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オシム監督後任に岡田武史氏、監督就任の理由

文:Etsuko Motokawa Date:2007.12.4

 2006年ドイツワールドカップ直後から日本代表を率いていたイビチャ・オシム監督が急性脳梗塞で倒れ、注目されていた後任監督問題。日本サッカー協会は日本代表チームを98年フランスワールドカップへと導いた岡田武史氏を候補者として一本化。12月3日の常務理事会で満場一致で承認し、岡田監督就任が本決まりとなった。7日の理事会で正式承認、8日にも就任会見の運びになるようだ。
 そもそも、なぜ今、岡田監督を抜擢するのか…。そんな疑問を持つファンも多かろう。
 理由の1つに、2010年ワールドカップアジア3次予選のスタートまでに時間がないことが挙げられる。1月から本格的に代表チームを始動させるとなれば、準備期間は1ヶ月しかない。そんな状況で全く日本サッカーを知らない指揮官を迎えるわけにはいかない。最初から日本人監督か、Jリーグで指揮を執っている外国人監督に候補者は絞られていたわけだ。
 そこで数人の名前が挙がった。浦和レッズのホルガー・オジェック監督、ガンバ大阪の西野朗監督らだ。しかし2人とも所属クラブとの契約が残っていて、すぐ日本代表監督にはなれない。浦和側もG大阪側も急に浮上した日本代表監督就任話に不快感を表明するなど、状況は簡単ではなかった。
 オシム監督の戦術を引き継ぐという観点を重視するなら、サンフレッチェ広島のペトロヴィッチ監督という選択肢もあっただろう。同監督はシュトゥルム・グラーツでオシム監督のアシスタントコーチを務めており、サッカー観は酷似している。佐藤寿人らによれば、複数のビブスを使ったトレーニングメニューなども大きくは違わないという。若手を抜擢し、積極的に起用するところなどもオシム監督に似ている。しかし、今季の広島は守備が崩壊し、J1・J2入替戦行きを余儀なくされてしまった。「いくらオシム監督の哲学を踏襲できるとはいっても、J1で上位をキープできないチームの指揮官を日本代表監督にしていいのか?」という声が出ても不思議はない。しかも、現在の技術委員長・小野剛氏はペトロヴィッチ監督の前に広島を率いていた人物。自分の後任に対しては微妙な感情があるに違いない。
 こうした背景を踏まえると、協会が「妥当」だと判断できるのは、岡田氏しかいなかった。2006年シーズン途中に横浜F・マリノスの指揮官を辞して以来、岡田氏はフリーな立場で活動していた。日本協会の特認理事を務める傍らで、サッカー解説や講演活動を行いながら、現在の日本サッカー界を客観的に見ていた。そういう立場の人ならば、日本代表監督就任には全く問題がない。
 実績面でも彼を超える日本人指導者はいなかった。97年10月、フランスワールドカップ出場に黄色信号が点ったカザフスタンで加茂周元監督が更迭された時、41歳の岡田監督は全ての責任をかぶった。そして北澤豪や高木琢也などベテランを招集して、チームに闘争心を取り戻させ、苦境を何とか乗り越えたのだ。当時の日本代表では個人能力的に世界トップと大きな実力差があったにもかかわらず、本大会でアルゼンチンやクロアチアと互角に戦えたのも、岡田監督が規律あるサッカーを徹底させたためだ。日本代表監督を辞めた後、指揮を執った札幌をJ1に昇格させ、横浜FMを2003、2004年と2年連続年間王者に君臨させるという結果も岡田監督のなせる業だった。日本人指導者としてナンバーワンの実績を残しているのは間違いない。
 岡田氏を強く推した人たちが、彼の「信奉者」だったことも大きい。小野剛技術委員長は98年フランスワールドカップの日本代表チームでコーチを務めていた。中山雅史(磐田)にプルアウェイ(1回横に広がってパスコースや視野、シュートコースを作る動き)を教えて、イラン戦の先制点を演出したのもこの人だ。岡田監督・小野コーチのコンビがフランス本大会でのアルゼンチン、クロアチア戦の大善戦を演出したのは間違いないのだ。小野氏が広島で監督になり、J1昇格を果たした時も、つねに相談役として岡田氏がいた。「困ったことがあると岡田さんに連絡してます」と小野氏もよく話していた。
 岡田氏を「アニキ」として慕っていたのは彼だけではない。U-22日本代表の反町康治監督、日本代表の大熊清コーチ、コンサドーレ札幌の三浦俊也監督など、現在40代前半になるサッカー指導者たちの大半が、何かあると岡田氏にコンタクトを取り、サッカー理論やチーム作り、采配のアドバイスを得ていたのだ。「岡田さんがトップに来てくれれば、オシムジャパン時代のコーチングスタッフもそのままスライドできる」という思惑も協会側にはあっただろう。
 川淵三郎キャプテンにとっても、岡田監督は早稲田大の後輩。他の誰よりも可愛い人間だったはずだ。98年フランスワールドカップの頃は確執がささやかれたこともあったが、今はそういうムードもなくなった。
 こうした、あらゆる要素から、岡田監督の再登板という結論に達したのである。
 川淵キャプテンは「オシム監督が作った土台を生かしてくれる」と期待を示したが、岡田監督には岡田監督の考え方があるはず。この1年半の強化をムダにしてはいけないが、岡田監督らしい選手起用や采配、チーム作りを制限する必要はない。新指揮官がどんな考え方を持っているのか。それは8日にも設定される記者会見で明らかになるだろう。
 私自身は岡田監督就任を前向きに受け止めている。ジョホールバルから10年が経過した岡田監督が何をするか…。当時を思い出しながら見極めたいと思っている。

 

もとかわ えつこ|Etsuko Motokawa

1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、94年からフリーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。中村俊輔らシドニー世代は10年以上見続けており、特別な思い入れをもつ。著書には「U-22」(小学館)「初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅」(NHK出版)など。

 
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