アンネ・フランクと生理
1961年(昭和36年)11月、「40年間お待たせしました」というキャッチコピーとともにアンネ社より、使い捨ての生理用品としてアンナナプキンは発売された。12個入り100円と比較的高価であったにも関わらず爆発的にこの商品は売れ、(今では死語だが)アンネ=生理の代名詞にすらなった。
アンネ社のアンネは、オランダのユダヤ人の少女、「アンネ・フランク」から取られたものだ。この名前は創業者で社長であった坂井泰子が男性が口にだしても恥ずかしくないものとして提案したそうだが、何故、アンネなのかはよく判らない。ともかく、アンネ・フランクも自分の名前が遠く離れた日本の地で生理の代名詞になるとは思いもしなかったであろう。
さて、そこで気になるのは、アンネ・フランク自身は、生理について何か日記に書き残しているのだろうか?ということ。そうして、もし書き残しているのであれば、彼女は生理についてどのように感じ、何を考えたのか?
という訳で読んで、調べてみたらありました。(というのは嘘で、本当は読む前からそういう記述があるのは知ってましたが)
アンネの日記は1942年6月12日から1944年8月1日までの2年強、13歳から15歳までの記録で、その中でアンネが生理に関する記述は5箇所あった。では、以下に該当部分を引用します。
まず最初の記述。
1942年10月3日 土曜日
近ごろは、わたしもすこしはおとなの本を読むことを許されるようになりました。いま読んでいるのは、ニコ・ファン・スフテレンの『エーファの青春』ですけど、これなんか、女学生向きのラブストーリーとあんまり変わらないと思います。
(中略)
『エーファの青春』には、名前こそ出てきませんけど、裏町で体を売る女たちのこともいくらか書かれています。男に体を売って、お金をもらうんですけど、かりにもわたしがそんな身の上になったら、きっと恥ずかしくて死んでしまうでしょう。そのほか、この本には、エーファに生理があるといったことも書かれています。ああ、わたしにも早くそれがくればいいのに。そうすればすくなくとも、おとなになったということですから。
この時点でアンネは13歳でまだ初潮は迎えていません。初潮に対して素朴の憧れのようなものを感じているのが読み取れますね。
1942年11月2日 月曜日
だいじなニュースをお伝えするのを忘れていました。もうじき初潮があるかもしれないってことです。ここしばらく、パンツにねばねばしたものがついているので気がついたんですけど、そしたらママが話してくれました。とっても重要なことらしいので、始まるのが待ち遠しくてなりません。ただひとつ困るのは、生理用ナプキンが使えないということ。いまではもう手に入りませんし、かといって、ママの使ってるような小さな栓みたいなのは、赤ちゃんを産んだことのあるひとにしか使えませんから。
初潮の予感ですが、注目すべき点は、1944年当時オランダでは生理用ナプキンもタンポンも共に利用されていたということですね。ナプキンはアメリカでは既に戦前から使い捨ての紙ナプキンがここでいうナプキンもそういうものかもしれません。物資が不足してからは手製の布ナプキンを利用していたと考えるのが妥当でしょうか? また、タンポンは経産婦でしか使えないという迷信が当時のオランダでもあったというのも興味深いですね。世界共通なんでしょうか?
次の記述はかなり間があいて1944年になります。
1944年1月6日 木曜日
さて、二番目は、とても話にくいことです。というのも、わたし自身のことだからです。わたしがべつに気どってるつもりはありませんけど、ここのみんな、とくに女性が、トイレでなにをしてきたかをちょくちょく話題にするのを聞くと、強い嫌悪感で全身がぞわぞわと総毛だちます。
きのうのことですが、わたしはシス・ヘイステルの書いた赤面症についての論文を読みました。著者はまるでわたし個人にあてはめてて書いているみたいです。わたしはそれほど赤面しやすいたちじゃありませんけど、ほかの点はなにもかもぴったり。著者はざっとこのようなことを書いています。思春期の少女は、とかく自分の殻にひきこもりがちになるのと同時に、自分の体に起こりつつある驚異についても考えるようになるものだ、って。わたしもいまそれを体験していますし、またそのせいもあって近ごろでは、マルゴーや両親の前へ出ると、なんとなく気恥ずかしい気分になります。不思議なことにマルゴーは、わたしなんかよりずっと恥ずかしがり屋なのに、そういう点では、ぜんぜんきまりわるがったりしません。
わたしの身に起こりつつあることは、すばらしいことだと思います。たんに表面的な体の変化だけでなく、内面で起こっていることのすべてが。けれども、こういう問題や、わたし自身のことについて、ひとと話しあうことはぜったいにしません。ですから自分自身と話すしかないわけです。生理があるたびに(といっても、いままでに三度あったきりですけど)面倒くさいし、不愉快だし、鬱陶しいのにもかかわらず、甘美な秘密を持っているような気がします。ある意味では厄介なことでしかないのに、そのつどその内なる秘密が味わえるのを待ち望むというのも、たぶんそのためにほかなりません。
この時点でアンネは14歳、既に初潮を迎えて、第2次成長期における身体の変化に対して戸惑いとある種の神秘性を感じてます。アンネ・フランクは早熟でやや耳年間的な部分のある女の子ですけど、ここら辺から色気づいてきて、同居のペーターのことが気になりだしたり、性に関する記述が増えてきます。
ところで、アンネは多少の抜けはあるもののかなりこまめに日記を記述しているに関わらず、初潮が来たことに関しては日記にはまったく記述がないのが不思議です。1942年11月から1944年1月の間に3度生理を迎えたということですが、その間に生理に関する記述はまったくありません。
1944年3月31日 金曜日
ペーターとわたしの仲をあげつらう声は、このところいくらかおさまってきています。(中略)わたしたちふたりは、とてもいいお友達になり、しょっちゅういっしょにいて、思いつくかぎりの問題を話しあいます。なによりうれしいのは、ちょっときわどい話題になっても、ほかの男の子たちとの場合のように、たえず自分に歯止めをかけなくてすむということです。たとえば、血のことを彼と話していて、そこから話題が生理とか、そういった問題のことになりました。彼は女性が毎月そうやって血を失いながら、けろりとしてそれに立ちむかっているのを見るにつけ、女ってすごくタフなんだと思っちゃう、そう言います。わたしにこともタフだと思っているそうですけど、いったいなぜなんでしょう。
ペーターとラブラブな時期の話ですが、結構、アンネはペーターとエロトークを交わしております。まぁ、エロトークといっても保健体育的な感じのものですけど。ここらのアンネの性に対する興味に関する部分はまた別にまとめます。
次が生理に関する最期の記述。
1944年5月3日 水曜日
いままで二ヶ月以上も生理が止まっていましたが、日曜日にやっと始まりました。面倒だし、不愉快なものですけど、やっぱり完全に止まってしまわなくて、よかったと思います。
生理不順に関する話。戦時下で隠れ家生活という非常にストレスのたまりやすい環境ですから生理不順もあたり前なのでしょう。戦争中に生理が止まったという話は良くある話です。
以上で、『アンネの日記』における生理関連の記述はおしまいなのですが、意外と少ないな。というのが正直な気持ち。もうちっと生理痛とか、身体がだりぃとかそういう普通の記述があっても良いんじゃないかという気がするのですが、それは僕が男だから思うことであって、女性的には別に気になるもんでもないんでしょうか? まぁ、『アンネの日記』は生活や家族・同居人に対する不平不満や自分の脳内の思考については率直に書かれてますが、自分の身体的な部分に関してはあまり記述がない(服装や週に一度しか風呂に入れないこと、或いは年老いた男性と同室であることに対して性的な危機感など)ので当然かもしれませんが。
Jan 15, 2005 6:09:01 PM | Permalink
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Comments
うーん。書くのもなんですが、よく書けてますね。
分かりやすい。
大変勉強になりました。
Posted by: osa | 2005.01.16 03:13 午前
単に抜書きしてるだけですから、たいしたもんじゃないです。
Posted by: Hugo | 2005.01.16 02:18 午後
>もうちっと生理痛とか、身体がだりぃとかそういう普通の記述が
>あっても良いんじゃないかという気がするのですが
>それは僕が男だから思うことであって
>女性的には別に気になるもんでもないんでしょうか?
日記でそういう事を詳細に記述してる女性ってのは
聞いた事はないですねえ(H日記を書くヒトは居そうだけど)。
まあ、私は日記を書いた事がないのですが、
仮にその習慣があっても、おそらく
よっぽどの体調不良を感じた時か何かでないと
日記でまで言及はしないと思いますねえ。
多分、女性にとっては今日トイレに何回行ったとかを
克明に記録するような事なんかと感覚的に大差ないと思うので。
ちなみに、この際ついでだから己を振り返ってみると(笑)
最初の頃は、一言で言って「慣れる」事に気がいってましたね。
月イチだから対処技術(生理中の女性というのは
男性が考える以上に色々気を使って生きているのです⋯)
の収得に結構かかるんですわ、これが。
また、初めの頃は身体の変調が、単なる体調不良なのか
生理から来るものなのかの判別がつきにくかった気が。
で、その期間を過ぎて慣れてくると、違いなんかも分かってきて
一転「日常」になってしまい「あーまたか」って感じになりましたね。
⋯ま、あくまで私の話なので御参考になるかどうかは分かりませんが。
(つーか、何を書いているんだ私⋯)
Posted by: ほりー | 2005.01.16 10:09 午後
ほりーさん、こんちは。
男には判らない話なので大変興味深いです。
『アンネの日記』は、日記といっても、百閒の『戦後日記』や荷風の『断腸亭日乗』なんかとは随分印象が違う。
自分語りが多い割りに、自分自身の具体的な記述が少ない。それが10代の少女ということによるものなのか、西洋的な日記のスタイルなのかは判らないけど。
あと、読んで実感したけど、『アンネの日記』を読んで反戦とかホロコーストとかいうのは、ミスリードとは言わないけど、かなり歪な読み方だね。
Posted by: Hugo | 2005.01.17 01:13 午後
アンネがかわいそう・・・
Posted by: ??? | 2006.08.15 02:12 午後
??? さん、こんにちは。
捨てコメントに反応してもしたかがないですが、アンネ・フランクを悲劇の少女としてホロコーストのプロパガンダとして利用される方がよっぽど可哀想だし、歪んでると思いますが。
Posted by: Hugo | 2006.08.15 03:32 午後
はじめまして。
生理のことを調べている途中で、この記事に辿り着きました。
アンネフランクの本は、ずいぶん昔に読んだはずなのですが
取り上げてくださった部分だけでも、
新しい発見がたくさんあるものですね。
ありがとうございました。
Posted by: suu | 2007.10.25 03:33 午後