模型「私」


 Mから電話があった。『私』という模型があるのを知っているかと言う。知らないと答えると、面白いから今すぐ買ってつくれと言う。彼の話では、ちょっと変わった模型らしい。
 「ともかく、出来上がったら電話をくれ」そう言うと、Mは電話を切った。
 Mは高校時代からの友人で、映画でも演劇でも、小説でも音楽でも、なにか面白いものがあると、すぐに電話してくれる男だ。彼には妻と2人の息子がいて、他に若い恋人もいる。現在のMの最大の悩みは、「離婚すべきかどうか」だ。僕を含め、周りの人間の意見は離婚反対で一致している。客観的に観て、Mは恋人にお金の面で利用されているだけだし、Mが離婚したからといって、恋人は彼とは結婚しないだろう。ところが、Mは傍に人がいないと生きていけないタイプだ。
 他人から見るとわかることでも、当人には見えないことがある。
 2日後、Mからまた電話があった。「つくったか」と言う。「イヤ、その模型ってなんなのさ?」と訊くと、「ともかく面白いからつくってみろよ」としか言わない。彼は電話を切るまえにこう言い残した。「早く買わないと、売り切れるかもしれないぜ」
 翌日、僕はデパートのオモチャ売り場に行って、模型コーナーを覗いて、店員に尋ねた。店員はガンダムなどの箱が積み上げられている一面に案内してくれた。隅のほうに白い箱がふたつあった。店員はひとつを取ると、僕にわたした。
 幅30センチメートルくらいの白い箱は意外に軽い。蓋には辰巳四郎のリアルなイラストで包帯グルグル巻きの顔が描かれている。例の、透明人間でよく見るやつだ。包帯の上の部分が外れて垂れ下がり、今にも顔が表れようとしている。その顔のちょうど鼻のあたりに、グレーの文字で、『THE MODEL "I"』と書かれている。
 レジに持っていくと、「1050円です」と言う。
 僕は『THE MODEL "I"』を買った。
 帰宅して、すぐに箱を開けた。
 箱のなかには、説明書の他に、20個程度のパーツがついたスチロール樹脂の板が1枚。CD-ROM1枚。厚手のビニール袋1枚。長さ5センチメートルくらいのボンべ(「浮力ガス」と書いてある)3本。赤い液体の入った瓶(「重力液」と書いてある)1本。注射器風の器具ひとつ。MOドライブのようなもの(「データ転送装置」と書いてある)1個。ケーブル1本。消しゴムのような四角いもの(「私」本体と書いてある)1個。以上が入っている。
 説明書は二つ折りになっていて、表紙には蓋と同じ絵が印刷されており、開くと冒頭にはこんなことが書いてある。
 「1985年以降、複雑系で有名なサンタフェ研究所で、模型『私』の開発が進められてきた。『私とはなにか?』はデカルト以来の哲学上の大問題である。研究所では、哲学、心理学、社会学、経済学、生物学などでの『私』の定義をすべて数式化し、コンピュータに入力し、『私』のプロトタイプをつくり出した。その結果、『私』とは、時・空間に浮かぶ刺激/反応系のボックスと措定された。その『私』のプロトタイプに個人のデータを入力していくと、固有の姿態を持った『私』が現れてくる。これを用いることで、『私』についてのシュミレーションが可能になった。『THE MODEL "I"』は研究所で作成された『私』モデルを簡易にした普及版である」
 右ページには、作り方の手順が、1、2、3とマンガのコマ割りのようになっていて、それぞれには絵がついている。
 説明書の裏側には、これから発売予定の宣伝が載っている。『THE MODEL "COUPLE"』『THE MODEL "FAMILY"』『THE MODEL "COMMUNITY"』

 翌日は日曜日だったので、午前10時からつくりはじめた。
 つくりかたの手順にしたがい、パーツを外し、結合していく。プラモデルをつくったときのことを思い出す。
 30センチメートル四方の柱だけの立方体が出来上がる。その中に厚手のビニール袋を入れ、口を折り返して固定する。ビニールにはコンピュータからのケーブルを繋ぐコネクターがついている。
 ビニールを固定すると、水槽のようなものが出来上がる。説明書には「生活時・空間ボックス」と書いてある。
 完成型の絵を見ると、その「生活時・空間ボックス」に水を入れ、本体『私』を浮かべるらしい。この絵の本体『私』は消しゴムのような四角いかたちをしている。

 つくりかた手順の3に進む。
 「CD-ROMをコンピュータに入れてください。この後の手順はディスプレー上に出ます」と書いてある。
 コンピュータにCD-ROMを入れると、「つくりかた手順4、基本事項の入力」という大きな文字が画面に出る。「次へ」をクリックすると、名前、生年月日、身長、体重……といったものを入力するようになっている。ひとつひとつ入力する。ちょっと変わっているのは、どの項目にも価値意識というか自分の希望を入力していかなければならないことだ。たとえば、身長のところで、僕は173センチメートルと入力した。すると小さな画面が開いて、棒グラフが出る。「自分の希望する身長」と書いてあり、棒グラフの先端は173のところにある。その先端にポインターを置いて、希望の身長まで持っていき、固定するのだ。僕は、185のところへ引き上げ、「OK」のボタンを押す。
 基本事項は予想外に多い。学歴も書かなければならないし、年収、病歴、家族構成、持久力、簡単な論理テストまでついている。いちいちに価値意識のグラフを固定しなければ、先に進むことも出来ない。全部入力するのに、1時間近くかかった。入力が終わると、「再起動してください」という文字が出た。

 コンピュータを再起動して、僕は昼食をとることにする。
 鍋にお湯を沸かし、スパゲティを茹でる。同じお湯でレトルトパックの「なすとシーチキンのトマトソースに」を温める。スパゲティを茹でながら、なんだかなー、と思った。
 入力した基本事項のどの項目をとっても、僕は自分に満足していないことがわかったからだ。身長だって、年収だって、学歴だって、持久力だって、もっと高く、もっと多く、もっと強くと望んでいる。
 誰だって、同じようなものかもしれないけれど……、と思いながら、スパゲティを食べた。

 午後1時、机のまえに座ると、画面に「つくりかた手順5、セックスについて」という文字が出ていた。
 「次へ」をクリックすると、質問項目がずらずらと出てくる。たとえば、「日常的に性交渉を持っている相手はいますか? 人数は? 1ヶ月に何回性交をしていますか? 1ヶ月に何回マスターベーションをしますか? 性交で快感を感じていますか……」というようなこと。「モア・リポート」の質問項目みたいだ。これにも自分の希望を表す棒グラフがついている。「1ヶ月に希望する性交の回数」とか「希望するマスターベーションの回数」とか。僕は正直に願望を記入した。
 30代のある時期、僕には性的な関係が一切ない時期があった。そのことを思い出した。その頃の僕は、他人に触れたいという肌と肌の接触感覚に飢えていた。手を握るだけでもよかった。これが僕の性願望の一番底にあるものだ。
 そんなことを思い出していたら、なんとなくやきもきしてきた。窓を開け、外の空気を入れる。説明書が風でカサカサと音を立てた。

 「つくりかた手順6、性格診断」
 小さな文字で、「この項目は、友人や親などの知り合いに記入してもらうのがよいでしょう。自分で記入する場合は、なるべく客観性を失わないようにしてください」と書いてある。「次へ」をクリックすると、性格を表す言葉がズラズラと並んでいる。文字のまえに小さなボックスがあり、そこをクリックするとチェックマークがつくようになっている。「自分の性格だと思われるものすべてをチェックしてください」と書いてある。
 性格についての言葉はすべて反対語との組み合わせになっている。「□飽きっぽい □粘り強い □きちんとしている □だらしがない □決断力がある □優柔不断 □社交的 □内面的……」
 大概、どちらかをチェックすることが出来た。わりと客観的な判断になっていると思う。なかにはどちらとも言えないものもあり、それにはチェックを入れなかった。「□サディスト □マゾヒスト」などは、どちらもあるし、どちらかわからない。「□やわらかい □かたい」は、なにを指しているのかがわからなかった。

 「つくりかた手順7、自分を生き生きさせたこと」
 「今までで自分が生き生きとしたことを思い出して、3つの項目を選んでください」と書いてある。
 「□遊び □仕事 □集団作業(チームプレイ) □人に甘える □人から甘えられる □人を愛する □人から愛される □人から褒められる。……」など50項目くらい出てくる。
 僕は「□人から褒められる」「□人から愛される」「□クリエイティブな仕事をする」の3つを選んだ。「□人を喜ばす」「□正しい行いをする」を選ぼうかと思ったが、自分の理想ではなく、経験したことを選ばなければならないので、自分がどんなときに喜びを感じたかを振り返り、正直に選んだ。
 3つを選び、「OK」をクリックすると、画面に3つの言葉が並び、その下に「現在どれだけ満たされていますか?」と書かれている。
 「□人から褒められる」
 たまに、ましな文章が書けると、他人が褒めてくれる。しかし、最近はほとんどよい文章が書けていない。情けない。仕方ないので、もっぱら以前に褒められたことを思い出して、生きる力としている。40パーセント。
 「□人から愛される」
 恋人がいて、彼女は僕を愛してくれている、と思う。結婚はしたくないらしい。ずーっと恋人同士でいたいのだと言う。そこが僕の不満で、10パーセントマイナスの90パーセント。
「□クリエイティブな仕事をする」
 広告用の文章を書いている。それがクリエイティブなのかと問われると、胸を張って「そうです」とは答えにくいが、結果はともかく、心意気は創造的な作業のつもりだ。で、50パーセント。
 3つのパーセンテージを入れて、「OK」をクリックすると、画面が絵に変わった。消しゴム型の本体の上にボンベを挿している絵だ。「本体に浮力ガス2本を注入してください」と書いてある。
 本体の上の穴にガスボンベの頭の部分をつけて押す。シューッと音がして、本体の中心にガスが入っていく。
 「つくりかた手順8、自分を生きにくくさせていること」
 選び方は前のものとまったく同じだ。選択肢も50近くある。「□いじめ □孤独 □失業 □馬鹿にされる □貧乏 □自由がない □暴力 □目標がない……」
 僕は、「□病気」「□暴力」「□馬鹿にされる」を選んだ。
 「□馬鹿にされる」は、僕にとって、日常生活のなかで一番心理的な負担になっていることだ。人にどう見られるかが、僕には重要なのだ。人の評価が自分の気分を左右している。これは、「自分を生き生きさせること」の選択項目で、「□人に褒められる」を選んだことと裏表の関係になっている。僕の生育史と関係あるに違いない。
 「現在どれだけ生きにくくさせているか」という点では、「□病気」が10パーセント、「□暴力」が10パーセント、「□人に馬鹿にされる」を70パーセントとした。
 「OK」をクリックすると、画面に絵が出て、「重力液を注射器で70cc取り、本体に注入してください」と書いてある。
 指示通りに本体に注入する。本体が重くなった。
 ここまでの作業をしたところで、僕は自分というものに少しうんざりしはじめた。
 台所に行き、お湯を沸かし、フィルターに入れたコーヒー豆に熱湯を注ぐ。豆は泡を出して膨れ上がる。
 コーヒーカップを持って、机に戻る。
 オレって、あんまり立派な人間じゃないな、と思いながら、コーヒーを飲む。
 ウーッ、苦い!

 「つくりかた手順9、容貌入力」
 「次へ」をクリックすると、「頭髪、額、耳、眉……」などと顔の各部位についてそれぞれ選択項目がある。たとえば、目だと「□一重瞼 □二重瞼 □薄い瞼 □厚い瞼 □長い睫毛 □短い睫毛……」というたくさんの項目にチェックを入れていく。
 全項目を選択して、「OK」をクリックすると、画面に写実的な似顔絵が出てくる。「自分の写真を見ながら微調整してください」と書いてある。どのようにするかと言うと、たとえば、目尻にポインターを合わせて上に引っ張るとつり上がった目になるし、耳たぶの下にポインターを合わせて下に引っ張ると耳が大きくなる。
 なかなか自分の顔にならない。1時間近く、目や耳や鼻を触っていて、もうこれでいいや、という気持ちになった。
 自分の顔について、部分ごとに手を入れていると、なにがなんだかわからなくなる。ほんのちょっとしたことで印象が違ってくるからだ。普段、女性を見て、美人だな!と思っていることの確信が揺らぐ。美醜の基準とはなんなのだろう。
 ともかく「OK」をクリックした。

 「つくりかた手順10、本体への転写」
 「転写装置をコンピュータに接続し、本体を転写装置に入れてください。今までの入力データを転写します」とある。
 転写装置はMOドライブのようになっていて、そこに消しゴム型の本体を押し込む。転写は自動的に行われていく。今まで入力したデータが本体に入っていっているらしい。コンピュータの画面上にデータが移動していく様子が棒グラフで示されている。棒が伸び切り、転写が完了。「OK」をクリックすると、トースターからパンが出てくるように、転写装置からポンッと本体が飛び出した。本体を手に取って見る。
 私の顔が印刷されていた。
 最初につくった「生活時・空間ボックス」に8分目くらいまで水を入れる。ビニールのコネクターとコンピュータをケーブルで繋ぐ。消しゴム型の本体を入れる。
 コンピュータの画面に、「しばらくお待ちください。本体が真実のあなた『私』に変化します」と書いてあり、変化の進行状況を示す棒グラフが伸びていく。
 「生活時・空間ボックス」の水のなかで、「本体」が変形していく。僕は水槽の熱帯魚を観察するように覗き込む。「本体」は徐々におにぎりのようなかたちに変わっていく。その表面に僕の顔が印刷されていて、首が水槽にプカプカ浮かんでいるかんじだ。水面は目の下あたりにある。
 画面では棒グラフが60パーセントくらいまでになっている。
 「本体」の下の部分が膨らみはじめる。焼いた餅が膨らむ様子をちょうど逆さにしたように、プーッと下に伸びていく。
 グラフは100パーセントまで伸び、画面には「完了です。以後『本体』を『私』と呼ぶようにしてください」と書いてある。
 水槽のなかには、角が丸くなった円錐形の僕の顔があり、顔の下の部分が伸びている。よく見るとそれは、ペニスの形状になっている。
 これが僕?
 おぞましくて、正視に耐えない。吐き気を感じた。

 僕は模型をそのままにして、外に出た。もうすっかりあたりは暗くなっている。冷たい風が気持ちよかったので、住宅街を歩く。
 あの醜い姿が僕だと思うと、恥ずかしいような、イヤーな気分が身体に満ちる。この気分はどこかで味わったことがあるぞ、と思った。
 住宅街を抜けて公園に入る。風が吹き、暗闇のなかで無数の葉と葉がこすれ合い、ささやき声をあげる。
 あ、あれだ。
 イヤな気分を思い出した。録音された自分の声を初めて聞いたときの気分だ。テープレコーダーのスピーカーから出てくる声が、まさか自分のものだとは思えず、機械が壊れているに違いないと思った。周りにいる友だちは、これがおまえの声だと言った。
 他人が聞いている自分の声を自分が知らなかったのと同じように、模型の『私』は他人が見ている『私』で、僕だけがそのことに気づいていないのだろうか。

 家に帰り、水槽のなかを見直した。『私』はより一層醜く膨らんだように見える。
 コンピュータの画面には「『THE MODEL "I"』の完成。この装置を使って、さまざまな人生のシュミレーションを行ってください」と書いてある。「次へ」をクリックすると、「『私』の未来予測」と大文字で出て、その下に生活上の出来事項目が書いてある「・家 ・子供 ・退職 ・金 ・体力 ・死……」となっている。「・金」をクリックしてみた。「・大金 ・小金」と出る。「・大金」をクリックする。「・遺産 ・株 ・仕事 ・退職金 ・宝くじ ・ベストセラー ・保険」という項目が出る。「・宝くじ」をクリックしてみた。すると、「宝くじで1億円が当たる!」という文字が出て、水槽にさざ波が立った。『私』が変形し、卵形になり、表情が笑顔になる。顔の下のペニスが大きくなった。
 どういうこと?

 夕食後、模型づくりで過ごした一日を思って、ボーッとしていた。
 僕自身について、久しぶりに考えた。この模型は完成したものよりも、つくる過程に意味があるのかもしれない。
 電話が鳴る。Mからだ。
 「出来た?」
 「なんだよ、これ」僕は少し怒っていた。
 「どんなかたちになった?」と訊くので、『私』のかたちについて説明した。
 Mは笑い出し、その笑い声はなかなか収まらなかった。笑いながら、「なるほどな」と一人納得している。
 「どういうことなんだよ」僕が訊く。
 Mの説明によると、インターネット上に『THE MODEL "I"』のホームページがあって、『私』のかたちの類型が出ているのだと言う。それを見ると、僕は、自意識と性欲の過剰なタイプなのだと言う。
 「おまえから見て、僕ってそういうタイプに見える?」僕は真面目な声になっていた。
 「まあな」Mは答える。「自分だって、冷静に考えれば思い当たるだろ?」
 そう言われてみれば。自己チューだし、性的妄想も激しいかな。僕は納得しそうだ。
 「オレのはね」Mが言う。「手と足が4本ずつあるんだ」
 「なんだよ、それ。タコじゃん」僕は笑った。笑いながら、映像としてMの人間性にピッタリだと感じていた。
 「類型によると、他者依存型なんだって」Mが言う。
 「当たってるな」
 「やっぱり、そう思う?」
 「ああ」
 「シュミレーションしたんだけど」
 「どんな?」
 「ふふふ、離婚だよ」Mがいたずらっぽい声で言う。
 「どうなった?」
 Mが答えるのに10秒ほどの間があった。
 「死んだ」
 彼の『私』は痩せ細り、水中に沈み、横になって動かなくなったのだと言う。
 ご愁傷さま、と言うわけにもいかず、僕は上手い言葉を見つけられないでいた。そんな気配を察したのか、Mは笑いながらこう言った。
 「じつは今日、もう一個『私』を買ってきたんだ」

fin.