医療費削減政策は、厚生白書(1982年版)にのっているとおり、 1981年に、薬価算定に90パーセント、バルクライン価格を導入したことによって実施された、18.6パーセントという大幅な薬価引下げで幕を開けた。 これを主導したのは、1976年暮れに福田赳夫内閣の厚生大臣になった渡辺美智雄氏と、1982年に厚生省保険局長となった吉村仁氏です。 吉村仁氏は、1983年に『社会保険旬報』に「医療費をめぐる情勢と対応に関する私の考え方」という論文を寄稿、後にこの論文は「医療費亡国論」として知られることになります。 その後も、バブルを含む経済や社会の情勢にかかわりなく、低医療費政策は続けられましたが、医療を取りまく状況は、当時と現在では大きく変わりました。 1981年当時は、開業医のはやる条件として、「1に在宅、2に在宅、3、4がなくて5に在宅」とまでいわれ、かかりつけの患者さんなどは、開業医が対応していました。 医療界は、低医療費政策が続けられるに従って、病院だけではなく、気軽に虫垂炎の手術を頼めるような有床診療所が激減したり、開業医の世界も大きく変わりましたが、当時とは、医療を取り巻く状況が大きく変化したにもかかわらず、現在も同じ政策が続けられているのです。 現在行われている医療費削減政策の方針は、「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006」(俗称「骨太の方針2006」)で示されており、これによると2011年までの5年間で社会保障費を、1兆円削減することが決まっています。 ここで出された方針は、1993年の宮澤・クリントン日米首脳会談以来存在する「年次改革要望書」や、これに続く「日米投資イニシアティブ」に基づいたもので、財政再建諮問会議で決められたことですが、そこには、「医師数は満たされているが偏在しているだけである」とか、「医療機関は十分な収益を得ている」といったような、誤った前提があります。 最近、政府は、後期高齢者医療制度の保険料徴収を先送りしたり、社会保障審議会医療保険部会で勤務医の負担軽減策を検討するなどの対策を打ち出してきましたが、いずれも小手先の対応であり、「骨太の方針2006」を見直すものではありません。 日本の医療現場は、極めて長期間の医療費削減を優先する政策により変化してきましたが、日本国民にとって、今のような医療現場の崩壊が好ましいのかどうかについては、国民に実態を示したうえで、その意向を反映すべきです。
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