる。
 しかも今朝のテレビでも野球の結果はなかなか報道されなかった。中日の勝利の報を僕が知ったのは先ほどネットのスポーツページでの事だ。

 粘る韓国チームを振り切って中日が53年ぶりの日本一に引き続きアジア1のタイトルを取った事はめでたい。しかし土曜の名古屋でも、それほど中日優勝で盛り上がっている雰囲気は無かった。
 僕が名古屋にいた頃は中日がリーグ優勝すると、それは名古屋中引っくり返った様なお祭り騒ぎになったものだ。やはりどうも野球の世界は少し冷めてきたに違いない。

 僕は学生の頃から中日ファンで、山岳部で初登頂したインドヒマラヤの山を、ドラギリと勝手に名づけインドヒマラヤ協会に報告した事もある。その山はCB47と言う測量名しかそれまでは無かったのだ。
 もちろんそれは完全な自己満足の行為であったが、それでも内心では名古屋の誉れの様な気がしていたのを何となく覚えている。
 だから中日優勝でもそれほど盛り上がらない名古屋の町に少し寂しく思ったりもした。

 さて野球の人気が落ちていると言われて久しい。野球選手の年俸は目もくらむばかりだが、球団経営自体は相当に苦しいと言う話も良く聞く。
 野球人気にかげりが出てきた理由は何故だろうか。その理由は専門化が幾らでも分析しているが、スター選手が皆大リーグに行ってしまう以上、それはもう時代の流れとして仕方が無い事なのだろう。

 先日中国ではこうろぎ相撲と言うのが古くからあって、こうろぎが大金で取引され、強いこうろぎを持つと大変な名誉とお金を得れるニュースを見た。
 登山で高い山に登るのも、野球やサッカーで勝つのも、こうろぎ相撲で勝つのも皆、うつろい動くバブルの世界の出来事なのだろうか。そう考えると何だか妙に寂しい。

 平安時代の古典に「遊びをせんとや生まれけん、戯れせんとや生まれけん、云々」という歌があるが、スポーツや芸事のような遊び事に多くの価値を見出せる心の余裕も、世の中から少なくなってきたんじゃないかと気になっていたりする。

中央部の山がアケラキラとドラギリ
2007年11月11日
最後まであきらめない事が大事
 天候不良の週末となった。貴重な代務の先生が来てくれている週末ではあるが、この時期の山は冬山と秋山の合間で、意外に難しい時期だ。気楽に登山に出かけるにはあまり好ましい時期とは言えない。
 そこでここは潔く、土曜日は名古屋まで行き婦人科腫瘍の勉強会(兼ショッピング)。今日日曜日には岐阜川島サッカー会場で開かれる小学校サッカー県大会応援を楽しむ事とした。

 さて次男希太の所属する東小サッカー少年団は、10月に開かれた飛騨地区予選をギリギリで勝ち抜き、とりあえず今日の県大会1次リーグに無事コマを進めていた。
 とはいうものの飛騨地区最下位4位という成績での出場は、はっきり言って県大会出場チームの中で最低レベルだ。

 岐阜、西濃、東濃各地区予選を勝ち抜いてきた他のチームは、どこも6年生主体で身体の大きな強いチームばかりに見える。
 今日の県大会1次リーグの組み合わせを見ても、これは最初から1次リーグ敗退は目に見えているような状況だった。
 今日朝一番に行われた対戦相手同士での戦いを見ても、一味違うハイレベルな戦いが繰り広げられている。

 これは今日は恥をかきに岐阜までやってきたものだというのが、試合前の監督、コーチ、親さん共通の認識だった。同じ敗退するにしても大量得点差で負けない事が目的みたいなものだ。というわけで午前中の1試合目にはほとんど予定通り2−0で負ける。
 
 後は次の試合に勝たない限り東小チームの敗退が決まる。そうなると6年生の試合はこれで終了だ。
 ところが予想以上の頑張りを子供達は見せてくれた。必死に相手の猛攻をしのぎ続ける。しかし東小チームも何回も絶好のチャンスを逃した。
 相手チームは引き分けでも勝ち抜ける。しかし弱小飛騨チームに対して、相手チームが勝ちに来た時にチャンスはやってきた。

 このままスコアレスの引き分けで、東小サッカーの戦いもこれで終わりかと誰もが思った試合終了20秒前、奇跡の決勝ゴールが決まった。
 まるで自分がゴールを決めたかのように親さんは大歓声を挙げる。全く最後まで、何が起きるか分からないのがサッカーだと思う。長男の時を含めても、今日の試合は最高の劇的勝利だった。これで東小チームは2週間後の県大会本戦に勝ち残りを決めた。これは予想外の快進撃と言えるだろう。

 そんなこんなで、今日は子供達から大きな感動を得る事が出来た。今は、何事も最後まであきらめない心の大事さを子供達から逆に教わった様な気分だ。

子供達は最後まであきらめない


この直後に奇跡?のゴールが決まった

 
 
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