解説





彼女が不在 - 解説にかえて -
鳥居節子

 リュウちゃんから、久しぶりに小説を書いていると聞いたときからイヤな予感はしていたんだけれど、やっぱり私にオハチがまわってきた。解説を書けと言う。リュウちゃんの作品を読むのは私の楽しみのひとつで、それはそれでいいのだけれど、書くのはちょっと…、の私である。しかし、あーあ、読書感想文を書く羽目になってしまった。
 それほど長い作品ではないのに、読み通すのには少々体力が要ったこの小説、読み終えて、書いておきたいことがふたつあった。
 ひとつめは、描写力。なんだか、描写力が飛躍的に向上しましたね、リュウちゃんは。それはもう、冒頭から驚かされる。冒頭の数行、あれば熱帯地方特有の、だれるような暑さを描写している。リュウちゃんはいつか言っていたのだが、熱帯地方での暑さは半端ではないらしい。それ自体が、一個の生命体のようだと言っていた。そんなことを思い出したのだけれど、あの冒頭の十数行は、それが見事に描写されている。それこそ、まるで生きもののように! 冒頭だけでなく、全編を通して、こんなふうな力強い描写に溢れている。リュウちゃんの得意技だったリズムのある文章のタッチが今回は影を潜めて、難解で読みづらい文章が続くのはそのためだ。漠然としか世界を見ていなかった今までの「眼」を捨てて、新しい高性能の「眼」を、リュウちゃんは本気で手に入れようとしているような気がする。それを使って、おそらく徹底的に深層まで、かつ正確に描き切ってやろうとするリュウちゃんの覚悟の証拠が、この作品なのだと思う。さっき、読みづらいとか難解とか言ったが、じつはそうではなくて、私たちの「眼」が、それだけいい加減なのだ。リュウちゃんが手に入れようとしている「眼」に私たちが追いついていないから、私たちには難解と映るのだろう。これは、リュウちゃんからの叱咤激励だと。私はそういうふうに受け取る。でも、課題がないわけでもない。私はリュウちゃんとは盟友だけれども、ライバルでもある。太鼓持ちではないから、褒めちぎって終わるわけにはいかない。課題は、やはりリズムだろう。難解であることは了解したけれども、その難解さを、やはり平易な文章で表してほしいのだ。それが、プロと言うものだろう。むかし、一緒に机を並べて仕事をしていたとき、リュウちゃんは、「難しきことを易しく、易しきことを深く、深きことを面白く」という標語を、机に貼っていた。エンターテイメントを意識しなくなったら、それはマスターベーションでしかない。リュウちゃんの得意技である、テンポのいい文章で、読み手を意識する気持ちを徹底させれば、おそらく無敵になるのでは。でも、そんなことは、私に言われるまでもなく、リュウちゃんはわかっているはずなのだが。
 ふたつめは、「彼女」。リュウちゃんの作品は、大別して、旅のもの(本人曰く、ロードムービー)と恋愛もの(本人曰く、ラブソング)のふたつなのだけれども、今回の作品は、ロードムービーのスタイルを借りたラブソングである。さて、リュウちゃんのラブソングだが、これがいつものことながら凄まじい。いつものことだけれども、リュウちゃんの作品では、男女の恋愛が、まともであったためしがない。かつての名作(じつに!)『チャイと惰眠、瓦礫のなかのゴールデンリング』のなかで、彼は、「凡百のヒューマニストたちに言いたい。恋愛はエゴイズムの極致だ!」と言ったけれど、これは至言である。この言葉を踏まえて、今回の作品も書かれている。今回の作品を丹念に読んでいくと、「彼女」は物語の中心として頻繁に登場するけれど、「彼女」の言葉によって「彼女」の内面が語られることがないし、「彼女」の側から「私」を見ることもない、ということに気づく。ふたりがいて初めて成立するはずの恋愛の物語であっても、「彼女」は置き去りにされているのである。彼女はいないと言ってもいい。TVで量産されるトレンディドラマとリュウちゃんの作品との決定的な違いは、ここ。人間は、最終的にはひとりなんだよ、という絶望感。そうした絶望感を抱えたところから、出発しようとする恋愛。私は、それは正しい姿だと思う。この点で、私とリュウちゃんの認識は完全に一致しているから、私は全面的にリュウちゃんを支持する。
 それにしても、今回はオンナが描けている。いったい、なにを経験したのか知らないけれども、驚くほどオンナが描けている。最後のあたりで繰り広げられる「私」と「彼女」の応酬がすごくいい。「私」はスタンスの話をしているのに、「彼女」は好き嫌いの話になってる。論理で話を進める「私」と、感情で訴えてる「彼女」。完全にすれ違っていて、議論になっていないところがいい。以前のリュウちゃんなら、あそこは議論になっていたと思う。でもね、オンナは泥沼にはまったら、絶対に論理での解決を認めない。必ず感情に走る。オンナはそれだけバカなのかも知れないが、そういうふうに描けているところが、すごく説得力があっていいのだ。あんなに聡明な「彼女」が、このときばかりはバカになってしまうのは、じつに説得力がある。こういうふうには、なかなか書けないはずだ。なにがあったのだろうか。なにかあったんだろうな、リュウちゃんの身の上に。
 いろいろとヘタクソなことを書いてきたけれど、私はキチンと、精一杯、リュウちゃんの今回の作品を評価しています。これは素晴らしい作品です。間違いない、彼の、マイルストーンとして輝く作品になっているはずです。





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