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【芸能】幸四郎・染五郎 ゆかりの演目で名優しのぶ2007年11月25日 紙面から 歌舞伎役者の松本幸四郎(65)と市川染五郎(34)が24日、東京・虎ノ門のホテルオークラで、文化勲章も受賞した初代松本白鸚(まつもと・はくおう、1910−1982年)の27回忌追善二月大歌舞伎(2月1日から東京・歌舞伎座)について会見した。長男の幸四郎を中心に、ゆかりの演目で昭和の名優をしのぶ。 今回の演目は「積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)」、「仮名手本忠臣蔵」、「熊谷陣屋」など。 幸四郎は昼に「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助、夜は「熊谷陣屋」の熊谷直実、最後に孫の染五郎が本興行で初めて大曲「春競鏡獅子」を踊る。 幸四郎の2役は白鸚が愛し、得意としていた当たり役。特に、由良之助は、幕が下りた直後に、観客が「大石内蔵助というのは、こういう人だったのかもしれないねぇ」としみじみ感想をもらしたエピソードが有名だ。 「役者にとって最高の褒め言葉。父は、真山青果の『元禄忠臣蔵』の内蔵助もやっていますが、両方いいと言われた役者は少ないと思います。英雄役者といわれ、最後の大きな役者ではなかったでしょうか」と幸四郎。 自身、両演目とも何度も手掛けてきた。熊谷も定評がある。 「最後に『16年はひと昔、夢だ、夢だ』というセリフがあるんですが、27年はひと昔という気持ちで胸がいっぱいになると思います」と早くもさまざまな思いが去来している様子だ。 染五郎が「鏡獅子」を披露するのが新鮮だ。本来、家の芸ではないが、染五郎が子供歌舞伎で一度だけ演じた際、叔父の松緑(2代目、白鸚の弟)から教わり、「弥生(の精)をやれる役者が高麗屋にも出たな」と評された思い出がある。幸四郎は「最後は新しい高麗屋の門出。松たか子、松本紀保もいてひ孫もできた。オヤジ、ここまできたよ、と言えそうです」。 夜は「口上」もあり、広く慕われた人柄がしのばれそうだ。 【松本白鸚(まつもと・はくおう)】 1910(明治43)年7月7日生まれ。東京都出身。7代目松本幸四郎の二男。26(大正15)年、松本純蔵の名で初舞台。30(昭和5)年5代目市川染五郎を襲名。49年、8代目松本幸四郎を襲名。歌舞伎だけでなく57年に「明智光秀」、60年に「オセロ」などにも出演した。75年に人間国宝、81年には息子に名跡を譲り初代松本白鸚となった。同年文化勲章。82年1月死去。
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