「死にたい」SOS無援 「親に心配かけられん」 筑前・いじめ自殺 【西部】
(1面から続く)
筑紫平野に広がる筑前町は、05年3月、旧夜須(やす)町と旧三輪町が合併してできた。人口約2万9千人。中学は夜須中と三輪中の2校で、三輪中生のほとんどは三輪小出身だ。
生徒は水田や大豆畑に囲まれた一軒家で、2人の弟とともに育った。笑顔が可愛く、女子生徒に人気があった。
バレーボール部のアタッカー。小学1年の時、父親のプレーをビデオで見てバレーを始めた。釣りも好きで、ブラックバス釣りによく出かけた。
■ ■
自殺のあと、両親は小学生のころにいじめを受けていた友人から、生徒が下校時に家まで付き添っていたと知らされた。友人は両親にあてた手紙で、こう振り返る。
「いじめられた時、ほんとうに優しく声をかけてくれたし、一緒に帰ろうと、わざと明るい楽しい話をしてくれました」
そんな生徒が「学校に行きたくない」と母親に漏らしたのは、中学1年の1学期のことだ。
その少し前、早退が多いのが気にかかった母親は、担任に相談した。
担任は同級生がそろう教室で、早退ではなく、帰宅後にインターネットのサイトをみていることについて「指導」した。生徒は不名誉なあだ名をつけられ、母親に「先生にインターネットのこと言ったろ?」と訴えた。教室で、同級生が落とした消しゴムを拾ってあげると、担任から「偽善者にもなれない偽善者」と言われた。
このころ母親は、いじめを受けていないか、と生徒に尋ねた。自転車のかごが壊れているのに気づいたからだ。祖父も孫の自転車のねじが緩んでいたり、パンクしたりしていたのを覚えている。だが、生徒は「いじめられてない」と答えた。
いじめは、1年の時の担任の言動を見てきた生徒の間に広がった。中心は、担任が日常的に接する、クラスをまたぐ生徒のグループだ。
■ ■
「6月に死ぬ」。今年に入って、宣言したことがある。何度も「死にたい」と繰り返した。
冗談と受け止めていた友人が多い。生徒は「宝くじで3億円当たった」などとたわいのないうそをつくこともあった。いじめられて、なんとか友人の気をひこうと考えたのか。両親はそう思う。
家では競走馬を育てるゲームに熱中するようになっていた。成績が下がり、携帯電話を買ってもらう時の約束だった手伝いも休みがちになった。
いじめはエスカレートしていた。休み時間、数人が入れ代わり立ち代わり机を取り囲み、机をたたく音が教室に響いた。「死ね」「消えろ」「うざい」。こんな言葉を浴びせられた。
ある日、生徒はいつにも増して優しく振る舞った。母親が帰宅すると、いつもは2階でパソコンに向かったままなのに、1階に下りてきた。「お帰り」「勉強していたよ」。母親は思わず「どうしたと?」と言葉をかえした。自殺の3日ほど前だ。放課後には、3、4人の女子生徒にお菓子をあげていた。
そして、その日。
「これから僕、死ぬけん」。教室で、振り向きざまに同級生に告げた。同級生は諭した。「死ぬなんて、軽々しく言うたらいかんよ」
小学校の時、家まで送ってもらっていた友人は生徒の妙な明るさが気に掛かり、声をかけた。生徒は漏らした。「周りの目がおれに『死ね』って言いよる」。友人が両親に相談するよう助言しても、「親に心配かけられん」。げた箱の前で「バイバイ」と言ったのが、最後だった。
その夜、祖父が、自宅敷地内の狭い倉庫で孫を見つけた。梁(はり)にひもを通し、首をつっていた。
■ ■
生徒は一人、耐えていた。「死にたい」と校内で発していたSOSのサインは、大人には伝わらなかった。
「毎日夢を見ます。夢の中で(生徒は)、親や家族、みんなを悲しませてることを苦しんでいます」。友人が生徒の両親にあてた手紙の一節だ。手紙はこう結ばれている。
「これ以上、辛(つら)く悲しい思いをするのはいやです」
【写真説明】
亡くなった生徒が小学6年の時、卒業アルバムに書いた文章
自殺が明るみに出てから最初の登校日、正門から登校する生徒たち=16日朝、福岡県筑前町の三輪中学校で、柏木和彦撮影
朝日新聞 10/29
(1面から続く)
筑紫平野に広がる筑前町は、05年3月、旧夜須(やす)町と旧三輪町が合併してできた。人口約2万9千人。中学は夜須中と三輪中の2校で、三輪中生のほとんどは三輪小出身だ。
生徒は水田や大豆畑に囲まれた一軒家で、2人の弟とともに育った。笑顔が可愛く、女子生徒に人気があった。
バレーボール部のアタッカー。小学1年の時、父親のプレーをビデオで見てバレーを始めた。釣りも好きで、ブラックバス釣りによく出かけた。
■ ■
自殺のあと、両親は小学生のころにいじめを受けていた友人から、生徒が下校時に家まで付き添っていたと知らされた。友人は両親にあてた手紙で、こう振り返る。
「いじめられた時、ほんとうに優しく声をかけてくれたし、一緒に帰ろうと、わざと明るい楽しい話をしてくれました」
そんな生徒が「学校に行きたくない」と母親に漏らしたのは、中学1年の1学期のことだ。
その少し前、早退が多いのが気にかかった母親は、担任に相談した。
担任は同級生がそろう教室で、早退ではなく、帰宅後にインターネットのサイトをみていることについて「指導」した。生徒は不名誉なあだ名をつけられ、母親に「先生にインターネットのこと言ったろ?」と訴えた。教室で、同級生が落とした消しゴムを拾ってあげると、担任から「偽善者にもなれない偽善者」と言われた。
このころ母親は、いじめを受けていないか、と生徒に尋ねた。自転車のかごが壊れているのに気づいたからだ。祖父も孫の自転車のねじが緩んでいたり、パンクしたりしていたのを覚えている。だが、生徒は「いじめられてない」と答えた。
いじめは、1年の時の担任の言動を見てきた生徒の間に広がった。中心は、担任が日常的に接する、クラスをまたぐ生徒のグループだ。
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「6月に死ぬ」。今年に入って、宣言したことがある。何度も「死にたい」と繰り返した。
冗談と受け止めていた友人が多い。生徒は「宝くじで3億円当たった」などとたわいのないうそをつくこともあった。いじめられて、なんとか友人の気をひこうと考えたのか。両親はそう思う。
家では競走馬を育てるゲームに熱中するようになっていた。成績が下がり、携帯電話を買ってもらう時の約束だった手伝いも休みがちになった。
いじめはエスカレートしていた。休み時間、数人が入れ代わり立ち代わり机を取り囲み、机をたたく音が教室に響いた。「死ね」「消えろ」「うざい」。こんな言葉を浴びせられた。
ある日、生徒はいつにも増して優しく振る舞った。母親が帰宅すると、いつもは2階でパソコンに向かったままなのに、1階に下りてきた。「お帰り」「勉強していたよ」。母親は思わず「どうしたと?」と言葉をかえした。自殺の3日ほど前だ。放課後には、3、4人の女子生徒にお菓子をあげていた。
そして、その日。
「これから僕、死ぬけん」。教室で、振り向きざまに同級生に告げた。同級生は諭した。「死ぬなんて、軽々しく言うたらいかんよ」
小学校の時、家まで送ってもらっていた友人は生徒の妙な明るさが気に掛かり、声をかけた。生徒は漏らした。「周りの目がおれに『死ね』って言いよる」。友人が両親に相談するよう助言しても、「親に心配かけられん」。げた箱の前で「バイバイ」と言ったのが、最後だった。
その夜、祖父が、自宅敷地内の狭い倉庫で孫を見つけた。梁(はり)にひもを通し、首をつっていた。
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生徒は一人、耐えていた。「死にたい」と校内で発していたSOSのサインは、大人には伝わらなかった。
「毎日夢を見ます。夢の中で(生徒は)、親や家族、みんなを悲しませてることを苦しんでいます」。友人が生徒の両親にあてた手紙の一節だ。手紙はこう結ばれている。
「これ以上、辛(つら)く悲しい思いをするのはいやです」
【写真説明】
亡くなった生徒が小学6年の時、卒業アルバムに書いた文章
自殺が明るみに出てから最初の登校日、正門から登校する生徒たち=16日朝、福岡県筑前町の三輪中学校で、柏木和彦撮影
朝日新聞 10/29