レポートを読んで(2002年)
「創造主なる神の存在」、「神の前における罪とその結果である死」、「罪と死の解決としての十字架と復活」について、ほとんどの人は初めて聴いたことであり、神の存在はともかく、罪や死、十字架と復活については全く荒唐無稽の話に感じたのではないかと思います。大体、罪の問題にしても、ここで言う罪とは創造主なる唯一の神の前での罪であって、神の存在のリアリティーを感じることがなければナンセンスなことであるのは当然でしょう。
私自身も、最初その話を聴いた時(25才のころですが)、クリスチャンという人種はなんと不思議な、おめでたいというか、非科学的というか、かわいそうな人たちだと感じたものです。
ですから、学生諸君がこの話をおとぎ話のように聞こえたり、非科学的に感じたりしたのは当然だと思います。しかし、その私がのちにクリスチャンになったのは、神の存在を認めざるを得ない体験を重ねて来た結果であり、今は神様の存在も、自分自身の罪深さも、また、十字架と復活によって与えられる罪の赦しと永遠のいのちも自分にとって全く違和感のない、至極当然のものとして信じ、受け入れ、その恵みを体験しています。そう、神の存在も罪の赦しも、これは体験なんですね。また、体の癒し、傷ついた心の癒し、超自然的な知識や知恵、能力の賦与も祈りによって体験する事が出来ます。もしも皆さんが何か問題を抱えているなら、私に声をかけてください。あなたのために喜んで祈りましょう。信じて祈るなら必ず神を体験します。
今回の皆さんのレポートを読んで、かなりたくさんの人が誤解しておられる事がありました。それは罪の結果としての死の問題です。
ここでいう死とは、(授業の中でもしっかり説明したつもりではありましたが伝わってなかったのですねえ・・・)肉体の死の事ではありません。聖書でいう肉体の死は肉体とたましいが分離するというだけで、それはいわば目に見える世界から、目に見えない世界への引越しのようなもので、決して人生の終わりではありません。ですからそれ自体は不幸なことでもありません。引越しの時は別れの故のさびしさはあったとしても、引越し自体を不幸だと考えることはないでしょう?幸いな引越しもあればそうとはいえない引越しもあるのです。
聖書の語る「罪の結果としての死」とは、私たちの存在そのものである「たましいと霊」が創造主なる神様から完全に分離してしまうこと、つまり、もはや一切神様からの祝福も恵みも受け取れない完全な暗黒の中に入るということを指しています。
ですから、「早く肉体の死を迎えるものが罪深く、長生きするものが善人である」とか、「肉体の死が罪の刑罰である」というのは全く非キリスト教的考え方です。また、「罪を犯せば神から罰せられる」という考え方も非キリスト教的な考えです。神は人を愛し、救う方であって、罰したりする存在ではないし、罪ゆえに人が受け取らざるを得ない「存在そのものの死」を神の一人子イエスに負わせて、あがないをなしてくださった方です。あくまで「神は愛」というのが聖書のメッセージです。
今回の授業は皆さんにとって、キリスト教を知る窓口が少しだけ開いたといった程度だと思います。多くの人が書いてくださったように、自分が信じるかどうかはともかく、クラシック音楽に対する聖書とキリスト教信仰の影響はすごく大きなものですから、知識としてはどうしても知っておく必要があると思います。これを機会にぜひ聖書を読んでみて、出来ればどこかの教会に継続的に出席してみることを強くお勧めする次第です。教会はどこであれ、信者でない人の出席を歓迎してくれるはずです。また、インターネットで礼拝風景を音声や映像で見たり聴いたりすることもできます。大和カルバリーチャペルという神奈川県の教会がインターネットとCS放送で礼拝を公開しています。この教会は今の日本でおそらく最もメジャーな教会の一つです。ぜひ覗いていただきたいと思います。HPアドレスは http://www.yamatocalvarychapel.com/index.html です。
また、書物によってさらに聖書とキリスト教を知っていくこともお勧めします。三浦綾子さんの「旧約聖書入門」「新約聖書入門」「道ありき」「ちいろば先生物語」等は解りやすく、心から推薦できるものです。
さて、皆さんの書いてくださったレポートですが、その中にあったさまざまなご意見、御質問を以下に抜き出して、私なりに回答を書いておきました。一つ一つのレポートに個別に答えを書くより、こうして列挙したほうが皆さんの参考になると思いましたので、御参照ください。
死を解決するとはどういうことか?キリストの復活でどうして死が解決されるのか?
イエスのことばがその解決となるでしょう。「私を信じるものは決して死ぬ事がなく、たとえ死んでも生きる。」つまり、肉体の死はその人の実存になんら害を与えることは出来ないということです。私たちの霊が肉体の死の前であろうと後であろうと、神様との交わりを回復し、神のいのちを受けて永遠に生きるということを言っています。
イエス御自身が肉体の死を経験され、三日後によみがえることを通して、そのことを証明されたわけです。
キリストは神の息子で神から遣わされて地上に来たということだが、いったい神は何人いるのか?
これはいい質問です。聖書をそのまま読むと、神はただ一人であり、父なる神、子なる神イエス、聖霊なる神の三人であるという結論になります。つまり、神は「一人であって、同時に三人」です。この概念を「三位一体」と呼びます。キリスト教会内部の考え方として、この三位一体の概念を受け入れない教派はキリスト教とは見なさないという事になっています。ですから、「エホバの証人」はプロテスタントでもカソリックでも、ロシア、ギリシヤ等の正教でもキリスト教とは見ていません。
もし人間が罪人でなければ悲しみや苦しみはないのか?
もしこの世界にただの一人も罪人がいないのなら確かに悲しみや苦しみはなくなるでしょう。しかし人間は自分の罪に苦しみ、同時に他人の罪の影響も受けます。ですから、たとえ完全な正しい人が存在したとしても、その人が悲しみ、苦しみを味わないということはありません。神であり、完全な人であったイエスも地上にいる間、涙を流された事がしばしばでしたし、十字架の死という恥と苦しみを通られました。
もし神が存在し、神が人を愛しているなら、人間はもっと幸せになれるはずでは?
もちろん人間はもっと幸せになれます。神様がイエスにある罪の赦しと永遠のいのちという幸せを提供しているのですが、人間がそれを無視しているだけです。もしそのプレゼントを信じて受け取るなら、誰でも死によってさえ奪い取られることのない幸福を手に入れる事が出来ます。
キリスト教は人間ばかり優等で他の生き物については重要視していないところに矛盾を感じる。
これは誤解ですね。この地上の全ての生き物、自然をきちんと大切に管理していくということは最も基本的な人間の責務と考えられています。ただ、人間と動物を、全く同列に置くことはしません。人間と動物どちらを優先するかというと当然人間を優先します。これはキリスト教徒に限らず、誰でもそうすると思います。もし動物を助けるためなら自分の命を捨てるという人がいるなら精神が病んでいるでしょう。
キリスト教では人間と動物の決定的な違いは霊の有無と考えます。人間には霊があります。動物にはたましいはあるが霊はありません。神を礼拝する動物はいないからです。
医学の進歩は多くの人を死から救ってきた。医学によって死期を延ばすことは神の意志に背くことになるのか?
医学の進歩は神の恩寵であるというのがキリスト教の考えです。ですから、ルカの福音書を書いたルカは医者ですし、クリスチャンの医師はたくさんいます。というより、クリスチャンのパーセンテージが高い職業の代表が医者と音楽家です。人間を早すぎる死と苦しみから救うこと、音楽によってたましいに喜びを与えることはどちらも神に祝福されたすばらしい仕事です。
死ぬ存在(人間以外の動物も)は全て罪を背負っているのか?
人間は全て罪を背負ってますが、動物は罪を背負ってはいません。動物には霊がないので、神の前に罪も何もないのです。ただ、動物の死に人間の罪が関与していることは明らかです。
ヨーロッパの国では本当に進化論者が少ないのか。特に若者の意識はどうなのか?
国民のほとんどの人が進化論を信じている国は日本くらいであると言うのは事実ですが、今、西ヨーロッパの国々、いわゆるキリスト教国といわれている国で、進化論を信じている人々が急速に増加していることも事実です。ですから、今、イスラム圏を除くと、世界で一番クリスチャンの割合が低いのは日本であり、次に西ヨーロッパだといわれています。しかし同じヨーロッパ系の文化圏である東ヨーロッパ、南北アメリカでは創造論に立つ人のパーセンテージはかなり高くなっています。
ところで、進化論が科学的であり、創造論が非科学的であるというのは全くの誤解であり、どちらも「仮説」でしかなく、非科学的といえばどちらも非科学的であり、要はどちらを信じるかという問題です。ですから、世界中の科学者を見ると、創造論に立つ科学者と進化論に立つ科学者はどちらも多数います。特にアメリカは創造論に立つ科学者が多くいます。
では、皆さんのこれからの人生に祝福を祈ります。
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>国民のほとんどの人が進化論を信じている国は日本くらいであると言うのは事実です
とありますが、何かソースはありますか?というのも、アメリカ合衆国を除く先進諸国では、進化論は普通に確立された科学的仮説として受け入れられているというのが、私の理解だからです。たとえば、以下のURLでは、「ヒトは下等な種から発達した」という意見に賛成する人の割合は、ドイツが91.5%とトップ、日本が90.1%で二位、以下、デンマーク、スウェーデンと続きますが、概ね70%以上です。「進化論を支持しない国民が過半数を超える先進国はアメリカ合衆国くらいである」というのが事実だと私は思います。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20050313#p1
>進化論が科学的であり、創造論が非科学的であるというのは全くの誤解であり
私の知っている限りでは、Nature誌やScience誌といった科学雑誌で、進化論が非科学的であるという主張が載ってことはありません。代わりに、アメリカ合衆国において、宗教である創造論が科学教育の場に侵入していることを問題視する記事が載ったりします。私の知っている限りで、創造論を支持する科学者はいません(「自称」科学者はいます)。「進化論が科学的であり、創造論が非科学的であるというのは全くの誤解である」という主張を支持する信頼できる文献はありますか?あるいは創造論を支持する科学者による尾論文はありますか?(英語でかまいません)。進化論についての論文は山のようにあります。
「ヒトは下等な種から発達した」という意見に賛成する人の割合は、ドイツが91.5%ですか?
ドイツでさえそこまで来ましたか?
私がドイツに行った20年ほど前は、進化論を信じない人たちがたくさん周りにいることを知り、ちょっとしたカルチャーショックでしたよ。そのころ私は無神論者でしたし、当然進化論者であり、創造論の存在さえも知りませんでしたから・・・。
「今、西ヨーロッパの国々、いわゆるキリスト教国といわれている国で、進化論を信じている人々が急速に増加していることも事実です。」と私も書きましたが、もし本当にそこまできているとしたらショックです。
いつの間に・・・。
確かに、数年前にドイツ留学から帰国した私の教え子は「今、ドイツでは無神論を公言する若者が増えた」と言ってました。
ぼくがドイツにいたころはそんなことを公言する人がたくさんいるということはなかったと思います。
ただ、このデーターでは日本で進化論に賛成の人が90.1%しかいないということなのですが、どうも実態とずれているような気がします。
日本では進化論支持者がもっとたくさんいるような印象ですが・・・・。
いずれにしても全国民を調査したわけではないでしょうし、私自身はこのデーターを信頼することはできません。まあ、「そんなデーターもあるのか・・ふーん?」といったところの印象です。
しかし、「『進化論を支持しない国民が過半数を超える先進国はアメリカ合衆国くらいである』というのが事実だと私は思います」とのNotromさんのご主張には私も同意いたします。
実際のところ、西ヨーロッパのほとんどの国ではすでに過半数の国民が進化論を支持すると思います。
「国民のほとんどの人が進化論を信じている国は日本くらいであると言うのは事実です」という私の発言は、日本ほど進化論が国民のほとんど全てといっていいほどの人々に無批判に受け入れられている国は、他にはないという意味です。
「今の世界は何億年、いや、何兆年にもわたる進化という神秘の結果成り立っているんだよ。知っているよね?」という質問を投げかけられて、「いやいや、この世界は進化によって出来上がったものではありませんよ」と明確に答える人のパーセンテージは日本ではおそらく0.1%くらいのものでしょう。
しかし、ヨーロッパではそれとは桁違いに多くの人々が明確に進化論を否定し、神による創造を主張します。
もちろん、前述したとおり、それが50%を超えているなどと主張するつもりは私にはありません。
あくまで日本に較べたら桁違いに多いということを言っているわけです。
あ、それで
創造論を支持する科学者は日本にもいますし、アメリカには当然ながらかなりの数がいます。
もちろんヨーロッパにもいるはずです。
NatromさんのHPを拝見したところでは、それらの人々の存在も、その著述も主張も十分にご存知のうえでここにコメント下さっているように思いますが・・・・。
まあ、いずれにしても、私の理性では進化論が創造論より合理的だと考えることは不可能なのです。
どう考えても創造論のほうが理屈にあっていると思います。
無から有を造る事は神以外にはできないでしょうし、
まして、人間のような知性と感情と霊性を持った生物の存在は神の創造以外に合理的な説明はできないと思いますが・・・。
まあ、議論の方はそれぞれの立場に立つ学者さんたちにおまかせしますね。
このページを見ておられる方たちはそのどちらの情報も十分に知る手段を持っておられるでしょうし。
ただ、私は進化論の研究を科学ではないと言うつもりはありません。しかし、進化論研究が科学であれば、創造論研究も科学だと思います。
もし創造論研究が非科学的であれば、進化論研究も非科学的です。
あ、忘れてました、ソースはあるのかというご質問に答えてませんでしたね。
残念ながら資料を示すことはできません。
というのは、今までいろんなところで得た知識を基に私は「確かだ」と判断したわけですが、その資料をストックしているわけでもなし、数値を記憶しているわけでもありませんから(キリスト教系の出版社、新聞社に尋ねれば、資料があると思いますが。
でも、確かに日本は創造論者のパーセンテージが世界でも際立って少ないはずです。
なぜかというと、創造論を教義として持つ保守的なキリスト教徒の割合が、日本は世界でも目立って少ないからです。このことはキリスト教宣教学の面から見ても謎だといわれているそうです。
キリスト教が迫害されている中国でさえ日本よりははるかに上のはずです。
これも資料はどこかといわれるとちょっと困りますが・・・・。
地下教会の実体を正確に把握して公的に発表することは不可能でしょう。
また、いくら少なくなったとはいえ、ドイツで聖書信仰にたった保守的なクリスチャン(すなわち創造論に立つ人たち)のパーセンテージが日本と同じくらい 少ないということはありえないと思います。
あと、他のご質問にも一応お返事をさせていただきますね。
>「進化論が科学的であり、創造論が非科学的であるというのは全くの誤解である」という主張を支持する信頼できる文献はありますか?
なぜ文献が必要なのでしょうか?
きちんと説明するなら誰でも理解できるような考え方を裏付けるために信頼できる文献を探す必要があるとは思えません。
進化論研究が科学的な行為であるということは自明のことですが、神による創造を検証しようとして科学的な手段を採用して研究を進めることも、科学的行為です。
この考え方は別に誰かが学術的な論文などを書いて正当性を主張しなければならないほど脆弱なものとは思えませんがいかがでしょうか?
>創造論を支持する科学者による尾論文はありますか?(英語でかまいません)。
「尾論文」ということばを私は知りませんので、きちんとしたお答えができるかどうかわかりませんが、
創造論を支持する科学者が論文を書いているかどうかは私は知りません。
なぜなら、私は論文というものにあまり興味がありませんし、当然論文があるかないかという調査もしたことがないからです。
しかし、科学者である以上は何らかの論文とか著述によってその研究結果は発表していると思いますし、現に創造論を支持する科学者が一般の人向けに創造論を説明した著作はたくさんあります。
もし、ご関心をお持ちでしたら、創造科学研究会(クリエーションリサーチ)というネットワークがありますから、そちらにお問い合わせください。
>進化論についての論文は山のようにあります。
私のほうから逆に質問させていただきたいのですが、
進化論を検証してその正しさを証明した論文が一通でも存在しているのでしょうか?
もし、一つでも存在しているならぜひ教えてください。
進化論が仮説の域を超えることは、ありえないはずです。
そのことは、進化論者さえも同意するはずです。
進化論は仮説から始まった理論であり、現在に至るまで仮説の域をただの一歩も超えていません。
進化論はNotromさんのおっしゃるとおり 「『科学的』仮説」 です。
このブログページは創造論・進化論がテーマではないので深入りはしたくないのですが、
「進化論研究が科学であれば、創造論研究も科学だと思います。
もし創造論研究が非科学的であれば、進化論研究も非科学的です。 」
と書いたことについて、少しばかり補足しますね。
進化論という仮説を立てて、その仮説を証明しようとして化石をはじめ様々な証拠を集め、観察し、解釈して結論を導き出そうという行為は科学です。そしてその努力は尊重されるべきであると思います。
しかし、今までの研究によって進化論が正しい理論であると証明されたと宣言するのは科学的行為とは言えません。それは「信仰」です。
なぜなら証拠がないし、再現もできないし、現在進行中の進化も観察できないからです。
例えば、中間種であることが証明される生物が存在しないということだけでも、進化論が証明できないという確かな理由です。
進化論者の中には「始祖鳥」をはじめとして中間種は存在しているという方もおられますが、始祖鳥が中間種であることは誰にも証明できません。
始祖鳥の化石が語っていることは、かつて地球上に「始祖鳥」と現代人が呼んでいる爬虫類的な特徴と鳥類的な特徴を持った生物が存在していたという事実であって、それ以上のものではありません。
それが古い時代の爬虫類の子孫だということも、その子孫が鳥類であるということも、推測の域を超えることはできません。
進化が確かだと断定しておられる方々は、様々な事象や研究結果や、理論を元にそれが事実だという「信仰」を持っておられるだけのことです。
そして、創造論についても全く同じことがいえます。
聖書に記された天地創造の記事が事実であるという仮説を立て、その仮説を証明しようとして、化石をはじめ様々な証拠を集め、観察し、解釈して結論を導き出そうという行為は科学です。そしてその努力は尊重されるべきであると思います。
しかし、今までの研究によって創造論が正しい理論であると証明されたと宣言するのは科学的行為とは言えません。それは「信仰」です。
私は、進化論も創造論も最終的にこの世界で証明されることは決してないと確信しています。
私たちはどちらかをもしくは第三・第四の別の説を「信じる」ことしかできません。
どちらも仮説と呼ばれるものによって始められる研究(研究自体は科学の名に値します)であり、結論もあくまで推定ですし、はっきりした結論を出せるほどの証拠もありません。もし、そんな証拠があるならすでに議論は終わっているはずです。
今なお天動説と地動説の議論が行われているでしょうか?地球が丸いのか、平面なのかの議論が今なおなされているでしょうか?
天動説や平らな世界説を唱えた当時の科学者や宗教家たちは科学的な知識と聖書に対する知識の双方に不足があっただけです。聖書は天動説を主張していませんし、聖書が丸い地球を否定していたわけではありません。
また私は、進化論が間違っていると科学的に証明することはできないし、創造論が間違っていると科学的に証明することもできないと考えています。
私は創造論を確信しています。それはもちろん私なりに科学的理論的に考察した結果でもあります。
ただし、私の科学的、理論的考察などそれほどあてにもならないことも自覚しています。
私が創造論に立つ最大の根拠は、科学ではなく神のことばである聖書に対する信頼です。
聖書に神が天と地をそしてそこにすむ全ての生き物をそして人間を創造したと記されているがゆえに、それを信じているのです。
それと、私と同じく創造論に立つ科学者は本当にたくさんいます。
Notromさんと同じお医者さんにもたくさんいます。
私が創造論に立つようになったきっかけは、創造論に立つお医者さん(医学博士)に出会ったことです。
その方は非常に知的な方であり、そのご子息は北米のある大学で史上最年少でコンピューターサイエンスを担当する教授の職を得た人でしたし、娘さんはこれまたすばらしい歴史学者で、大学教授です。もちろん一家全員創造論を含む聖書全体を誤りなき神のことばと信じておられます。
そのご家族に知り合い、他にも創造論に立つ知的な科学的な思考をもつ人々がたくさんいることを知ったことが、一つのきっかけになりました。
創造論に立つ生物学者もいます。教師、それも公立学校の理科の教師もたくさんいます。
日本にもです。その中の多くの方々は、学校教育の中で進化論があたかも検証済みの真理であるかのごとく教えられていることに疑問を感じておられます。
ここで、その人たちの個人情報を出すことはできませんし、また、その人たちが誰かとこの問題を議論したいと思っておられるとは思えませんので、名前を挙げることはしません。しかし、その人たちの存在があることはここに表明しておきたいと思います。
Notromさんは、
「私の知っている限りで、創造論を支持する科学者はいません(「自称」科学者はいます)。」
とおっしゃっていますが、これは故意に創造論を支持する科学者の存在を否定しておられるのでしょうか?
ここで私は一応釈明しておきたいと思います。
まず、私自身について言えば、人文系ですが科学者であると言っても差し支えないのではないかと思います。
ただし、私は「科学者である」と自称したことは一度もありません。
また、自分が科学者であると他人から認めていただきたいと考えたことも一切ありません。
ですから、「私は科学者です」と自己紹介したことは今までの生涯で一度もありません。
しかし、日本の国家が私を勝手に科学者と認定している様子で、科学研究費という名の補助金のを申請するための研究者番号というのを交付してくれましたし、私が勤務している大学(一応公けの機関によって設置された大学です)が博士課程を新設する際、私も文部科学省の審査を受けました。その結果、博士課程を指導する資格があると認定されています。
ですから、私は科学者を自称してはいませんが、日本という国の公けの機関が私を勝手に科学者として認定してくれていると言ってもあながち言い過ぎではないと思います。
しかし、実際のところ、私は修士号すら持っておらず、ただ野にあって自分の興味ある分野について一生懸命勉強を続けていただけです。そうしているうちに今勤務している大学から教員としてスカウトされ、教え始めました。
そのうちに勤務先の大学に博士課程ができることになり、私自身は博士課程で教えたいという希望を持っていなかったのにもかかわらず、大学として審査を受けなければならないということで仕方なく業績書を提出し、文部科学省の審査を受けました。その結果、博士課程指導の資格ありという結果になりました。
つまり、あくまで勤務先の大学や文部科学省が勝手に私を人文科学系科学研究者として認定してくれただけです。
そして私は、創造論を真理と確信していること、進化論が正しい理論であるとは全く認めていないことをここに表明いたしますし、自分が創造論者であること、進化論を真理とは認めていないことを大学に勤めるはるか以前から表明しておりましたことを証言します。
また、誰でもそう認めるに違いない日本のトップクラスの二つの国立大学で生物化学を研究し、博士号を取得し、その後日米両国で、長年にわたり研究者として生活した創造論者もいます。
この方は人文系ではなく自然科学系の科学者として現実に研究活動を続けておられますし、この方に博士号を授与したのは公けの機関と言ってもよい日本の国立大学です。
また、医師、医学博士号取得者であってかつ創造論支持者である方もたくさん存在しています。
まさか、この人たちに医師免許が全て偽造であり、医師を自称しているだけということはないでしょう。
もし、そうならそれは刑事事件です。
医師免許を取得するには、また医学博士号を取得するには、少なくとも自然科学系の知識には相当たけていなくてはならないはずで、十分科学者と呼んでも差し支えないと思います。もし、医学は科学ではない、医師は科学者ではないとおっしゃるなら話は別ですが・・・、
また、前述したようにコンピューターサイエンスの分野で北米の公けの機関によって設置された大学で教授の職を取得した若き創造論者もいます。
コンピューターサイエンスは多分科学という名で呼んでも差し支えない学問分野だと思います。
この人たちは科学者を自称しているに過ぎないのではなく、公けの機関を含む社会が彼らを科学者として認知しているし、かつ科学者としての仕事の場を与えているのです。
ちなみに、博士号を取得するというのはかなり大変なことです。
少なくとも修士、博士課程計5年間の学究生活を必要としますし、博士論文審査を受けるに到る前に査読制をとっている学術研究誌にある程度の回数論文が掲載されなくてはなりません。
そのような関門をくぐり抜けようやく博士論文が審査される段階に来ますが、水準の高い大学ほどその審査がきびしいことはいうまでもありません。
ですから、ちゃんとした大学で博士号を取得した人なら、社会的にある程度科学者として認知されていると判断しても決して行き過ぎではないと思います。
それで、私という一個人の周囲にもさえ、ちょっと見回すとこれだけの創造論に立つ科学者が存在しているということは、全日本的な、また全世界的な視野で見ると相当数の人がいるということは容易に想像できることです。
しかも、私が彼らの存在を知ったのはあくまで「偶然」であって、自分で探し求めたわけではありません。
偶然にしては確率がずいぶん高いと思われませんか?
NotromさんのHPを拝見するに、貴方はこれらの方々の存在を十分にご存知の様子です。
にもかかわらず彼らを「自称科学者」と呼ばれるのであれば、公けの大学が授与する博士号や、文部科学省の大学設置認定基準を認めておられないということの表明でしょう。
であるなら、日本の国家が認定する医師の資格の有効性をどのようにお考えなのでしょうか?
Notromさんご自身の持っておられる医師免許の有効性をご自分で否定しておられると解釈せざるを得ません。
すなわち、「国家資格としての医師資格は否定するが、Notromさん自身の判断基準から見て、もしくは誠実ではあっても専門的知識には欠ける一般大衆の支持によって自分は医師である」と表明しておられることになります。
このあたりはどうお考えなのでしょうか?私はとても疑問に感じます。
ただ、科学者として社会的に認知されている人だからといってその主張が全て科学的に見て正しいとは限りません。
ここで私は、創造論に立つ科学者たちが主張することが正しいかどうかを問うているのではく、あくまでその人たちが「自称科学者なのかどうか?」を問うているだけであることはご承知ください。
進化論も同じです。「証拠がないし、再現もできないし、現在進行中の進化も観察できない」というのは明らかに誤りで、管理人さんが進化につてまったく無知であることを示しています。ちょっと気の利いた教科書であれば、進化の証拠や、現在進行中の進化について記載があるでしょう。管理人さんはNatureやScienceといった科学誌はお読みにならないのでしょうか。進化生物学の論文が毎週のように載っています。創造論の論文は載っていません。創造論は科学ではないからです。
ヨーロッパでキリスト教の影響が大きいというのはその通り。しかし、科学としての進化論も受け入れられています。カトリックは進化論を否定低していないでしょう。科学と宗教を区別できないのは、主にアメリカ合衆国の低学歴の人たちだけですよ。アメリカ合衆国においてすら、伝統的なキリスト教会は、公立学校に進化論教育を持ち込むことに反対しました。それから、科学的思考のできない医師がいることなど何の不思議もありません。博士号を取るのは簡単です。私も持っています。
創造論を支持する科学的思考のできる人が本当にいるというのであれば、彼らが創造論に基づく科学論文を書かないのはなぜでしょうか?科学者のコミュニティから、創造論が科学と認められていないのはなぜですか?科学哲学者が、疑似科学の好例として創造科学を挙げるのはなぜですか?
ちなみに、管理人さんは、地球の年齢についてはどう考えでしょうか。やっぱり6000年ぐらいとお考えで?
こんにちは!
ようやく再訪してくださったのでうれしいです。
それに、ほぼ私が予想したとおりの反応をしてくださいました。
最初にまず最後のご質問にお答えしましょう。
私は地球の年齢はほぼ6,000年くらいかなと考えています。
なぜかっていいますと、聖書の記述から判断すると多分それくらいだろうという結論に到達したからです。
あとのご質問にはおいおい時間のあるときにお答えしましょう。
その前に、一応私の考えの中心点を確認していただきましょう。
確認というより、実際には再確認ですが・・・・。
それは、
「進化論は仮説である」ということです。
つまり、わかりやすく言い換えると、「進化論は正しいかもしれないし、間違っているかもしれない」
ということです。
正しいかもしれないし、間違っているかもしれない「論」に対して私たちがとり得る態度は三つあります。
1 正しいと信じる。
2 正しくないと信じる。
3 結論がつくまで様子を見る。
私の考えではこの三つです。もっとあるかもしれませんが、私の頭ではこの三つしか思いつきません。
で、貴兄は<1>、私は<2>というわけです。
ただそれだけのことです。
貴方は進化論が真理であると信じておられる。
私は聖書にある神による創造が正しいと信じている。
ただそれだけのことです。
私も貴方も信仰を持っているが、その信じる対象が違うということです。
一応、ここで私が「進化論が正しい」という選択肢を排除していないことをご確認ください。
はっきり申し上げて、進化論が正しいということは理論的にあり得ます。
しかし、今のところそれが正しいと断じるにはあまりに時期尚早であるというのが私の考えです。
私は進化論についてはそれほど知識がありません。
無知であるといってもそれほど言い過ぎではないでしょう。
しかし、上記の私の考えは、たとえ科学に対して膨大にして深遠な知識を持っていなくても、進化論について無知であっても、十分に語りうるものです。
だいたい、進化論者でない私が、進化論者である貴兄より進化論について知っているなどと豪語するなら、それは明らかに大言壮語です。そんな大それたことを言うつもりはありません。
私が進化論について無知であるなど、そんな当たり前のことをどうしてことさらに書き立てられるのでしょうか?幼児が語ろうと、大学者が語ろうと、1+1=2は正解です。
私が語っていることは、そんなにムツカシイ科学談義ではありません。
貴方ご自身もHPで表明しておられることを確認させていただいたに過ぎません。
今まで、私が書いたことをちゃんと読んでくださっているなら、すでにご理解していただけているはずですが、貴兄の投稿を読むとどうもその点が怪しく感じられますのでしつこいようですが、書かせていただきますね。
あなたのご質問等に逐次お答えするのは後日にさせていただきますが、一応この点だけ再確認させていただきますね。
ではでは、また後日。
>「【地球は丸いという説は】は仮説である」ということです。つまり、わかりやすく言い換えると、「【地球球形説】は正しいかもしれないし、間違っているかもしれない」ということです。【天文学】についてはそれほど知識がありません。無知であるといってもそれほど言い過ぎではないでしょう。しかし、上記の私の考えは、たとえ科学に対して膨大にして深遠な知識を持っていなくても、【天文学】について無知であっても、十分に語りうるものです。
という主張と大きな違いはない、と考えてよろしいでしょうか。
私の考えでは、科学には限界があり、どのような学説であっても100%正しいと結論されることは決してありません。あらゆる科学上の学説は仮説であり、ほとんど確からしいものもあれば、議論中のものもあれば、ほぼ間違っていると言っていいものもあります。「ほとんど確からしいもの」についてはとりあえず事実として受け入れられており、教科書にも載ります。進化論を支持する証拠はたくさんありますが、それでも進化論の正しさなんて、せいぜい地球球形説の正しさと同程度です。なので、創造論を信じるのも、地球が平らだと信じるのも自由です。ただ私は多くの証拠に支えられている仮説をとりあえず正しいものと受け入れるのは合理的と考えており、なので進化論や地球球形説を受け入れています。キリスト教徒の中の一部の宗派以外の人たちも同様に考えて、進化論を受け入れているのでしょう。
ちなみに、「世界中の科学者を見ると、地球平ら説に立つ科学者と地球球形説に立つ科学者はどちらも多数います」という主張は、「世界中の科学者を見ると、創造論に立つ科学者と進化論に立つ科学者はどちらも多数います」という主張と同じく、とんでもなく間違っていますね。
>要するに、yamさんの仰っていることは、
>
>>「【地球は丸いという説は】は仮説である」ということです。つまり、わかりやすく言
>い換えると、「【地球球形説】は正しいかもしれないし、間違っているかもしれない」
>ということです。【天文学】についてはそれほど知識がありません。無知であるといっ
>てもそれほど言い過ぎではないでしょう。しかし、上記の私の考えは、たとえ科学に対
>して膨大にして深遠な知識を持っていなくても、【天文学】について無知であっても、
>十分に語りうるものです。
>
>という主張と大きな違いはない、と考えてよろしいでしょうか。
フムフム、なるほど。
ヽ(^。^)ノ
テストの結果、A君は99点、B君は3点でした。
B君を慰めようとC君いわく
「B君、ダイジョウブ。A君も君も100点が取れなかったという点では同じだよ。
そう、誰も完璧な人はいない。心配するな。今回のテスト、難しかったんだ!」
というわけですね。
>私の考えでは、科学には限界があり、どのような学説であっても100%正しいと結論され
>ることは決してありません。あらゆる科学上の学説は仮説であり、ほとんど確からしい
>ものもあれば、議論中のものもあれば、ほぼ間違っていると言っていいものもあります
>。「ほとんど確からしいもの」についてはとりあえず事実として受け入れられており、
>ただ私は多くの証拠に支えられている仮説を
>とりあえず正しいものと受け入れるのは合理的と考えており、
私もこの部分にはほぼ賛成です。「どのような学説であっても100%正しいと結論され>ることは決してない」のかどうかはわかりませんが・・・・。
ですから、「地球が丸い」ってことはたとえ100%証明されていなくてもとりあえず事実として受け入れています。「ほとんど確からしい・・・」ですから。
が、進化論を支持できるほどの合理的な理由を見い出せないので、進化論は信じていません。
また、創造論もそれを100%支持できるほどの科学的証拠はないと考えていますが、聖書が信頼できる書物であることは体験的に知っていますから、私は聖書の記述どおりの「神による万物の創造」を信じています。
>進化論を支持する証拠はたくさんありますが、それでも進化論の
>正しさなんて、せいぜい地球球形説の正しさと同程度です。
それは見解の相違ですネ。
(^。^)
進化論を支持できるほどの証拠というものを一度見せていただきたいものです。
Natromさんのホームページを拝見した限りではそんなものはなさそうですが・・・・。
>ちなみに、「世界中の科学者を見ると、地球平ら説に立つ科学者と地球球形説に立つ科
>学者はどちらも多数います」という主張は、「世界中の科学者を見ると、創造論に立つ
>科学者と進化論に立つ科学者はどちらも多数います」という主張と同じく、とんでもな
>く間違っていますね。
これに関しては全く同意できませんねえ。
「地球平ら説」に立つ科学者の存在は今のところ確認できていませんが、創造論に立つ科学者は私自身現実に知ってます。
まあ、もっとも世界中をくまなく捜せば、「地球平ら説」に立つ科学者もいるかもしれません(笑)
ですから、「世界中の科学者を見ると、地球平ら説に立つ科学者と地球球形説に立つ科学者はどちらも多数います」という主張は、おそらく100%に近い確率で間違っていると信じています。
しかし、あくまで未確認の事柄ですから、「そう信じます」としか言えません。
一方、「世界中の科学者を見ると、創造論に立つ科学者と進化論に立つ科学者はどちらも多数います」ということは、私が主張するまでもなく事実ですから否定しようがありません。
これは信仰の領域ではもはやなく、「事実」は「事実」として受け入れるしかありません。
Natromさんが進化論信仰を持っておられることは尊重します。
信仰は自由であるべきだと私は考えています。
しかし、事実を否定することは正しい態度とは言えないでしょう。
ところで、私自身は創造論が正しいのか、進化論が正しいのかという議論をここでする必要はないと考えています。
どちらも信仰によって受け取るべき事柄ですし、科学で結論を出せる問題ではありません。
しかし、進化論研究は科学であると言えます。
そして、同じ理由で、創造論研究も科学と言えます。
科学の領域と信仰の領域を正しく認識することができないのは、日常生活には通常それほど支障がありませんが、私としては避けたいところです。
>B君を慰めようとC君いわく
>「B君、ダイジョウブ。A君も君も100点が取れなかったという点では同じだよ。
>そう、誰も完璧な人はいない。心配するな。今回のテスト、難しかったんだ!」
そのたとえは正確ではないですね。より正確なたとえを私が言いましょう。
テストの結果、D君は98点、E君は3点でした。
Y君は
「どちらの100点じゃないんだから、どちらも同じだよ」
と言いました。するとN君は
「F君は99点だったけど、やはり100点じゃないんだから同じだよね」
と反論しました。
一応説明しておきますと、D君は進化論、E君は創造論、F君は地球球形説のことです。
Y君は、「私がそのテストの具体的な点数を知らないことなど当たり前」と言っています。
>が、進化論を支持できるほどの合理的な理由を見い出せないので、進化論は信じていません。
それは、yamさんが、ご自分でもお認めになっているように、「進化論について無知である」
からです。自然科学の方法論および進化生物学について十分な知識がある人で、
進化論が科学的に十分に確立された学説であることを疑っている人はいません。
>進化論を支持できるほどの証拠というものを一度見せていただきたいものです。
教科書でも一般書でもいくらでもありますが、yamさんは読まれたことがないのでしょうね。
でなければ、理解できなかったか。信仰深く、科学について無知な人は、地球が球形である
という証拠をつきつけられても、「それは証拠にならない」などと言うでしょう。
>創造論に立つ科学者は私自身現実に知ってます。
で、その「科学者」は、創造論について、何か科学論文を書いていますか?
私は、その人は単なる「自称」科学者に過ぎないと思います。
yamさんの言う「創造論に立つ科学者」とは、進化生物学についての
詳しい知識や科学の方法論について深い知識を必要としない分野において、
(つまらない)研究をして博士号を取った人たちでしょう。博士号を取る人は
ゴマンといますので、中には信仰ゆえに創造論を信じる人もいるでしょう。
そういう人たちが少数(せいぜい数百人ぐらいでしょうか)存在することは事実です。
「単に博士号を取った」ぐらいではなく、科学者集団から優れた科学者として
認められている人の中で、創造論に立つ人は誰かいますか?具体的に
名前を挙げられますか?「多数」いるんだったら、一人や二人の名前を挙げられますよね?
事実として認めよというのなら、以下の「事実」については、yamさんはお認めになりますか?
・生物学の教科書には進化論は確立された学説として記載されている
・アメリカ合衆国以外の国では、創造論を支持している人は少ない
・査読のある科学雑誌には創造論を支持する論文は載らない
・一方、進化生物学に関する論文は大量に載っている
・「優れた」科学者とみなされている人(たとえばノーベル賞受賞者)で、
創造論に立つ人はいない
なーるほど。進化論が99点ですか?
(^・^)
すごいですねえ。
わかりました。
Natromさんが進化論に対する強固な信仰を持っておられることは十分に理解できました。
地球球体説が99点で、進化論が99点!
\(◎o◎)/!
すごい点数ですね。
ちなみに、創造論を信じている人で、地球球体説を支持しない人のパーセンテージはおそらく0.00001%以下でしょう。
つまり、創造論者が採点すれば、地球球体説は99.99点。
進化論は3点ぐらいでしょう。
どうしてこんなに評価に差があるのでしょうね。また、地球球体説の点数がどうしてこんなに進化論者と一致するのでしょうか?
それは、地球球体説はすでに科学的に結論がほぼ出ているということであり、進化論はそのレベルには全く達していないことを物語っています。
また、地球球体説は聖書的キリスト教と全く矛盾しないが、進化論は聖書的キリスト教(保守的キリスト教という呼び方でもいいんです)とは全く両立しないということを示しています。
ところで、どうして進化論に関しての論文が山のようにあるのでしょうか?
それは、進化論が「科学的に十分検証されてある程度の結論が出ている」とはまだまだ言いがたい状態であることを示しています。その要因についてもプロセスについても諸説入り乱れている状態で検証済みとはとても言いがたいですよ。
それに大体、どうしてそんなに論文とか科学雑誌にこだわってらっしゃるんでしょうねえ。
まるで、科学者は論文を書く人と決め付けていらっしゃるみたいです。
まあ、つまらない研究をして博士号をとるだけのためでも数編の論文は書かなければなりませんが・・・・。
論文を書く人を日本語でなんと呼ぶでしょうか?
「論文執筆者」です。
科学者とはどういう意味ですか?
簡単です。「科学に従事する人」です。
そして、科学研究の結果を誰に向かって提示するかはその科学者の自由です。
ある方は論文によって学会に発表されるでしょうし、ある方はその結果を一般人に向けて啓蒙的に発表するかもしれませんし、企業や特定のグループのための科学研究に従事している人なら、その共同体の中だけでその成果を分かち合うこともあるでしょう。
また、人によっては科学研究に専念するために論文というものを一切書かない人もいます。
実際、大学では教授職に就きたくないばかりに、つまり、いつまでも助教や准教授の地位にとどまって研究に専念したいためにあえて論文を書かない人などたくさんいます。
>事実として認めよというのなら、以下の「事実」については、yamさんはお認めになりま
>すか?
私は事実は事実としてありのまま認め、受け入れるべきだと考えています。
しかし、それをNatromさんに「認めよ!」と強要するつもりはありません。
「事実ではあっても受け入れない、信じない」という決断をされるのは貴兄の自由ですから。
さて、
>・生物学の教科書には進化論は確立された学説として記載されている
そうですねえ。進化論があたかも検証済みの定理か公理のように教えられている現状には憂慮を覚えています。
しかし、あながち悪い面だけではありません。
教科書であっても頭から正しいと信じ込んではいけないということを子供たちに教えるには格好の題材です。
Natromさんもまさか教科書に書いてあることが全て正しいなどとお考えではないでしょうねえ?
>・アメリカ合衆国以外の国では、創造論を支持している人は少ない
もちろん知ってますよ。それは事実だと思います。日本は特に少ないです。多分0.1%くらいしかいない。
>・査読のある科学雑誌には創造論を支持する論文は載らない
それは載らないでしょう。私もそれくらいは理解できます。
聖書は創造論が科学的に証明されることがないことを2000年も前にすでに十分に指し示しています。
ですから、創造論者がどんなに優秀な科学者であって、どんなに誠実に科学的に創造論を研究しても、科学雑誌に載せるほどの論文をまとめるのは無理だと思います。その点については私も確信を持っています。
でも、だからといって「宗教的メッセージである創造論」を科学的に検証しようとする行為が科学ではないとは言えないでしょう?それが宗教的メッセージであろうとなかろうと、それを科学的手法によって研究するなら、それは科学ですよ。
科学とは科学雑誌に載るから科学なのではなくて、科学という行為のことを言うわけですから。
もしよかったら国語辞典をお調べください。科学をちゃんと定義してありますよ。
>・一方、進化生物学に関する論文は大量に載っている
そうでしょう。Natromさんが何度も教えてくださいました。
つまり、進化論は現在検証中というわけです。・・・・そして、多分、永久に検証中であり続ける・・・。
>・「優れた」科学者とみなされている人(たとえばノーベル賞受賞者)で、創造論に立つ人はいない
それは調べたこともないので知りませんが、お調べになりました?
まあ、もしノーベル賞受賞者で創造論に立つ人が一人もいなくても、私の論旨には全く関係がありません。
大体、どうしてそう、論文がとか、科学雑誌がとか、ノーベル賞がとか、私の論旨に全く関係がないことをあえて持ち出されるのでしょうか?理解に苦しみます。
ところで、
Natromさんと対話していると昔のぼくを思い出します。懐かしいです。
まだ、バリバリ進化論者だった25年前のぼくは、創造論者の友人をNatromさんと同じような論旨で論破しようとむきになっていました。
しかし、結果的には創造論を含む聖書的キリスト教を信じることになりました。
それ以来25年たちますが、創造論を信じることができて本当によかったなあとしみじみ思います。
Natromさんが進化論を信じておられることについては、私は一切何も申し上げることはありません。
日本の大多数の方も進化論を信じておられます。私の友人たちも進化論を信じている人がたくさんいます。というか、その方が多いと思います。
でも、私はその人たちを敬愛しています。尊敬に値する友人たちです。
ただ、私の信仰と彼らの信仰は違うというだけの話です。
また、私の信仰と貴兄の信仰は違うというだけのことです。
私は進化論を論破しようなどとは全く思っていませんし、創造論を強要しようとも思いません。ただ、創造論を含む聖書的キリスト教を紹介するのみです。紹介するだけで押し付けることはしません。
なぜなら信仰は個人的な決断ですから。(もちろん、全ての人が創造論を含む聖書的キリスト教を信じてほしいと心から願ってはいますが・・・)
さて、ニュースを紹介しましょう。
「ペンテコステ派とカリスマ派が現在、世界中で約4億人に達し、キリスト教ではカトリックに次ぐ大グループになった」
これはカソリックから発信されたニュースです。
ペンテコステ派とカリスマ派というのは、福音派の一部です。
福音派は基本的に聖書に記述してあるとおりの創造論を信じる教派です。
その一部であるペンテコステ派とカリスマ派だけで4億人に達したということです。
すごいですね。創造論を信じるキリスト教徒の一部だけでも、すでにキリスト教の中でカソリックに継ぐ第二の大グループにまで成長したというわけですから。
さて、もう一つのニュース、
◎米国人は「進化論」より「悪魔」信じる=ハリス調査
【CJC=東京】米ハリス調査社が11月29日発表した統計によると、米国では「ダーウィンの進化論」よりも「悪魔の存在」を信じる人の数が多いことが明らかになった。11月7〜13日に、米国の成人2455人を対象に調査した。
ロイター通信によると、全体の82%が神の存在を信じていることが分かったほか、奇跡を信じている人が79%、天国を信じる人が75%、地獄や悪魔を信じる人は62%となった。
一方、ダーウィンの進化論を信じていると答えたのは全体の42%にとどまった。キリスト教の教派別では、カトリックで43%、プロテスタントで30%、ボーンアゲイン派で16%が進化論を信じると回答した。
これも、米国でたかだか2455人を調査したに過ぎないものですからその信用度はたいして高くないかもしれません。でも、すごいでしょ?
カソリックでさえ、進化論を受け入れている人は42%にとどまっています。プロテスタントは30%です。
世界で進化論を信じていない人がけっこうたくさんいるということはたぶん間違いないでしょう。
この中に科学研究に従事する人が一人もいないというのはあまり考えられないですねえ。
ノーベル賞受賞者がいるかどうかは知りませんが・・・・。
創造論者の中には、科学者もいれば医者もいます。音楽家もいれば、絵描きさんもいます。
会社勤めのサラリーマンもいれば、教師もいますし、スポーツ選手もいます。
資産家もいれば経済的な苦境にある人もいるでしょう。ありとあらゆる人々がいます。
まあ、数の多少はあまり関係ありませんが。
あ、ちなみに現在娘が通っている中学の理科の先生は創造論者です。いい先生に当たったものです。
さて、ところで、Natromさんとの対話、私はずいぶん楽しませていただいたのですが、そろそろ幕を引かせていただきたいと思ってます。
近いうちにNatromさんのコメントも、私の返信も含めてすべて削除させていただきたいと考えています。
このブログは創造論について論じるためのものではないし、そのためにこれ以上労力を使うのはぼくにとってもよくないと考えています。
創造論については、いろんな人がHPとか造ってますし、本もけっこう出ています。Natromさんもご存知ですよね。議論の方はそちらにお任せして、私は私の仕事にまた専念したいと思ってます。
ですから、教会音楽についてのコメントは受け付けますが、創造論とか進化論とかについてのコメントは今後は受け付けないようにしたいと考えています。
いきなり全てを削除したのでは貴兄も気分が悪いと思いますので、一応予告させていただきますね。
お付き合いいただいて感謝します。 ではでは。
科学者の中に論文を書かない人が仮にいたとしても、多数の創造論者の科学者がいて、誰1人として論文を書かないというのは奇妙なことですね。科学者を自称しているだけで、論文を書けるほどのレベルに達していないからだろうと私は考えますが。それにしても、「研究に専念したいためにあえて論文を書かない人などたくさんいます」とは、一体…。身近にまともな科学者がいらっしゃらないのでしょう。彼らはどこで研究成果を発表するのです?どこから研究資金を調達するのです?
「進化論があたかも検証済みの定理か公理のように教えられている現状」は認めておられるようですが、なぜ、進化論がその地位を築けたのか、一秒でも考えてみたことがおありですか?実際には、多数の科学的証拠があるからです。「多数の創造論を支持する科学者」が仮に存在したとして、教科書執筆に何の影響も与えられなかったのは奇妙なことです。教科書は複数のプロの科学者によって書かれることが通常ですが、yamさんは、そのプロの科学者たちよりも、ご自分のほうが科学について正しく判断できるとお考えで?yamさんは証拠に基づいてではなく、信仰に基づいて進化論を受け入れていないだけです。Flat Earth societyの人たちが、信仰に基づいて地球球形説を受け入れないのと同様です。進化論に証拠がないとしたら、信仰を持たない人であっても進化論を受け入れないはずですが、そうではないですね。進化論を否定するのはたいてい特定の宗教を信じている人です。
アメリカ合衆国において宗教が科学教育に介入する現状には憂慮を覚えています。yamさんが、アメリカ合衆国では先進国とは思えないぐらいダーウィン進化論を支持する人が少ないニュースをご紹介されたので、私も一つニュースをご紹介しましょう。幸いというか、当たり前のことですが、低学歴の人ほどダーウィン進化論を否定する傾向があります。
低学歴ほどダーウィン進化論を信じない
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20071203
アメリカ合衆国においても、高い教育を受けた人は、ダーウィン進化論を理解しています。卒後教育においては65%の人がダーウィン進化論を理解していますが、理系や生物学関係に限ればもっと高いでしょう。残念ながら生物学教師ぐらいなら、進化論を理解する能力のない人も中にはいるでしょうが。もっとも科学を理解しているといえる層、つまりプロの科学者においては、進化論を理解できない人はいないでしょうね。コメントを削除されるのは残念です。でも仕方ありません。ご自分が論破された証拠を残しておくことは、yamさんにとって耐え難いことでしょうから。