2007年12月04日 更新

選手まとめた主将・宮本が独占手記「戦争のつもりで戦った」

北京への切符を引き寄せる猛スライディングだ。宮本は七回、代走(二走)で登場。里崎の投前バントで三塁に進み、同点のホームを踏んだ(ロイター)

北京への切符を引き寄せる猛スライディングだ。宮本は七回、代走(二走)で登場。里崎の投前バントで三塁に進み、同点のホームを踏んだ(ロイター)

 胴上げは「やめてくれ」といったんだけどね。今は何も考えられない。ただ、ホッとしている。

 ミスが出た1戦目(フィリピン戦)が薬になった。すぐに選手宿舎でミーティングを開いて「必死にやったか、お前ら」と再確認した。2戦目の韓国戦が終わった直後には「燃え尽き症候群になってはダメ」と星野監督が言ってくれて、チームが引き締まった。

 国と国との勝負。表現は悪いけど「戦争」のつもりで戦った。今回は04年アテネ五輪の経験者、昨年のWBC経験者がいたことが大きかった。選手が即席のチームでまとまるのは難しいから…。

 実は宮崎合宿中に選手だけでミーティングを開いた。「野球界のためと思えば、わかりやすく日の丸を背負える。プロ、アマを含めて日本野球界のためにやろう。今まで自分のためにやっていたことが多いと思う。でも、今回ぐらいは人のために、自分以外のためにやっていいんじゃないか」と言った。

 候補に入りながら登録メンバーから外れた選手には特別な思いがある。けがで辞退した高橋由と小笠原(ともに巨人)には直前に電話をもらった。多村(ソフトバンク)からはリストバンドをもらって、今もかばんにつけている。一緒にユニホームを着て練習した仲間の思いは台湾に持ってきたつもりだ。

 五輪はWBCと違って、もともとアマチュアの大会。アマ一筋で五輪に3度出場した同志社大の先輩の杉浦正則さん(39歳、現日本生命監督)を見ているので、夢を奪ったという気持ちは強い。だから恥ずべき行動を慎み、身なりを含めて、みんなが納得できる試合をやらないと失礼だと思っていた。

 杉浦さんと神戸で話をしたとき「緊張感をもてるようなチームにしろ。自分が思ったことは口に出さないとアカン。言わずして後悔するんだったら言え」とアドバイスしてくれた。

 台湾では外出禁止。みんなストレスを感じたと思う。でも、宿舎内の食事会場や部屋で会話をする機会が増えた。星野監督も「10日ぐらい我慢しろ」と。古い考えだけど何か我慢したらいいことあるんじゃないか、と思った。

 試合では攻撃時は一塁ベースコーチ、守備の時はベンチの中で首脳陣と並んで立った。今大会は選手が不安なくプレーできるようにする仕事が含まれていると感じた。コーチ経験もない。難しかった。他の選手はどう思っているのか。「あいつ選手のくせして」と思っている可能性もある。

 チーム内で浮く可能性もあったけど、勝つためにしないといけない。普段の行動でもスキを見せないように気をつけた。野球のときだけえらそうにしていると思われるかもしれないから。

 野球が五輪種目として最後になるかもしれない北京。次につながる重要な大会だと思ってやってきた。五輪種目として復活するためにできることは、五輪の野球を盛り上げること。公開競技だったロスで最初に金をとって、最後も日本が金メダルを必ずとる。

(日本代表主将、東京ヤクルトスワローズ内野手)

■宮本 慎也(みやもと・しんや)

 1970(昭和45)年11月5日、大阪府生まれ、37歳。PL学園高から同大、プリンスホテルを経て、95年ドラフト2位でヤクルト入団。2001年に67犠打でセのシーズン最多記録を樹立。遊撃手としてゴールデングラブ賞を6度獲得。日本代表歴は04年アテネ五輪(主将)、06年WBC。通算成績は13年で、1439試合に出場、打率.280、45本塁打、386打点。1メートル76、70キロ。右投げ右打ち。既婚。今季年俸1億1700万円。