2007-12-02
■[etc] ウェブ思想家 近藤淳也の思考と発想 
はてな社長・近藤淳也の才能は、はてなユーザーやエンジニアには説明する必要もないだろう。エンジニアなら誰もが、氏のように豊かな発想をもとにユーザーをあっと驚かせ、ウェブの世界を良くしていきたいと考えているに違いない。しかし、残念ながらなかなか氏のようにはなれない。私たちと氏の間に、どんな差があるのだろうか?
近藤淳也は澱みなく喋る。まるで原稿を読んでいるかのように、すらすらと言葉が出てくる。社員の前で喋る時も、カメラを前に喋る時でも。一言一言、近藤ワールドは重ねられてゆき、聴衆は氏の語る世界に魅了され、飲み込まれていく。はてなの面白さは、近藤淳也の一貫した世界観によって構築されていると言えよう。
私は氏に読書について尋ねた事がある。氏曰く「本を読むのは遅い方だ」という。読み進めるたびに想像(妄想)が広がってしまい、なかなか進まないから、という事らしい。1のアイディアに対して、10の想像をする、そんな読み方をしているのではないだろうか。一つ一つのアイディアや言葉を自分の世界観に投げ込み、検証・シミュレーションを行い、理想とする世界について考え続けているのかもしれない。読書から、些細な会話から、ありとあらゆる事象が氏の中で意味づけされ、それが強固な世界観の形成に繋がっていく。本の内容を頭の中にコピーするだけでなく、それを何倍にも膨らませているのだろう。
ここまでの話で、「独りよがりの迷惑な妄想家か?」と思う人もいるかもしれない。だが、決してそんな事はないというのは、氏が好む「なんでなんで?」という言葉からも分かるだろう。「なんでなんで?」とはつまり、「あなたは何故そう考えたんですか?」という問いかけだ(keyword:なんでなんで攻撃)。相手の考えが気に入る・気に入らないが問題なのではなく、相手がなぜそういう結論を導いたが重要なのだ。考え方や好みの違いで、安易に相手を攻撃する事は決してない。氏が一貫した世界観を持つように、相手にも確固たる世界観をもち対話する事が要求される。口からでまかせだったり、人からの受け売り、考えなしの決断は直ぐに見抜かれる。
普通のエンジニアは、「この技術を使って出来る事はないか?」といった、技術ありきの発想をする。一方、近藤淳也は先ず「世界はどうあるべきなのか?」を考える。そして、その世界を実現する為に自分が出来ることをしていく。この差は大きいのではないだろうか。「こんな世界は素晴らしくないか?」と、ユーザーに問いかける。世界観によって読者を魅了する、作家のようなスタンスだ。これこそが、近藤淳也(=はてな)の作家性ではないだろうか。
はてなから違和感があるサービスがリリースされた時は、「これは嫌だ!」と拒絶するのではなく、何故こういった仕様にしたのか想像するとより楽しめるだろう。サービスが持つあらゆる仕様・デザインに、近藤淳也の考え抜かれた世界観が裏打ちされている。「なんでなんで?」と楽しむ精神こそが、はてなユーザーに求められるリテラシーなのではないだろうか。
ゲイツ氏も同じように「こんな世界は素晴らしくないか?」と問いかけたと思いますよ。スケール違いますが。
個人的には何故アメリカに行ってるのか、何をしているのかものすごーく疑問です。
>「なんでなんで?」
それって圧迫面接にも使えそうなキーワードですね。
うーん。