『KONO君って「学級委員」とかやったタイプでしょ??』
などと友人に言われることがある。 これって「マジメ」っていう意味?「面白みのない優等生」っていう意味(笑)??
昔の僕は「ガリ勉」ではなかったし、「マジメ君」ではなかったとは思うけど、たしかに「学級委員」とか「子供会の会長」とか「生徒会」とかもよくやった。何か「役割」を決める場面がくると、周りから推薦されたり、指名されたり、押し付けられたりした(笑)。
「寺の子」っていう「周囲の目」も意識しなかったといえば嘘になるけど、基本的にはソツなくその「役割」をこなしてきたと思う。でもホントはすごくイヤだったんだ。
だから、「適役」に見える人が指名もされず、何の「役」もせず、そういう可能性をいつも上手に交わし、なぜか目立たない位置にいて、「自分のことオンリー」に時間を使えるヤツをウラヤマシク思ってた。
でも、今だから言える。
自分の名前が挙がるってことは、実は、ものすごく有り難い事なんだなと。 本意じゃなくても、自分で望んでいなくても、どなたからか声をかけていただいたり、分相応ではない「役割」を与えられることで、否応にもその「場」に立たせてもらい、学び、色んな経験をさせていただいてきたなぁ、と。そして、ふり返れば、良かったなぁ・・・と。
でもね、
僕が「住職」になって約半年。お坊さんには、「檀家と寺」という「つながり」もある。今は、新住職としてのその「つながり」の中で、檀家さんと一緒にこの寺をどういう「願い」のもとにやっていくか、そのことで日々アップアップ状態な自分である。
しかし、お坊さんには、他にも別の「つながり」があるのだ。
それは、「寺と寺」という「横のつながり」である。同じ地区にある「同じ宗派」の寺の集まりがある。 その「集まり」の中で、来年度から「何かの役職」がこの僕に当たるらしい・・・(あくまでウワサ)。
まだ「ウチ(の寺)」の事も分からない事だらけなのに、寺つながりで「外」の事をしなきゃならないだなんて・・・・・・・・・・・・・・・・。
でも、先述したように、本意じゃなくても、めんどくさくても、自分で望んでいなくても、どなたからか声をかけていただいたり、自分の名前が挙がるってことは、実は、ものすごく有り難い事・・・。
しかし正直に言うと・・・。
こんな「駆け出し」の僕なんかがやらなくても、「適役」に見える人が他にもいるはずなのに・・・とも思ふよぉぉぉぉ。
ちなみに僕の所属するの宗派は「お東(真宗大谷派)」だが、「役職」に当たるのは「住職」になっていないとダメらしい。「お西(本願寺派)」の方では、「住職」でなくても、「副住職」でも、年齢的に若い人でも、集まりに顔を出したり、発言権があったり、「役職」が当たる場合もある。その点では、お西の方が開かれている。
「住職(父)」の陰に隠れて、あるいは「若いから」っていうことで、集まりにも出ず、指名もされず、目立たない位置にいて、「自分のことオンリー」に時間をタクサン使えた時代を、ちょっとだけナツカシク思う。
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