「63〜変節・1位の後編」
この稿は実は10日前に一度書き上げた・・・が、「切り取り」→「貼り付け」の段階で操作ミス!痛恨、悔恨、嗚呼パソコン!←村上ショージさん的3段重ね!完全消失!パソコン内のどこを探しても見つからない!
このパソコンは最近購入したものなのだが、古いほうのもう一台は7年前に買ったもので、何度か同じようなミスをしたが、必ず何処かにあった。隠れていた。それを見つけた時の喜びと安堵は筆舌に尽くしがたいものがある。
恐らく新しいパソコンは、日進月歩するハイテク技術の下、より精密で有能なものに仕上がっていて、出現した変異への対処も緻密なのだが、相当に個別的で、恐らく複合的な対応は苦手ではないのか。つまり、専門的なエキスパートばかりで、横の人の仕事は分らない。総括的な頼れる何でも屋はいないのではないだろうか。昔のパソコンは武骨だったが、即座にミスを処断しない余裕というようなものがあったのではないだろうかと、恨めしく思った出来事・・・から立ち上がるのに今日までかかったのです。ふぅ・・・
さて、芥川賞の選考委員達に、結局は文学として迎えられず、その性描写や暴力描写も発露や巧緻を問われて、そして評価されたのではなく、その時代ゆえに意図的にそのような風俗に行き着いたと考察された石原慎太郎の「太陽の季節」。
僕は文学者などではないが、解る。結局、石原は文学を自己解放の手段ではなく、目的としたということなのだ。「太陽の季節」を書くことで自由とは何かを書いた、或いは書こうとしたのではなく、「太陽の季節」を自由に書いただけなのだ。つまり、自己満足=自我充足が目的であったのだ。
この事は、40年前、僕が「太陽の季節」を読んだ時に分かったことではない。当たり前だ、そんな力が17歳の僕にあるわけがない。もしあったとしたら、もう少し文学的な恋をしていただろう。この事は、その後の石原慎太郎を見れば、誰でも、たちどころに分かることなのだ。
では、政治家になった石原慎太郎がやったその手の事、驚くに値するその行状、その一部である!
(1973・7)衆議院議員として、渡辺美智雄、中川一郎、浜田幸一らと憲法改正、金権政治打破を標榜したタカ派集団「青嵐会」を結成。
(1987・3)「戸塚ヨットスクールを支援する会」会長に就任。その就任挨拶文の中で、同校の過激な教育を、「味覚の世界に塩がなかったら料理が味気なくなってしまう。自己の深化を志向するある種のストイシズムを欠いた人生に本当の喜びはない。戸塚ヨットスクールが教えてくれたものは‘精神の塩’に他ならない」と評した。
(1999・3)都知事選直前、週刊文春の質問に答え、池田大作を「悪しき天才、巨大な俗物」。また、創価学会に関しては「悪辣にして極めて危険なカルト集団」と酷評した。
(1999・3)毎日新聞のインタビューで「日の丸は好きだけれど、君が代は嫌いなんだ。歌詞だって滅私奉公。新しい国歌を作ったらいいじゃないか」と語る。
(1999・4)都知事としてお台場カジノ構想を提案。法整備の困難さから2003年、断念。
(1999〜2004)都知事に当選し、「何が贅沢かといえば、先ず福祉」と社会保障費の削減と合理化を目標とした福祉改革を行い、
・シルバーパス全面有料化
・寝たきり高齢者への老人福祉手当を段階的に廃止
・障害者医療費助成対象を縮小
・特別養護老人ホームへの補助削減
・難病医療費助成対象から慢性肝炎を除外
・盲導犬の飼育代、盲聾者の為の通訳養成講座廃止
等を順次決行
(1999・9)重度知的・身体障害者療育施設、府中教育センターを視察後、「ああいう人ってのは人格あるのかね、ショックを受けた――絶対良くならない、自分が誰だか分らない、人間として生れて来たけどああいう障害で、ああいう状況になって・・・しかしこういうことやってるのは日本だけでしょうな――西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないか。そこは宗教観の違いだと思う。ああいう問題って安楽死なんかに繋がるんじゃないか」と語った。
その後、石原のこの発言を差別発言として報道した朝日新聞を、「卑劣なセンセーショナリズムであり、アジテーションであり、社会的には非常に危険なこと」だと産経新聞紙上で批判した。
(2000・4)陸上自衛隊創隊記念式典の挨拶で「東京では不法入国した多くの三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している。大きな災害が起きた時には、騒擾事件すら想定される――警察の力には限りがあり、災害の救急だけでなく治安維持も目的として遂行してほしい」と述べた。
(2000・4)都知事として、資本金5兆円以上の大手銀行を対象に外形標準課税を導入。しかし銀行側が反発、訴訟に発展し、敗訴。
(2001・5)産経新聞紙上で、中国人の犯罪について、中国人が凶悪犯罪を起こす民族性を持つとした上、これを遺伝的であるかのように発言。
(2001・11)週刊女性11月6日号の中で「これは僕じゃなくて、松井孝典(東大教授)がいってるんだけど、文明がもたらした最も悪しき有害なものはババアなんだそうだ。女性が生殖能力を失っても生きてるってのは無駄で罪ですって。男は80、90歳でも生殖能力はあるけど、女は閉経してしまったら子供を生む力は無い。そんな人間がきんさん、ぎんさんの年まで生きているってのは地球にとって非常に悪しき弊害だって」と発言。その後これが訴訟問題となり、裁判長は「松井教授の説には都知事の説明と異なりおばあさんに対する否定的な言及は見られない」と批判した。但し、原告の賠償請求は退けられている。
(2002)都の若手芸術家支援事業・トーキョーワンダーサイトを設立。自身の四男の石原延啓を重用。本郷会館のステンドグラスの原画を描かせ公費から300万円の製作費を支払い、また研究と称して公費で海外出張させるなどの他、この事業には家族や知人を運営に参加させ、公私混同を指摘された。
(2002・9)週刊文春誌上で「僕が総理大臣なら、拉致された日本人を取り戻すためなら、北朝鮮と戦争をおっぱじめるよ」と発言。更に拉致被害者の救済、北朝鮮の体制転覆のためならノドンミサイルが日本の大都市に落ちて日本人がある程度死んでも仕方がない。京都に落ちれば数千人程度で済む、とも主張。
(2003・3)都の本会議で、憲法の規定を無視して国会で憲法破棄決議をし憲法改正をすれば良いと発言。それは憲法99条[憲法尊重・擁護の義務]違反ではないかとの指摘に、「99条違反結構。私はあの憲法を認めません」と応酬。
(2003・9)北朝鮮交渉に当たっていた田中均外務審議官の自宅に発火物が仕掛けられた事件について、「あったり前の話だと私は思う」と発言。
(2004・1)今上天皇に皇居のライトアップを提案するも、天皇は特に聞き入れる様子もなく、逆に宮内庁から進講の内容の公表に苦情を申し入れられる。
(2004・10)首都大学東京の支持組織設立総会の祝辞で「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格している」と述べ、名誉毀損、業務妨害で提訴された。
(2005・7)衆議院時代からの秘書で、百条委員会での偽証で辞任した浜渦元副知事を都が出資する外郭団体・東京交通会館の副社長に天下りさせ、更にその一年後には、都の参与に迎える。
(2005・8)都内で開かれた「石原知事と議論する会」で外国人の若者の質問に答え「日本の子供はこらえ性が無いから結局ニートになってしまうし――ニートなんて格好いいように聞こえるけど、みっともない、無気力、無能力な人間のことです」と発言。
(2006・6)東京都瑞穂町議会が都が招致しようとしている2016年の夏季五輪招致に否決決議をすると、「頭がどうかしてるんじゃないのか、後で吠え面かくな」と発言した。
(2006・7)朝日新聞紙上で「(北京オリンピックは)ヒトラーの非常に政治的なベルリンオリンピックにある意味似ているような気がする」と述べた。
(2006・11)いじめによる自殺が多発する中、「自殺する子は皆甘ったれている。自分で先ず闘うべき。ファイティングスピリットが無かったら、一生どこへ行ってもいじめられるんじゃないの」と発言。
(2007・2)石原主導で実現した第1回東京マラソンで、次男石原良純がフジテレビのスペシャルサポーターに起用され、テレビ局と都知事の関係性を週刊朝日に問題視される。
(2007・3)都知事選中、昨日起きた能登半島地震について「震度6の地震が来た。ああいう田舎ならいいんです。東京ならかなりの被害が出ただろう」と発言。
(2007・4)都知事当選直後の会見で「阪神大震災では首長の判断が遅くて2000人が死んだ」と発言し、これに震災時の兵庫県知事・貝原俊民が反論。これに対し石原は「佐々さん(佐々淳行元内閣安全保障室長)の受け売りなので、彼に聞いてほしい」と責任転嫁する。
(2007・4)自身が原作の映画『俺は君の為にこそ死にに行く』の試写会で、嘗て‘特攻の母’鳥濱トメに国民栄誉賞を贈るよう石原自身が進言した宮沢喜一元首相が亡くなったことに言及し、「にべなく断られた。この人はのたれ死にするだろうと思ったが、政治家としてのたれ死にしましたな。特攻隊員の罰が当ったと思う」と発言。
(2007・5)ニューヨーク訪問中の講演会で、「台湾や尖閣諸島の有事の際、米国が日本の防衛にどれだけ責任を持つかは疑問だ――米国が日本を守らないなら自分でする。米国が懸念する核保有につながるかもしれない」「従軍慰安婦は軍が調達した事実は無い」などと発言。また、従軍慰安婦に関しては、国家賠償請求の裁判について「(彼女らは)依然として貧乏しているから、これで少しでもお金が入ればいいという思惑で、今度は肉体ではなしに自分の名誉を代償に稼ごうとしているだけ」と発言している。
(その他、期日は限定できないが)
――基本的に中国、韓国への蔑視感はありありで、両国の事をそれぞれ蔑称である「シナ」「北鮮」と呼ぶ。
――「南京大虐殺の三十万人は数の上でのでっち上げ。アメリカが広島・長崎の原爆による虐殺の原罪感をひっくり返す為に持ち出したもの」
――「あの戦争はやっぱり感動的だった」「人類の進歩のためあの戦争は大いに意味があった」など、戦争肯定、賛美の発言は毎度のこと。
――「日本人だけが有色人種の中で唯一見事な近代国家を作った」
――「我々が収めている税金は中国へ行っている。水爆を作るために」
――「日本は世界一の防衛国家になったらいい。そして世界一優秀な戦闘機を作ってどんどん外国に売ったらいい」
などなどなど!
石原慎太郎!!!!!!!!!!!!!
なんだこの人は!
厚顔無恥!傍若無人!無知蒙昧!狂気乱舞!
空理空論!軽挙妄動!悪口雑言!罵詈讒謗!
失礼千万!無礼千万!卑怯千万!迷惑千万!
自信過剰!軽挙妄動!誹謗中傷!多情多恨!
牽強付会!傲岸不遜!荒唐無稽!言語道断!
自画自賛!時代錯誤!弱肉強食!独断専行!
支離滅裂!人権蹂躙!針小棒大!人面獣心!
曲学阿世!悪逆非道!大胆不敵!魑魅魍魎!
跳梁跋扈!直情径行!放言高論!落花狼藉!
冷酷無比!保守反動!我儘勝手!石■原■!
文学が人を豊かにするものならば、この人間感覚、言語感覚、更に歴史認識をもった人間が文学を書けるはずはない。もしくは、こうした人間が書いたものは文学とはなり得ない。畢竟、石原慎太郎は文学者ではありえなかったのだ。
だから、元々文学者で無かった石原には「変節」も在り得ないということになる。「変節ベスト10」の中で石原慎太郎は実は唯一「変節」していない人間かもしれない。だが、だから、せめて、文学を捨て(切ってはいないが)、政治の場に活動の道を得た石原の、上に羅列した如き、その全ての薄さを白日の下に晒すための「変節ベスト10」の1位の称号なのだ。
ベスト10の最後に、「変節」に関わるある人の言葉を掲げる。
「〜それから生涯を通じて、決意した自分に絶望的に賭けるのだ。変節してはならない。精神は以後、不変であり、年をとらない。ひたすら、透明にみがかれるだけだ」 岡本太郎