ムネオ日記
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2004年11月30日(火)

鈴 木 宗 男

 朝から後志管内の倶知安町、共和町、岩内町、寿都町、黒松内町、蘭越町、ニセコ町を回る。朝 雪が降っており心配したが、昼すぎから晴れてよかった。どの町でも心ある支援者から「次に向けて頑張ってほしい。我々も心から応援する」との有難い言葉を頂く。同時に今日も「仕事がない」「政治が身近に感じられない」「地方切捨てだ」「先行き不安だ」等、悩みを聞かされる。北海道の一人負けにどうしてなったのか。やっぱり政治がなかった結果につながる。私も含め、考えなくてはいけないことだとつくづく思う。
 昨日の地震で特別大きな被害がなくて安心した。それにしても自然の力は大きく、また、いつ来るかわからない予測不可能な自然の摂理としっかり向き合っていかなくてはならない。
 橋本元首相が政倫審に出席し、弁明。今日の説明で国民が納得してくれればよいが、逆に不信をもたれるとどうなるのか。明日からの報道に注目していきたい。
 昨日のニュース23で、また報道等で、私が民主党に呼ばれて村岡先生のスタイルで迂回献金の実態を証言するなどと言う話がまことしやかに出ているが、大きな間違いである。ジャーナリスト有志の皆さんが、「政治とカネ」の問題でシンポジウムを開くので、是非とも私に出席してほしいとのお話があったものだから、日程調整しているのである。報道先行でどれだけの人が迷惑していることか。この点を考えて、事実関係を明らかにしておきたい。間違った恣意的な話に誘導されるのはご免こうむりたい。
 早いもので、イラク復興に尽力された奥克彦大使と井上正盛一等書記官が殉職されて一年がたったが、この事件を形骸化させてはならない。命をかけて平和のために尽くされたお二人に心から敬意を表し、ご冥福をお祈りいたします。

2004年11月29日(月)

鈴 木 宗 男

 朝 阿寒湖畔を出発し、釧路空港から丘珠空港に向かう。
 丘珠上空にくると雪で着陸できず、千歳空港に降りる。釧路は晴れ、丘珠は雪、千歳は晴れ。何キロも離れていないのに、なんと自然は気まぐれなものか。同時に自然の摂理を尊び、感謝しなくてはならない。
 千歳から車で小樽に行き、小樽の後援者廻り。更に、余市町・古平町・積丹町を廻る。選挙後 後志管内を廻るのは初めてで、どこの町でも喜んでくれ、次はもっと頑張ると言っていただき有難い。どの町でも仕事がない、年越しが大変だと聞かされる。政治がないことを改めて感じる。元気の出る北海道にする為、私の役割があると確信する。
 高知県知事選挙、現職の橋本知事が当選し、自民党が公認した候補は敗北。党幹部は公認した以上、敗北の責任を明確にしてほしいものだと多くの人から意見が伝わってくる。結果責任が政治家にはあることを、お互い肝に命じていきたいものである。
 ロシアのロシュコフ駐日大使が北海道新聞のインタビューにこたえて「日本の歩みよりなければ領土解決は困難」と答えている。外交は相手があるわけだから、いつも言う様に相手の名誉と尊厳を尊重しながら、いかに自国の名誉と尊厳を主張するかが外交である。原理原則で片付くならばそれにこしたことはないが、四かゼロかの議論は生産性がない。外交の責任者は是非ともよくわかってほしいものである。

2004年11月28日(日)

鈴 木 宗 男

 朝 大和山さんの行事に出席。帯広から北見に向かう。網走管内後援会役員会。一審判決の経過を説明し、二審高裁で改めて真実を訴えることを話し、後援会からは、しっかり頑張ってほしいと激励を受ける。これで中選挙区時代の後援会説明は全て終える。後援会の皆さんは、私の人間性、政治家としての姿、考えをよくわかってくれ、励まされ、有難い。
 夕方 阿寒グランドホテル鶴雅で、根室内陸四町(中標津、別海、標津、羅臼町)の女性部の集い。大食堂を貸しきっての会合で、盛会裏に終える。女性のパワー・熱気に圧倒され、同時に力を頂き、巡り合わせ、出会いに感謝。この流れを広げていかなくてはならない。  いつも受け入れてくれる阿寒グランドホテル鶴雅さんに感謝。従業員の皆さんの心配り、サービスに全員が感激。これも、大西社長さんの思いが生かされている証と、私も勉強になる。
 小泉首相が中国ODAは卒業する時期を迎えていると発言しているが、中国が考えるべき事で、何も日本から言わなくてもいいと思う。そう考えるなら、日本がODAをやめればいいのだから。言葉の遊びは必要ないと考える。毎日新聞報道によると、首相の靖国参拝「明言せず」外相会談で事前に確認 首脳会談時に首相 胡主席に「慎重対処」表明 と書いてあったが、この通りだとすると、これまでの小泉首相の発言・姿勢を考えると、違和感を覚える。歴史認識、トップリーダーの言葉の重みを、それぞれ多くの人が考えていきたいものである。
 今日のサンデープロジェクトで、私のホームページに載っている「指定献金」の話が出たそうだが、私は事実を述べているのであり、何も問題はない。マスコミからの問い合わせもあるが、きちんと対応している。

2004年11月27日(土)

鈴 木 宗 男

 札幌で告別式に参列し、十時十六分の札幌発で帯広に行こうとJR札幌駅に行ったが、強風の為 朝から列車は運休。あわてて丘珠空港に向かい、釧路行きの便を手続きする。釧路空港も強風の為、着陸出来ない時は女満別に向かうとの条件つき。とにかく乗り込んで、後は天気にまかす。
 釧路空港上空に来てしばらく旋回、一度トライするが失敗。二度目のトライで無事着陸。それにしてもよくゆれた。
 車で帯広に向かい、十四時からの十勝総連合後援会の役員会に出席。第一審判決の経過、今後の対応について説明。それぞれ全て理解してくれ、「鈴木を信じているから頑張れ。最後まで鈴木を支持・支援していく」との、後援会の決議をしてもらう。後援会の絆、やさしさに感謝。故郷の後援会は有難いものだ。
 東京新聞朝刊に、「日歯連献金帳簿に自民二十議員の名前」と、一面トップに出ている。「日歯連の会計帳簿に実際の献金先として指定したとみられる二十人の同党国会議員の名前が記されていた事が明らかになった」と書かれている。詳細な一覧表も出ている。間違いなく「指定献金」の実態が記されている。このことを国民はどう見ているだろうか。これでも指定献金はないと思うだろうか。これからの流れに注目していこう。

2004年11月26日(金)

鈴 木 宗 男

 朝の飛行機で千歳へ向かう。空知管内長沼町、由仁町、栗山町、南幌町挨拶廻り。この四町は窓口、体制がとれていたので、票も出してくれた。次の闘いに向けて更なる組織の拡大を四町とも話してくれ、有難かった。
 北海道へ帰ってくると、北海道警察の裏金問題が地元紙で大きなスペースがとられている。退職した警察OBが、しかも方面本部長とか副署長等 幹部がテレビに出て、「裏金を知っていた」とやめてから認めるのなら、何故現役の時良心が働かなかったのか。去年の段階で芦刈道警本部長は、「不正はない」と答えているが、不思議でならない。多くの警察官は一生懸命職務を遂行しているが、今回の様な最終報告が出ると、まじめにやっている警察官はどう思うか。幹部の責任は重い。
 同時に、知事はこの問題について、いかほど真相解明に知事としてリーダーシップを発揮しただろうか。今になって「遺憾」「不十分」というのなら、去年のうちに言うべきでなかったか。それぞれ自己保身的発言で、生活感のない言葉で、道民はどう受け止めているだろうか。
 政府・与党で、「三位一体改革」大筋合意したが、「難問全て先送り」と、どの新聞・TVニュースも手厳しい。義務教育費は来秋の中央教育審議会の答申待ち。生活保護は国・地方で協議機関と、一年間の先送り。与党、政府、地方団体全ての顔を立てた結果と言えるだろう。最初から三兆円と言う枠の数字のつじつま合わせのような議論で、本当の改革と言えるのだろうか。歴史の検証を待たなければならないところだが、何か胸にストンと落ちる感じがないと思うのは、私一人ではないだろう。改革を実行する事は痛みも伴い、難しさもあるが、そこに政治のトップリーダーの決断が求められ、歴史が作られる事を期待するものである。

2004年11月25日(木)

鈴 木 宗 男

 朝 釧路からの一便で上京。昼過ぎに事務所に入り、お客さんとの対応。夜はロシア大使館でパノフ前駐日大使の出版パーティー、民間人との会合、仲間の国会議員との会合をこなす。
 ウクライナの大統領選挙で、親ロ派候補が勝った事で混乱が起きているが、早く落ち着いてほしいものである。地政学的にもロシア・欧州との政治経済関係でも、ウクライナの占める位置付けは重い。ポーランドのワレサ氏に仲介を依頼するという報道もあるが、ウクライナの現状を考えると、また、ロシアとの関係、ヨーロッパとの関係を考える時、ドイツの影響力、ドイツが仲介の労をとることによって、打開の道も開けるのではないかと考える。どこも報道しないが、私はドイツに注目している。
 今日の何紙かの社説に、日歯の一億円問題で、橋本元総理の説明責任、証人喚問に応じるべきだと書かれていた。ご本人が判断される事だが、国民に直接説明する事が一番だと思うものだが。いずれにせよ、一億円は大きなお金であるので、国民も興味・関心を持っている事だろう。

2004年11月24日(水)

鈴 木 宗 男

 午前中東京事務所で仕事をし、昼の飛行機で釧路へ向かう。一時間半遅れの出発になり、釧路管内後援会役員会に遅れてしまう。しかし役員の皆さんは一時間半も待っていてくれ、感謝に耐えない。
 十一月五日の判決について、ホームページに乗せたラインで内容を話し、高裁で真実を訴えていく事を説明する。弁護人側の証人が一人も採用されなかった事、法廷での証言が検察側に良い話は通り、弁護側に良い話はいかされなかった事、第二審で言うべき事、真実を明らかにするべくしっかり対応していく事を重ねて話す。後援会決議として「鈴木宗男が政治活動をする限り、支持・支援していく」との決定を頂く。改めて後援会の皆さんのお心に感謝する次第。私自身頑張らなければと、決意を新にする。
 夕方 釧路市選出の蝦名道議会議員のセミナーに講師として招かれ、一時間十分講演する。昨日東大の駒場祭の学生サークルにゲストとして呼ばれた事、小泉政権三年半の検証、一昨日の日露・日中首脳会談について、特に釧路根室管内の人の集まりなので、日露交渉の経緯、特に今年に入ってからのロシアのたび重なるシグナル・メッセージについて日本側がどうとらえていたか、何も発信していない事等話す。パノフ前駐日大使が出版した『雷のち晴れ』を紹介し、日露関係の歴史の検証の上でも一読に値する本である事を話す。
 地方の時代といいながら、地方切り捨ての現状に政治家の声が聞かれない、政治の何たるかは、立場の弱い人、恵まれない人、立ち遅れた地域・地方の為にある事、社会保障に政治があるならば、弱い人、立ち遅れた地域の為にも政治がある事を強調する。二十世紀はモノ優先で華麗な科学技術の発展の世紀だったが、二十一世紀は心の時代、自然との共生、自然の摂理を重んじる心、その心が家族愛、郷土愛、祖国愛につながると締めくくる。
 久しぶりの選挙区での講演に招いてくれた蝦名道議に、感謝するものである。同志というのは有難い。精神的つながり・ポリシーを共有できる仲間は、かけがえのないものである。

2004年11月23日(火)

鈴 木 宗 男

 十全ビルで仕事。午後、駒場祭での東京大学地方政治研究会によるパネルディスカッションに出席。地方分権、利益誘導、日歯の問題、昨日の日露・日中首脳会談と、多岐にわたる話題に、これまでホームページにも載せてきたラインに沿って、私の考え・見解を述べる。最初に私の生い立ち、政治家を志した理由などを話す。足寄町の事、松山千春さんとの出会い、中学一年生の時 国語の時間、作文で「将来政治家、国会議員になる」と書いたことなどを話す。小泉政権になって都会と地方、持てる人と持てない人、強者と弱者、溝が広がっている事、二十世紀はモノ優先できたが、二十一世紀は心の時代、自然の摂理に対する敬意・尊敬が郷土愛、祖国愛、家族愛にもつながっていく事などを話す。
 最後に、学生に向けてのメッセージをといわれたので、「今の若い人、学生さんは、明確な目的・目標を持っていないと感じる。是非とも『自分はこの道を歩む、自分はこの道で一生を送りたい』というものを持って、毎日を送ってほしい。特に、東大生の皆さんは、日本のリーダー、それぞれの道で日本の指導者になって社会に貢献するんだと言う意識を持って頑張ってほしい」と伝えた。これから私自身、どうするかと問われたので、「裁判は裁判としてしっかり対応しながら、与えられた環境で政治の道を歩んでいくし、夏の参議院選挙でいただいた五十万近い、尊く重い 人の心をしっかり受け止めて、国政選挙にチャレンジしていく」と答える。
 キャンパスを歩きながらも、「ムネオさんだ」「頑張って」と声をかけてもらったり、握手を求められたりと賑やかだった。パネルディスカッションが終わった後も、学生さんが沢山サインを求めてきたし、話を聞いて「ムネオさんに対する考えが変わりました」等と嬉しい有難い反応があり、良かった。私の場合、一人でも多くの人に会うことが一番のセールスポイントだと思う。伝統ある駒場祭に参加できて、自分の思いのたけも話すことが出来て、満足する。東京大学地方政治研究会の皆さん方に、感謝するものである。
 夜は内々のメンバーで、パノフ前駐日大使の出版記念夕食会。APECにおける日露首脳会談の評価や、今後の日露関係について話をする。人間関係、信頼関係が外交の基本だとつくづく感じたものだ。

2004年11月22日(月)

鈴 木 宗 男

 午前の飛行機で上京。札幌も良い天気だったが、東京は初夏の様な陽射し、気温で、やっぱり北海道とは随分違う。
 朝のニュースで、「日露首脳会談 領土問題進展なし 大統領の来日、三月以降で調整」と報じられている。心配していた結果、逆に言えば当然の結果なのかも。昨日のホームページ、またこれまで何回も書いてきたが、ロシア側のシグナルをしっかりと的確に受け止めていたのか、疑問を持つものだ。ロシア側からは様々なレベル、大統領に近い人達から日本へ向けてシグナルが発せられたが、日本からのクレムリンに向けてのシグナルはあっただろうか。この点まず情報の面で負けていたといえる。
 首脳会談で「愛知万博にロシアのマンモスの前評判が高いので、大統領の訪日が万博と絡めた形で行えれば日露友好に貢献する」と述べたと報道されているが、こんな振り付けを外務省がしたとするなら、あまりにも知恵がない。「俺をマンモスと一緒に扱うのか」という印象を持ったとするならば、話が進まないのではないか。また政府筋は、会談後記者団に「二月までは皇室などの予定で無理だと伝えてある」と語り(毎日新聞夕刊)とあるが、皇室、天皇様に関わる話を軽々にすべきでないと思う。この政府筋は、何を考えてこういう表現をしたのか、理解できない。
 これから考えなくてはいけない重要な事は、歴史認識の問題に気をつけなくてはならない。ロシア側は、日本の基本的立場は北方四島の日本への帰属確認であるということは十分理解したうえで、「2+2」もしくは「2+アルファ」のシグナルを送っている。
 ここで日本のとりうる対応は、二つしかない。
 第一は、四島の帰属が認められない以上、実質的な交渉は行われないという選択だ。ちなみに小泉首相は外務省の振り付けに従い、「四島の帰属の問題を解決し、平和条約を締結する」と繰り返しているが、「四島の帰属の問題を解決」というのは、「四島の日本への帰属を確認する」ということとは本質的に異なる。理論的には、「四島のロシアへの帰属を確認」「二島は日本への帰属、残り二島はロシアへの帰属を確認」しても、平和条約は締結できる事になる。東京宣言(一九九三年)至上主義の落とし穴は、「帰属の問題」はあくまで土俵で、具体的に島が誰のものになるかについて、何も決定していないという点が抜け落ちてしまう事である。プーチン大統領からすれば、十一年前の東京宣言の内容を繰り返すだけでは、小泉首相が政治家としてどのようなカードを考えているかが見えないのである。それを知りたいから、累次シグナルを送ってくるのである。
 日本が実質的な交渉を行う意思がないとプーチン大統領が決断した場合、ロシア側はこれまでの様なシグナルを送る事はやめ、巧妙に日本に対する責任転嫁論を展開する事だろう。「ロシア側は少なくとも、一九五六年、共同宣言の履行という妥協案を示したにも関わらず、日本が自らの要求を丸呑みしない限り、交渉にも応じないという姿勢をとった」更に、「過去の歴史認識についてファシズムの残滓があるからじゃないでしょうか。来年は対独戦勝六十周年記念なので、この機会に日本という国の本質をよく考えて見ましょう。日本はナチス・ドイツの同盟国だったのではないですか」というようなキャンペーンを、日露関係発展を望まない勢力が、欧州、中国、韓国などを巻き込んで巧妙に行ったらどうなるか。心配しすぎと思われるかもしれないが、生じうるキャンペーンに対する対応策をよく練る必要があると思う。
 第二の選択は、戦略的パートナーシップの基礎にたって、領土問題を解決するとの基本哲学には日本も賛成、日露間の関係を完全に正常化するためには、平和条約が必要というロシア側見解にも全面的に賛成、ただし日本としては四島の日本への帰属確認(四島の帰属確認ではない)が戦略的パートナーシップ構築のために不可欠と考えるので、この点については首脳間の真摯な交渉で突破口を見つけたいとして「何らの前提条件をつけずに」交渉に入るシナリオだ。いずれの選択をするかは外務官僚レベルで決められる問題ではなく、高度の政治決断の問題だと思う。
 いずれにしろ、シグナルを見誤るのではなく、正確に的確に受け止め、裂帛の気合をもって日露関係を進めてほしいものである。パノフ前大使の『雷のち晴れ 日露外交七年間の真実』を事務方もよく読んで検証して、外交は相手があること、情報戦で負けたら進まないこと等を踏まえ、国益優先で、その国益は、京都に行くにしても中仙道もあれば、東海道もある様に、富士山に登るにも山梨側もあれば静岡側もある様に、目的達成には何がベストの判断か、しっかり考えてやってほしいものである。
 日中首脳会談も行われ、マスコミの扱いは日露よりも日中にウェート・紙面も大きく割かれている。こうした微妙な差が外交を展開する人にも大きな影響を与えることを、マスコミ関係者も考えてほしいものだ。

2004年11月21日(日)

鈴 木 宗 男

 朝の便で広島空港から羽田へ。羽田で乗り継いで千歳へ。札幌事務所で午後から仕事をし、夜 大事な後援者の偲ぶ会とあわせての観楓会。盛大な催しだった。日中の札幌は暖かく、広島、東京とも変わりない感じだが、さすがに夜になると寒くなってくる。冬の到来は間違いなく近づいている。
 日米首脳会談で自衛隊のイラク派遣延長を示唆と各紙書いてあるが、日米首脳会談をすればアメリカの言いなり、アメリカ一辺倒の感じを今まで受けてきたが、今回も変わらない流れだったのか。命が関わる問題はしっかり国会論議をし、手続きをきちんと踏まえて決定すべきと思う。国際貢献は大事だし、世界に責任を持つ日本として当然果たすべき役割だが、こと生命に関する状況のイラクを考えると、慎重の上にも慎重を期して、手順を踏む事がより大事だと考える。
 イラクに派遣された自衛官の奥さんが、七月の選挙の時、私に次の様に言った事を今でも鮮明に覚えている。
 「主人は組織の一員ですから、上からの命令があれば従うし、任務を遂行するでしょう。しかし、残された私たち妻子供は心配でなりません。鈴木さん、危ないところには行かせないで下さい。幸いうちの主人は無事帰ってきましたが、仲間の奥さん方は毎日心配の日々を送っております」  この奥さんの思いを頭に入れて判断してほしいものである。
 日露首脳会談が延びて二十二日未明に行われるというが、今回の会談は来年予定されているプーチン大統領訪日との絡みのみならず、今後の日露関係を占う上での分水嶺となりうるものであるが、その点に関して日露間の認識ギャップが大きいと心配するものである。ロシアは本年二月から断続的にシグナルを送っているが、日本側はロシアの発するシグナルを正確に読み取れていないと思う。二月四日付け「イズヴェスチア」の「三島返還論」岩下明裕北海道大学スラブ研究センター教授の「ロシアは係争中の島々の三つを日本に返還する事になるかもしれない。しかし、最も大きな島はロシアに残る」というインタビューとそれに関係する解説を掲載した。

 八月十七日、ロシュコフ大使の神崎武法公明党代表への発言、八月二十一日付け北海道新聞朝刊に掲載されたインタビューで大使は「段階的アプローチは議論の進展に可能性をもたらす」と述べ、「二島+二島」か「二島+アルファ」を軸とする協議が今後の交渉のポイントになるとの見方を示した。四島一括の帰属確認を図る日本側の「川奈提案」について、「日本の基本的立場の焼き直しであり、譲歩案とはみなせない。譲歩とは(問題案で示された)返還時期の先送りではなく、国境を画定する上での譲歩であるべきだ」と主張した。ただ「交渉対象が四島である事はロシア側は明確に認識している」と説明、平和条約締結後の歯舞、色丹両島の日本引渡しを明示した五十六年宣言については「両国が問題解決に近づいた唯一の文書。当時のソ連最高会議にも批准されている」と述べ、問題解決の基本となることの認識を示した。
 十月初旬 プーチン大統領の側近、ヴィクトル イワノフ補佐官が約一週間訪日したが、十月六日イワノフ補佐官はロシア国営イタルタス通信社のインタビューに応じ、北方領土問題について「一連の会談で、日本側は十分に慎重ではあるが執拗に領土問題を取り上げた」と述べ、領土問題の解決に「いかなる具体的期限の認定についても書きこんではならない」「我々はこのテーマに関する会話から逃げないが、問題の解決は両国間の協力強化によってなされると考える」と強調している。「ヴィクトル イワノフ訪問の主要目的が北方領土に関する日本政治経済エリートの温度」に対する瀬踏みであったことが窺える。
 十一月十日発行のSAPIO誌に、駐日ロシア大使館のガルージン公使が意見広告の形で本格的論文「『露日外交』の課題と展望 プーチン大統領訪日を前に国交樹立五十周年で考えたい」を寄稿している。この中で日本側が四島返還路線を追求する事を牽制している。SAPIO誌の八十一ページに「極端で一方的な見解を相手に押し付けても問題解決の糸口は見えてこない事は、これまでの露日交渉の全歴史が示すとおりである。従って今年三月の大統領選でプーチンが圧倒的勝利を収めた後は、ロシア指導部が『大胆な政治決断』を行って、択捉、国後、色丹、歯舞四島を日本に渡す現実的可能性が現れたから、後は外交交渉によってとにかくモスクワの背中を押していけるかどうかにかかっている というような一部の日本の方々の発言は、現実的なアプローチを欠いているとすら言わざるを得ない。更にそこにはロシアが極力避けようとしている領土問題を解決しなくても、日本との関係を前進させる事が出来るというような印象をロシア側に与えることは許せないという論理まで加わっている。対話をそのような方向に持っていこうとする試みは、先に触れた露日関係のポジティブな動きを止めてしまいかねない」と書かれている。
 以上のことからわかるように、ロシアのラヴロフ外相のインタビュー、プーチン大統領の発言は、入念な情報発信に基づいてなされていると見るべきである。十一月十四日のラヴロフ外相インタビューで二島返還に言及しているのは、一九五六年日ソ共同宣言に関するロシア側解釈(日本側解釈では北方四島の帰属が確認されなかったので、平和条約が締結できなかったのであるから「それで終止符を打つこと」には合意していない)であって、現下プーチン大統領が二島返還での平和条約締結を提案したのではない。ロシア人は交渉上手であり、中東のバザールでの絨毯売買を想起すればよい。絨毯(平和条約)を買おうとするお客(ロシア)が最初に提示する値段(二島返還)が最終価格であるはずがない。ここから交渉が始まるのである。
 日本人にはこのロシア式交渉術が理解できていないと思う。十一月十五日付けインターファックスによると、ラヴロフインタビューに十五日付の閣議でプーチン大統領が「私はあなたのインタビューを見た。とてもよい(オーチン ハローショー)。我々の対外政策上の優先順位について展開されたカードを提示した事について、私はあなたに感謝する」と述べている。
 このことはラヴロフインタビューがプーチン大統領の意向をストレートに反映した事を示している。プーチン大統領はあえて「カードを提示した」と閣議で述べ、それを国際的に配信する事で小泉総理の反応を引き出そうとしているのである。これに対し、日本側がコメントに値しないとか、あくまで四島の帰属確認が先だなどと言っているのでは、あまりにも知恵がない、戦略がなっていないと思うのだが、いかがだろうか。
 外交には相手があり、一方の主張だけでは動かないし、進まない。情報(インテリジェンス)戦に負けないで、裏の裏をよく読んで、やってほしいものである。

2004年11月20日(土)

鈴 木 宗 男

 家内の実家でゆっくりさせて戴く。三年半ぶりのこの間の色々な出来事が脳裏をよぎり人生の変遷をしみじみ感じる。家内の親に迷惑をかけたことを申し訳なく思う。それでもお母さんはとっても喜んでくれ、もてなしてくれる。なんと有難い事か。午前中、お墓参りをし、島を一周する。大長港のそばに、権現様神社を参拝し、そばに吉田茂元首相のきごうによる佐々木鹿蔵の碑があり手を合わせる。戦後最初の参議院選挙(昭和二十二年)で広島選挙区から立候補し初当選、不幸なことに二十五年亡くなったのだが、その功績をたたえての記念碑で保利茂、永野重雄、永野譲 等そうそうたる人の名がきざまれている。
 家内と結婚するとき、父からよく、この佐々木先生のことを聞かされたものだ。家内の祖父と、いとこ同士という近い親戚関係であり、身近に感じていたものである。
 昼過ぎの船で竹原に出て、福山に行き私の秘書をしてくれた人の父親のお参りをして広島へ。
 夜は広島後援会の集まり、手作りの仲間内の後援会で和気あいあいの会合で私の考え、生き方を話し理解をしてもらう。私のおかれている現状にもかかわらず人が集まり、かつ支援してくれることは有難く、人のご縁に感謝するものである。
 奈良の女児殺害、報道から知る限りなんという猟奇事件だ。殺伐とした世相が、こうした事件をもたらしているのではないか。日本人として忘れてはならない心が失われている。それはもの優先できたつけが出ていると思う。いっぺんの優しさ、慈しみ、愛情、思いやり、人としてなすべきことを忘れていると思うのだが、いかがだろうか。

2004年11月19日(金)

鈴 木 宗 男

 午前中事務所で仕事。今日もお客さん、特に報道関係者が取材に来る。主に日露関係、日歯の問題について聞かれる。日露については、外交交渉の経緯をよく勉強してもらえば、私のやったことは政府方針となんら変わるものでない事を説明する。「パノフ大使の『雷のち晴れ』という本をお読みになったら参考になると思います」と伝える。
 日歯問題について、マスコミ関係者は迂回献金について聞いてくる。私の認識は、「相手が指定して党に振り込むわけだから、『指定献金』ではないか」と話す。私も善意の浄財を党を経由して受け取った事があるので、その辺の出来事も説明する。すると記者は、「日歯の場合診療報酬について依頼し、その上での指定献金だから、請託があり、それにあわせての献金ということで問題になるのでは」と言うので、「それは検察側に聞いたほうがいいのではないか」と答えておく。
 私のところにも、「五百万、一千万という大きなお金が、党を経由すれば問題にならないというのは、おかしいのではないか」という声が沢山来ている事も話す。また、「抵抗勢力、狙ったものは捕まえる。体制側、権力側に近いものはやらない。不公平ではないか」という意見も沢山あることを知らせる。すると記者は、「鈴木さんのやまりん事件は官房副長官のお祝いに来て、それが討伐に関して請託があった、しかも一度立件できなかったのに、贈った側は三年の時効が過ぎて、四年もたってからやってくるのは政治的意図は感じられませんでしたか」と聞かれたので、「あなた方報道が、鈴木ありきで悪いイメージを作り、事実でない話が一人歩きをして、私は迷惑を受けました」と厳しく言わせてもらった。私を調べた検察官が「世論に出たもので事件にするものは何一つなかった」と言ったことも付け加えておいた。
 また、「一億円という大きな小切手をもらい、間違いなく現金化されているのに、会計責任者だけが責任を取らされ、逮捕拘留。不記載ならば、政治団体の代表者の監督責任が問われないのはおかしいのではないか」といわれたので、私は「あなた方は私の場合、何でも鈴木ありきで報道したのに、日歯では中途半端な報道で、本当に国民が知りたがっている事を報道していますか」と逆におたずねした。私のホームページを見てくださる人はどうお考えか、どう思っておられるか、知らせていただければ幸いである。
 夕方 広島に入り、女房の実家にお参りに行く。三年半ぶりの訪問で、この間大変心配、迷惑をかけたことを仏様にお詫びしながら、同時に苦しく厳しい時、優しく見守り励ましてくれた母に心から感謝した。久しぶりの家内の実家でくつろぎ、ゆっくり出来て有難い。

2004年11月18日(木)

鈴 木 宗 男

 一日 東京事務所で仕事。今日もお客さん、マスコミ関係者、月刊誌の対談等 忙しかった。地元からも町長さん、後援会関係者も来てくれ、にぎやかだった。
 夕方、昨日に引き続き千春のコンサートに行き、千春に挨拶。途中で仲間の代議士の夕食会に顔を出し、また千春のところに戻る。今日も千春の熱唱は圧巻、感動ものだった。千春のアルバムに娘あてのサインをもらい、送る事にする。
 プーチン ロシア大統領の五十六年宣言、二島返還言及に関し、様々な報道があるが、過去の約束事、宣言、声明をよく検証し、国益の観点から判断してほしいものである。タイミングよく前駐日ロシア大使 アレクサンドル・パノフ氏の『雷のち晴れ 日露外交七年間の真実』が発刊された。まさに歴史の検証がなされている。日ロの間にどんな動き、流れ、背景があったか、詳しく書かれている。平成十四年、いわゆる外務省に関する「鈴木事件」も、正確に記述されている。何が真実か、よく鈴木がねじまげたと言われた二島先行返還論について、「平和条約の交渉プロセスに関与していた鈴木代議士、東郷和彦、佐藤優、更にはその他の日本の外交官達の誰一人として、ロシア外交官との個人的雑談を含め、いかなる時、いかなる場でも、歯舞・色丹 二島の対日返還だけで領土問題を解決することが出来るというような発言をしたことは一度もない。このことを私は一点の曇りもなく断言する事が出来る」と書かれている。
 エリツィン大統領、プーチン大統領のもとで、日ロ外交を担った人のこの記述を、勝手な判断で、何の裏づけも取らず一方的情報で私を批判した人達に、このパノフ大使の『雷のち晴れ 日露外交七年間の真実』を是非ともご一読願い、正しい報道を期待するものである。

2004年11月17日(水)

鈴 木 宗 男

 帯広行きの朝一番の飛行機で、池田町での告別式に参列。大変お世話になった方なので、ひたすら手を合わして、午後の飛行機で帰京。帯広は気温一度だったが、東京は暖かい。冬が近づけば近づくほど、自然との差、距離感を感じる。このことを政治家は考えなくてはならない。
 日歯事件に関して、村岡先生が民主党の会合に出席。出席したことに様々な反応があるが、本人の判断が一番だ。公に発言した事の重みを、多くの人がよく考えるべきだ。
 夜 松山千春さんのコンサートに行く。判決の翌日に会って色々話をしたばかりだが、今日のコンサートもいつもの松山スタイルで、お客さんとの一体感があり、特に最後の「大空と大地の中で」を皆なで一緒に歌い、ジーンときた。
 「大空と大地の中で」という歌は「足寄の歌だ、宗男さんの原点だ」といつも言ってくれる。昭和五十八年十二月の最初の選挙から、千春の応援をもらって当選する事が出来たが、遊説中でもよくこの歌を口ずさんでくれたものである。まさに「生きる事が辛いとか 苦しいだとか言う前に 野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ」 このフレーズの通りだと、自分に言い聞かせている。
 今夜は中越地震で被災された人達に「頑張ってくれよ、生きる事は尊いぞ」と熱くステージで語っていたが、被災民の方々に千春の想いは届いた事だろう。頑張って生きていく尊さを、私自身 歌から教えてもらったし、千春に励まされて今あるものだが。千春の優しさ、人間味を千春ファンは勿論わかっている事だが、私は今日もまた、千春に人生を、人としての道を教えてもらった。千春、ありがとう。

2004年11月16日(火)

鈴 木 宗 男

 一日 事務所で仕事。様々な立場の人が来てくれる。先生方、自治体の長、民間人、お客さんが多い事は有難い限りだ。
 アメリカの国務長官にライス大統領補佐官が起用されると報じられている。パウエル国務長官に続き、アーミテージ副長官も辞任と伝えられているが、力の外交に日本がどう向き合っていくのか。日米関係の重要性は当然だが、腹のすわった、日本の顔が見える外交を展開してほしいものだ。
 プーチン ロシア大統領が五十六年宣言を軸に二島返還を表明したが、従来からのロシアの考えであり、今回のプーチン大統領の発言で、これで終わりと考えるべきでない。ロシアのシグナル・メッセージを踏まえ、次のシナリオを考えていくのが戦略的外交だ。外交には相手がある。双方が信頼・理解しあってこそ正常な外交であり、日本の主張だけで進むものではない。同時に相手の主張だけで動くものでもない。過去の様々な約束、宣言、声明をしっかり踏まえて、日ロ関係の歴史的な前進を期待するものである。
 中国が領海侵犯を認めたが、これも今までにない中国の対応であり、遺憾の意を表明したことは一定の評価につながることだろう。それよりも前にも述べたが、日本の危機管理の面からも、何故総理にもっと早く情報が伝わらなかったのか明確な説明がない。こちらの方が問題ではないか。是非とも国民に説明してほしいものである。

 横田めぐみさんの写真が三枚公開されたが、ご両親はどんな思いでこの写真を見つめたかと考えると、胸が痛む。なんとも辛い、苦しい写真である。あってはならない事をした北朝鮮の行為を、厳しく指摘しなくてはならない。

2004年11月15日(月)

鈴 木 宗 男

 午前中 福井県後援会関係者挨拶回り。中には私のよく知っている北海道の羅臼、標津、稚内、札幌の水産関係者と経済活動をしている人もおり、人間関係の面白さをつくづく感じる。午後の飛行機で帰京。貴重な、有意義な福井の旅だった。
 夜はマスコミ関係者の勉強会で講師を務める。裁判になっている事件の経緯、国会における質疑、平成十四年当時のマスコミの報道ぶり、特に事実でない作り話的報道があったこと、私の考え等を話す。
 質疑応答で率直な質問が出たので、親切に答える。今日来てくれた人の中でも、事実関係をよく知らなかったり、国会におけるやりとりの中身よりもTV報道によって判断したりと、一方的な作られた流れで私を見ていた人が大半で、今日の私の話でそれぞれ問題意識を持ってくれた人もおり、良い勉強会だった。「世論に押されてやったが、世論に出たもので事件になるものは一つもなかった」と、取調べ中に言った検事の話を聞いて、最初から鈴木ありきの国策捜査であり、権力が働くと恐ろしいことになることを、識者の評論や雑誌に載っている表現などを紹介すると、多くの人がうなずいて聞いてくれた。
 日朝協議の代表団が帰国し、総理、拉致被害家族の皆さんに報告していたが、新しい話は出てこなかった。北朝鮮の対応は人間的であるかどうか。時間が過ぎてからの拉致問題への取り組みは、単に外務省 一役所の責任ではなく、政府全体、マスコミも含めて国としての関心はどうであったか。このこともしっかり反省・検証しなくてはならないのではないか。拉致被害家族の皆さんの胸中を推しはかる時、本当に可哀想だという気持ちより、国民の一人として申し訳ないという思いで一杯だ。

2004年11月14日(日)

鈴 木 宗 男

 紀宮様のご婚約内定、お相手が決まると朝日新聞が報じており、TVが続報をしている。暗いニュースの中での明るいおめでたいお話に、有難い限りだ。皇室のご慶事は格別の重みがある。
 朝の飛行機で小松に向かい、福井市での結婚披露宴に出席。官房副長官、知事、県会議長、県商工会議所会頭、県商工会会長等多様な顔ぶれで、三百人を超える大きな披露宴だった。新郎は私の事務所で一年手伝ってくれたご縁もあり、お父さんとは長いご厚誼を戴いており、家族ぐるみの付き合いで、親戚の者が結婚する様な感じでとっても嬉しかった。新郎は千春のファンなので、最後「友よ」「大空と大地の中で」が流れて感激した。
 各テーブルを回ると「頑張って」「権力に負けないで」「先生必ず国政に復帰して下さい」と激励を受ける。写真、サインで大忙しだった。嬉しい、有難い人の心に触れ、感謝の気持ちで一杯だ。約四時間近い披露宴だったが、時間を忘れる位の楽しい有意義な時を過ごす事が出来た。
 夜は福井後援会関係者と会食。福井でも支援してくれる人がたくさんいることに勇気づけられる。福井で世話をしてくれる伊藤さん親子に、ただただ感謝するのみである。人生出会い、ご縁、巡り合わせを感じながら、三十年になる人間関係の重さ、尊さ、絆を深く感じる一日であった。

2004年11月13日(土)

鈴 木 宗 男

 朝早くに留萌市議会議員の弔問に留萌に行く。それから留萌管内羽幌町の北留萌漁業協同組合に行き、砂利運搬船と衝突し沈没、一人が死亡、三人が行方不明となった事故のお見舞いを申し上げ、苫前町の漁組支所に行く。同じくお見舞いを申し上げる。
 その後第55末広丸に乗っており、亡くなった人、行方不明の人のそれぞれ自宅を訪ね、心からの弔意、お見舞いを申し上げ、一日も早く三人が見つかる事を願っている事を話す。
 今朝の日本海からの風は冷たく、何か行方不明の人が泣いている様な気がして、とても切なくなる。不幸な事故に、関係者の皆さんに、心から手を合わせるものである。
 今朝の新聞によると、海上警備行動について「原潜は十日午前五時四十八分、日本領海に入った。海自は直後に海上警備行動の発令を防衛庁内局に要請。同六時十分には、官邸連絡室が設置された。しかし発令手続きは細田博之官房長官と二橋正弘官房副長官のところで止まり、小泉純一郎首相に承認をもとめたのは、原潜が領海を出たあとになってからだった」と書かれてある。あまりにルーズと言うか、危機感がないと言うか、お粗末な危機管理対応ではないか。自衛隊の最高指揮権は総理にある。何故総理にすぐ報告しなかったのか。海上警備行動を発令しておきながら、みすみす取り逃がすやり方は前回の北朝鮮の時もそうだったが、ただ追尾して何になるのか。細田官房長官と二橋官房副長官は、何ゆえ総理にすぐ報告しなかったのか。その辺の事実関係を国民に明らかにしてほしいものである。緊張感を持ってやってほしいものである。
 午後から札幌に戻り、雑誌のインタビュー等をこなす。夜は後援会の会合を一つやり、最終便で上京。

2004年11月12日(金)

鈴 木 宗 男

 朝 大坂みつよさんの出棺見送りをして中標津空港に向かい、丘珠着。札幌事務所に入り、午後から千歳市の後援会回り。選挙後初めてなので、皆さん喜んでくれる。初めての人もおり、驚いたりびっくりしたり、写メール撮ったりと賑やかだった。何よりも嬉しかったのは、次への期待感を皆さん持ってくれ、こちらが励まされた事だった。間違いなく仲間が増えている事を実感する。夜 二つほど後援会の会合を行う。和気あいあい、賑やかなうちに「絆」を感じながら、より鈴木宗男をわかってくれたと思う。
 GDP伸び率 年率0.3%に鈍化と出ていたが、北海道は仕事がないからもっと低く、マイナス成長の実態ではないか。地域差、特に北海道の一人負けの状態を何とか打破しなくてはと、政治力を発揮してほしいと心から願っているのが北海道民の声だ。是非ともバッヂをつけている人に頑張って欲しいと期待しているが、答えが出ていないのが現実の姿だ。あらためて政治を必要としている地域・場所があることを強調したい。

2004年11月11日(木)

鈴 木 宗 男

 午前中 札幌事務所で仕事。昼の便で丘珠空港から釧路へ。車で中標津に行き、根室管内内陸四町後援会役員会。判決までの経過、判決の内容を説明し、私の考えを述べる。五日にホームページにコメントした内容を話し、理解を得る。後援会としては、鈴木が政治活動をする限り、断固支持してゆくと決議してくれる。根室管内の後援会の結束力・絆に感激。新しい同志も多数出席してくれ、有難かった。
 夕方 根室市後援会の役員会。ここでも私から経過説明をし、後援会の理解を得る。根室市後援会でも、内陸四町と同じ様な決議をして頂く。後援会役員のお心に、ただただ感謝の一日だった。
 夜は根室漁組組合長の大坂さんのお母さんのお通夜に出席。九十五歳の人生を全うした肝っ玉カアさん、大坂のカアさんだった。根室の置かれている現状、政治の必要性を、お通夜に出ながらもしみじみと感じる。何かしてやらなくては、の感を深くする。
 パレスチナのアラファト議長死去のニュース。ノーベル平和賞も受賞したアラファト議長だが、パレスチナ和平はいまだ実現していない。この問題の難しさをしみじみ感じる。私も五回ほどアラファト議長と会見・会談したが、その時、テロも自制、特に自爆テロはいけないと強く訴えたが、今となっては懐かしく、想い出深い出来事である。アラファト議長のご冥福を心から祈り、中東和平の一日も早からん事を願うのみである。

2004年11月10日(水)

鈴 木 宗 男

 朝から東京事務所で仕事。夕方札幌へ向かい、後援会との会合。皆さん励ましてくれる。私と最近になって付き合い始めた人でも「この事件はおかしいですね」と聞いてくる。「是非とも真実を明らかにして下さい」といわれる。しっかり対応していこう。
 沖縄海域で海上警備行動を発令、工作船以来二度目と大きく報道されているが、今回も工作船の時も逃げられてしまっている。大きな決断をしたなら、やはり結果を出してほしいものである。ただ逃げられて、それで終わりですではなんともしまりのない話と考えるのだが。工作船の時、私は官房副長官で官邸におり、緊迫した空気につつまれていたことを想い出す。あれから五年もたつのかと、今回の件で時の重さ、変化をしみじみ感じる。
 新潟中越地方ではいまだ強い余震が頻繁に起きている。被災者の皆さんは、これから冬に向かい、どんなにか心配や辛い想いをしているかと考えると、申し訳ない気持ちになる。シャツやタオル、靴下等、とりあえずの救援物資は送らせて頂いたが、もどかしさを感じるものである。

2004年11月9日(火)

鈴 木 宗 男

 終日 十全事務所で仕事。お客さんも多く、忙しい。お昼、心配してくれる先生方と昼食。有難い事だ。
 アメリカ軍がファルージャ総攻撃と報道されているが、ブッシュ大統領再選の最初の仕事がこれでは悲しい。人の命は重く尊い。武装勢力を掃討するのに、関係ない市民が巻き添えになる事は避けてほしい。どこで区別をつけられるかという声もあろうが、忍耐に忍耐を重ねて対処するのも軍人の心構えであってほしい。
 日歯連の吉田幸弘氏の初公判が始まったが、意外と静かなTV・新聞の扱いだった。日歯の件では私の所にも様々な意見が届けられる。「一億円貰って何のおとがめもないのに、どうして鈴木さんはつかまったのか」とか、「狙われたらどうにもならないのか。悪い事をしてもマスコミが騒がないとセーフか」とか、「どうも世の中不条理、不公平、偏見で動いているのでないか」「正直者が馬鹿を見る世の中では困る」とか、私の心に触れる話が数多く寄せられる。心ある人の声を大切にして生きていこう。
 野中先生から夜電話があり、朝日新聞の記事に怒っていた。十一月五日夕刊 十八面で、
 野中氏「もういい」 という見出しがあったが、「言ってもいない事を書いてある」と話されていた。この欄で岩田清隆記者の署名記事で、集金の「からくり」解明 とあったが、私は官製談合の実態も知らないし、私から政治資金を要求した事はない。その事は一貫して私は話をしている。私のホームページでも書いたが、言ってもない、事実でない事が報道される事は、読者に間違った印象・イメージを与え、正当な評価がされなくなる。公正・公平の面からも、良識を持ってやってほしい。野中先生の電話を聞きながら、あらためて感じたものだ。

2004年11月8日(月)

鈴 木 宗 男

 午前中 阿寒湖畔後援会役員に挨拶回り。死ぬまで鈴木だと言って下さり、感激。十一時から釧路市後援会役員会。判決の経緯を説明し、私の考えを話す。皆さん納得して下さり、最後まで信念を貫いて頑張れと言ってくれる。改めて後援会の重み、人間味に感謝する。地元に帰ってきて、判決に対する道内紙を拝見すると、それぞれの人のコメントが載っている。五日付け北海道新聞夕刊で、沖縄の稲嶺知事は「在沖縄海兵隊の実弾砲撃演習を自らの地元(北海道)に受け入れるなど、沖縄の問題に取り組んでくれたことを考えると、複雑な気持ちだ」とのコメントがある。十分に配慮されたお話と思う。小泉総理も判決後の取材で「控訴されたようですから発言はまだ控えた方がいい」と答えている。法律をわきまえての穏当なコメントと思う。
 それに比べると民主党の鉢呂国対委員長は「判決は当然だ。まさに政官癒着の汚職事件。判決を重く受け止め、一審で刑に服する事を求める。政治活動を引退、停止するべきだ」と語っている。鉢呂議員に言いたい。いつもは憲法守れと言っている者が、日本は三審制度であることを忘れたのかと。私は賄賂を貰った事も請託を受けた事もないので、無罪を主張しているのだ。勘違いしないでほしい。労働組合丸抱えの議員が多い民主党の議員には言われたくない。あなたの推した信田氏はじめ、多くの民主党議員が選挙違反で裁判しているではないか。それぞれ自分達の主張をして、訴えているのではないか。最終判決が出るまで、誰も白だ黒だといえないだろう。人のふり見て我がふり直せと申し上げたい。  北海道の高橋知事も「政治への信頼と言う観点から見ると、あってはならない事であり、大変残念」とコメントされているが、事実をよく知って話をしたのか疑わしい。
 何人も法の前での平等が保障されている。私は正直に生きてきたし、やましい事、よこしまな事はしていない。真実を求めて闘っていくのでご理解を賜りたいと、心からお願いするものである。

2004年11月7日(日)

鈴 木 宗 男

 午前中 札幌事務所でお客さんの対応、雑誌のインタビュー。昼の飛行機で丘珠から釧路へ。十五時より地元報道陣に記者会見、私の考え、判決に対する思い、今後の事について話す。  マスコミ報道ではあまり伝えられていないが、裁判所の認定の中でも客観的な部分もあった。(1)鈴木宗男が賄賂を要求した事はない (2)要職を歴任して国政に対する貢献が認められる (3)国民に政治不信を招いた事自体に関して謝罪の意思を示している との認定を裁判所がした事は、公正であったと思う。しかし、私が国民に政治不信を招いた事自体に関しては謝罪の意思を示しているにもかかわらず、裁判所が「反省の情は皆無」と述べているのは矛盾していると思う。私は賄賂はもらっていないし、国会でも嘘はついていない。やっていない事をやっていると呑み込む事は正義に反するので、これからも事実を淡々と述べて行く。
 検察は、はじめから鈴木宗男ありきの国策捜査を行い、裁判所は検察側のシナリオに即した証言や供述だけを重視した。二年以内に一審判決を行うというタイムスケジュールが最優先され、弁護人申請した証人が一人も採用されないという異常な状況での裁判であったことを説明すると、多くの人はわかってくれる。
 夜は足寄後援会役員との懇談会。判決の日、十勝総連合後援会幹事長の斎藤健司さんが「こういう時は故郷に帰ってきなさい」と言われ、今日の会合となったが、故郷の皆さんは優しい温かい心で、どこまでも鈴木宗男を信じていると言ってくれる。感謝と感激で一杯。鈴木宗男の人間性は、生れた時から私の生き様を知っている足寄の人が正しい評価・判断をしてくれている。少し落ち込んだ気持ちを故郷の皆さんが支えてくれた。故郷の為にも私自身、心を鬼にして頑張らなくてはいけない。
 今日のラジオでも松山千春君が「正直に法廷で話したら、『反省の情皆無』と言うのはおかしいのではないか」と言ってくれたが、足寄人は日本一広い面積を有し、日本一広い心の持ち主の集まりである事を誇りに思う。堂々と真実を主張して行こう。故郷は有難きかな。

2004年11月6日(土)

鈴 木 宗 男

 昨日の判決について、TVや新聞がそれぞれ報じている。裁判長が座れと言っても座らなかったとか、返事がなかったとか、事実でないいい加減なTV報道があった。昨日朝 自宅を出る時、TBSのインタビューに「淡々と臨みます」と私が答えたと出ていたが、TBSのインタビューは受けていないし、私自身どこの社にも答えていない。どうしてこうした作り話がTVに出てくるのか。
 辻真記者よ、私のことを言う前に、あなたのしていること、あなたの仲間のやっていることにぜひともこたえてもらいたい。TBSだけでなく他の局にも言えることだが、間違った報道によって、人の印象、イメージ、見た人の受けとめ方が大きく影響され、時にはとんでもない方向に向かっていくものだと言うことを。
 二年前ムネオ疑惑として、ムネオハウス、北方四島ディーゼル発電、国後桟橋、艀、アフリカODAに関するケニア ソンドゥ・ミリウダム、私設秘書ジョン・ムウェテ・ムルアカの身分問題と様々報じられたが、私に関して報道されたもので、今裁判しているもの、事件になっているものはない。しかし、こうした世論によって国民が鈴木は悪いやつだというムードになり、捜査が動き出したというなら、恐ろしいことだ。恣意的に意図的に狙い撃ちされたらたまったものではない。マスコミは正確に事実だけを報道してほしいと心からお願いするものである。
 「国策捜査に負けるな」「外務省の改革はどうなった」「権力と闘え」と、様々な励ましの電話やファックスが沢山舞い込む。感謝の気持ちで一杯だ。選挙区北海道の後援会の皆様は勿論、全国の心ある後援者にただただ手を合わせるのみである。しっかり頑張っていこう。
 私事だが、今回の判決でも家族はしっかりと私を支えてくれている。家内の存在、三人の子供達も冷静に、そして先を見つめて対応・判断してくれている。最強の家族の絆を噛み締めながら、頑張っていこう。

2004年11月5日(金)

鈴 木 宗 男

 第一審の判決、十時から始まり懲役二年の実刑判決。淡々と受けとめるものである。即日控訴し、高裁で更に真実を訴えていくことにする。
 判決後の私のコメントでも触れたが、検察官の主張・流れに沿った事実認定をしての有罪であるが、二年前検察は外務省の件で立件すべく捜査していた。友好の家、偽計業務妨害で私の秘書を逮捕し、更には外務省の佐藤優主任分析官を逮捕。それらで私を逮捕しようとしたが、何も出てこなかった。北方四島における三井物産のディーゼル発電入札に関しても、これで鈴木が捕まると報道されたが、できない。完全な見込み違いでスタートした、最初から鈴木宗男ありきの国策捜査であった。私を調べた検事も、「世論に押されてやったが、世論に出たもので事件にするものは何一つなかった」と語ったものである。
 挙句の果てに、かつて検察が立件を断念したやまりん事件を引っ張り出して、まさに別件逮捕的手法で私の身柄を拘束し、その間に何か出てくるだろうとのシナリオだったと思うが、外務省がらみでは何もなく、島田建設にからむあっせん収賄とか議院証言法違反、政治資金規正法違反とやってきたが、この検察のやり方は暴走する検察、国策捜査の何ものでもないと思う。
 検察イコール正義という意識を一般的には持ちがちだが、実際東京地検に呼ばれた人の話を聞くと、一方的な押し付け、自分達の思い込みで調書を取っていくやり方だったそうだ。地方の人は東京地検と聞くだけで、萎縮してしまい、十分な話もできない。また、官製談合に身の覚えのる人は、そっちに飛び火しても困るので、検察の言いなりの調書になってしまうと話す人もいた。いずれにしろ、法治国家日本である。堂々と真実を語り、主張して参りたい。
 『歪んだ正義』という本の中で、「大阪高検公安部長の三井環が、調査活動費が検事正の個人的な遊興費など私的に流用されていると告発すると、突然の逮捕になった。この問題はその後、検察ファッショなどと批判される事になったが、『あんまり三井事件で検察庁を叩くと、鈴木宗男事件の捜査情報が入りませんよ。わかっていますね』これを聞いたとき、検察の思い上がりを嫌と言うほど痛感しました。その幹部は将来の検事総長候補だと言う(P89−P90の中で)」
 以上のようなくだりがある。
 この本を検察は告発したとか訂正を求めたとは聞いていないので、事実なのだろう。いずれにしろ、堂々と真実を述べ、闘って参りたい。

2004年11月4日(木)

鈴 木 宗 男

 午前中病院で、胃がん手術から一年後の検診を受ける。胃カメラをのみ、採血をして検査してもらう。内視鏡検査も全く異常なしと言われ、安堵する。胃カメラの写真を見せてもらったがきれいなもので、素人目から見ても疑いの余地は全然ない。一年間の重みを感じながら、良いお医者さんに巡り合えたことに感謝の気持ちで一杯だ。
 アメリカ大統領選挙は二日がかりでブッシュ大統領の再選が決定したが、対立候補のケリー民主党候補者がブッシュ大統領に電話して敗北宣言をし、それを受けてブッシュ大統領が勝利宣言するという姿・形は、フェアプレー精神であろう。それにしても米大統領選挙で敗北宣言が投開票日の翌日にずれ込んだのは、一九六〇年のケネディー・ニクソン以来と言うのだから、歴史に残る選挙であったことに間違いない。
 新潟中越でまた震度五強の地震、被災された方々の心配・不安を考えると、本当に大変な心境だろう。山古志村の状態は日に日に水没していく。人は避難したが、残された牛はどうなったか。昨日ヘリコプターで六十頭近く運んだが、今日はどうだったのだろうか。自然の力に追いつかないもどかしさを感じる。
 明日は第一審判決。淡々と、淡々と臨む。

2004年11月3日(水)

鈴 木 宗 男

 文化の日、永年の努力が認められ叙勲の栄によくした方々に、心から敬意を表したい。同時に奥様、ご家族の協力あっての賜なので、内助の功にも拍手を送りたい。
 昨日、プロ野球五十年ぶり新球団「楽天」の新規参入が認められたが、より魅力あるチームをつくり、野球界全体のプラスになる様頑張ってほしいものである。認められなかったライブドアは堀江社長のスタイル、仕事内容で最初から駄目な様な報道が目立った気がする。プロ野球進出と全く関係ない処で予見をはさむ様な報道がされていたが、フェアでない気がした。私の場合も、マスコミからありもしない話を流され迷惑したが、堀江社長も忸怩たる思いをしているのでないか。同時に、楽天の三木谷社長の印象の良い対応も評価しなくてはいけないと思う。
 民主党の都築議員辞職願、連座制が適用されたものだが、きれい事を言い、いつも批判している民主党が選挙違反で辞任するのがもう年中行事のようになっているが、これから更に宮城県仙台市を選挙区とする二人も同じ様に問われているので、注目していこう。山梨県教組選挙資金問題も、各組合はどこでもやっていると私の所に情報提供してくる人もいる。参議院比例選で、北海道を地盤として立候補した候補者の中心的組織の農民連盟は、多くの人が逮捕されている。こうした実態を、国民はよくわかってほしいと思う。
 米大統領選挙は大接戦になり、今日中の勝利宣言はなかった。夜中のニュースでケリー候補の敗北宣言、そしてブッシュ大統領の勝利宣言と大きく動いた。ブッシュ大統領の再選が決定したわけだが、世界のトップリーダーとして、更に世界平和の為に尽力してほしいものだ。

2004年11月2日(火)

鈴 木 宗 男

 朝 函館空港からの一便で上京。北海道は雪化粧の便りがきかれるが、やっぱり東京は暖かい。昨夕の江差での会合で、江差追分の先生が、正調江差追分を披露してくれ感激したが、江差追分は江差の貴重な尊い文化であり、これを伝えていくためにも、町に記念碑を建てたり、旅行者がスイッチを押すと江差追分が流れてくるなり、身近な民謡としての工夫が必要ではないか。歴史的文化・遺産を活かしてこそ、町づくり、町の発展があるのだと思うのだが。
 米プロバスケットボールNBAフェニックス・サンズの田臥選手が開幕メンバーに登録されたと大きく報じられている。大男ぞろいの中で、173cmの日本人選手がプレーするのはビッグニュースだ。田臥選手の活躍に期待したい。「頑張れ田臥!」と、声援を送るものである。
 日本プロ野球連盟では、楽天がパ・リーグに新規参入することが決まったが、是非プロ野球を盛り上げて欲しい。田臥選手にしろ楽天にしろ明るいニュースであり、暗い中での光明である。
 さあ、アメリカ大統領選挙の投票が始まった。明日の結果に注目しよう。

 今日の北海道新聞・30面に「問う 鈴木宗男判決を前に<上>」ノンフィクションライター・魚住昭さんの記事が載っておりますので、引用させていただきます。

■見込み違い
鈴木宗男被告や秘書らをめぐる一連の事件で、検察のやり方は、国策捜査そのものでした。真実の探求より、あらかじめ狙いを決めた対象の摘発を優先する傾向は、一九九六年の住専事件から顕著ですが、それが露骨に出ていたと思います。
外務省の主任分析官だった佐藤優被告を背任容疑で逮捕したのがその典型です。外務省関連の国際機関「支援委員会」の予算をイスラエルでの国際学会参加費に流用したという容疑ですが、学会のテーマはロシアの外交政策。当時の外務省欧亜局長らの決裁も受けており、立件するには、ものすごく無理があります。
検察には、鈴木被告と盟友関係にあった佐藤被告を調べれば、日ロ外交がらみで鈴木被告を逮捕できる贈収賄事件などが出てくるだろう、との見込みがあったはずです。
鈴木被告の公設第一秘書だった宮野明被告を、ムネオハウス(国後島「友好の家」)に絡む偽計業務妨害容疑で逮捕したケースも同じですが、結局、鈴木被告を逮捕できる事実は出てこなかった。入り口捜査もめちゃくちゃなうえ、完全な見込み違いをしたのです。
だから、かつて立件を断念したやまりん事件という「古証文」を引っ張り出した。「はじめから宗男ありき」の捜査だった事は明らかですよ。

■世論に敏感
責任はマスコミにもあります。一連の疑惑が噴出した当時、鈴木被告を悪役にした論調は常軌を逸していた。例えば、「自分の利権のために(北方四島の)二島先行返還を言っている」とのでたらめな話が作られた。私設秘書だったムルアカ氏の旅券偽造疑惑も結局、間違いでした。
検察は、世論やマスコミの論調、政権の意向などに極めて敏感です。「これでやらなかったら検察の威信にかかわる。国民の負託にも応えられない」と考えたとしても不思議はありません。
やまりん事件を含め、鈴木被告が罪を問われた二つの汚職事件は贈賄側の時効が成立、関係者はほぼ検察の筋書き通りに供述した。鈴木被告にとっては厳しい状況です。
でも、検察は、外務省がらみの事件で立件したかったはず。それができないからといって、無理やり事件を作っちゃ駄目です。冤罪とまでは言いませんが、そんな事件で有罪を勝ち取っても、誰も検察を評価しないと思います。
実は、検察が暴走することが、最も怖いことなんです。国民の期待を集める事が検察をさらに悪くしているのが現状です。検察には、良識を持った捜査をしてほしい。

ノンフィクションライター 魚住昭さん

(十一月二日 北海道新聞朝刊 三十面 『鈴木宗男被告の判決を前に問う』上)

2004年11月1日(月)

鈴 木 宗 男

 鹿部町を出発し、森町、八雲町、長万部町、江差町を回る。どこでも心ある後援者とのふれあいに、つくづく出会い、ご縁に感謝するものである。「去年の衆議院選挙から一年になるが、地元の候補者は来たことがないのに、鈴木さんは参議院選挙が終わって四ヶ月の間に二回も来てくれた」と喜んでくれる。道南の疲弊した現状を訴える声が相次ぎ、政治の果たすべき役割、政治への期待が伝わってくる。何とかしなくてはと言う思いにかられる。同時に北海道選出の国会議員が、北海道の現状をどう認識しているのだろうか。何故、北海道は失業率が高い、平成九年北海道拓殖銀行が破綻してから北海道は冬の時代が続いている、ここ二、三年しのぐ事が大事なんだ、北海道に政策的傾斜配分をお願いしたいと言わないのだろうか。日本の面積の22%、日本の食料基地として、日本の中での北海道の果たすべき役割は大きいのに、政治不在はなんとも嘆かわしいと思うのは、一人私だけだろうか。元気の出る北海道、夢と希望にあふれた故郷に、一日も早くもって行きたいものである。

 いよいよアメリカ大統領選挙の投票日をむかえる。世界一のリーダーとも言われるアメリカ大統領、つばぜりあいは続くとの報道だが、結果はどうなるのか。日本にも関係、影響する事なので、興味深く見守りたい。

 文藝春秋十一月号で、中国の若手官僚の論文の中に私のことが触れられている。十月号からの続きものだが、中国側がしっかりした分析をしている事に驚く。私自身考えさせられる事が多く、参考になった。

 一万円札、五千円札、千円札の新札が二十年ぶりに登場し、人気は上々、開店前から行列が出来たと言われる。地震、台風、人質と、暗いニュースの中で、少しは明るい、新しいもの好き日本人にあったということか。新札の流通も結構だが、景気が良くなったと実感させる事が今求められているのではないか。国会論議等、しっかり見守っていきたい。


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