ムネオ日記
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2004年12月31日(金)

鈴 木 宗 男

 大晦日、あっという間の一年だった。四月六日の母の死、七月十一日の参議院選挙、十一月五日は第一審判決、激動の一年であった。これでもか、これでもかというような試練が次から次へとくる。しかし、私は闘う。

 昨年、十月二十九日、胃癌の手術から一年経ち、お蔭様で体調は申し分ない。当初の所見では、悪性転移の可能性ありと言われ、人生を悲観したものだが、立派な医師とそのスタッフにより、胃癌での再発は無いとの太鼓判を押される。一度終わった人生と思えば、どんな逆境にもへこたれない。私には家族が居る、仲間が居る、そして夢がある。今一度かけがえのない郷土と国の為に働きたいというほとばしる情熱が私を生かしてくれる。生かされていることに感謝しながら与えられた環境で精一杯の努力をしていくものである。 北海道の民放テレビで、今年を一文字で表すとしたらという番組で、私は「運」という字を書いた。「運」は「軍 いくさ」が「之 はしる」と書いて「運」という字になる。闘っていないと、頑張っていないと、努力しないと「運」はこないと私は考える。胃癌が転移していなかっただけでも私には運があった。今年を底と考えれば、来年からは少しづつ上昇していくと前向きに考えていけば道は拓ける。一度の人生、悔いを残さぬよう、思い起こすは善の信念で生きていこうと思う。

 一年を総括すると家族が元気でそれぞれの立場で頑張り、結果を残し、何よりも家族の絆をしっかりともち続けながら過ごせたことに感謝の気持ちで一杯だ。今年も、いや、いつもだが家族に守られ、松山千春さんはじめ多くの人に支えられ過ごすことが出来た。巡り合わせ、ご縁、出会いに感謝しながら来年も頑張っていこう。

 ニュースによると、北朝鮮,朝鮮中央通信は日朝協議打ち切りも辞さないと言っているという。北朝鮮の理不尽さを指摘するのは当然だが次につなげる発想、戦略、戦術を考えていかなければ、横田めぐみさんのご両親の血の滲む涙の出る努力が生きてこないのではないか。強硬策を主張するのは分かりやすいがそれで今までの積み重ねが全て失われたらどうなるのか、相手に足元を見られてもいけないが、少しでもこちらの土俵に乗せるようバランスを取りながら進めるのがリーダーのリーダーたる所以ではないのか。今、求められてるのはリーダーの的確な判断だと考えるのは私一人だけではないと思う。

 夕方、五時からNHKTV「小さな旅」という番組でそれぞれの方々の思い出の手紙に触れながらの映像だが新潟の村山さんの手紙には特に感動した「昭和19年戦地に赴く父に面会すべく東京から半日掛けて横須賀に向かう。母は当時2歳9ヶ月の私を背負い、4歳の姉の手を引き、お腹には7ヶ月の弟が居た。30分の面会で父は最後に青いまだ熟していないみかんを姉と私にくれた。どんな思いで父がくれたものか、これが最期(さいご)かも知れないと思って渡してくれたのか、今でも、青いみかんを見ると胸が一杯になる。その父は、戦争で帰らぬ人となった。」その様な内容だったが、短い手紙の中に父親の最愛の子への万感の想いと、子供の父を思う気持ちが伝わってきて胸が打たれた。この番組を見た人はさすがNHKと感激したことだろう。これからも感動溢れる番組を期待するものである。

 朝から降っていた雪も夕方から雨に変わった。今年一年天気は大晦日まで気まぐれなのか、自然の摂理かどうにも出来ないものであった。中越地震で被災にあった方々、台風で被害等に遭った人達、楽しい筈のバカンスで地震、津波に遭遇した人のことを考えると何とも辛く悲しいことである。
 まさに「幸運」「不運」紙一重の現実、人生がある事を私自身改めて肝に銘じて生きていこうと思う

 新年が皆様にとって良い年になりますようにお祈りいたしております。来年も皆様宜しくお願い致します。

 今年一年本当に本当に有難うございました。

2004年12月30日(木)

鈴 木 宗 男

 昨日と打って変わって晴天。年の瀬を迎え、部屋掃除等、片付けには最高の日となった。私も家内の邪魔にならない範囲で家に居る。
 奈良県女児誘拐殺人事件の容疑者が逮捕された。四十四日振りの解決。それにしても、どうしてこの様な凶悪事件が起きるのか。大人の責任は重い。
 インド洋巨大津波、死者確認されただけでも七万七千人といわれる。十万人以上になるのではと被害は大きくなっていくばかりだ。日本人犠牲者も出ており、大変な事態だ。国際社会が一丸となって非常事態に対処しなくてはならない。
 紀宮様のご婚約が、正式に発表された。お二人の記者会見は、とても爽やかで明るいご会見であった。  暗いニュースが続く中で、皇室の御慶事は特別な重みがあり、新しい年を迎えるにふさわしく、希望を与えてくれるものである。

2004年12月29日(水)

鈴 木 宗 男

 事務所に出て整理。今日が事務所の仕事納め、神棚に手を合わせ、一年のご加護に感謝する。日枝神社、金王八幡神社にお参りし新年に備える。
 朝から霙が降りやがて本格的に雪が降りはじめた。雪が降るとやはり故郷を想い出す。中越地震で被害に遭われた人達も冬を迎え、どんなにか辛く厳しいことか察して余りある。インド洋沖津波被害、七万人を超える死者・行方不明者。史上最大と報道されている。改めて世の中何が起きるか分からないものだとしみじみ感じる。日本人も多数犠牲者が出ているが一日も早く安否が確認されることを祈るのみ。新年を控えなんという巡り合わせかとただただ合掌する。

2004年12月28日(火)

鈴 木 宗 男

 事務所片付け。一年に一度のこととはいえ、なんとなく気持ちも洗われる感じだ。事務所の者がよく整理してくれている。
 夜は事務所忘年会。うちの事務所に加え、お世話になっている先生の秘書さん方も加わり、にぎやかになる。東京に残っていた先生も入り、延々と六時間に及ぶ。仲間とは有難いものである。
 インド洋の津波による被害は七万人を越すおそれと報道されている。日本人も数名の死亡が確認され、まだ連絡の取れない人が数人いるそうだ。とにかく無事を祈るのみである。世界各国が支援に乗り出しているが、日本の果たすべき役割はきちんとしっかりやらなくてはいけない。いずれにせよ、自然の脅威、エネルギー、備えあれば憂いなしと言う事を、今一度それぞれ考えなくてはならない。

2004年12月27日(月)

鈴 木 宗 男

 帯広に行き、自宅の神棚、仏壇お参り。手を合わせながら、無事一年を送れたことに、生かされていることに感謝する。
 帯広事務所に行き打ち合わせ。その後釧路に向かい、自宅お参り。事務所に入り、日程打ち合わせ。事務所スタッフが良くやってくれるので有難い。東京は勿論だが、札幌、帯広、釧路、中標津、根室、北見、苫小牧、それぞれの事務所で、一生懸命働いてくれる仲間がいることに感謝の気持ちで一杯だ。中川一郎先生の時からの秘書仲間が今も続けて一緒に働いていることは私の誇りであり、私の財産である。三十年、二十五年と長く勤めてくれる事は、お互いの信頼関係であり、お互い良かったと言うことである。世間に対し、何よりのメッセージと考えるものである。
 スマトラ沖地震による津波で、行方不明、亡くなった人の数が一万を超えると報道されている。時間が経つにつれ、その数、被害が拡大しており、映像を見ていると寒気がしてくる。阪神淡路の一四〇〇倍ものエネルギーだと言われているが、自然の脅威、その力にただ唖然とするものである。
 日本の緊急援助隊が早速行動しており、人道支援にあたっておられるが、その方々にも心から感謝したい。困った時はお互い様の心で働く姿は、高い評価、理解を得ることであろう。私も自由に動けるならば、被災地に飛んで行きたいものだが、いかんせん公判中の身ゆえ、行動・動きに制限がある。これだけでも情けない事であり、申し訳ないとつくづく感じる。日本人の行方不明者の安否が一刻も早く無事と確認されてほしいものである。

2004年12月26日(日)

鈴 木 宗 男

 札幌事務所で事務所整理、掃除。一年はあっという間にすぎていく。午後から後援者のお見舞い、挨拶廻り。夕方、ラジオの取材インタビュー。夜は後援会の忘年会。日曜日でも忙しい。
 朝日新聞の社説で「政治資金 この報告ではわからぬ」と書いてあったが、それならばなぜもっと国民に向かって書かないのか、知らせないのか。事実でもない事をあおったり書いたりする前に、もっとやることがあるのではと言いたい。正直者が正当に評価されるためにも、事実を、真実を正しく報道してほしいものである。
 北海道新聞が一面で「四島一括方針を堅持 政府ロ大統領真意見極め」と書いてあるが、その記事の中で、「打開案として特に、過去に浮上した歯舞、色丹両島と残る二島の帰属を分けて交渉する『段階的帰属確認案』が再びくすぶっている。ただ、対ロ外交に影響力のあった鈴木宗男元衆院議員が主導したいわゆる『二島先行返還論』のイメージが強いため、外務省は世論の反発を恐れ『二の足を踏んでいる』(同省筋)という。」
 この表現も正確ではない。二〇〇〇年三月二十五日 イルクーツクにおける森・プーチン会談は、「ツー2プラス+ツー2」の提案ではなかったのか。私は政府の考えを与党政治家としてバックアップし、支えてきたのであり、私は政府の考えと違う事は一回も言っていない。道新の記者も、パノフ前駐日大使の『雷のち晴れ』をしっかり読んでほしいものである。
 インド洋で、津波で沢山の死者が出ているとニュースは伝えてくる。何千人もの犠牲者とも言われ、自然災害の怖さを改めて感じる。リゾート地で休暇を楽しんでいた人達の暗転を考えると、世の無常を恨むのみである。救助、復旧に向け、政府として一刻も早く人道支援をしなくてはならない。

2004年12月25日(土)

鈴 木 宗 男

 朝八時に出発し、厚田村、浜益村を挨拶廻り。選挙の時遊説しただけだが、それなりの得票が入っている。行ってみてわかったことだが、鈴木シンパがいたことである。厚岸とか、札幌とか増毛とか、人間関係で声がかかり、頑張ってくれた人が沢山おられた事に、ただただ感謝するものである。浜益村でも「こんなところまで良く来てくれました」と涙を流して喜んでくれる人がおり、改めて人の心、人の情けを知り、勇気を頂いた思いだ。  参議院選挙後、全道くまなく廻ったのは私一人しかいないことに気づくことが多い。必ずこの地道な努力が生きてくる事があると信じて頑張っていく。
 午後札幌に戻り仕事をする。土曜日ということもあって、車が少ない。年末の週末と言う感じがする。
 夜は千春君の今年最後のコンサート。今夜も気合が入った千春の歌、トークに感激。小泉政治に対する千春の舌鋒は鋭く、多くの人の想いを代弁している。国会議員全員が千春の話、想いに耳を傾けてほしいものである。
 今年一年も千春に助けられての一年であった。七年足寄高校の後輩ではあるが、人間的には先輩と思える千春の存在である。久しぶりに千春のお母さん、懐かしい故郷出身の人にお会いし、人生出会い、ご縁、巡り合わせを感じながら、これも千春のお蔭と感謝するのみ。足寄高校野球部後輩の西武ライオンズ三井投手も明日の野球教室で札幌に来ており、一緒にコンサートに行ったが、よき仲間、よき同窓に感謝。故郷は有難いものである。

2004年12月24日(金)

鈴 木 宗 男

 野中先生と朝食を共にする。政局の動向、外交案件、国内問題など、種々教えてもらう。野中先生は情報通であり、確度の高いお話をされる。今もって引退は惜しい残念なことである。在京大使館に行き、仕事を済ませて別れる。
 昼はロシアの国会議員と昼食懇談会。昨日のプーチン大統領の記者会見が話題になる。外交は積み重ねであり、お互い名誉と尊厳を尊重しあうしかない。自分の主張だけで歴史的問題を解決できるものではない。間違った情報にもとづいて、しかも勉強不足、また新しい歴史の流れを把握しない外相が出たことは不幸であり、国益を損ねたのではないか。日露関係については、マスコミも両国の過去の約束、声明、宣言を踏まえて、正確な報道をしてほしいものである。ロシア側が今年の春から再三に渡り、シグナル・メッセージを送ってきたのに対し、日本は何か答えただろうか。間髪いれずメッセージなり将来に向けての発信をする事が大事であり、タイミングを外している。本当の外交をしているだろうか。
 夜は千春のコンサートに出席。秋のコンサートはいつもどおり北海道が最後。今年は二十日の函館、二十二日の苫小牧、今日・明日の札幌で終了。千春の心にしみる歌とメッセージを聴きながら、千春はつくづく凄い男だと思う。凄い男と一心同体でいられることに感謝。今日もパワーを頂く。

2004年12月23日(木)

鈴 木 宗 男

 朝の飛行機で上京。今朝の北海道は全体的に冷え込み、マイナス十二度以下のところが多かった。羽田に着くと、とても暖かく、いつもの事だが温度差、地域差を感じる。
 天皇誕生日で道路もすいており人の動きもなく、何かしら静かすぎると不安な気持ちになる。環境、習慣、生活リズムの慣れとは怖いものである。
 民主党の鎌田衆議院議員が選挙違反の連座制により議員辞職と報道されている。選挙違反連座制による民主党の議員が失格になる例が多くなっている。選挙違反というと、よく与党候補がヤリ玉に挙がったものだが、小選挙区制になり、野党の方が多くなっている。お互い候補者たるもの、肝に銘じていきたいものである。

2004年12月22日(水)

鈴 木 宗 男

 朝から札幌市内挨拶廻り。どの会社の社長さん方も年末挨拶で留守のところが多い。また、どこに行っても聞かされる言葉は、「仕事がない。大変だ」という元気のない話ばかり。来年度予算も早々と打ち止め。ものわかりの良い政治家ばかりだと、地方が、立場の弱い人がとり残されてしまう。政治の価値、重みとは何なのか。今一度じっくり考えていきたいものである。
 北海道の一人負けと言われて数年たつ。今こそ、今だからこそ北海道に配慮した政策誘導をなぜしないのだろうか。道州制の前にやらなければならない事がある。平成九年北海道拓殖銀行が破綻した時の約束。行革で北海道開発庁の看板をおろす時の約束。全て反故になっている。国民の代表たる国会議員が、ノド元過ぎれば熱さ忘れるでは、積み重ねて来た約束事を守らずして何の為の政治か。しっかりしてほしいと願うものである。
 イラク米軍基地で爆発、米兵死者十九人と、大きな報道がある。一度の攻撃では最多の犠牲者で、サマーワにいる自衛隊の事が心配になる。国際貢献は勿論必要ではあるが、戦闘地域に派遣される自衛隊員の家族の不安な気持ちを察すると、自衛隊の海外派遣は災害時の緊急援助やPKOに限定してほしいものである。今の法律からも、アメリカに言われてイラクに自衛隊を出したり、多国籍軍に参加させるのでは無理がある。自衛隊の皆さんが国民に拍手され、堂々と任務につく事がより自衛隊の皆さんに名誉と誇りを与える事になると思うのだが。イケイケドンドンで最悪の事態が発生しない事を願うのみである。
 「凍る被災地 暖冬遠く」と書かれていたが、本格降雪の時期に入り、被災された方々の気持ちを考えると、重苦しい年末になる。自然災害とはいえ、政治にも関係する事である。今年これだけの台風、地震等の災害が頻発したのにも関わらず、国民の安心、安全面での予算が見えてこない。タテ割り行政を無くすと言っておきながら、メリハリのきいた姿にならないのは、やはり「官主導」「官僚政治」そのものということだろうか。
 国民と一番多く接し、国民に一番近いところにいる政治家から、「これでいいのか」というメッセージが聞こえてこないのは、淋しい事である。

2004年12月21日(火)

鈴 木 宗 男

 午前中函館市内挨拶廻り。選挙後函館市には四度目。多くの人が鈴木宗男を身近に感じてくれる。同時に一回、二回と会ってくれた人は、私を理解してくれる。
 午後の飛行機で札幌に戻る。松山千春さんも一緒になる。札幌市内を挨拶廻り。どこでも喜んでくれ、有難い。落選しても挨拶に来てくれるのは鈴木さんだけだとも言われる。
 平成八年 小選挙区制が導入されてから、衆議院議員の選挙民との接触は極端に少なくなったと言われる。参議院議員はもともと自分の組織、後援会を持っていないものだから、なお選挙民とのふれあい・交流はなかった。私は新しいハートトゥハート・フェイストゥフェイスの道を作っていきたい。
 青森県六ヶ所村で核燃料再処理ウラン試験始まると報じている。約一年間のウラン試験のあと、本物の使用済み核燃料を再処理する「アクティブ試験」を経て、2006年中にも本格操業に入りたいとの予定。核燃料については、広島・長崎の原爆被爆の悲しい経験から、日本は神経質、また被害者意識にとらわれがちだが、地球環境、温暖化防止の観点からも、核エネルギーがより安全で人類生存の上でどれほど必要なものか、良く考えてほしいものである。とりあえず試験が開始できた事は大きな一歩である。
 読売新聞の夕刊一面で、コスタリカへのODAで日本企業が架空領収書、約五万ドルと出ていたが、もっとしっかりチェックすると、より多くの同じ様な例が出てくるのではないか。NGOが外国でしか使えない無償資金を国内で使った例がある。誰も処分されない。公金の流用なのにどうして反応しないのか、不思議でならない。使途不明金 全額返還要求へとなっているが、尊い国民の税金を無駄にしてはいけない。ODAのみならず、NGO・NPO等、しっかり透明性のチェック機能を果たすべきである。
 ウクライナ大統領選やり直し、選挙討論会が開催され論戦 と、ニュースになっている。賢明な、最善、最良の審判を待つのみである。

2004年12月20日(月)

鈴 木 宗 男

 長万部町をスタートし、鹿部町に入る。役場、漁協、後援者の会社、自宅を訪問する。鹿部町は選挙後三度目であり、これだけ足を運ぶ政治家は私以外にいないと言われる。南茅部に入り、有志との懇談会。有力な人に集まってもらい、南茅部でも新しい動き、組織が立ち上がる。南茅部町は十二月一日から函館市に合併され、北海道では第一号の合併で、町の人は将来への不安を抱え、先行きを心配している。やはり政治の重み、価値を求めている。
 大野町に向かい、お世話になった主だったところを廻る。大野町も選挙後二回目で、よく足を運んでくれると喜んで下さる。
 函館市に入り、夜は松山千春さんのコンサートに駆けつける。千春スタイルのいつもの流れにファンは大喜び。最後は私もステージに上げていただき、思いのたけを話す機会を作ってくれた。千春の優しさ、思いやり、何よりも信念を持って生き続ける男気に感謝と感激。いつの日か「千春ありがとう。千春のお蔭だ」と言える時を、なんとしてもつくりたいと決意するものである。コンサート終了後は千春のメンバーと食事。今の政治、経済、今後について話しあう。今日も千春から勇気をもらった。
 来年度予算内示、「続く緊縮 負担は重く」といった論調の見出しが目に付く。予算は国民生活を守る最大の裏づけである。景気対策はどうか、社会保障はどうなっているのか、財政再建にウェートがおかれていないか、バランスが取れた予算かどうか、それぞれの立場でチェックしてほしいものである。残念ながら開発予算は前年度を下回る。北海道の一人負けといわれ、失業率が全国一とも言われる中で、本当に政治があるのかと疑うものである。

2004年12月19日(日)

鈴 木 宗 男

 丘珠空港から函館空港へ。函館市内で新しい人達による懇談会。大勢の人が集まってくれる。市内での新規開拓は大きな意味がある。とても有難い。上磯町の有志と今後の打ち合わせをして、八雲町落部に向かう。羅臼から声がかかっていたと言われ、やはり人間関係の大切さを感じながら、「さすが羅臼」と、しみじみ感謝する。
 夜は長万部町で「長万部ムネオ会」の発会をする。しっかりした良いメンバーに集まって頂き、新組織ができ、長万部町でも確実に輪が拡がっていることを実感する。選挙後長万部町に入ったのは二回目、選挙前を入れると三回目の長万部泊まりとなる。巡り合わせ、ご縁に感謝しながら、世話人の皆さんにお礼を申し上げる次第。
 来年度予算内示を控え、「予算総額いくらか」と各紙書いてある。歳出削減何%とか、地方交付税はいくら切り込むかとか、後ろ向きの事しか書かれていないが、国の将来に向けて、国づくりに何が必要か、大所高所の議論がほしいものである。政治は恵まれない人、立ち遅れた地方の為にある事を念頭に入れ、バランスの良い予算を作ってほしいものである。
 内閣府の世論調査で、中国に親しみを感じると答えた人が37.6%で前年より10.3%減、親しみを感じないと答えた人が10.2%増の58.2%と、過去最低の調査結果となったそうだ。隣の大国との関係をこの数字から判断すると、先々憂慮するものである。中国の最近の事件・発言を、日本人は冷静に且つ的確に受け止めていることが理解できる。中国側がどう反応してくるのか、様子を見たいものである。

2004年12月18日(土)

鈴 木 宗 男

 昨日の悪天候のため東京に戻れず、札幌で仕事。動けば動くほど忙しい日程になる。  夜は忘年会二つ、懐かしいお世話になった人達に会うとなんともいえない気持ちになる。  一生懸命応援してくれる心ある人達に感謝の気持ちで一杯。
 北海道警察幹部ら九十八人懲戒、裏金問題に注意含め三千人処分と報じられている。新聞各紙は幕引きは許されないとの社説、論調である。道警が去年来、正直に説明責任をはたしてきたか、今どれほど責任を感じているのか、もっと心に触れる対応をしてほしいものである。
 日韓首脳会談で「韓国大統領は対北朝鮮、冷静対応を言及、小泉首相が経済制裁に言及したのに答える形」と各紙書いているが、これも手の内をみせてやんわりと否定される形は、外交になってないと思う。同時にマスコミも「ただ慎重に」と韓国大統領が言った事を大きく扱っているが、おそらく前段があるはずだ。「日本の立場は理解するが」とか「日本の主張はわかる」とか、そういった大事なフレーズも一緒に載せてほしいものである。見出しで読者は判断してしまうのだから、より正確な報道をしてほしいものである。
 高松宮妃ご逝去という悲しいニュース。紀宮さまの婚約内定発表も延期、予期せぬ出来事が世の中、色々あるものだとしみじみ感じる。

2004年12月17日(金)

鈴 木 宗 男

 朝から吹雪模様。六時半に静内に向けて出発。日本軽種馬協会 荒木副会長のお母さんの告別式に出席の為。千歳までは高速も通行止め。しかし、日高に入ると晴れ間がのぞく。三時間かかって静内に到着。お参りをさせていただき、荒木副会長にご挨拶して失礼する。札幌に戻り後援会関係会合、十五時に赤平市に行き挨拶廻り。雪の中一軒一軒歩く。「行」をしている感じにもなる。試練の時、頑張っていくしかない。
 朝日新聞一面に「自民事務局長 迂回献金認める供述 日歯連議員名指し」と見出しに出ている。記事を読むと、日歯連前常任理事は「自民党本部に現金を持参し、元宿事務局長にあて先の議員を伝えた」と供述しているとされると書かれている。ここまではっきりしていて迂回献金がなかったと言えるのだろうか。今まで迂回献金はなかったと言っていた人が認めたことは、極めて重要且つ新事実である。国会答弁、また、自民党幹部の発言は正しかったのか。ここは国民にはっきりさせるべきである。ここに至っても、野党の声・野党の顔が見えてこないのは、やはり限界があるのだろうか。しっかりしてほしいものである。
 日歯連から診療報酬の件で依頼され、その見返りに献金を受けた事がなぜ事件にならないのだろうか。立件もせず、不起訴処分にすると書かれているが、これでいいのだろうか。与党も野党も国民の目線で見ていない。何が真実か明らかにするべきなのに、うやむやにしようとしている流れに流されている。嘆かわしい限りである。

2004年12月16日(木)

鈴 木 宗 男

 朝六時成田着。追い風の関係で約四時間のフライト。時刻表では四時間四十五分になっていたが、自然の力で短縮。
 十全事務所でお客さんとの対応。午後三時の飛行機で千歳へ向かう。雪の為高速道路が通行止めになり、JRで札幌へ。忘年会、例会に出席。初めての人も沢山いたが、気持ちよく接する事ができ、反応もよい。人に会う事、また、会わせてもらえれば私の人間性、人柄がわかってもらえるので、とにかく一人でも多くの人に会うことが一番である。
 北海道新幹線着工が政府与党で決定されたが、十年間で函館までの予定。一年でも早く共用できるようにしてほしいものである。三十五年来の悲願であるから。それにしてもここまでくるのに随分時間がかかったものである。

2004年12月15日(水)

鈴 木 宗 男

 一日中ハノイ市内、近郊で仕事をする。昨日も書いたが、バイク・自転車の波にベトナムの活力を感じる。それにしても車に向かってくるバイク、自転車に乗っている人の怖さ知らず、根性とも言うべき行動に、度肝を抜かれる。このエネルギーが、いずれベトナムを東南アジアのリーダーに持ち上げていくのではと予感する。
 村岡先生の初公判で、「全く関与していない」と起訴事実を全面否認し、無罪を主張と報道されている。村岡先生が、「出納責任者は野中氏」と語ったそうだが、瀧川さんの供述、調書にもとづいて検察は在宅起訴したわけだから、その方向に持っていった検察のやり方、シナリオ作りをしっかりと法廷で明らかにすべきだ。検察側は瀧川被告の証人尋問を申請し、採用されたとのことなので、ここは正直に真実を、検察のやり方を述べることが重要である。
 私の経験からも、検察は自分の作った流れ、シナリオにもとづいてやっていくので、事実・真実よりも最初に自分達の頭づくりがある。日歯で診療報酬の依頼を受け、その見返りに日歯から多額の政治資金を受け取った者がなぜ事件にならないのか。狙った者はつかまり、数が多いと手をつけない。東京佐川、金丸先生の時もそうだったが、正義とはほど遠いこのやり方を、国民の前ではっきりさせてほしいものだ。国策捜査の怖さをもっともっと考えていかなければ、大変な事になると心配するものである。
 夜中のハノイ発の飛行機で成田に向かう。あっという間の二日間だった。

2004年12月14日(火)

鈴 木 宗 男

 昨夜所用の為 成田を出発しハノイへ。四年ぶりの訪問だが、建築工事が沢山見受けられ、活気にあふれている。ハノイから約二百キロ離れた場所まで行ったが、ハノイに比べると相当なひらきがある。ベトナムでも都会と地方の格差は歴然としている。相変わらずの自転車とバイクが朝夕圧倒的に目に付くが、子供の頃を思い出し、懐かしくほほえましく思えた。新聞社の社会部長が選ぶ十大ニュースの一位に、中越地震が選ばれたと報道された。一位になるだけ被災者はどれほど大変かが伝わってくる。また、亡くなった人、被害にあった人に、改めて心からお見舞い申し上げるものである。
 電通の調査で、今年の話題・注目商品が発表されたが、一位は薄型TV。アテネオリンピックを機に売れたとのこと。二位は日本人メジャーリーガー。三位は小説映画「世界の中心で、愛をさけぶ」。これらをみると、なんと我が日本は平和な事かと、これでいいのかと自問自答するものである。

2004年12月13日(月)

鈴 木 宗 男

 朝から十全事務所で仕事。東京は小春日和のような天気で、昨日まで北海道にいた私は気温の差に驚きと戸惑いを感じる。この気温差が経済力の差にもつながっているように思う。ハンディを背負っている地方・地域に、政治が必要である事を考えていきたいものである。
 今年の世相を一文字で表す漢字に、「災」「韓」が選ばれたと報道されている。「災」は自然災害、台風、地震、人災とも言うべき悲惨な事件・事故を表しているとの説明があった。災い転じて福となすという言葉もある。新しい年に期待したいものである。
 「韓」はまさにペ・ヨンジュン効果の事で、「韓流」という言葉も生れた。ヨン様によるところが大きい、一昨年のワールドカップ以来の日韓の交流につながっている。
 私なりに考えることだが、政治が混乱してくると、自然災害も発生するようである。平成五年七月、自民党から離反者が出て、宮沢内閣不信任案が可決、解散となり、細川政権誕生。この選挙の最中、北海道南西沖地震で津波が発生し、奥尻島は大災害に見舞われた。平成七年一月、村山政権で阪神淡路大地震。村山政権も禁じ手を使ったと言われた自民党と社会党の連立政権だった。
 今年も数多くの台風、地震、悲惨な事件があった。世の中何かおかしくなっているのではないか。政治と密接に関係していることに、お互い気をつけていきたいものである。

2004年12月12日(日)

鈴 木 宗 男

 朝 帯広に向かい、お世話になった方のお見舞い。脳梗塞で倒れられ、手足が半分マヒし、言葉も出せない状態だが、私が行くとわかってくれたのか涙してくれる。手をふりながら数々の想い出が脳裏をかすめてくる。これからリハビリをしていくとのことで、少しでもよくなることを祈りつつ、病室を後にする。何人か知り合いの人が入院したり、ロビーにおられ、話をする。やはり帯広は独特の人情・人間関係が存在し、有難いものである。  午後の列車で札幌に出て滝川に行き、後援会の会合。沢山の人に集まっていただき、選挙のお礼を申し上げる。日歯の問題、三位一体、政局の動き等を話すと、皆私の考えに同意してくれる。政治不在をこの空知管内でも嘆いている。年末を控え、中小零細企業の痛みが伝わってくる。千歳からの最終便で上京する。
 横田めぐみさんの「遺骨」が偽物とわかり、拉致被害者の会、政治家から経済制裁の声が強くなっている。北朝鮮のやり方は言語道断、人間的でない。小泉総理が電撃的に二回訪朝したが、その国のトップが出て行くということは最高の外交カードを使ったのであるから、ここは小泉総理の毅然とした一言がほしいものである。問題解決につながる外交戦略・戦術を展開してほしい。
 中越地震から五十日、被災された方々に、改めて心からお見舞いを申し上げます。仮設住宅に移る為、川口町で避難生活していた人が体育館をきれいに掃除している姿がTVに映っていたが、「お世話になった場所ですから、最後はきれいにしていきたい」と語っていた言葉に感激する。人間忘れてはいけないもの、「一片の優しさ、思いやり、愛情、慈しみ」どんな状況でも持ち続ける事が大事だとつくづく感じてやまない。政治家は権力闘争、ねたみ、ひがみ、やっかみ、頭角をあらわしてくると足を引っ張る。何かしら心が狭いと見えてくる。少なくとも鈴木宗男は「一片の優しさ、思いやり、愛情、慈しみ」を持って生きてきたし、これからも生きていこうとしみじみ思う。

2004年12月11日(土)

鈴 木 宗 男

 朝から石狩管内当別町、新篠津村、空知管内北村、江別市を挨拶廻り。夕方は札幌市内でお見舞い、挨拶廻り。小雪が舞う中歩くのは久しぶりの事。北海道の感じがして懐かしい。冬の選挙を想い出しながら、一軒一軒廻らせていただく。札幌市立病院、北大病院、自衛隊札幌病院にお見舞いにいったが、ロビーでエレベーターの中で多くの人から「頑張って」「体は大丈夫ですか」と声をかけてもらう。また患者さんからも「自分も頑張りますから鈴木さんも頑張って」と励まされる。人の心に触れ感激。人生いろんなことがあるが、健康で生かされている事に改めて感謝し、世の為人の為という思いに駆られる。
 朝刊に「わいせつ先生 最多更新」と出ていたが、2003年度の公立校を文部科学省が調査した結果、196人の先生が処分されているとのこと。教える側の人間がこれではと、心配するものである。どうしてこの様な状況・状態になったのか。教育問題の基本として、しっかりした取り組みをし、この様な事故・事件が起きないようにしてほしいものである。教育基本法うんぬん言う前に、「人の道」としての先生のあり方を、十分詰めてほしいものだ。

2004年12月10日(金)

鈴 木 宗 男

 午前中札幌市内を廻り、その後事務所でお客さんとの面会等をこなす。午後から小樽市内挨拶回り。前回と今日で主だったところは廻り終える。小樽でも聞かされる言葉は「仕事がない」「景気が悪い」等の暗い話ばかり。政治を必要としているし、今の政治に失望している感じが伝わってくる。
 新防衛大綱が決定し、海外派遣・国際協力が本来任務に格上げになっているが、自衛隊の国際貢献は、災害等の緊急援助・PKOの人道支援を中心にやっていくだけで、日本の評価は得られる。戦闘状態の地域に出さない事をしっかり確認してやってほしいものである。  整備新幹線 政府与党で三線同時着工が決められたようだが、北海道にとっては三十年来の悲願であり、遅きに失したといってもいいだろう。一年でも早く完成させていただきたいものである。

2004年12月9日(木)

鈴 木 宗 男

 朝 野中先生と会って、政局、日歯の話等 種々話す。野中先生の情報と元気さに圧倒される。「さすが」と うならせる人である。
 十全事務所で仕事をこなし、十五時の飛行機で千歳に向かう。初めて全日空羽田の新ターミナルを利用したが、新しい構造で宇宙基地へ行ったような気分だ。時代は確実に動いている。
 札幌で有力後援者の集まる忘年会に出席。古くからご縁のある人が多数おられ、話が弾む。地方から来た人の中で参議院選挙を一生懸命やってくれた人もおり、お礼を申し上げる。一時間ほどで失礼し、列車で苫小牧に向かい、私の女性の組織である八重桜会の忘年会に出席。家内が先に行って挨拶をしてくれていたので助かる。家族同様の八重桜会の皆さんに心から感謝。振り返ると八重桜会の発足から五年になる。変わらぬ優しさ、心を持っているメンバーの皆さんに、ただただ感謝するものである。
 横田めぐみさんの遺骨がDNA鑑定の結果、全くの別人と判明。北朝鮮の非人道的な態度に唖然とするばかり。小泉首相の歯切れの悪いコメントにがっかりする。ここは意を決してものを言うべきではないのか。外交に戦術・戦略がない事を痛感する。
 イラク自衛隊の派遣 一年延長を決めたが、もし何かあったら誰が責任を取るのか明確にしてほしい。毅然とした、裂帛の気合のもとに自衛隊員は体を張って頑張っている事に、もっともっと評価と名誉と誇りを与えてあげるのが政治の責任である。
 ラムズフェルド米国防長官がクウェートの米軍キャンプを訪問した際、兵士から戦場の窮状を突きつけられ、答えに一瞬詰まったと報じられているが、厳しい状況の中にいる人達に対して十分な配慮が必要な事を物語っている。
 新防衛大綱と次期中期防衛力整備計画の要綱が決定されたが、それなりに防衛庁の意向が反映されており、よかったと思う。独立国として最低限の不測の事態に対しての体制だけは、しっかりとってもらいたいものである。

2004年12月8日(水)

鈴 木 宗 男

 朝 釧路からの一便で上京。阿寒湖畔はマイナスで寒かったが、東京は二十度近い気温。わずか千キロの差で随分環境は違うものである。午後から十全事務所で仕事。お客さん、週刊誌、雑誌関係者等 多数来てくれる。忙しい方が体に良い様だ。
 今朝の新聞は、曽我さん一家佐渡到着と、どの新聞も扱っている。「四人一緒安住の地に」と、本当によかったと国民が祝福している感じで書かれている。曽我さん一家の平安と、特に娘さん二人が早く日本になじむ様、心から祈るものである。同時に、横田めぐみさんはじめ、拉致被害者の一日も早い安否・消息を、北朝鮮からほしいものである。一方で喜び、一方に悲しい現実がある事をうらむものである。政府のより一層の努力を心から望みたい。
 昨日の新聞に、十五歳対象のOECD国際調査で日本の学力の低下が数字として出ている。数学応用力一位だったのに六位、読解力八位から十四位と、大幅なダウンである。人づくりの視点からも、国家百年の大計として、教育問題にしっかり取り組んでほしい。文科相が「学力低下傾向認識すべき」とのコメントを出しているが、これからどう教育問題と取り組んでいくのか指針を示してほしいものである。
 自民・公明幹事長のサマワ視察も、案の定評判が悪い。黙って行くだけでも、現地の状況が厳しい事を物語っているのではないか。自衛隊員の安全を第一に、慎重の上にも慎重に対処してほしいものである。
 GDP年0.2%増に下方修正と発表されたが、年末を控え、景気の動向は精神的にも大きな問題。働く機会を得られる様、政策展開をしてほしいものである。北海道は失業率も7%と言われる。北海道と沖縄が一番高く、一人負けとも言われているが、政治と密接な関係があり、その影響を大きく受けている。今何が必要かということを、多くの人が認識してほしいものである。

2004年12月7日(火)

鈴 木 宗 男

 午前中釧路市内で仕事をし、午後から阿寒湖畔での釧路・根室管内後援会役員会に出席。三日連続で阿寒湖畔、グランドホテル鶴雅さんにお世話になる。五日、六日の女性の集い、今日の役員会で、年内の釧根後援会の主な活動は終えた事になる。役員会でも改めて「どこまでも鈴木を支持していく」との決議を頂き、有難い限り。各地区の後援会報告もあり、とても有意義な会合になった。
 昨夜十一時過ぎ大きな地震があり、厚岸町、釧路町は震度五強、釧路市でも震度四、湖畔でも四くらいの揺れだった事だろう。十一月二十八日の地震も湖畔に泊まっている時であり、十日間で震度五から四の地震を二回も経験する事になったが、中越地方の皆さんは一日のうちに何十回も経験し、恐怖にあっているわけだから、どんなに驚き、びっくりした事だろうと、少ない経験からも本当に同情するものである。こちらの方は大きな被害もなく、けが人が何人か出た程度で済んでおり、ホッとした。
 北海道警察の裏金問題では、道議会議員に北海道新聞がアンケートをとったところ、半数近くが百条委員会に賛成と出ている。何故百条委員会を設置しないのか、百条委員会でしっかり議論する事を道民は期待していると思うのだが。道議会議員は賢明な判断をし、この問題をはっきりさせてほしいものである。北海道警察の将来の為にも、ここはうやむやに終わらせない方がいいと考える。
 防衛庁長官のサマワ視察に、マスコミの報道ぶりは「駆け足視察」「アリバイ作り」と批判的だ。与党幹事長も視察するそうだが、自衛隊のトップが行っているのに行く必要があるのかと言う声も出てくることだろう。付け焼刃的な流れをどう思うだろうか。とにかく自衛隊員が安全に職務を全うして、無事に帰ってくる事を願うのみである。

2004年12月6日(月)

鈴 木 宗 男

 大雪もおさまり今朝の阿寒湖畔は静かな雪化粧。本格的な冬の到来を感じる。
 湖畔挨拶回り。ここの小林会長さんは、大病を患ったり、奥様が急逝されたりと、大変にもかかわらず、私のことを心配してくれ、八十一歳とは思えない元気さと情熱を持って、後援会活動をしてくれる。有難い多くの人達のおかげで、政治活動できることをしみじみ感じる。
 大野防衛庁長官、駆け足視察。視察が一時間とか、滞在時間が五時間半とか、それで安全宣言、これでいいのかというニュースが流れる。命にかかわる重い任務についている自衛隊員のためにも、しっかりとした理解を得られる視察にしてほしいものだと思う。
 北海道警察の裏金問題で、道議会集中審議が行われたが、本部関与を再度否定と出ているが、監査報告書・本部長の記者会見等を総合的に判断すると、どうみても本部が知らない事はないだろうと言う声が沢山よせられる。私もそう考えるものだ。正直に事実を述べてほしいものである。
 夜は釧路市、白糠町、音別町、阿寒町の女性の集い。雪もあがり、皆さん予定通り出席してくれる。三回の集い、そろって「最後まで鈴木宗男と一緒」と決議してくれ、女性パワーの熱いお心に感謝するのみ。女性の存在感を十分知らされる十一月二十八日、十二月五日、六日の集いであった。感謝、感激。

2004年12月5日(日)

鈴 木 宗 男

 朝から雪。飛行機で丘珠空港から女満別空港に向かう予定だったが、欠航の可能性が高いと判断し、列車に切り替える。時間通り出発したが、途中雪と強風の為 五十分遅れになるが無事運行し、白糠駅で降りて阿寒湖畔での女性部の総会に間に合う。
 根室市、厚岸町、浜中町、弟子屈町、標茶町、釧路町の女性が雪の中集まってくれる。先週の中標津町、別海町、標津町、羅臼町に続いての会合である。熱心な後援会の人達の集まりであり、女性部の仲間意識、一途さに感謝の気持ちで一杯。「どんな事があっても鈴木で頑張る」と言ってくれ、有難い限りである。
 会場の阿寒グランドホテル鶴雅さんは、最初からお世話になっており、亡き先代、現会長、社長さんに心から感謝するものである。大西社長は今や、業界において全国にその名を知らしめる存在感のある人であり、従業員の接客態度、ホテルの質、料理、どれをとっても評価が高く、大西イズムとも言うべき 心に訴えてくるものを感じる。かけがえのない素晴らしい阿寒湖畔の財産となっている。人生の出会い、巡り合わせに、ただただ手を合わせるものである。
 北海道新聞に、 陸自幹部が改憲案 と出ている。中谷元代議士に「憲法草案」 とのタイトルがつけられ、陸上幕僚監部防衛部防衛課防衛班の二等陸佐の名前が書かれているとのこと。法務省幹部の指摘も載っていたが、物議を醸す事だろう。意見具申、勉強する事は必要であるが、お互いに分をわきまえてやる事が誤解を招かないと考える。
 大野防衛庁長官がサマワ視察を明らかにして出発したそうだが、外国の軍隊にサポートしてもらって視察する以上、静かに行った方がよかったのではないか。「安全確保上あまりにも非常識 多国籍軍が批判」と新聞が書いているが、やはり安全と言う面からも、外国のお世話になる以上、より考えた発言が指揮官・責任者としての取るべき姿ではないか。責任者が軽率だと、部下の「憲法草案」にも注意が出来なくなる。そんな悪循環が起きないよう、願うものである。
 自衛隊の海外派遣は、緊急災害時における人道救助、PKO等に限定してやることが大事である。国際貢献は必要だし、積極的にその責任は果たすべきだが、自衛隊が外に出る場合の一線は、しっかり守っていかなくてはならないと考えるものである。

2004年12月4日(土)

鈴 木 宗 男

 午前中 空知管内、三笠市、美唄市を挨拶回り。両市ともその昔は炭鉱でうるおったが今はその面影なし、歴史を感じる地域である。同時に政治を必要としている場所でもある。  歩きながら先人がどんな思いでこの地を離れていったのかと考えると複雑な気持ちになる。  その時、その時の価値観があるとは思うが、故郷を離れざるをえなかった人に同情するものである。
 ウクライナ大統領選挙は再選挙となったが、十一月三十日、プーチンロシア大統領とシュレーダードイツ首相の電話会談を行い『ウクライナ与党のヤヌクヴィッチ首相の当選を支持していたプーチン大統領が一転、野党陣営が求める再選挙を容認する姿勢を示した。  ロイター通信によるとドイツ政府は電話会談後「両首脳はウクライナの法と国民の意思に基づいた再選挙の結果は厳格に尊重されるべきだと言う考えで一致した」との声明を発した。声明はまた両首脳が「ウクライナの領土的統一」を保証する形での政治的解決を協議したとしており、双方は国論を二分する騒ぎに発展したウクライナの「分裂」をさけながら事態の収拾を図る必要があるとの認識でも一致した』(産経新聞十二月一日付)この様な流れの中での再選挙決定。私が以前ホームページでもふれたがドイツの大きな役割があったことがうかがいしれる。

2004年12月3日(金)

鈴 木 宗 男

 朝 事務所でお客さんとあい、羽田から千歳に向かう。砂川市内挨拶回り。夕方までお世話になった先を歩かせていただく。次に向けての動きをしてくれる人達に心から感謝するものである。夜は札幌で熱烈な支持者の例会。腹のすわっている仲間は頼もしく、有難い。熱心な仲間を一人でも増やしていく事が大事。
 昨日のパネルディスカッション「政治とカネ」今日の新聞は静かでよかった。日本経済新聞の囲み記事で久間総務会長の「政治家は寂しがり屋だから」との話が出ていたが、そのような受け止め方なら、賑やかにもう少し事実関係を明らかにしていくのも一つの方法かと、頭の体操をしていかなくてはならない。正直者が、努力した者が、頑張った者が馬鹿を見る社会にしてはいけない。
 今日で臨時国会閉幕。目玉の政治資金規正法改正案はどうなったのか。国民が一番注目し、期待していたテーマではなかっただろうか。イラク問題にしろ、政治とカネの問題にしろ、野党の追及の甘さで与党が助かっているとの見方が多く寄せられる。調査したが迂回献金はなかったとの答弁を、本当に正しいと思っている国民は少ないと思う。東京新聞の日歯事件のスクープを参考にしただけでも、もっと厳しい中身のある質疑が出来たはずだが、ここでも野党の存在感がなかったと多くの人が指摘している。同感である。
 瀧川さんの判決があったが、スピード決着に驚く。会計責任者が罪を問われ、代表者の監督責任に触れないのでは、瀧川さんが可哀想でならない。判決を見ていると、検察の外堀を埋めてくるやり方が見える。真実・事実よりも自分達のシナリオを作り、一旦逮捕したら何が何でも自分達の考えどおりに持って行くやり方が正義・公正といえるのだろうか。私の経験からしても、『歪んだ正義』という宮本さんの本を多くの人に読んでもらいたいものである。間違った正確でない、事実でない報道で世論が作られ、その流れの中で判断されたり、国策捜査をされたらたまったものではない。

2004年12月2日(木)

鈴 木 宗 男

 午前、午後、事務所で仕事。五日も東京にいないとお客さんとの面会、書類整理に忙しい。
 十四時半より「政治とカネ」パネルディスカッションに出席。日刊ゲンダイの二木編集長の司会で、ジャーナリスト魚住さん、朝日新聞の早野さん、東京新聞の杉谷さんがパネリストとして出席され、それぞれ含蓄のある話をされる。
 私に関しては、ホームページに載せている「指定献金」の話をする。マスコミでは迂回献金と表現するが、私の場合日歯とは異なる事で、平成六年政治資金規正法の改正により政治家の資金管理団体は一つ、企業献金・個人献金は金額も百五十万円までから五十万円までになり、従来からの支援者の中で従前と同じ額を応援したい場合は五十万円以上のお金は党の支部に出すように法律が変わったことを話す。平成十二年に更に法改正され、個人献金しか受け取れない事等をわかりやすく話す。
 平成研の一億円問題については、単純な記載漏れで、訂正すれば済んだのではないか、それよりも十一月二十七日の東京新聞朝刊の迂回献金の記事の方が問題ではないか、診療報酬に対して頼まれ動き、お金をもらっている人がいるにもかかわらず、なぜ問題にならないのか不思議だと話す。
 質疑応答もあったが、私がもっと何か暴露するのではないかと期待していた人達は、何か物足りないと感じたのではないか。私は、国民の税金を頂き、政党助成金があるのだから、企業献金・団体献金はやめるべきだと、また個人献金とパーティーまでならば国民の理解が得られるのではないかと話す。
 また、自民党ばかり「政治とカネ」については指摘されるが、労働組合の資金の透明性、野党議員との結びつきも指摘されていると話す。マスコミの皆さんは公平な観点からもこの事に手をつけるべきでないかと訴える。マスコミの報道先行で私は迷惑を受け、裁判する身になってしまったが、「世論に押されてやったが、世論に出たもので事件にする事は何もなかった」と私を調べた検事さんに言われた話をする。いずれにしろ、率直に話をさせてもらった。

2004年12月1日(水)

鈴 木 宗 男

 ニセコ町をスタートし、京極町、喜茂別町、留寿都村を廻り、千歳から上京。各地にいろんなご縁があり有難い。妹の子供と北大で同級生だとか、足寄にいとこがおり、六年も住んでいましたとか、本当に人生とはいろんな巡り合わせの中で生かされているとつくづく感じ、家族、故郷、友人、特に後援者の皆様に感謝するものである。
 明日の「政治とカネ」を考えるシンポジウムが水面下で話題になっている様だが、私の経験、認識を正直に答えるだけなのに、どうして話題になるのか不思議だ。報道先行とは怖いものである。一方的に一人歩きすると恐ろしい結果が出てくることを身をもって経験した者として、真実だけをしっかりと報道してほしいものである。


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