2007/12/09(日) 17:37:08 [創価「あの事件」も]
26年間「遺体」を隠し続けた男
「時効殺人犯」が「殺された方が悪い」 何とかできないのか?
1978年、東京・足立区。学校教師だった石川千佳子さん(当時29歳)が突然、消えた。殺害したのは同じ学校で警備員をしていた非道男。自宅床下に埋めた。この男、刑務官の職歴があり、時効など法律には詳しかった。男は現在70歳代。ゆうゆう自適の年金生活。スパモニの取材のマイクに「謝罪?おれの勝手だ」。しまいには大声を張りあげ、石を投げつけ、マイカーに乗って去った。J-CASTニュース11月15日付記事より参照のため引用/写真は「新潮45」(平成19年3月号)参照のために撮影
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反省も謝罪も無し
読者からいただいた資料と記事情報だ、感謝する。住居立ち退きにともない、26年前に東京都足立区立中川小学校の女性教諭を殺害したとして、千葉県に住む元同小警備員の男が警視庁綾瀬署に自首。同庁捜査1課が、男の供述にもとづいて同区内の男の元自宅を捜索したところ、床下から、この女性とみられる遺体が見つかった(要旨)。
このニュースをご記憶の方は少なくないと思う。立ち退きで家が解体されれば遺体が発覚すると思った。男の自首の動機である。ゆうに「時効」が成立している。もう殺人犯として罪を問われることはない。刑務所勤務の経験を持ち、法律に詳しいこの男にとって、それが本当の自首の動機であったのかもしれない。
その後、被害者女性の遺族が提訴しようにも刑法ではすでに時効が成立。『ならば民法でと損害賠償を請求する民事訴訟を起こした。しかし、民法でも時効のカベがあった。損害賠償の請求権も消滅する』(表題)とのことだ。女性を殺害し、遺体を26年間も隠し続けた和田信也は、反省無く、また遺族への謝罪も無いそうだ。たとえ法律上で「時効」はあっても、少なくとも本人が改心しない限り、その「病理」は消えない。
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創価学会の病理
短稿を書くきっかけとなったのは、資料として有志からいただいた「新潮45(平成19年3月号)」であった。記事の写真を紹介する。
「新潮45(平成19年3月号)」 (248頁)
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記事には、このようなくだりがある。云く、『創価学会の信者である男は、教職員組合に加入している共産党員の先生方から、弁当に睡眠薬や毒物を入れられたり、有毒ガスを撒かれたりする数々の嫌がらせを受けた、と主張している。こうして苦しめられてきた自分だからこそ、石川先生の殺害は仕方がない、と言いたいようなのだ』と。稚末に過ぎる“殺害動機”であり、和田の妄想。その域を出ないものであろう。
同時に、ここでお気づきかもしれないが、和田の妄想は、後のオウム真理教による犯罪行為と相似形である。オウムは毒物で、また毒ガスで人の命を奪ったのである。和田所属の創価学会もオウムも「カルト」である所以がここにある。もう1つの共通点は、人の命を奪って「罪」を感じ得ない病理だ。「吉展ちゃん誘拐殺人事件」の犯人・小原保も創価学会の信者であった。すでに命を奪った吉展ちゃんに対しては「罪の意識」のかけらも感じることなく、受け取った身代金を仏壇に供え、大金が手に入ったのは「功徳(ご利益)」だと感謝の祈りを捧げたという。
殺された方が悪い。自分は被害者だ(要旨)と開き直る和田信也にもまた『罪」に対する反省のかけらもない。他の創価学会の信者が手を染めた殺人事件にも共通した反省無き姿がみられる。この人命感覚の消耗、欠落はオウム真理教の「ポア」の発想と同じであり、「カルト」に共通したおぞましい病理である。不幸なことだが、カルトが存在する限り、創価学会をはじめ、カルト宗教の信者による凶悪事件は延々と続くことだろう。良識が相手にせず、これらを消滅に追い込むことは、日本社会の今後にとって不可欠である。
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脱会者の話
先ほど、創価学会の脱会者に電話取材をしてみた。この脱会者氏は、和田の犯行が起きた1978年頃はバリバリの創価学会員であった。そのことを以前に聞いていたので、思い立って話を聞いた。
同氏によれば、日本共産党との間に結んだ「創共協定」が壊れ、同教団の内部では、再び「日本共産党」を“仏敵”とみなす空気が溢れていたそうだ。和田の“殺人動機”を読み上げたところ、受話器の向こうからは、「同じような妄想を吐く会員が結構いた」とのことだ。
いわゆる幹部の指導には、そうした内容は無かったか。筆者のこの問いに対し、「ここだけの話」という断りと口外するべからず、との念押しの後で、そういう話も結構あった」との答えであった。なるほど、それが事実とすれば、やはり和田信也一人の妄想ではなく、和田の“動機”説明は、むしろ実質的に創価学会の妄想を説明するものであった、と判別できる。
くれぐれも、これは日本共産党を弁護するものではない。また、脱会者氏によれば、この時期は、池田大作が「広宣流布の弟子血脈証書」を気に入った会員に配布していた時期という。その弟子血脈証書とは何か、血分けの証明書か。筆者の質問に、「メンタルな意味でそれに近いものといえる」との答えであった。後に登場したオウムの教組・麻原が教団信者に対して行った「イニシエーション」もこれと共通してはいないか。
脱会者氏は数年前に家族全員で創価学会をやめたという。創価学会が云うような「仏罰」はあったか。その問いに対し、「仏罰は無かった」という。むしろ、「創価学会の活動に追われる生活から脱して、家族が余裕が持てるようになった。家族との時間が十分に持てるようになった。悩みは多少あるが、崩壊の手前にあった家庭が普通の家庭と云えるまでに戻った」と。また、「仕事に存分に集中できるようになり、経済的にも立ち直った」と。さらに、「脱会して、本当に良かった」とのこと。
創価学会をやめても「仏罰」は無い。無関係な筆者でさえ、普通に考えれば気づくことだ。あえて「仏罰」と謂(い)うのであれば、「心」豊かにするはずの信仰をしているようで、しかし、最も大切な「心」を損耗し、荒んでいる創価学会員を指しているのではないか。悩む会員諸氏は早々に脱会して社会復帰を果たされることを願う。
また、このような心の欠落者らが議員バッチを着ければ、政治の上でも「ろくなことはない」のは自明の理である。日本国民の心の痛みを知らずに、また、「罪」の意識も無く、闇の2法案を無理やり通そうと策動している。これからも指摘を続けてまいりたい。
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■ 主な関連記事:
・ 創価「殺人事件」か
・ 創価学会員の殺人・死体遺棄事件!
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【筆者記】
池田大作が、ある会合で、自分に出されたメロンが小さかったからと、約40分間にわたって怒鳴り散らした「メロン事件」は有名だ。オウムの麻原もメロン好きで、専用のメロンを運ばせていたという。両者ともよく似ている。かつての内藤國夫氏による「諸君!」の連載でこのことを知って以来。筆者は、出先でメロンを出されることがあっても。食べなくなった。
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読者のみなさまにはお忙しい中、ご訪問をいただき感謝しています。ここに、新たに記事をアップさせていただけたことを有難く思います。 拙い記事に対し、有志のみなさまより、内容を的確にフォローいただくコメント、身を案じてくださるコメントに感謝します。昨今、売国事例と呼ぶべきさまざまな事件、不祥事が露呈していますが、良識の力によってこれらを今周知・打開し、未来の教訓とすべき「日本復刻」への確かな前兆と筆者は観ています。先ず膿を出し切って、病を治す。これもまた自明の道と思います。
一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。辛抱強く支えていただき、共に闘ってくださるみなさまに心より感謝します。
国民の手で日本を取り戻しましょう!
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2007/05/18 00:00 設置
Author:博士の独り言
いかなる組織、団体とも無縁の日本人発行のメルマガ、およびブログです。初期のように、プロフィールと写真を掲載すべきと考えておりましたが、迫る身の危険回避の意味からも自重すべし、との筆者をよく知る友人らの制止により、現在は「博士の独り言」として活動しています。活動自体も全く無収入です。