2005.6.2

トレント公会議以前の教会音楽への憧憬

 
 ルネサンス時代は、合唱音楽の宝庫と言われていますが、トレント公会議(1545)以前と以後では、その作曲法に大きな変化が見られます。

 宗教改革の動きに対抗するためにカトリック側が開いたトレントの公会議で、それまでの宗教曲が技巧的すぎるということで、もっと歌詞の聞き取りやすい音楽を作るべきであるということが決定されました。パレストリーナはまさにこれに答えるべく登場した作曲家であり、和声的にも充実した響きの中で明確で秩序だったポリフォニーが展開する書法を確立していきます。

 パレストリーナ以後の作曲家は、アマチュアの団体にも比較的容易に取り上げレパートリーにしていくことが可能ですが、トレント公会議以前の作曲家の作品に取り組むことは、なかなか難しいと思っていました。ところが、「難しい」という苦手意識を、「おもしろい」という前向きの意識に変えてくれるきっかけとなったのが、先日の『TOKYO CANTAT』[レクチャー&公開レッスン]フランドル楽派の合唱音楽〜<ルネサンスの歌手〜その秘められた生活>でした。担当は、エドワード・ウィッカム(イギリス)先生。

 彼は、指揮者・合唱指導者・音楽研究者であり、1992年、オックスフォード大在学中、声楽アンサンブル「ザ・クラークス・グループ」を結成し、欧米各地での演奏活動やオケゲム宗教曲シリーズ(1997年英『グラモフォン』古楽部門賞)やルネサンス・フランドル楽派の音楽の録音を行うなど、若手でありながら、貫禄充分の方。

 『誰がルネサンス・ポリフォニーを娯楽に仕上げたのか?そして誰がそれを享受したのか?』という問いから出発し、オケゲム、ジョスカン・デ・プレ、そして今年没後500年を迎えるオブレヒトらの多様な作品を取り上げてくれました。“教会権威とそれへの反発として存在した聖歌隊”、“楽譜に隠された作曲家のジョークやいたずら”“秘められたルネサンス歌手の生活”などを、当時の楽譜や絵画を見ながら、いたずらっぽく解説されていく彼に接していると、非常にマニアックで専門的な領域でありながら、「私達の時代と同じなんだ」という、当時の人間への親近感で一杯になっていきます。

 様式感についての質問にも、「ある団体の演奏がすばらしいと評判になれば、それが様式感になる!」という、禅問答のような答え。会場も和やかな雰囲気になっていきました。

 取り上げられた作品の例を出しておきましょう。

 当時は、1冊の大きな楽譜を歌い手全員が囲んで演奏しましたが、左上に高音パート、右下に低音パート(ベース)というように、パート譜で書かれていました。ある楽譜をスクリーンで見せていただきました。そこの右下のパート譜にところに、「1オクターブ上げえ歌え」と書かれているのです。ベースの人たちは、「あ、これは俺達のパートではない!」と慌て、他パートと歌う場所を代わっただろう・・・と言うのです。つまり、聖歌隊員を慌てさせる、作曲家のいたずらなのです。

 また、ある楽譜では、右下の隅に、「お前が楽譜をめくるんだな」と書かれているというのです。譜めくり係りへのいたずらメッセージです。

 あるCREDOの楽譜には、最後に、音符がまったく書かれていないものがありました。歌詞だけが載っています。その歌詞は、『・・・主の国は終ることなし』・・・つまり、歌うのを終ってはいけないというのです。これ、歌い手はどうしたのでしょうね。

 これらは、笑ってしまう例でしたが、真面目な例も出されました。たとえば・・・・・・

 Illibata Dei virgo nutrix (Des Prez)

 この作品の歌詞をそれぞれの説の頭文字をたどっていくと、IOSQVINDESPREZ・・・IはJと読まれ、VはUと読まれていたそうですから、何と、自分の名前が浮かび上がります。また、「貴方を称えてラミラと歌っている人たちを慰めてください」という歌詞が出てくるのですが、ここまで、ある一つのパートがラ・ミ・ラの音程を延々と歌い繋いでいるのです。そして、この歌詞の後、全パートがラ・ミ・ラの音程(勿論、移動ド読み)で歌い進むのです。歌うことで、みんなが祈りを請うのです。ラ・ミ・ラは、「Maria」と母音が似ています。神とマリアに聴かせるための自分達のモテットなのです。この時代、お客さんを集めてコンサート・・・という概念がありませんから、作曲は、歌う人たちのために作られたのだということがわかります。

 Missa Sine nomine-Credo (Ockeghem)

 5声の作品。3番目のパートに、ひたすらソとラの細かい音符が並んでいます。これは、信仰宣言の言葉をそのまま唱えるだけなのです。そして、他の4パートはほとんど即興で言葉をつけながら書かれている旋律を歌い上げるのです。この時代、音符に歌詞は付けられていません。聖歌隊の簡単な打ち合わせや常識で歌詞を付けていたのですね。全く驚くことではないそうです。それに、歌詞の付け方が聖歌隊員によって違ったとして、それが間違ったことにはならなかったそうです。なぜなら、「聴かせるための歌ではなく、歌う自分達のための歌だったからです。」と、ウィッカム先生、ニヤリとされながら、先ほどの言葉を繰り返されました。

 この曲、最後の『来世の命を望む。アーメン』のところだけ、すばらしく美しい5声のポリフォニーが用意されています。初めて全パートの歌詞が聴こえてくるのです。

 Missa Sub tuum praesidium-Credo (Ockeghem)
 
 5声。上2パートは、Credoとは関係のないモテットの歌詞が付けられています。しかも、1番目と2番目のパートは、それぞれ違う歌詞。3〜5番目のパートは、Credoの言葉です。これではとても、歌詞は聴こえないでしょう。でも、3つの詞を配置した作曲家の意図ははっきりわかるのです。

 Deploration sur la Mort de Johannes Ockeghem(Des Prez)

 この作品が収められている曲集をパラパラとめくると、普通白い音符で書かれているのに、このページだけは黒い音符で書かれているために、非常に目立つそうです。先輩作曲家Ockeghemの死を悼んで作曲されたこの曲。追悼の色、黒を使って書かれたのでした。
Ockeghemへの追悼の言葉がフランス語で歌われる中、一つのパートだけが、レクイエム(死者のためのミサ曲)の歌詞を典礼ラテン語で歌うように作られています。《EST》で10年近く前に取り上げた曲でしたが、あの頃は不思議に感じていた2つの歌詞を同時に歌うということが、実は、この時代の手法だったんだ! と、何かつっかえていたものが取れていくスッキリ感でした。

 まだまだ、たくさんのことを教わりました。

 トレント公会議の意義は、歴史的に大変重要なことではありますが、この種の技巧というか、ユーモアをも含んだ精神が、その後、パタッと途絶えてしまったのは、何かさびしい気がします。ルネサンス盛期を知っていくと、公会議以降のルネサンス後期の音楽が、何かシンプルで生真面目な、物足りないものにさえ思えてくるからです。

 ただ、この時代の作品を、きちんとした研究に裏打ちされていないで、音を再現するだけでは、難しさだけが際立ってしまい、無味乾燥な印象になってしまうこともあるでしょう。

 ウィッカム先生のような、膨大な資料と研究心に燃えた方々が近くにいれば、楽しいでしょうね。本場のオーソリティーを日本にお招きする
『TOKYO CANTAT』。普段、日本にいては得ることのできないことを、これからも、どんどん与えて欲しいです。









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2005.7.9

関屋晋先生と晋友会のこと

 
『TOKYO CANTAT』を中心にしながらも、ラ・フォル・ジュルネ音楽祭(東京国際フォーラム)や『関屋晋先生を囲む会』にも足を運んだ今年のゴールデンウィーク。あれから2ヶ月以上経ちましたが、どうしても記しておきたいことがあります。それは、“関屋晋先生と晋友会のこと”です。 

 2005年4月9日(土)午後10時17分、京都市内の病院にて、合唱指揮者、関屋晋先生(76歳)が急逝されました。9日は、京都において、翌日に行われる合唱団京都エコーと松原混声合唱団のジョイントコンサートのリハーサルが行われましたが、練習直後に体調が急変し、搬送先の病院にてお亡くなりになったとのことです。死因は検死の結果、心筋梗塞でした。

 私には、関屋先生を大変尊敬されているある友人がいます。晋友会にも入っているその友人の悲しまれる様子から、関屋先生の偉大さを改めて強く感じていました。

 ラ・フォル・ジュルネ音楽祭は、前代未聞の音楽祭でした。4月29日から3日間、『世界各国から1000人以上の音楽家が集い、朝から終電間際までベートーヴェンを奏でる熱狂の日々』というキャッチフレーズの通り、東京国際フォーラムの7つのホールで計150公演のコンサートが行われたのでした。1公演の時間も短く、料金も1公演平均1500円。辺りには、ベートーベン・グッズのお店や、ハンバーガーなどの出店。まるでお祭りの雰囲気で、人、人、人。何と3日間でチケットは11万枚を売り切ったということでした。日本で初めてのこの企画に立ち会え、本当に幸せでした。

 その最後を飾るコンサートは、『第九』でした。合唱は晋友会。指揮は、井上道義。オーケストラはフランス国立ロワール管弦楽団。そこで歌う、友人を含む晋友会の合唱は、真摯で深く、情熱に溢れていました。関屋先生が主宰される合唱団の集合体で、小澤征爾氏のベルリンフィル定期演奏会に出演(1988)されたという、オーケストラ演奏会には欠かせない絶大な信頼を誇る合唱団。師を失った今、どんな気持ちでベートーベンに対峙されていたのでしょうか。年齢層がやや高めにお見受けしましたが、『第九』の難所を楽々と歌われる一人一人の音楽の豊かさに圧倒されました。

 5月4日は、『関屋晋先生を囲む会』が昭和女子大学人見記念講堂に於いて催されました。その時の様子は、日本合唱指揮者協会のHPに書かれていますので、以下に引用させていただきます。

会場は先生を慕い、突然のご逝去に驚きながらも心から感謝を捧げようとする本当に多くの方々の篤い思いに満たされましたが、本来なら「偲ぶ会」「追悼」などと称されるこうした会が、悲しみの中にもあたたかな空気に包まれたのは、実行に際し細やかな配慮と見事な采配をしてくださった晋友会の方々の目指すところであったでしょうし、その思いは関屋先生ご自身の願いとも重なっていたものと拝察します。
  冒頭、関屋先生とは60年来の繋がりのあるという音楽界の重鎮 岡山尚幹氏による開会の挨拶のあと、フジTVアナウンサー 軽部真一氏による関屋先生の生い立ちから偉大なる軌跡の紹介がされ、合唱指揮者・全日本合唱連盟理事長 吉村信良氏、作曲家 新実徳英氏、作曲家 三善晃氏(代読:新実徳英氏)による追辞、小澤征爾氏などから届いた多数の弔電やFAX.の紹介、晋友会合唱団による献歌、関屋晃氏のご挨拶、そして参列者全員による献花と、粛々と会が進行する中で、先生がどれほど多くの人を愛し、また愛されていたか、そして晋友会が如何にそうそうたる面々で構成されているか、いずれにしても関屋先生の音楽という枠を超えた人間としての魅力をあらためて認識しました。
 「モーツァルトに始まり、モーツァルトに終わる」と話されていたという関屋先生への献歌「Ave verum corpus」のあと、「関屋先生に拍手を!」という呼びかけに、会場につめかけた合唱指揮者、作曲家、出版関係などの音楽関係者、生徒、学生も含めた一般の方々から贈られた拍手は、個々の持つそれぞれの悼みから、やがて「先生ありがとう!」という感謝の思いへと一つになり、いつまでも鳴り止みませんでした。それは先生のご遺志を真摯に受け止めようとする決意の表れでもあったと思います。
  関屋先生、日本合唱指揮者協会も、その思いを会員一人一人が抱きつつ前進していくことをお約束します。どうか安心してゆったりと天国で音楽活動をなさってください。

 このように、本当にたくさんの人々(1000人以上!)で埋め尽くされました。私は、晋友会の皆様が陣取られている2階席に紛れ込ませていただきました。どうしても、晋友会の方々と想いを共にしたかったのです。(晋友会の方々、ごめんなさい。)献花もさせていただきました。ステージには関屋先生の大きなパネル写真と指揮台に指揮棒。そこに上がって一人一人が献花するのです。涙が出ました。降りていくと、浅井先生と吉村先生。黙って頷くだけでした。

 一人の志ある合唱指揮者が、命を掛けて最後まで指揮台に立たれ、そのまま息をお引取りになりました。この世に残ったのは、たくさんの、本当にたくさんの歌を愛する方々でした。その方々の生き様が、1日の『第九』やこの日の『Ave verum corpus』の歌声となって、聴衆や同席された方々の心に刻み込まれます。私は、晋友会の歌声を一生忘れないでしょう。また、混じって歌わせていただいて本当に良かったと思いました。

 一つの時代の終焉に立ち会えたこと、また、その先の時代を残された方々と共に作っていくのだという意識にさせていただけたことに感謝し、今、日々の活動に向かっている私です。










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2005.7.14

福岡の合唱祭のこと

 
2005年6月12日、私は、福岡県大牟田文化会館大ホールで開催された『福岡県合唱連盟福岡支部第60回合唱祭』に、講師としておじゃまさせていただきました。1ヶ月立った今、あの日を振り返ってみたいと思います。

 46団体の演奏を聴かせていただき、それぞれの団体に講評を書き、最後に全体講評を述べさせていただきました。コンクールとは違う、穏やかな時間の流れが心地良く、それぞれの団の個性を楽しませていただきました。地元三重県に比べ、福岡は、ほとんどが一般の団体でした。高校は2団体の女声だけ。

 しかし、久留米信愛女学院高校合唱部の演奏は、心から楽しめました。顧問の中島敬介先生とは打ち上げでお話しましたが、彼は生徒が歌いたいと言う曲をご自分でコーラスにアレンジされるそうです。今回の“桜色舞うころ”“美女と野獣”も、そのアレンジがすごく良かったと思います。演奏も、発声がのびのびとすごくいいだけではなく、音楽に強い生命力が宿っています。先生と共に作り上げる“誇らしさ”のようなものをしっかり受け止めました。この学校、3年に一度、イギリス公演を実施されているとか。海外での素晴らしい体験について話が盛り上がってしまった打ち上げでした。いい教育をされてますねえ。うらやましい!

 打ち上げといえば、何と、昨年の『
Friendship Concert in Vega〜宝塚国際室内合唱コンクール出場団体による演奏会〜』を、飛行機に乗って聴きに来られたという方がみえました。「コンクールではないところに惹かれ、ついでもないのに、このイベントだけのために宝塚まで出向きました!プログラムの1ページ目の加藤さんの言葉に感銘を受けました!」ですって。もう、感激でした。7月29日の《EST》が出演するシンポジウムコンサートにも来られるそうです。再会できればいいですねえ。

 往年の男声合唱を襟を正して聴かせて頂いたのは、西南シャントゥールの演奏です。私は普段、新しい合唱の姿を追い求めていますが、そうではなく、「古き良き合唱の姿を残していこう」という強いコンセプトをこの団体から感じました。西南学院大学グリークラブのOBを中心とした、結成51年を誇る男声合唱団。人数も多く、非常に繊細で心に染み入る響きでした。“竹田の子守唄”“黒田節”をオーソドックスなアレンジで演奏されましたが、あの響きは忘れることが出来ません。ずーっと残していって欲しいです。

 その他に、印象に残っている演奏を書き留めたいと思います。
久留米信愛女学院高校合唱部のOB合唱団とお聞きした合唱団tuttiの若々しい声にも心動かされました。久留米音協合唱団の“Can you feel the love tonight”は、これも指揮者の中島先生のアレンジでしたが、手作りのステージという個性溢れる演奏でした。コーロ・赤坂の“夕焼け”(信長)、グリーンヒルコールの“おんがく”(木下)、スプリッツァーのBy the waters of Babylon(Fissinger)、福岡教育大学混声合唱団の“やさしさに包まれたなら”(信長)。うーん、キリがありません。

 全体講評では、“団作りの設計図を持つことの大切さ”“合唱を通じて自分らしさを発見すること”などをテーマに少々おしゃべりさせていただきました。46の合唱団の演奏に触発させられて感じたことだったのです。本当に私にとっていい勉強の時間でした。

 最後は、全員で「炭坑節」を躍る企画です。すごい企画ですねえ…と見守っているつもりが、見事にステージの真ん中で皆様方と踊るハメに!!! 恥ずかしさを超えて大変楽しい汗を掻かせていただきました。いやあ、福岡の方々は楽しい!!

 福岡は今年2度目でした。福岡支部合唱講習会
アジアの合唱曲を携え、福岡へ〜福岡支部合唱講習会の時にお世話になった方々との再会は楽しいものでした。理事長の岩崎洋一先生とは、電車の中でお話する機会がありましたが、「日本の音楽教育における発声指導のルーツを研究し、本を書いています。」というお話には、すごく引き込まれました。

 昭和の始め、ドイツの発声を日本に持ち込み、小学校で教え込まれた先生がおられたそうです。当時の批評には「大変弱い声で…」と書かれたそうですが、岩崎先生自ら、その先生宅を訪ねられ、残された録音を発見され、聴いたところ、それはそれはりっぱな頭声発声だったそうです。このことから学んだこととして、「批評はその時代の耳が基盤になるため、時代を超えた未来からの客観的な視点は持ち得ない」「教育委員会や図書館は、資料保存という点で、実際に頑張られた方々のご自宅には遠く敵わない」という2点だったそうです。(教育委員会や図書館には批評が残されているだけで音源は何一つなかったんですね。

 これは、私にとって本当にいい勉強でした。そして、理事長岩崎先生をますます尊敬するようになりました。

 今、信じてやっている音楽が、そして審査や批評が、時代を超えているか。続々と生み出される現代曲が、時代を超えて残っていくか。我々の生き方が、時代を超える力強いベクトルを持ったものであるか・・・。深く考えさせられるものでした。岩崎先生、貴重なお話を本当にありがとうございました。

 今年は、県外からのたくさんの審査や講習の依頼をお断りしている状況です。図らずも、私の本番と見事に重なっちゃうからです。本当はすべての依頼にお答えしたい。何故なら、この日のようないい刺激を私自身も受けることが出来るからです。そんな中、本番と重なっていない日の依頼があり、喜んでお引き受けしました。神奈川県合唱連盟からのご依頼で中高生対象の合唱講習会です。来年の1月ですが、どんな会になることでしょうか。楽しみです。そのためにも“今”を頑張ることとしましょう。










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2005.8.11

第7回世界合唱シンポジウムin京都(1)〜7月27日、28日

 
2005年7月27日から8月3日までの会期で催された世界合唱シンポジウム。私は、《EST》のステージを含むほぼ全日程、この催し物に浸ってきました。

オープニングガラコンサート

 初日は、18時からの歓迎レセプション、19時からのオープニングガラコンサート。

 レセプションでは、たくさんの方々と再会しました。ビックリしたのは、司会のドイツの方。彼は、2001年のマルクトオーバードルフでも、2003年のバルセロナでも、司会をされてたのです。思わず、呼び止めて感激の気持ちを伝えました。彼も、私のことを覚えてくれていました。最初から、嬉しい出会いです。コンサート会場で写真を撮って貰っちゃいました。聞いた話ですが、大きな音楽祭などでは必ずといっていいほど彼が司会をされるそうです。

 その他、小1時間でしたが、本当にたくさんの普段会えない様な方々とお話できました。佐藤陽三先生からは、ポーランドの音楽祭への推薦のお話まで頂きました。

 オープニングガラコンサートは、大変な賑わいでした。コンサートの内容は、季刊誌や各種HPなどで詳しく述べられているでしょうから、あくまでも“日記風エッセイ”に徹しましょう。

 隣に座られたドイツのピアニストと片言英語で仲良くなりながら、コンサートを楽しみました。彼は、司会が日本語だけでされてたことと、演奏中の客席の暗さを怒っていました。「No English! No light!」 私も申し訳ない気持ちでした。言葉がわからないからプログラムの英語の解説を読もうとする。読もうとすると暗くなる。この繰り返しだったような。

 さらに、この方に、終了後、「どれが良かった?」とお聴きしたら、「声明と祇園囃子だ!」。おっと、合唱曲ではなく、合間にプログラミングされた古典芸能の方が印象深かったのですね!

 コンサートでは、日本の合唱曲が9曲披露されました。鈴木輝昭氏の作曲による《斉太郎節考》は初演ということもあり、興味深かったです。この作品を作るにあたり、かなり研究されたことをご本人からお聞きしていました。斉太郎節関連の古い現地収録の音源を始め、多くの文献やVTRなどで。「間宮氏や柴田氏で完成されている民謡のジャンルに自分が入っていくにあたっては、大変な覚悟がいる」とおっしゃってられました。作曲の厳しさ、音楽の世界の厳しさを教わったような気がしました。そんな中で聴いた《斉太郎節考》。とても心に残るものでした。

 他の演奏も、それぞれ日本を代表する合唱団、指揮者によるもので、楽しく聴かせていただきました。


バッハのセミナーに感激

 28日は、朝は、ワークショップ/セミナーに参加しました。4つのセミナーが同時に開かれていましたが、私は『バッハのモテット(鈴木雅明)』を選びました。

 彼は「10日前まではドイツ語でしゃべると思っていた。突然、公用語は英語でと言われ、慌てた」と言われていました。それにしてはとても言葉の選び方がうまい英語だと私の横に座った《EST》の鈴木君曰く。鈴木君はアメリカで8年間歌っていたメンバーです。彼には、いろいろと英会話の仲介役でお世話になったのでした。(英語にはますます自信をなくした私でした。)

 曲の解説と演奏を結び付けてのとても魅力溢れるセミナーでした。何と言っても、バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏には感激でした。古楽器に溶け込む一人一人の声。これこそバロックを歌うときの声だと思いました。「当時の声は録音が残っていません。一方、古楽器は再現可能です。だとすれば古楽器の音色から当時の声を想像し再現することができるのです。」と確信満ちて語られる鈴木先生に大いに共感しました。演奏が世界的にも評価されているわけですから、とてもとても説得力があります。

オスロ室内合唱団に感激

 午後は、アフタヌーンコンサートを楽しみました。翌日の《EST》のための下見でもありました。
  
 京都コンサートホールは、山台が自由に(20秒くらいで)上げ下げできるすばらしい仕掛けを有していました。そして、どの場所で聴いても同じようないい響き。客席に入って歌っても、よく調和の取れた響き方です。すごく参考になりました。

 前半に登場したオルフェオン室内合唱団(トルコ)の演奏。悲しげなメロディーラインに胸が締め付けられました。これは、4年前のドイツでも感じた、トルコ特有の感覚。勿論楽しいものもありましたが。気になったのは、与えられた時間を大幅にオーバーしてのパフォーマンスでした。40分の持ち時間を予定にないアンコールやおしゃべりで20分オーバーの60分を費やしたのです。司会の長谷川先生のお怒りが、客席にまで伝わりました。

 後半のオスロ室内合唱団(ノルウェー)に感激しました。客席から歌い始め、ほとんどの曲が客席とステージを全部使ってのパフォーマンス。ホール全体が、心地良い倍音に包まれます。古くから伝わる旋律を指揮者のペダーセンがアレンジしたものですが、トータルで完全に一つの音響世界を作っていました。柴田氏の“追分節考”を思い出しましたが、それとはまた違う、楽譜に書かれた情報を頼りに即興的な色付けをしていくものだと直感しました。ローベースがすごい倍音をかもし出し、超低音を持続。その上に、いろんな旋律の断片がミステリアスの繋がっていきます。その音律の正確さと集中力で、聴衆を最後までとりこにしてくれました。この合唱団こそ、アンコールに時間を捧げたかったです。

ワークショップはつまみ食い

 おかげで3時からのセミナーは30分遅れのアナウンス。会場の国際会館は超過時間に対する費用が大変高額だとか。主催者側の苛立ちが伝わるアナウンスでした。

 そのワークショップですが、『ロマン派初期の合唱音楽』『フランドル楽派のルネサンス音楽』を行ったり来たりしてしまいました。以後、同時に開講されている複数のセミナーをいわゆる「つまみ食い」する受け方になってしまいました。原因としては、やはり英語がしっかりと理解できないことが大きかったです。情けないことですが。その点、レジメだけでも、日本語訳があったことは救いとなりましたが。

『ロマン派初期の合唱音楽』は、モデル合唱団つきでアットホームな雰囲気でした。知らなかった作品にも出会え、良かったです。『フランドル楽派のルネサンス音楽』には失望しました。本をプロジェクターで映し出し、その通り講師が読んでいくというものでした。時々、音源が使われましたが、本とCDがあれば自分で勉強できる内容のものでした。新たな説、新鮮な切り口で参加者の目線で話されたウィッカム先生の素晴らしさが頭をよぎりました。(トレント公会議以前の教会音楽への憧憬
 
 そうこうするうちに、翌日の《EST》のステージのための練習時間が迫ってきます。今日は、この辺で。続きは、「
Vocal Ensemble《EST》の音楽監督として」のところに記していきます。










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2005.8.15

第7回世界合唱シンポジウムin京都(3)〜7月29日、30日

 
アフタヌーンコンサートで《EST》が演奏した29日は、その後、すぐにまた、国際会館でのワークショップに向かいました。そして夜はイブニングコンサートを堪能しました。翌日も夕方までコンサートとワークショップを満喫し、奈良に向かいました。奈良に向かったのは、31日のコミュニティーコンサートの前日リハを行うためでした。ここでは、その間の感想をピックアプして記したいと思います。

アフリカ、南米、南アジアの合唱団のステージ

 強烈な印象を与えられた29日夜のコンサート。スタンディングオーベーション続出の楽しいコンサートでした。

 一つ一つの作品についてはきりがないし、いろんなところで論じられていることでしょうから、省略します。総じて感じたのは、『悲しい内容の詞であっても、アップテンポのリズミカルな曲となり、演奏となる』ということです。特にラ・グラース(コンゴ)の、体中から溢れるすごいリズム感とエンターテイメント性が、すべての聴衆を魅了しましが、歌の内容は、シリアスなものが多かったのです。

 アフリカの歴史や現実を紐解くまでもなく、彼らが、生死に関しても政治的にもきびしい状態に置かれていることは明白です。その環境でこのようなパフォーマンスが行われる事実に、私達は目を向けるべきでしょう。

 悲しい内容をいかにも悲しく深刻に作曲し演奏できるのは、実は余裕のある国々なのではないでしょうか。うまく言えませんが、死が隣り合わせにあって生きることに必死な人々は、深刻になっている時間さえないのではないのでしょうか。私はラ・グラースのエキサイティングな演奏にそんなことを感じてしまいました。

 彼らの演奏は本物です。発声や指揮法などは自己流であるし、マイクを使っています。でも、そこで営まれるパフォーマンスは、彼らの生き様であり、一生懸命なアピールです。そのことに感動しました。そのことに価値を感じました。心の底から彼らと時間を共有できました。心が洗われました。 そして31日に共演できることが非常に楽しみになってきたのでした。

 ビクトリア合唱団(グアテマラ)も、振りが付いていたり演劇性のあるステージでした。が、ラ・グラースと比較すると、やや未完成な印象を受けました。《EST》の現在のレパートリーでもあるうそつき(ガヴィラン作曲)を聴いてはっきりしました。はでなパフォーマンスと演劇性で楽しさをかもし出してはいますが、楽譜の要求する音楽に全く至っていないのです。決まるべきハーモニーも決まっていません。ただただテンポを速くしてエキサイティングな雰囲気を煽っているだけなのです。これでは、合唱音楽の祭典にふさわしくありません。うそつき(ガヴィラン作曲)に関しては、にせものだと思ってしまいました。(ごめんなさい)

 パラヒャンガン・カトリック大学合唱団(インドネシア)は、声や音楽する姿に同じアジア人である親近感を感じました。ただ、後半に進むごとにおまじないのような激しい全身運動が加わり、奇妙な雰囲気に包まれてしまい、日本とは相容れない独特の文化を感じました。ガムラン、ケチャなどは、合唱に編曲されたりもしていますが(日本でも一時期はやりましたが)、インドネシアの作曲家による編曲を聴かされると、マネはできない遠いものという印象ですね。

 この3団体を聴き終わった感想として、非常に楽しくかつ疲れました。合唱の概念を考えさせられ、混乱してしまいました。我々のやってることは彼らのように必然のエネルギーに包まれているか! 日本で合唱する意味は!?

日本、アメリカ、韓国
 
 そんな気持ちを引きずったまま、翌日のアフタヌーンコンサートを聴きました。なにわコラリアーズ(日本)
の4曲は、神舞い、念仏、アイヌ、盆歌を題材としたもの。堂々たるさわやかなステージでした。

 韓国国立合唱団
は、もっと違った意味で堂々としていました。一人一人の歌唱力を誇りとしていることは明白でしたが、倍音がぐちゃぐちゃに鳴り響いています。耳を押さえたくなりました。こんな方向性もあるのでしょうか。私が絶対向かわない(向かえない)姿でした。

 ニューヨーク市ヤング・ピープルズ・コーラス(アメリカ)は、中・高校生くらいでしょうか。その可愛らしさに私の引きずった気持ちが少し救われました。素直で真っ直ぐな声ですが、大人ほどの表現力はないにせよ、さわやかなノーマルな心地良い時間でした。ホッとしました。

 “アメリカは未来に向かっている”。これは、後半の会期に聴いた2つの合唱団とも合わせての私の結論です。

ワークショップは相変わらずの言葉の壁の中で

 やはり、つまみ食いでしたね。通路には楽譜やCDのお店も並んでますしねえ。そんな中、以下のワークショップの雰囲気だけ味わいました。

東欧の合唱音楽〜東方正教会の音楽−伝統と現代 ●講師:テオドーラ・パヴロヴィチ(ブルガリア)

発声の構築:若い歌声の形成 ●講師:ヨシヒサ・マティアス・キノシタ(ドイツ)

ラテンアメリカの合唱音楽 ●講師:エドソン・カルバーリョ(ブラジル)

指揮マスタークラス(前期)
 講師:ダーン=オーロフ・ステーンルンド(スウェーデン)

アジアの合唱音楽「東アジア」 講師:リー・ギョンヨン(韓国)/ウー・ルンシュン(台湾)


 アジアの合唱音楽の講座でスペクトルアナライザ(音声の周波数分析)を使っていたのはとても興味深かったです。また、ラテンアメリカの講座では、受講者全員で即席の合唱を作り上げてくれました。やはり、おしゃべりだけの講座より面白いです。まあ、こんなことしか書けない英語苦手の自分が情けないですが。










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2005.10.5

奇跡の合唱団〜和歌山児童合唱団におじゃましました

 
2005年10月1日、私は、和歌山児童合唱団の沼丸先生の依頼を受け、練習に関わらせて頂きました。

200人のメンバーが軌道に乗って

 大阪・難波から南海電鉄で1時間。暑い晴れた日であったためか、窓から見える海がとてもきれいで、忙しかった今年の夏に足らなかったものを充足させてくれてるようなすがすがしい気持ちでした。

 いい気分で着いた和歌山市駅。指揮者の沼丸先生のお出迎えで早速練習場に。

 そこでは、すでに練習が始まっていました。この日のスケジュールは、2時から小学1〜4年クラス、3時から小学5〜高校2年のクラス、4時から高校生中心の特別クラス(3時間)、7時から高校生・大学生中心のユース(2時間)。兼ねているメンバーもたくさん見られましたが、とにかく練習場は賑やかで、運営や、OBの指導も整然と軌道に乗っている合唱団でした。

 200人のメンバー、年間30回以上の公演、ほとんど毎年の海外演奏・・・・と、びっくりするような活動をされていますが、お話を聞くと、会長さんというのがすごい方だそうで。

 たとえば、海外公演で2週間学校を休まなければならないときも、各学校にOKを取り付けて下さる。練習場はある学校の空き教室を合唱団専用の部屋に。もちろん無料で。新たにできたホテルの挙式教会を自由に使える練習場に(響きのすばらしい所でした)。

 それもこれも、彼はPTAの全国組織の会の会長だったそうです。お子さんが通われる学校ではPTA会長をされ、保護者を集め「先生方を信じ、文句を言わないこと!」と、熱弁。従ってその間、その学校はクラブ活動での実績がグーンと伸びたそうです。

 私の隣に来られ、「もう、子ども達が可愛くって・・・」と笑顔で言われた会長さん。沼丸先生のお話では、「自分はただただ指揮をするだけで、後は何もかもしてくださる」そうです。
 
 いい指揮者とすばらしく力のある後ろ盾で、地方でありながらこれだけの活動実績の持つ奇跡の合唱団がいまここに存在している!ということなのでしょう。

 2時からの小学1〜4年クラスでは、OBの方々が笑顔を絶やさずに指導されていましたが、ハンドサイン(コダーイシステム)を実践されていました。興味深かったです。ドレミファソラシに手の形を当てはめ、手話をする様に譜読みをしていきます。これによって、音程がすっきりし、音の出もポンと鮮やかになるそうです。

全日本合唱コンクール課題曲を指導

 私が担当させていただいたのは、“特別クラス”と“ユース”。団員達の「コンクールに出たい」という要望に答え10月9日の関西コンクールに出るため、演奏する自信を付けさせて欲しい、ということなのです。

 聴かせていただきました。自由曲はもう出来上がっています。従って、指導では課題曲に時間を割きました。課題曲は、ベルギー出身の19〜20世紀の作曲家Jules Van Nuffelの“Credo”を選ばれていました。

 さすがヨーロッパで経験を積まれている合唱団です。すっきりとした倍音のよく鳴る響きです。こういう声を聴くと嬉しくなります。後は、音楽的な深みに向かって、一生懸命やりました。驚いたのは、一切音を取らずに歌い始めることでした。絶対音の感覚を小学生の頃から付けていかれているとのこと。アルトにはファルセットで男声も加わっています。とても豊かに上声部を支えているのが心強かったです。

 ホテルの挙式教会に場所を移しての練習、そして翌朝の練習。“特別クラス”のメンバー達がどんどん自信をつけてくる姿が印象的でした。通し練習で、グイグイと良くなってくるのは、本番を多く経験されている証だと直感しました。また、パートで集まってミーティングをする際にも、リーダーが音楽的なアドバイスを一生懸命している。従って、前日に感じたソプラノのやや硬質な音が朝の練習では治っていました。すごい吸収力です。

 前日、中途半端な指導のまま時間が来てしまって心残りだったのですが、朝の合唱を聴き、一つ言えば十を知ってくれるとても頭のいい合唱団だということがわかり、嬉しかったです。後は沼丸先生がまとめてくれることでしょう。

刺激をいっぱい受けて成長し続ける合唱団

 「頭のいい合唱団ですね!」と沼丸先生に言うと、「頭がいいかどうかよりも、教育に熱心な親が多い。海外公演をすることを知って入ってくるので、やはり経済的にも裕福で子どもに熱心な家庭が多いのではないか。子どもを迎えに来る時に高級車が並ぶ(笑)」などと、明るくおっしゃられました。

 沼丸先生の、この合唱団の育て方はもう徹底しています。

 まずは、委嘱活動。「紀の国の子ども歌」シリーズ(松下耕)で地元のわらべ歌や民謡をたくさん復活させ、地元でそして世界で演奏されています。作曲を依頼されている松下先生とは、20代の頃からの仲良し。お二人でハンガリーに滞在されていたこともあるとか。まだ、松下先生が有名でなかった頃からのお付き合いだそうです。

 また、指導者をたくさん招かれていること。最近でも、松下先生、信長先生、伊東先生、ドイツのマティアス・キノシタ氏、石黒晶氏などを招かれ、指導していただいているそうです。(そんな中に私が入るなんて光栄の限りです。)

 海外公演での刺激も大きいですね。トロサ国際合唱コンクールを始めとする数々の実績。団員達は、ホームステイですぐ仲良くなるそうです。練習の時は整然としている彼女達ですが、海外ではなかなか楽しんでくるようです。ボーイフレンドも作ってしまうとか。

 沼丸先生とのお酒の場での交流も楽しかったです。地元の行きつけの飲み屋さんえでは、「ワールドユースクワイヤの時は涙が出た」と出迎えるおかみさん。そういえば、昨年のこの行事を引き受けられたのも沼丸先生でした。その他、京都の世界合唱シンポジウムでも、セミナーの企画運営のチーフとして活躍されたとか。いやはやすごい方です。まだ話が尽きないと言うことで、松下先生や信長先生も絶賛されたというラーメン屋『井出屋』に連れてってもらいました。コンテストで日本一になったという醤油豚骨ラーメンのおいしかったこと。

 その中で、ふと「何か淋しくないですか?」と聞かれ、「指揮者の宿命ですよね」と答えた私。にっこり2人で笑って、とても仲良しに。私にとって大切な仲間、永く志を共に出来る方が一人増えた温かな感覚でした。・・・・・・・・

 和歌山児童合唱団の10月9日の名演を期待しています。

●HP「和歌山児童合唱団」(http://www13.ocn.ne.jp/~wajido/framex.html)内、HP「沼さんエッセイ」(http://www0.yapeus.com/users/wajido/)より

この土日曜の練習は,ヴォーカルアンサンブルESTと宇治山田高校の向井正雄先生が指導に来てくれた特別なものでした。
関西コンクールでは,高校生を中心とした特別団員が一般の部Bへ,卒団した大学生を中心としたユースが一般の部Aへ出場します。
二日間にわたる向井先生のレッスンで,大きくレベルアップすることができました。特にラテン語の持つ言葉の意味や流れ,そしてその曲の持つ大切なスピリッツ。などなど。
そして何よりも,この二日間で,分ごとに成長し,徐々に自信が顔に出てきました。土曜の練習でみっちりレッスンを受け,翌日午前中のみの練習に私と向井氏が足を踏み入れると,もうそこにいるのは,素晴らしく成長した和児童でした。










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2006.1.2

立命館大学メンネルコールの中西君〜“教師冥利に尽きる”とはこのこと

 
私は2006年の12月23日に立命館大学メンネルコール第60回定期演奏会の客演指揮者の重責を担うこととなりました。このお話は次期団長の中西君からの依頼だったのですが、今回は、この中西君の許可を得て、彼のことを記してみたいと思います。

 彼との出会いは6年近く前。私が宇治山田高校に赴任し合唱部の顧問となった2000年4月に、宇治山田高校合唱部の新入部員として私の前に現れました。私もまだ若く(??)、とにかくこの合唱部を再生しようともがいていた頃でした。

 彼は、やさしい性格で先輩にもかわいがられながら、声も徐々に伸びてきました。1年生で全国大会を体験。幸運な1年目でした。2年のときはパートリーダーとして活躍。彼しかいなかったからパートリーダーになったのですが、その頃から徐々に今の彼らしさが出てきました。同級生や下級生の男子が辞めていくという場面では、私と共に苦しんでくれました。
 
 危機はその年の冬にやってきました。冬のアンサンブルコンテストで男声合唱を頑張りきれなかった悔しさと、受験を控えた勉強との両立、仲間の中途半端なクラブに対する姿勢も原因だったようです。歌っていても面白くなかったのでしょう。ついに“退部宣言”。このときに本当に彼がやめていたら、彼は今頃どんな人生を送っていたのでしょうか。また、次の年の合唱部の輝かしい結果はなかったことでしょうね。

 先輩が退部を止めたのか、保護者が説得したのか、今となっては忘れましたが、とにかく3年生になり、大勢の新入部員が入ったこの年、彼は合唱狂になります。独特の理屈による発声法(笑)を生み出し、後輩の面倒見がとにかくいい。捕まえたら離さない個人発声と講釈。見てておもしろい青年に成長しました。「男子生徒は引退が近くなるほどのめり込んでしまう」というのを地で行った生徒です。クラブ全体も彼の影響で大変な高まりを見せました。そして、そのまま全国大会金賞まで、走り続けたのです。

 その彼の得意の理屈攻めの粘りのキャラは、彼の進路にもいい影響を及ぼしました。立命館大学の法学部を目指すというのです。しかも、合唱推薦で行こうというのです。私も彼のために一生懸命推薦文を考えましたが、彼も、毎日のように自己推薦文を持ってきては「推敲してください」。夏は、汗びっしょりの練習の後、彼との戦いが続きました。彼の文章もずいぶんそれらしくなっていきましたね(笑)。

 とにかくしゃべる。自分の夢をとうとうと述べ続ける彼でしたが、それが彼を大きくしていく原点だったのですね。見事に合格の知らせが届いたのは確か全国大会の前日だったのではないでしょうか。

 さて、OBになってからの彼は、立命館大学メンネルコールの厳しい練習のことをよくしゃべりに来てくれました。ほとんど1日中練習しているような印象でしたが、彼は、ひるむことなく、逆にその厳しさを楽しんでいるかのようでした。要するに完全に男声合唱にはまったのです。

 彼の立命館大学メンネルコールで歌う姿に出会えたのは一昨年の関西合唱コンクール。審査員としての私は、平等な視点で聴くことを強いられていましたが、それでも、メンネルコールの、学生達だけで作り上げたとは思えないほどのしっかりとした肌理の細かい音楽に、感心させられたのでした。

 さて、その彼からの報告で、彼が次期団長に選ばれ、さらに、同じように次の年に宇治山田高校合唱部から立命館大学メンネルコールに入っていった小川君が副指揮者に選ばれたことを知った時、私は本当に嬉しかったです。伝統のある男声合唱団の中で揉まれながら成長してきた証であり、並大抵のことではないのですから。照れ隠しに「二人でメンネルの伝統を壊すなよー!」と言ってしまいましたが。

 そして客演の話です。しかも、曲目は『おらしょ』(千原英喜)。彼が3年生の時、コンクールで歌った曲です。全国大会の前日、作曲家の千原先生ご自身に来て頂き、アドバイスを頂いたことを思い出します。最後に皆が楽譜を広げてサインをねだったのでした。彼の楽譜にもきっとサインが書き込まれていることでしょう。あの頃の合唱部のあこがれの人、千原英喜先生。そして思い出深き作品『おらしょ』。それを彼は、作曲家に依頼して男声合唱版を作っていただき、それを私に振らせようというのです。彼のずーっと繋がっている合唱への夢。そのお手伝いが出来ればと、私は、この出来上がった話を断るわけにはいかなかったというわけです。

 教師冥利とはこのことではないかと思います。でも、この話、スタートに過ぎません。実際に練習を約10回、そして本番。彼のためにもいい練習といい本番を絶対に作り上げたい。この思いで(多分秋頃から)京都に向いたいと思います。

 それにしても、彼だけではなく、卒業した私の教え子達が、活躍しているというのは嬉しいですね。お正月ということもあり、過去の生徒達の一人一人の顔を思い浮かべてにんまりしてみようかな。










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2006.2.10

福岡と神奈川で合唱講習会〜アジアとキューバの作品を通して

 
福岡県と神奈川県に行ってきました。1月28日の福岡県、29日の神奈川県での合唱講習は、私にとっても、連日ということで初体験でしたが、モデル合唱団や役員の方々のお計らいで、とても充実した気持ちで終えることが出来ました。本当にありがたい気持ちでいっぱいです。

人間愛を大切に、平和を希求する営みに

 福岡県では、県高校文化連盟の主催ということで、200名近い高校生を相手に、「はじまり」(木下)と“El guyaboso”(Eguido Lopez-Gavilan)の2曲を取り上げました。神奈川県では、県合唱連盟主催で、午前中は200名近い高校生と、午後はモデル合唱団として『湘南市民コール』の皆様や一般の方々全員と共に過ごさせていただきました。

 今回の特徴は、両講習会共に、キューバの合唱曲を取り上げたことでした。合唱の新しい可能性をいつも求めていきたいと思っている私。アジアや南米の合唱曲にそれを見出したいきさつを、《EST》との海外での体験ビデオやCDで紹介しました。これは楽しんでいただけたようです。また、グアテマラの合唱団のDVDを鑑賞し、踊りながらこの曲を演奏している姿などを見ていただき、導入としました。これから練習する曲の姿がわかり、スムーズに入っていけたことと思います。

 その国の作品の楽譜を読み、背景を研究して行くことは、その国で生きている人々への共感につながります。特に、ルンバなどの踊りのルーツを探り、そのリズムを自ら体験して行くことで、キューバの人々の血となり肉となっている要素にふれることとなります。政治体制等からではなく、人々の生の姿から迫って行くことで、海外を理解して行く。それは、必ず、人間の温かみや、平和の大切さにつながって行きます。人間が、愛おしいくらい、身近に感じられます。アジアや南米の作品を取り上げ、歌いこんで行くことで得られる尊い物とは、この人間同士が愛し合う精神なのですよね。

 このように私の実体験を講習の柱に据えて合唱指導が出来たことは、とても、よかったと思いました。

 今回の講習会のもうひとつの特徴は、高校生に、「音楽活動を主体的に楽しむには?」と問いかけ、「現在の音楽活動が将来どう繋がっていくか?」をまとめとし、人間への愛を大切に、平和を希求する営みにつなげていく講習を試みたことです。
 
 木下牧子先生の作品を取り上げ、音質の均一性、美しいハーモニー作り、フレーズ内での言葉とリズムの関係、曲全体の構造、客席の遠くまで歌い上げる意識・・・・など、たくさんの課題を持って実践的に取り込みました。モデル合唱団の時間は、客席に問いかけ、ステージと一体になることを心がけました。

 「数学の先生です。」という紹介を両県でされましたので、あるひとつの箇所でフレージング練習をし、それを“公式”と呼び、同じように歌うことを“練習問題”“類題”などと言ってみました。少数の受けてくれた生徒さん達は数学好きなのかな(笑)。このように、ここぞとばかりロジカルなアプローチをすることができ、高校生たちが主体的に音楽創りを楽しんでいくヒントを与えることが出来ました。

 合唱の営みが「将来どう繋がって行くか」については、やはり、詩人や作曲家、そして世界の音楽に触れることで、人間の願いに目を向けて行ける事、それが愛や平和希求に繋がっていくこと、10代に信じたものは一生を支える自分の根幹となりうること、その根幹を携えて合唱でなくてもいいから何かに取り組んで人生を豊かにしてほしいことなどをいっぱい語りました。いつの間にか、学校の先生のように(笑)。

 今回取り上げた木下牧子作品(「はじまり」「めばえ」「おんがく」「サッカーによせて」「うたをうたうとき」)は、これらのことを実現できるとてもいい作品ばかりでした。

『湘南市民コール』の皆様方との大切な時間

 私にとって大きかったのは、あの『湘南市民コール』の方々とご一緒させていただけたことです。昨年4月に急逝された、日本を代表する指揮者関屋晋先生の合唱団だったからです。モデル合唱団が『湘南市民コール』であることが知らされたのは、当日でした。襟を正される思いでした。こそっと休み時間に練習されている湘南市民の演奏を聴き、「私のやることがない」と近くにみえた主催の方に漏らしたほど、よく歌えています。特に、団内指揮者の林誠氏の、丹精で熱心な指揮振りが今も印象に残っています。

 講習本番も、終始、すごい集中力。基本的なことは出来ていますから、後は、ひとつひとつのリズムや歌詞の内容を客席に示しながら具体化していく楽しい作業でした。聴講の皆様が主人公になる講習。理想のモデル合唱団でした。

 翌日、団員の方々から嬉しいメールをいただきました。ご本人のご了解が取れましたので、ここに書きとめておきたいと思います。

神奈川県連の金子です。
先日の講習会では、私の勤務校である桐光学園中高と湘南市民コールがお世話になりました。
ありがとうございました。
特に緊張していた生徒たちの気持ちををほぐしていただき、先生の求める音楽にどんどん変化し、やわらかい響きのある音楽になり感動的でした。
生徒たちも大変喜び満足していたように思います。
湘南市民コールでは、平素私どもが取り上げることがない音楽にふれられたことは良い刺激になったように思います。
そもそも関屋先生が常に新しい曲を追求する方でしたので、先生亡き後の湘南がどうなってしまうかの心配がありました。
そんな中で、向井先生の日記の中に「関屋先生と晋友会について」の日記を発見し、私どもへの深い愛情を感じ感激しました。(その日記は湘南の練習のためにプリントアウトしてもっていき、会長の門井さん、練責の林さん、そして、新常任指揮者の清水敬一さんが拝見しました。敬一さんはくれぐれもよろしくとのことでした。)
今回
の講習会は是非、湘南が受けるべきであると思いました。
そしてほんの僅かな時間でしたが、一緒に音楽できたことをメンバーもたいへん喜んでおります。
是非、今後とも先生と湘南・晋友会が相思相愛の関係になることを願っております。
また、何かの機会でご一緒できる日を楽しみにしております。
今後ともr末永くよろしくお願いいたします。

  金子佳弘(かねこ よしひろ) 

昨日の県連盟の合唱講習会はありがとうございました。
モデル合唱団、湘南市民コール・ベースの五所と申します。
昨日の講習会は新鮮で刺激的に感じました。
常任の二人の先生ともタイプや指摘の仕方が違い、音楽性や歌い方、気構えなど大変勉強になりました。
向井先生が繰り返し、ドイツでの国際合唱コンクールのことを話されていましたが、その熱い雰囲気と友好的な感覚はよくわかりましたし共感できました。(お話に何度も頷いていました)
湘南市民コールも朝日のコンクールの出場を見送った直後79年に、ブルガリア・バルナの国際合唱コンクールに参加しました。
昨日歌った古くからのメンバーは参加しています。
その時の感激や、地元バルナの合唱団や同宿舎だったカナダ・リミントン合唱団との交歓演奏会の様子、入賞合唱団のガラコンサートなど未だに忘れられない思い出です。
海外からはヘルシンキ大学合唱団、日本からは徳島少年少女も参加していました。
この時、関屋先生が最優秀指揮者賞を受賞しました。
先生のHPにあったように、授賞がすぐにはわからず隣のカナダの指揮者に聞いて理解したように思います。
向井先生の授賞の様子が、私の頭の中で79年の関屋先生と重なっていました。
海外での合唱コンクールに入賞する日本の合唱団は多くとも、最優秀指揮者賞の受賞指揮者は少ないか、先生方お二人だけではないでしょうか。
昨日の「合唱を通して世界の人と理解できる」というお話は、自分の経験からも大変共感しました。
海外との交流も深まり、私達日本の合唱人もそういう意志を持って、実践できることが求められてもいると感じました。
今年のスケジュールを拝見しましたが、各地でのご活躍を陰ながら応援しております。
またこれからも、湘南市民コールと何らかのご縁があればと思います。ありがとうございました。

 お二方からのメッセージが私にどんな喜びと覚悟を与えたか。人生の後半に入り、私に与えられた生きる役割がはっきり見えてきた感覚です。好きで音楽を追い求め、楽しいから生徒達と歌ってきた私ですが、こんな形でたくさんの方々と交流できるとは! 音楽を通して自分の体験や思いを語る場を与えていただけることはとても幸せなことですし、そのことで何か貢献できているのも幸せです。

 また、ピアニストの本屋敷先生ともお話できましたが、何とこのお方、私と出身中学が同じでした。しかも、彼女の恩師は私も良く知っている津女声合唱団の長島幸子先生。実はたった今、長島先生からお電話があり、「お葉書が来て、講習会がとても良かったって書いてあったわよ。あの子は小澤征爾さんの練習の伴奏も引き受けられたり、関屋先生にとても才能を買われてた子よ」と! 驚きでした。 

  
《EST》の前代表の鈴木孝明君

 さらに、嬉しかったこと。神奈川の講習会で懐かしい顔が! 高校生のモデル合唱団を指導していて、客席を振り向いた途端に私の目に飛び込んできた大きな顔。《EST》の前代表の鈴木孝明君でした。嬉しい動揺でした。彼は、自治医大出身で、《EST》の代表を務めながら、三重県の地域医療で頑張っていた青年。何時間も掛けて練習に通っていた彼でしたが、3年程前に神奈川県に転勤。神奈川でも合唱団に入って核となっているそうです。

 《EST》の海外やコンクールのビデオには、彼の歌って踊る姿も大きく映し出されています。自分の姿を見た彼は、どんな気持ちだったことでしょう(笑)。この春、彼は三重県に戻ってきます。また彼と一緒に音楽したいものです。彼も同じことを思ってくれていることでしょう。

 その彼からもメールが来ました。本人の了解をいただきましたのでここに記しておきたいと思います。

向井先生
ご無沙汰してました
かれこれ3年ですよね
突然の練習に行けなくなる宣言の後の・・・
第10回コンサート、東京カンタートなどでは突然出現してました
先日の講習会
特に中高生に対して、とても教育的な講習会で感銘を受けました
「何か付け加えることはないですか?」
「皆さん、どう思いますか?」
と講師の押し付けでない姿勢に感銘を受けました
みんなで考えて作っていく楽しみを忘れてしまうと、考えられないという寂しさが待っているのかもしれません
地域医療と似ているなぁ、と私の中で重なり、「うたをうたうとき」をうたっている途中でなみだがこみ上げてきて歌えなくなりました
私が影響していたものの大きさ、小ささを思い知りました
また、三重に行ったらごあいさつに伺おうと思います
ただ…どこに赴任するかまだ分からないので、3月中旬以降でないと、現実的に練習にいけるかどうかの判断はできません
また、ご連絡しますね

鈴木

 人と人とはどこかで繋がっている。このことが現実に分かってきたのも私が年を重ねつつある証なのでしょうか。
 

頑張られている方々と共に

 連盟の方々や指導をされている方々とお食事を共にお話できるのも、こういった県外での講習会に招かれた時の楽しみの一つです。イギリスや韓国の合唱団と定期的に交流されている高校。アレッツォ国際コンクールに出場された桑原先生からのアドバイス。数学教師兼合唱指揮者がどちらの県にも見えたことも愉快でした。

 福岡は昨年から3回目でしたが、今回もめずらしいおいしいものをたくさん紹介していただきました。また、鎌倉では、寅さんのロケの町並みを教えていただきました(今は大学の敷地なんですね)。観光する時間は全くないわけですが、こういった計らいで、楽しい旅行をしている気持ちになれることが嬉しいですね。本当に感謝です。

 どの県にお邪魔しても、そこで、しっかりと合唱の土壌を支える方々がおみえになり、それぞれの合唱文化が花開いています。また、生活とのやりくりに苦労されている男性の皆様の状況もどこも同じですね。「合唱をやっているということを市民権としてを会社に理解させるまでやりきらなくっちゃ駄目だよ」「でも最近は簡単にリストラされるのでは?」などなどお話されているのを頷きながら「どこも同じですねえ」と私。

女声合唱団マフィン

 さて、最後に、正式な連盟のお招きではなく、知人の個人的な依頼を受けておじゃました『マフィン』のことについて。

 この合唱団は、60歳以上であることが入団条件だそうです。しかし、私が入って行くと、しっかりされた女性の方々ばかり。お若い! 私の指導にしっかりと応じてくださいました。無理のない発声で心ときめかせて歌う。そのことで、いつまでも若々しい声と精神を持って健康にすごせることを証明されてるような方々でした。

 神奈川でも客席に向って申し上げましたが、90歳を超えているような人たちがたくさんいるカナダのある合唱団。びっくりするようなお若い声だったと洲脇先生からお聞きしました。日本に合唱が根付くには、簡単なこと。私たちがずーっとずーっと活動を続ければいいだけなのです。そのための「自然な発声」「いい選曲」「主体性と協調性のバランスのとれたいい精神」・・・・。

 マフィンの皆様方が、帰り際、「私たちはまだまだこれからなんだねー」と嬉しそうに談笑してみえたのがとても印象に残っています。

 さあ、気持ちを新たに私の合唱団で頑張らなきゃ。










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2006.3.12

奈良で合唱講習会〜初めての体験としてのアカペラ

 
奈良県に行ってきました。

 おかあさんコーラスの方々約150名で歌い上げたコチャールのSalve Regina。最後のステージでの仕上げの演奏の、ホールいっぱいに広がった響きの心地良さが、今も晴れ晴れと心に残っています。


「体験したことのないアカペラ、宗教音楽を」

 昨年夏の世界合唱シンポジウムでお世話になった池田先生(奈良県合唱連盟理事長)から、このような依頼を受けました。おかあさんコーラスの方々に、アカペラ宗教音楽という新たなレパートリーを体験させて欲しいということでした。私自身、海外で目が開かれた体験があり、その体験を私を通じて奈良のおかあさん方にしていただけるのなら・・・・と思い、喜んでお引き受けしたのでした。

 コチャールのSalve Reginaが、このような場面での理想的な曲だと思いました。始めの2小節でユニゾンを整え、ノンビブラートの発声で2度のハーモニーを鳴らす練習が出来る。その後も、持続音の多いアルトに支えながらゆっくりとハーモニーを味わえるように進んでいけるからです。さらに、歌詞の抑揚に素直なメロディーラインと作品の持つドラマ性はマリアへの祈りを現代の我々の祈りに出来、この曲の出来た背景をお話しすることでハンガリーの人々の強さを私たちの強さに移すことが出来ます。

 かくして、今日の講習会は、そのような想いが当たり、本当に充実感のある時間となりました。今、重責を果たしたすがすがしさに包まれています。

 スタートで、アルトの中性的なサウンドがまず素晴らしかったです。見事に倍音が鳴りました。ソプラノが3度で重ねます。見事なる純正律。ピアノで鳴らした3度の音との違いを体験できました。この、“つかみの成功”は、その後の楽しい雰囲気に繋がることが出来ました。丁寧に丁寧に噛み砕きながらの前半でしたが、「本当に初体験?」と耳を疑うくらい、
私の要求のつみあげをクリアしてくれました。

 後半は、ペースを上げ、一気に最後まで進むことが出来ました。感動的なフィナーレは、e母音とi母音の工夫で、響きがガラリと変わり、ホールがバーンとなりました。歌われた方々の達成感溢れる笑顔が印象的でした。

自分自身の合唱団でもこのような姿勢で 

 実は、昨日の《EST》の練習が不調に終わってしまっていました。男声パートの食いつきが悪く、奮闘すれど同じ注意の繰り返し。最後はあきらめの心境でした。こんな状態ではとても国際コンクールどころではありません。「もっと音をきちんと取ってきて欲しい」「前にやったことを出来るような状態で集まって欲しい」「個人練習、パート練習をもっと・・・」。私の頭にはこういった謂わば人のせいにする言い訳ばかりが巡ります。

 今日の講習会は、アカペラが初めての方々ばかりと言う事で、時間を掛けてゆっくりと音を重ねていったわけですが、いい雰囲気で確実に音楽が創られていきました。喜ばれる方々のお姿を見て、急に、昨日の練習に対する罪悪感を感じました。「結局は自分の練習の付け方に責任があるんだ!」と。

 そして、自分の合唱団でも、いつもこのようなゼロからの気持ちで接していけば、不調な練習はなくなるだろうと思いました。ついつい、いつも一緒にやっているメンバーには、過大で無理な期待をしてしまうのでしょう。それがうまく行く時もあるわけですが、そうでないときに、切り替えが必要。特に《EST》はメンバーを育てるという宿命を背負った音楽学校(笑)のような合唱団ですから、指導する側が引き出しをたくさん持ち、どんな時にも歌う喜びを感じさせるような工夫を忘れてはいけないのです。

 今日の奈良での講習会を終えたすがすがしさは、私に大切なことを思いださせてくれました。コンクールに間に合わせようなんて気持ちで練習していてはダメ。いつもゼロに戻れる柔軟性を持って、メンバー達の歌への意欲をかきたてる練習をしようと。こういう気持ちにさせてくれたことが、今日の収穫です。そういう意味でも、奈良県の方々にお礼を言いたい気持ちです。

P.S.お食事させていただきながら、連盟の方々と交流をさせていただきました。フランクで楽しい時間でした。その中で、山登り健康法のお話に感心しました。やってみようかなあ・・・。










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