隠れうーさー教



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前回の更新の“日本代表チームで大活躍する自分という想像”と“センター方向への二塁打5本の「中二、中二、中二、中二、中二」という打撃成績表”が、二重の意味で「中二病的(中二病-wiki)」だと把握してくれた人がどれくらいいるだろう、とボンヤリ考える。
 
最後に一行「まさに中二病」とか書いておけばほとんどの人が理解できると思うが、書かずに示唆して終わる(それでも成立する)良さみたいなのを意図して書いてるだけに、しかしそれをやると結構な人数が置いてけぼりになるというジレンマ……はないんだけど、まぁ意味わかりにくくてサーセン、みたいな。
 
同じような状況は、結構前に書いた「真の魔法使い」なんかの時にもあって、わかる人にとって(ぼく的に)結構面白いはずというスレスレのラインを狙うと、だいたい余裕アウトだったりする。
 
たぶん、読んでくれてる大部分の人にとってぼくのサイトの存在価値は「微妙におかしい(苦笑い、失笑含む)」というとこであり、逆にぼくが書いてて面白いと感じるのは「構造としてのユニークさ」や「アイデア」だったりして、ごく希にある「これはイケてるぜ!」とうーさーさんご満悦なものはだいたいイマイチウケない。
 
あ、いや嘆いたり憤ってるんじゃないんだよ。ひたすら短く短くしようっていうのも含めて、わざと情報を制約してる訳で、扱う話題もフリーダムだし、そこから正確に読み取れというのはどう考えても不可能なのだ。しかし、「どういう意味ですか?」と聞かれがちな虚しさよw
 
真の魔法使いも、ハリーポッターのストーリーを知ってる人にしか意味は伝わらない。ので、珍しく全ての意味を解説してみると、まず、前半部分の小説はハッキリいってどうでもいい。ただの前振り。書きたいのはスレの方なので、それがハリーポッターに関する話であるという説明を、できるだけ説明的にならずにもってこれればなんでもよかったりして、小説形式なのはたまたまだ。
 
「もしくは、」の後ろが本編になり、990は書いてる内容と「ID:HarRYp0T」から「ハリーの書き込み」という設定。VIPにいそうな中高生っぽさがポイント。
 
992以降の「1000なら脱童貞」は、スレの流れの速いVIPで1000スレ目を取るのはかなり難しい→取れると幸運、願いが叶うような雰囲気という文化が前提で、ハリーが脱童貞を目指して1000ゲットを狙っている。
 
が、1000を取ったのは「ID:VoLUDMOd」で、これはハリーの両親の敵にしてハリーに呪いをかけた悪役であるヴォルデモード卿のこと。
 
「魔法使い」はネットスラングで「童貞」であり、「永遠に魔法使い」は「一生童貞」の意。結局ハリーは劇中同様にヴォルデモードに呪いをかけられ、タイトル含めて「一生」や「真の」魔法使いは劇中の設定にかかってくる。
 
つまり、990以降、魔法使いという立場に対してVIPっぽい雰囲気と劇中の設定がクロスオーバーしていきつつ、魔法使いが=童貞ならヴォルデモードも童貞、故に突き詰めていくと劇中同様、ハリーとヴォルデモードが精神的に共鳴し合う対の存在になる、というのが本質的な意図。
 
説明されれば理解できると思うけど、ハリーポッターを知らない、VIPを知らないどちらの場合もだいたいの雰囲気でしか伝わらず、両方知らない場合は意味自体がわからない可能性が高いという、ぼくが投げっ放す典型的なダメパターンだ。

まぁその説明不足な中途半端さがある種ぼくっぽさでもあり、良さまでは言わないけど、そういうもんだと理解してもらっている気はするし、意味が通るように逐一説明する方が、よほどつまらないものになりそうではあり。
 
非常に似たタイプに「語呂だけ文学」があって、これもほとんどの文面が原作そのまま、微妙に内容を変えていくことで「カモメのジョナサン」が「カモ“め”のジョナサン」にズレる(サリヴァンにカモにされがちなジョナサンという意味)という、文章の構造自体に意味があるパターン。昨日の「スゴイようで微妙な打撃成績」「ロリコン外科医、いい加減懲りろ」なども考え方としては近い。
 
この他に、出オチ気味にだんだい書いてることがウヤムヤになっていく“フェードアウト型(「どうぶつものがたり」等)”、逆に大半が前振りで最後の一行で台無しになる“投げっぱなし型(「結局何した人なんだろう」等)”、ダラダラ書いた挙げ句に「ギャル」「死のう」等いつも通りに回帰する“自己完結型(「暗黒面の誘惑」等)”、物事をシステム的に捉える“定義型(「街中ですれ違う今時の女子高生の」等)”みたいないくつかのパターンがあって、最近はもはや様式美気味でありつつ、自分的な満足度が高いロジック勝負型や定義型はそんなに思い付かない上に書いても滑りがち!
 
ぼくが文章に対して思い入れやこだわりがないというのは、文章技法や読んで面白いかみたいな文系的ベクトルに対してという意味であり、実際にはその前段階の部分におおよその意識がいっているという話。まぁ理系的かというとそれはそれで違うんだけど、なんにせよ肝心のその部分は文章を削り過ぎている結果、非常に伝わりにくいし、伝わらないものを共有することはできない。残念ながら、そういう芸風(?)なのだなぁ。
 
オチを書かずにフェードアウトしていきがちな展開が多い辺り、傾向として全体的にツッ込み待ち系だということが今発覚した。寂しいwww

といいつつ、色々考えながら書いているのはごく一部でしかなく、時間がなかいとかそうそう思い付かないとか、書いてることの大部分はぼくにとっても読む人にとってもあまり価値がない訳で、それが過去ログを全て載せる気がない理由のひとつであり、1200回書いているのに過去ログが100回分くらいしかないという、しかも気に入っているというだけで面白いかっていうと別問題なものも多く、この論理でいくと、ぼくのサイトは月に1、2回くらいしかまともなことを書いていないという、ヤッベー、死のう(いつもの自己完結型でキレイにまとまりました)。