先日、妻の実家がある新見市で、娘の宮参りを終えた。地域、神社によって多少の違いがあるが、無事に生後一カ月を迎えたことを産土神(うぶすながみ)に感謝する日本古来の風習だ。
義父、義母らに付き添ってもらい、娘を抱いて妻と参詣した。日ごとに増す寒さに、ぐずりはしないか心配したが、派手な祝い着に身を包み眠ったまま。ホッと胸をなで下ろした。
子の幸せという親の願いはみな同じだが、子どもたちを待ち受ける社会は、明るく楽しい未来ばかりではないだろう。
深刻ないじめ。ニートやフリーター志向の広がり、インターネットカフェを泊まり歩くネットカフェ難民、長時間働いてもわずかな収入しか得られないワーキングプア(働く貧困層)。地球温暖化などすべての生物に対する脅威もある。こうした現実を肌で感じ、悩む日が来るかもしれない。
だが、今は、ひたすら眠る無垢(むく)な寝顔で十分だ。
できることなら一年半ほど前に他界した実母に見せたかった。私は実母の生前、多忙な仕事を理由に実家を訪ねることすらしなかった。「いつか時間のあるときに…」。そう思っている間に逝(い)ってしまい、今も後悔が残っている。
娘は、そんな実母の「月命日」に生まれた。縁があったのか、単なる偶然かは分からない。だが、救われた気持ちになったのは確か。小さな体でも、抱けば命のぬくもりがしっかりと伝わってくる。この子たちの未来だけは、何としても守ってやりたいものだ。
(文化家庭部・赤井康浩)