ところで、おいら気になるんだが、山田洋行なんだけどね。そもそもアレは後発の商社で、本業は不動産屋だ。弥生不動産というのがあって、113億円の不良債権でおかしくなっちゃったんだが、その子会社が山田洋行だ。で、そもそも山田洋行というのは山梨人脈の流れの元に利権を漁るために作られた会社ではないか、というわけだ。で、週刊報道特集さんちでは
山田洋行は武器専門商社として、防衛庁(省)への兵器納入で競争なしの受注戦を繰り返してきたのは、小佐野賢治・ 長田庄一・金丸信のいわゆる山梨人脈を背景にして発足した特別な存在だったからではないか、といわれている。 日米軍当局が軍事力のレベルを打ち合わせ、米国製武器の輸入が許可された場合、ライセンス生産にはかからない高額品の取扱先として山田洋行が指名されてきた。競合先から異論が生じないように政官工作が繰り返された疑いが強い。
と書いているんだが、とりあえず長田庄一と弥生不動産と山田洋行の関係なんだが、こんな具合で。
山田洋行の代表取締役社長は長年、秋山と懇意だった東京相和銀行(現・東京スター銀行)の長田庄一の大番頭だった山田正志が務め、後に息子の山田真嗣が代表取締役に就任している。山田洋行の95%の株式は山田グループの不動産会社である弥生不動産が保有している。加えて弥生不動産社長でもある山田真嗣も約3%所有する。
ところが、弥生不動産というのは不良債権を113億円、処理した時に資産隠ししたのではないか、という疑惑があるわけだ。
整理回収機構側は弥生不動産の不良債権(113億円)処理に際し、一時金37億円の支払い、2016年までの12年間に30億円の分割払い(計67億円)、残り46億円の債権を整理回収機構が放棄するという弁済案で2004年3月に終結したものの、現在も不動産・グループ企業多数を所有しているため、資産の過少申告や整理回収機構との裏取引があったのではないかとの報道がある。
で、ここでとんでもない名前が出てくるんだが、沼津に淡島ホテルというのがあるわけだ。ちょっとした高級ホテルで多くのクルーザーを所有し、我らがヨットクラブの溜キャプテンも時々講演に招かれたりするんだが、その淡島ホテルが、長泉山荘や東京湾トロットクルーズとともに、東京相和銀行の長田一族の経営だったりするわけだ。で、バブル崩壊で経営が破綻し、113億という不良債権を抱えていたアレがナニして政治家使って利権でドガチャガと荒稼ぎしてどうこうとか、まぁ、そんな具合です。ありがちだね。
むかしむかしあるところに不動産開発やってる会社がありまして。ここが新しい施設を作るというんで、そこで売る商品をおいらのところで納める事になったわけだ。ところが、出てきたのが「元国会議員秘書」とかいうオヤジで、会社を調べたら社員が数人なのに借金が100億以上。こりゃヤバいだろ、というんで二回目からは断ったという事件があるんだが、おいら、議員秘書とかいう人種は大嫌いだ。まぁ、例外はあるが。バブルで潰れかけた開発屋なんてモノはそんなもんで、政治家と繋がりがあるところは、どこかしらで「損失補填」して貰って生き延びたりしているんだが、まぁ、そこまで司直の手が入るか、お楽しみ。
で、せっかくなのでここで山梨の話なんだが、
「甲州ベェと牛の糞」という諺がある。 牛の糞は一見固そうに見えるが、踏みつぶすとグシャとつぶれるという意味で、 甲州人は油断もスキもないという喩えである。 長野人は甲州人のことを、 「甲州人が釣りをしたあとは-匹も釣れない。小魚も根こそぎ捕ってしまう」 「甲州人の歩いたあとはペンペン草もはえない」と揶揄する。 物を買うときも実にしたたかで、値段は徹底的に叩き、 契約後にも再度値引きを強要するという凄まじさである。 それでいて、「隣は高級車を契約した」という話を聞くと、 負けじとばかり、それ以上の車を欲しがる見栄っばりな一面がある。 我慢強く、執念深い反面、カッとしやすい県民性である。
時代劇でも越後屋と並んで甲州屋というのがよく出てくるんだが、土地が貧しくて食えないので、カネになるところに出てくるわけだ。伊豆なんぞは人間が甘いので、いいようにカモにされてきた歴史があるんだが、駿河でもそうらしい。静岡市では
「甲斐商人が通った後にはペンペン草一本生えない」というそうで、
駿河の中核静岡市は県政の中心であるだけでなく、商業都市としても中心的役割を果たしてきた。しかし駿河人は言う。静岡の町のいいところを占めているのはみんな甲斐商人なのだと。駿河湾から甲斐の国に通じる「塩の道」があったため、駿河には早くから甲斐商人が住みついていた。のんびり者の駿河商人はかれらのたくましい商魂に勝てず、呉服町など有利な土地は次々と甲斐商人のものになっていったという。
この言葉はあちこちで聞くね。山梨というのは、今でも行ってみれば判るんだが、食い物といったら「ほうとう」なんて貧乏くさいモノしかないし、あんなモノ、カネ取って食わせるもんじゃねーぞ、と、伊豆グルメは思うんだが、何を売って歩いたのかというと呉服らしい。
勤勉で,謙虚。自分に対するきびしさをもつ。山梨県は北に甲斐駒ケ岳,南に富士山と高い山に囲まれ,そこを水害で有名な釜無川が流れる。県土は火山灰のため,農業生産性は低い。こうした,貧しい土地と閉塞された盆地という,厳しい地勢から,自ずと人々には忍耐強さが備わったのであろう。
「甲州商人の通ったあとはペンペン草も生えない」といわれるよう,山梨は古来より商人の町でもあった。商人は大風呂敷に呉服物を包んで肩からかけ,村から村を勤勉にまわった。その商魂を「めちゃかもん」と呼んだ。
呉服を担いで売って歩く商人というのは、むかしは結構多かった。実は、おいらのオバサンもそれで、芸者あがりで引退してからは人脈を生かして、熱海や伊豆長岡の旅館・置屋に呉服を売って歩いていた。別に甲州人ではないんだけどね。細かい商売なんだが、コツコツやるとそこそこ儲かる。たいてい「お得意さん」だけまわるものなんだが、甲州商人は違うようで。
太平洋戦争が終わった直後、衣料不足に目をつけた甲州商人は東北や九州に出かけていき、 粗悪なメリヤスや天井のない蚊帳などを舌先一つで巧みに売りつけたという。 そのため他県人の中には、甲州商人と聞くといまだに煙たがるイメージが根強い。地元では「めかちゃかもん」といい、利口でずるく、すばしっこいという評判である。 甲州商人は商品を売ることを「打つ」あるいは「負ぶせる」という。 負ぶせるとは、負かすことである。 売ったものが勝ちで、買ったものが負けという考え方である。
まぁ、アレだ、甲斐でいいのは甲斐犬だけ、という事でw
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