2007年12月06日

◆ 女房の愚痴を聞く


 前項(オタクと結婚)のつづき。
 夫との会話がない女房が 不満だ、という新聞記事を読んだ人は、こう思うかもしれない。
 「女房の愚痴を聞くなんて、うんざりだ」
 こう思う夫は多いが、そういう夫は人間失格である。

 ──

 「女房の愚痴を聞くなんて、うんざりだ」
 と思う男が多いのは、よくわかる。私だって、そう思ってきた。「他のどんなことでも我慢できるが、愚痴だけは勘弁してくれ」と。……これは、私がオタクだからではなくて、仕事中毒だからだが。  (^^);

 しかし、自戒の念を込めて言うが、これは間違いである。夫たるもの、このようなことを思ってはならない。つまり、女房の愚痴を聞く必要がある。そのことを、本項では示す。

 ──

 そもそも、「愚痴を聞く」とは、どういうことか? たいていの夫は、こう思っている。
 「女の無駄話に付き合わされて、自分の貴重な時間を奪われる。下らない話をしたければ、よその女友達とやってくれ」

 しかし、それは勘違いだ。本当は、こうである。
 「ストレスで精神的に参っている女房の、カウンセラーになる」


 ──

 一般に、人間が生きていくに当たって、さまざまな問題にぶつかる。次のように。
  ・ 職場のトラブル
  ・ 幼児の育児のトラブル
  ・ 子供の教育のトラブル
  ・ 親戚関係でのトラブル

 これに対して、無責任な夫は、すべてを女房に押しつけて、「おれは知らんよ」という顔をしている。しかし、それでは人間失格だ。夫や父親としての役割を話していない。人間としての体をなしていない。それはもはや、ただの給料運搬機に過ぎず、生物としての機能を果たしていない。

 生物としての機能は何か? 次のことだ。
  ・ 子供のときはは、単に生きるだけでいい。(親のおかげで。)
  ・ 親になったら、子供を生きさせる。
 この双方があるから、生物は生物として存在できる。この機能をなくしたら、そのような生物は存在できなくなる。(下等生物は別だが、哺乳類ではそうだ。)

 したがって、親たるもの、子供の育児に全責任を持たなくてはならない。通常は、女房が育児に一次的な責任を持つが、父親は、「子供 + 女房」という全体(つまり家)に対して責任をもつ。子供に対しては二次的な責任を持つ。

 ところが、オタクや仕事中毒の男は、この責任を放棄しがちだ。「それでもいい」と思っている男が多いが、もし、あなたの親がそう思っていたら、あなたはまともに育つことができなかったはずだ。

( ※ ひょっとしたら、現実にそうかもしれない。あなたが仕事中毒やオタクになっているとしたら、あなたの父親が父親失格であったために、あなたは歪んだ人間に育ってしまったのかもしれない。責任放棄をしていても平気でいるような、歪んだ人間。そういう壊れた人間が、あなただ、ということなのかもしれない。ま、そうかもね。)

 ──

 ともあれ、人生においてさまざまなトラブルが起こり、それに対して父親は責任をもつ。特に、女房がトラブルに陥ったときには、そのトラブルを救済する責任がある。「おれの知ったこっちゃないよ」というふうに、知らんぷりをするのは、人間失格なのだ。
 逆に言えば、女房からすれば、頼りにならない夫などは、存在価値がない。女房としては、「さっさと離婚したい」と思うのが当然だ。夫が自分を助けてくれるのならともかく、夫が単に「世話のかかる大きな子供」にすぎないのであれば、「そんなの邪魔っ気だ」と思うだろう。

 ──

 というわけで、夫は女房を救う責任がある。では、どうやって? 別に、特別なことをしなくてもいい。単に話を聞くだけでいい。── それが「愚痴を聞く」ということだ。

 一般に、カウンセラーの仕事とは、適切な解決策を与えることではない。「魔法の杖」で知恵を出すことではない。単に相手の話を聞くことだ。そして、話を聞くことで、相手に思考を整理させて、相手が自力で解決策を導き出すことを促す。
 カウンセラーは、そのために、ときどき、合いの手を入れる。「それはどういうことかな?」とか、「どうしてそう思ったの?」とか、「そのうちどっちが重要なんだろう?」とか。……そういうふうに、思考の手助けをする。決して自分の意見を押しつけない。「こうしろ」とか、「こっちの方がいいぞ」とか、自分の価値判断を押しつけない。あくまで判断の手助けをするだけだ。
 つまり、カウンセラーの役割は、「愚痴を聞くこと」だ。正確には、「愚痴を上手に聞く」ことだ。……そして、それこそ、妻に対して夫がなすべきことなのだ。

 ────────────────

 補足的に少し述べておこう。

 以上の仕事は、「心療科の医師」の仕事にも、ちょっと似ている。その意味は、「(普通の人の)病んだ心を治療すること」だ。
 つまり、女房が愚痴るときは、女房が心をちょっと病んでいる状なのだ。心の病気のようなものである。(狂人というほどではないが、心が少しすり減った状。)
 これは、病気のような状である。そして、病気のときには誰しも、身近な人に頼りたがる。「困った、苦しい、助けてほしい」と思う。
 そういうときに、「おれは知らないよ。自分で治せよ。おれはゲームの方が大事だ( or 仕事の方が大事だ)」と言われたら、女房は絶望的になる。「私が最も苦しんでいるときに、この人はまったく助けてくれない」と思う。自分の全存在を否定されたかのような気がする。

 比喩的に言おう。あなたが会社で仕事を失敗したとする。すると会社から処分が下る。
 「おまえは失敗したから、辞表を出せ。さもなくば、左遷で、給料は半額だ」
 あなたは絶望的になる。そこで家に帰って、女房に「助けてくれ」とすがりつく。「おれはもうメチャクチャだ。おまえがちゃんと働いてくれないと、家を維持できない。助けてくれ」
 すると女房が言う。「あなたって最低ね。離婚届に判を押してください。バイバイ」

 これと同様である。人が一番困っているときに、一番身近な人に裏切られる。これほど絶望的になることはない。
 そして、そういうことを、オタク( or 仕事中毒の仕事人間)は、やらかすものだ。それでいて、自分でも気づかない。

 一方、逆に、次のようなこともある。
 絶望したあなたに、女房が言う。
 「心配しなくていいわ。あたしは何があってもあなたに付いてきます。最低限の貧乏に耐えれば、生きていくことはできるわよ。あたしはどんなことがあってもあなたを信じている。二人で卒りましょう」
 ここでは、女房は物質的には何も提供しない。ただ心だけを差し出す。しかし、心だけを差し出すことで、あなたは勇気百倍になる。絶望からたちまち立ち直ることができる。

 そして、それと同様のことを、愚痴る女房もまた求めているのだ。つまり、何らかの行動を求めているのではなく、優しさだけを求めているのだ。
 これがつまりは、「愚痴を聞く」ことの、本当の意味だ。


 ────

 なお、意すべきことを一つ、示しておこう。
 なすべきことのほかに、なしてはならないことがある。それは、次の言葉をかけることだ。
 「そんなに仕事で大変なのか。だったら、仕事を辞めれば
 夫は平気でこう言うものだが、この言葉だけは絶対に言ってはいけない。なぜなら、それは、女房の仕事能力を全否定することになるからだ。

 このことは、相手の立場になって考えれば、よくわかる。
 あなたが家に帰って、こうつぶやく。
 「ああ、疲れた。仕事が大変なんだよ。まったく疲れたなあ」
 すると女房が言う。
 「だったら会社やめちゃえば? どうせあなたがいたっていなくたって、何も変わらないわよ。別の楽な仕事でもやれば?」
 これはあなたの仕事を全否定する言葉だ。あなたをただの給料運搬機としてしか見ていない。あなたの仕事の価値は社会的にはまったく無意味だ、と見なして、あなたの存在価値を否定している。……こう言われたら、あなたは怒る。
 だからこそ、女房の愚痴を聞いても、そういうことを言ってはいけない。
 「何だ、そんなにつらいのか、だったら仕事やめちゃえよ。おれの給料だけでも食っていけるんだからさ」
 この言葉が女房へのひどい侮辱だ、と気が付かない人は、夫としては失格である。いつ離婚されても仕方ない、と覚悟しておくべし。……というか、そもそも、女性と結婚する資格はないのだ。

 ちなみに、次のケースを考えてみるといい。
 あなたが家に帰ってきて、ゆっくりくつろいでいる。すると女房が「ちょっとそこの皿洗いをしておいて」と言う。あなたはものぐさがる。「どうしておれがやらなくちゃならないんだ」と。すると女房がこう答える。
 「あたしは弁護士で、あなたの給料の二倍の給料をもらっているのよ。だから、あたしが皿洗いをするより、あなたが皿洗いをする方が、合理的なのよ。二人がどちらも同じ時間をつぶすとしたら、あたしの時間がつぶれる方が、家全体では損をするのよ。だから、あなたが皿洗いをしなさい。それが当然よ」
 これで腹が立たないとしたら、あなたはよほどの大物か、よほどの小物か、どちらかである。……ま、怒って当然。
 したがって、家事をしないあなたに、女房が怒ったとしても、それは当然のことなのだ。女房が心の底で、「こんちくしょう、金を稼いでくるからと言って、いつも威張りやがって。あとで覚えていろよ」と思っても、当然なのだ。


( ※ なお、相手が三食昼寝つきを望んでいるのならば、話は別だが。……なお、その場合は、あなたが家事をまんべんなく行なう必要もあるだろう。)

( ※ もう一つ、「専業主婦」というのもあるが、これは、よほど高給取りでないと、あとでトラブルが起こる。年収 1500万円ぐらいを取っているなら別だが、それ以外の人は、やらない方が無難です。また、夫婦の学歴や能力にひどく大差があることが必要条件です。)

( ※ 「うちは専業主婦だけど大丈夫だぞ」と思う人がいたら、そこでは、女房がよほど良くできた女房であるか、女房が不満を隠しているだけか、そのどちらかです。)

 ────

 オマケでもう一つ。役立つ知識を教えておこう。
 「愚痴を聞く」ことの目的は、カウンセリングである。この目的を、ちゃんとわきまえておくと、いろいろと便利である。

  ・ 一生懸命、親身になって聞く必要はない。
  ・ 一生懸命、頭を働かせて考える必要はない。
  ・ 慰めてあげればいい。「大変だね」「よくやっているね」
  ・ 力づけてあげるといい。「きみならできるよ」「何か見つかるさ


 最後の二点をやれば、あなたは夫として高得点をもらえる。
 「何て素敵で優しい旦那様でしょう。この人のおかげで勇気百倍だわ。この人と結婚して良かった。生きがいができる」
 女房がこう思えば、いろいろと御利益があるものです。夫婦は持ちつ持たれつ。

 ね? 簡単でしょう? 何も頭を働かせる必要はない。単に優しさをもち、優しい言葉をかけてあげるだけでいい。それだけです。

 ──

 なお、注意すべき点がひとつある。勘違いしやすい点だが。
 「親身になってはならない。相手の立場に共感して、感情移入してはならない」
 もしそんなことをすれば、相手のつらさがこちらに流れ込んできて、相手の苦しみを味わうハメになる。「喜びは二倍に、苦しみは半分に」ではなく、「苦しみが二倍に」となる。

 だから、そんなことをしてはならない。つまり、相手の言葉をまともに正面から受け止めず、相手の言葉をさらりと受け流すべきだ。「どうせ自分のことじゃないんだ」と思って、「あくまで客観的に見よう」と思うべきだ。

 つまり、ポイントは、こうだ。
 「相手が苦しんでいる、という気持ちを理解するべきであって、その苦しみの事情そのものを理解する必要はない」
 たとえば、妻が「これこれの事情で悩んでいる」と告げたら、その事情を解決するために、あれこれと頭を使う必要はない。そんなことを考えても無駄である。当事者でないあなたが解決できるはずがない。

 愚痴を聞くというのは、問題を解決することではない。必要なのは、問題を理解することではなくて、相手の気持ちを理解してあげることだ。
 具体的に言えば、「こうすればいいんだよ」と解決策を示すことではなく、「大変だねえ」「きみの気持ちはわかるよ」と言ってあげることだ。

 なのに、そこを勘違いすると、「解決策がわからないから、頭が痛くなる。そんな愚痴を聞きたくない」と思うようになる。……ここでは、愚痴を聞くときの態度が、根本的に間違っているわけだ。

 だから、妻に対する人間関係の持ち方を、正しくするべきなのだ。人間関係を理解することは、とても大切である。

( ※ ただし、根っからのオタクには、それが困難だ。人間関係を構築することができない。萌えキャラに優しくしてもらうことばかりに慣れていて、自分の方から現実の人間に優しく対処することに慣れていない。私としては「萌えキャラなんか捨ててしまえ」と言いたいところだが、オタクは「萌えキャラを捨てるくらいだったら、女房と別れる方がマシだ」と言い出す。困ったものですねえ。 ふらふら )



 【 参考 】

 参考サイトがある。

http://okwave.jp/qa732202.html
http://okwave.jp/qa1097935.html
http://ameblo.jp/chielatte/entry-10049225323.html

 本項を書いたあとで、ネットを検索して見つけたサイト。
 本項の趣旨とだいたいに多様な趣旨であるようだ。「誰が考えても正解は同じ」ということなのかもしれない。……で、その正解を知っているのは、一般に、男ではなくて、女なんですね。そこがポイント。

 ──

 女房以外の愚痴については、特に愚痴を聞く必要はない。さっさと友人関係を解消して、逃げてしまってもいい。ただし、うまい方法もある。下記を参照。

http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0711/22/news001.html


 ──

 自分が愚痴を言いたい場合には、次項を参照。

  → 愚痴と2ちゃんねる
http://openblog.meblog.biz/article/159301.html

 
posted by 管理人 at 20:14 | Comment(0) | 一般
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。