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山本大雲さん

稚内生まれ、名古屋芸術大学
卒業
文化音楽支援の会代表
二胡教室教師

Vol.51/平成15年3月発行
 〜 稚内市〜
 人々の心を癒す音色と旋律。
 中国古来の楽器、胡弓(二胡)を
 奏でる日本最北のお寺の副住職。

 天徳寺(昭和63年NHK放送『ゆく年くる年』で放送)
 稚内市大字宗谷村字大岬149番
 TEL&FAX 0162-76-2226

 二胡稽古場随時生徒募集
 稚内市はまなす2丁目2番10号
 Eメールでもどうぞ daiun@jt8.so-net.ne.jp
 

■胡弓(こきゅう)ってなに?

 最近の胡弓ブームによって、多くの人がその楽器名を認知し、音色を覚えましたが、同時に誤解していることも多々あるようです。
 胡弓という名称はあくまでも日本語の表現であり、中国語ではありません。本場の中国では「胡琴(こきん/フー・チン)」と書かれたり、弦が2本であるため「二胡(にこ/アル・フー)」と呼ばれるのが一般的です。
 二胡は今から千年〜千五百年前の中国の民族楽器です。日本の三味線のような形で、二本の弦を馬の尻尾でつくられた弓でひきます。ただし、三味線と違って音が共鳴する箱状の箱の部分は六角形で、材質は高価な黒檀や紫檀などの木材からできています。さらに胴には共鳴用にニシキヘビの蛇皮が張られています。
 山本大雲さんが実際にひいているのを見て初めて気がついたのですが、二胡は弓で二本の弦をひきますが、弓は二本の弦の間を通っていました。演奏に弓の外側と内側の両方が使われているのです。現在使用されている弦はスチール弦ですが、ギターと違ってフレットはありません。三味線やバイオリンのように弦をネックに押しつけているわけでもありません。つまり、宙に浮いた弦を指で軽く押さえて音程を決めているのです。そんな構造とひき方が、あの独特の滑らかな音と複雑で繊細なビブラートを可能にしていたのです。
 ちなみに山本さんの二胡は、特注のハンドメイド。ヘッドにはお守りの龍が。ニシキヘビの皮はワシントン条約の規制があるため、今日ではなかなか入手し難い楽器の一つです。


■二胡との運命的な出逢い

もともと稚内出身で、生家である大岬の天徳寺の副住職(院代)をつとめる山本さんは、そもそもお坊さんになるつもりなど毛頭なかったとか。「むしろ嫌いでしたね」と笑いながら二胡との出逢いから話してくれました。
 若いころから芸術に親しみ、自由な生き方を追い求めていたため、高校卒業後は油絵を学ぶために名古屋芸術大学へ。髪の毛を腰まで伸ばしバンド活動に熱中していたそうです。卒業後は名古屋市内の建築デザイン事務所に就職。そんなある日・・・。
 「上海の方と仕事をご一緒する機会がありまして、偶然にもその方が二胡の音楽を流してくれたのです。私はハッとしながらも聴き惚れてしまいました。これだと思いましたね。その当時はほとんどの人が二胡という楽器の存在を知らなかったのですが、さらに偶然に”二胡教えます”という小さな新聞広告を見つけたのです。一目散に習いに行きました。」重なる偶然は必然なのでしょうか。以来、二胡にすっかりのめり込んでしまい、暇さえあれば練習に明け暮れる毎日となりました。
 「普通は音を鳴らすまでに3ヵ月かかるといわれていましたが、私は一週間ですぐにマスターしました。そして1ヵ月後には、指と耳の感覚を覚えてしまいましたから、入り込みはずいぶん早かったといえます。初めて手にした瞬間から、あぁ求めていた楽器だったと感じていましたので、挫折することなく今日までずーっとひき続けることができたのです。」のちに山本さんは、世界の民族楽器や古典的な楽器に興味を抱き、パンフルートやケーナ、尺八、レインティックというようなシンプルで温かい音色を奏でる楽器を収集することに。
 「尺八もそうですが、単純で古い楽器ほど実は演奏は難しいのです。」なるほどシンプルだから、ごまかしが効かないのでしょう。


■稚内へのUターン

二度と名古屋から離れることはないだろうと居を落ち着け、存分に仕事に打ち込みました。しかし忙しく時間に追われているうちに、複雑な人間関係に振り回されてしまっていることに気がついたのです。
 「すべてのことが疑問に見えました。悩んだ結果、仕事を休職し、これまで一度も考えたこともなかったのですが、”修行寺”へ行く決心をしました。」二胡をひく弓が静かに止まりました。
 以後、山本さんの生き方は”人間としてどう生きるか”がテーマになりました。気がつけば山本さんの足は、故郷を向いていました。
 「とにかく無性に帰りたくて・・・。住んでいた頃はこの大岬の風景に、気を留めることもなかったのですが、改めて自然の美しさに感激しました。そして歩けば歩くほど、嗅覚や視覚、聴覚などが研ぎすまされていくのが分かりました。」何かを吹っ切り、大きく開かれた山本さんの心は、いつしか回りの人々にも向けられはじめようとしていました。


■福祉活動に生きる決心

気がつけば、学童保育のお手伝い、老人ホームへの慰問などを通じて自分にできる社会貢献を心がけるようになっていました。
 「老人ホームを訪問している時”そうだ自分が大好きな二胡が役に立てないだろうか”と思い、皆さんに二胡を聴いていただきました。その反響が大きくて、音楽本来の”癒しの力”を知らされました。以来、私のライフワークとして老人ホームでのコンサートを福祉活動の一環として行うようになりました。その数も早20回を超えました。」
 時にはピアノとのデュオ、太鼓やアコーディオン、ギターとの演奏など、曲やアレンジにバリエーションを持たせることによって、若い人たちにも受け入れられるように工夫を凝らしています。
 「私の精神が色々なことを経験したがっているのです。人間は経験するために生まれてきたのです。慰問やコンサートも私にとっては経験なのです。そして経験させてほしいと願うほどに教えられることが大きいのです。」
 稚拙な引用ですが、かつて古来中国から仏法を身につけ帰国した道元禅師が永平寺で曹洞宗を起こし、多くの修行僧に禅の道を導きました。臨済宗が時の中央に向かって行くのに対し、曹洞宗は地方の民衆の中に広まり、民衆の素朴な悩みにこたえる宗教として発展してきました。
 名古屋から二胡を持ち帰った山本さんは、二胡を奏でながら多くの人々の心を癒す音楽活動、福祉活動、また二胡の普及活動にもつとめています。それからはすべて、禅師として自分自身に課した経験、すなわち修行なのではないでしょうか。




二胡の胴にはニシキヘビの蛇皮が使われています。形は六角形ですが、中には八角形のものもあるとか。

弓は二本の弦の間を通り外側と内側と両方で奏でられます。馬の尻尾でできた弓は、松ヤニで手入れ。
愛チャンが教えてくれた
生きている素晴らしさ。
 山本大雲さんは自らでも音楽を作曲・編曲し、近い将来はオリジナルのCDをつくり、その売上を難病患者さんたちに役立ててもらおうと考えています。その大きな動機となったのが、ボランティア活動を通じて知り合った稚内在住の平間愛さんです。愛さんは筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病と闘っています。人工呼吸器をつけ自宅で寝たきりで、お母さんに痰を吸い取ってもらう中で自宅で生活していますが、お友達は全国各地にたくさんいます。インターネットのホームページやメールで知り合うことによって、社会から孤立することなく同時に障害者への理解をうながすとともに、同じく難病に苦しむ人々の希望の光となっています。ぜひ一度愛さんのホームページをご覧下さい。山本さんも「こんなにも生きているんだよ。がんばっているんだよ。」と訴え続けています。

ホームページはこちら
山本さんが二胡で鳥のさえずりなどを表現。お母さんは愛さんの耳もとで、レインティックというサボテンでできた楽器で、水の流れるような音を奏でています。
恒例の老人ホームでの
演奏会より
(二胡とピアノのデュオ
コンサート )







 


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