ムネオ日記
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2004年10月31日(日)

鈴 木 宗 男

 朝 丘珠空港から函館に向かう。乙部町に行き、釧路でお世話になっている方のお母さんの弔問。寺島町長さんもわざわざ来られ、感謝にたえない。北桧山町、砂原町、鹿部町と、後援会関係者との会合を行う。道南は十月四、五、六、七日に回っており、一ヶ月の間に二回も入るのでどこでも喜んでくれ、政治家との身近なふれあいに感謝してくれる。ハートトゥーハート、フェイストゥーフェイスで政治の原点を見つめながらやっていこう。後援会の輪は、確実に広がっている事を実感する。

 イラクで人質にされた香田さんが殺害された。いかなる理由にしろ、人を殺す事は許されない。香田さんを殺害したグループは一体何を考えているのか。改めてテロは許さないという毅然とした姿勢が大事である。それにしても、香田さんがなぜ退避勧告されているイラクに入ったのか、危険な所であると言う認識を持っていたのか。平和の為に尽くしたいというきれいごとで済まされない事と思うのだが。家族のご心中はいかばかりかとお察しするが、外国に行く時どうしてパスポートが必要かということを等しく考える時ではないだろうか。

 中越地震で奇跡的に救助された優太ちゃんの映像が流されたが、元気そうで良かった。同時にお母さん、お姉ちゃんの現実をどこまで理解しているのか。映像を見ながら、可哀想でならない。イラクにしろ、中越地震にしろ、命は尊く重いものであるとつくづく感じるものである。

2004年10月30日(土)

鈴 木 宗 男

 日中東京で仕事をこなし、夕方札幌に向かう。夜の会合で選挙のお礼を申し上げ、次に向けての激励をいただく。やっぱり五十万近い得票の重み、意義を感じる。

 イラクで人質に取られた香田さん殺害というニュースが朝から流れたが、別人であったとわかる。無事に早く解放して欲しいものだ。香田さんのお母さんが、「息子に平和の仕事を」と二十九日の外国特派員協会で話したと自宅前での会見で言ったそうだが、行ってはいけない、退避勧告が出ているところになぜ平和の仕事なのか。身勝手でないかという意見が私のところにも多数寄せられている。個人の思い、考えで、多くの人が、又国家が大変な迷惑を受けていることを考えなくてはいけないとの指摘があることを、香田さん家族だけでなく、皆で考えていかなくてはならない。

 ビンラディン 平成十三年九月十一日テロ指令認めるとの報道があったが、米国大統領選挙揺さぶりかと言われているが、断じてテロには屈してはいけない、テロとは断固闘うという国際協調・団結を、世界に発信していかなくてはならない。イスラム原理主義にも、人を殺していいという教えはないことを、知らしめるべきだ。

 新潟中越地震で奇跡的に助かった優太ちゃんは「お母さんいつ来るの」と病院関係者に言っているそうだが、胸が痛む話だ。二歳の優太ちゃんにとって、お母さんがどれほど大事な存在だったか。その事を考えると、涙が出てたまらない。お母さん、お姉ちゃんの分も、優太ちゃんには頑張って人生を送って欲しい。元気になったら、この広い北海道に来て、心のケアもして欲しいとも思う。

2004年10月29日(金)

鈴 木 宗 男

 朝 五時二十一分白糠駅に着き、車で足寄に向かいお参り。帯広で告別式に出る。お世話になった人が旅立っていくが、二十年前六十歳の人も、八十歳になっているのだから、自分自身も確実に年をとっているとしみじみ感じる。
 帯広からの一便で上京。事務所でお客さんとの対応、書類整理等をし、夜は「東京と足寄を結ぶふるさと会」出席。一年に一度のふるさと会には、安久津町長、吉田議長はじめ、商工会、農協、役場代表が来られ、足寄の話に話が弾む。東京に出て何十年たった人でも、やっぱり故郷は尊く忘れ難いものと、沢山の人と話しながら、私も大誉地(およち)や両親との事を想い出した。有意義な心温まる会合だった。
 新潟中越地震で、車内生活で急死相次ぐ 関連死十八人と報道されているが、精神的に相当な負担になり亡くなっていると思うが、一日も早く仮設住宅を設置したり、ホテルや旅館の活用など、迅速にやって欲しいものだ。

2004年10月28日(木)

鈴 木 宗 男

 朝から室蘭市内回り。様々な人間関係で思いがけない支援者がいる事に気がつく。一つの団体・組織の応援もなく、プレッシャー、圧力の中で、五十万票近い尊い票が入ったのは、やはり心ある多くの人の努力であり、信用であり、期待感があったということか。実りある室蘭での丸一日であった。室蘭に泊まる予定だったが、生れ故郷大誉地で子供の頃からお世話になっている人が亡くなり、明日告別式なので、南千歳駅から夜行に乗る事にする。

 新潟中越地震で何とか生きて救助して欲しいと願っていた真優ちゃんの死亡が確認された。優太ちゃんが発見され、お母さん、真優ちゃんも希望、期待があっただけに、悲しい結末にどうしようもない気持ちだ。必死に救助作業にあたった消防救助機動部隊の仕事ぶりをTV報道で見ながら、凄い男達が、大した人達がいる事に大きな感動や勇気、心を教えられた。現場の危険な状況にもかかわらず、照明灯をつけて夜通し働く姿は、神々しいものだった。人の命を守る為に、民生の安定に貢献している警察、消防、自衛隊の方々に、もっと尊敬と敬意をはらう事が大事ではないかと思う。そう思う心が家族愛、郷土愛、祖国愛につながっていくと考えるものである。

 イラクで人質となった香田さんの解放は、うまく進んでいない様だ。武装勢力やテロに屈することはあってはならないが、人の命の重さも忘れてはならない。政府のより強力な、様々な角度からの努力を促したい。私のところにも民間のセキュリティー会社からアドバイスがあり、役所に伝えたが、政府を挙げてやっているとの事なので、推移を見守る事にしよう。

2004年10月27日(水)

鈴 木 宗 男

 目をさますと雪が降っている。冬到来の感、深くする。六時半に札幌を出て、虻田町、豊浦町、洞爺村、壮瞥町、伊達市を回る。夜は地区の代表者と夕食会。 選挙のお礼を申し上げると、どの人も、「頑張れ、次に向けて対応するから」と温かい激励を受ける。心ある皆さんに、感謝の気持ちで一杯になる。

 今日の北海道新聞七面で、一ページ近くを費やして私の裁判について書かれているが、事実でない記述があるので北海道新聞に強く指摘したい。
 判決出た十人全員有罪 と言う見出し記事の中で、「鈴木宗男被告をめぐる一連の事件では、十二人が起訴され」と書いているが、 私が裁判している件では私を含め、三人しかいない。なぜ十二人か、また、「ムネオハウスに関する判決は、根室市と根室管内中標津町の業者二人が鈴木被告に対し、 北方四島関連事業を地元企業が受注できるよう力添えを依頼した、と認定した」と書いているが、全く事実でない。 私は通称ムネオハウス事件に一切関与していないし、裁判になっていない。どうして間違ったウソの記事を書くのか。 北海道新聞でこの記事を書いた記者の見解を伺いたい。
 平成十四年一月から、事実でない報道が数多く出されたが、報道された件で今裁判しているものは何一つない。 ムネオハウス、北方支援のディーゼル発電、ケニアのソンドゥ・ミリウダム、ジョン・ムウェテ・ムルアカ秘書に関する件で裁判している事はない。
 北海道新聞は、「鈴木被告をめぐる事件の認否と審理状況」と、わざわざ一覧表を作って説明しているが、私と関係ない事件までどうして私が関与していると書くのか。 北海道新聞からの明確な返事をいただきたい。メディアが故意に意図的に事実でない事を公に報道するのは、それこそ自分で自分の首を絞めることになるのではないか。 早い返事を待ちたい。

 朝刊で、新潟中越地震で不明の母子の車発見、とにかく生きていてと言う記事に朝から心配して様子を見守ってきたが、午後二時四十分頃、長男優太ちゃんが救助された。 感動的現場をニュースで見る事が出来た。しかし、お母さん、貴子さんは、残念ながら発見されたが死亡。 むごい結果となった。長女真優ちゃんは夜を徹して必死の救出作業を行っているが、生きていて欲しい、助かって欲しい。 神仏に祈る気持ちだ。余震の続く中、救出にあたっている消防レスキュー隊の皆さんに心から感謝したい。 身の危険も顧みず、一生懸命作業する姿に、涙が出てくる。救助隊の皆さんの勇気ある行動に、全国の皆さん、拍手を送り、感謝しようではありませんか。 身を挺して頑張ってくれる多くの人に、ただただ頭の下がる思いだ。同時に、被災者の救助にあたっている関係者の皆さんにも、敬意を表したい。 私も家内と相談し、Tシャツ・タオルケット・タオル・帽子を被災地に送らせていただいた。まずできる事からやっていく事にする。

2004年10月26日(火)

鈴 木 宗 男

 新潟中越地震のニュースが続き、被災者の皆さんの苦痛を思うとなんともやるせない気持ちだ。山古志村の避難完了と言うが、かけがえのない故郷を離れる時を想像すると、胸が痛む。まったく別次元の話だが、私が国替えで生れ故郷、先祖の墓をおいて十勝から釧根に移る時も、ただただ涙が出てきたものだが、地震で自然災害で、両親身内を、家屋を失って離れる人の気持ちを考えると、可哀想だを通り越して、やっぱりやるせない。冬を控え、雪が降ってくる事を考えるとこれまた大変だと心配するものである。札幌も今夜は雪が降ってきた。冬到来である。
 五日ぶりに北海道に入る。北海道新聞、朝日、読売、毎日の二十四日の道内版の記事で、二十三日の自由民主党の政経セミナーで町村外相が北方領土問題に関連して「いろいろ言われているが、鈴木宗男氏だって一生懸命、日露関係改善に努力してきた。それはそれで評価しなければならないだろう」と私を評価している記事がでていた。これに対し、色々な意見・憶測がある様だが、はっきりしておきたいのは、私は橋本・小渕・森内閣で決まった日本国の方針に基づき、精一杯サポートしてきたと言う事である。マスコミが二元外交と書いたりしたが、ありもしない話をどうして書くのか不思議でならない。
 今の小泉首相の考えも段階的解決論で、九月二日根室での元島民との対話で話された事も、私が考えて進めてきた事と変わりないことである。小泉首相の段階的解決論にマスコミはクレームをつけないで、私の時にクレームをつけるのはどうしてだろうか。勉強不足の政治家や記者によって、私がライフワークとして取り組んだ領土問題が正しく理解されなかったのは悔しい思いであったが、町村外相の二十三日の発言は、しっかり過去を検証してみればわかる事で、私から見れば当然の事と言いたい。レベルの低い政治家は、最近までも四島一括が国是だという言い方をしていたものだが、小泉首相が段階的解決、柔軟に対応すると言ったことをどう受け止めるのか。この程度の認識だと、国政の中枢に入れないと言う事に気がついて欲しいものである。

2004年10月25日(月)

鈴 木 宗 男

 朝 迫町を出て、くりこま高原駅から仙台へ。菊地夫妻の案内で「大崎八幡宮」参拝。国宝指定の重さ、歴史を感じながら、祈願成就の祝詞を受ける。
 昼過ぎ東京駅に着き、事務所に入りお客さんの対応。久し振りに近くのレストランで食事。三年ぶりのパーコー麺はなんともいえぬ味だった。感謝をしながらいただく。
 新潟中越地震はまだ余震が続き、被害は増える一方。食料がない、毛布も足りない、人手、車も足りない、ないない尽くしである。避難している人達の精神的安定の為にも、物資だけはしっかりと与えて欲しいものだ。同時に私も他人事と思わず、出来る事は何か、ボランティアを考えていこう。
 天気が心配で、雨が降ると新たな崩落も可能性としてはあり、予断を許さない状況である。死者は二十五人、避難している人達は九万七千三百人と聞く。謹んでご冥福を祈り、お見舞い申し上げ、一日も早い復旧をバックアップして行こうではないか。災害は忘れた頃にやってくるとよく言われるが、自然の力、エネルギーの大きさを改めて考えながら、備えあれば憂いなし、この言葉をお互い噛み締めて行こうではないか。

2004年10月24日(日)

鈴 木 宗 男

 NHKの日曜討論で、共産党の市田忠義氏が日歯に関する証人喚問の問題で、証人喚問で鈴木宗男疑惑が解明されたと話されたが、事実でない。平成十四年三月十一日の私の証人喚問事項は、一、北方四島への支援事業に関する事項(国後桟橋ディーゼル発電、友好の家、艀) 一、アフリカにおける我が国のODA事業に関する事項(ケニア ソンドゥ・ミリウダム) 一、私設秘書ジョン・ムウェテ・ムルアカ氏に関する事項、一、その他上記に関連する事項 と質問テーマが決まっており、共産党は二月二十日の参考人招致で鈴木宗男氏が友好の家入札に関し、私が根室の特定業者に仕事を与えようとし、あたかも私がルールを捻じ曲げたかの質問をした。更に「ムネオハウス」と言う、使われてもいない言葉を捏造したものだ。北方支援で疑惑があると共産党は執拗に私を批判してきたが、これらの事で事件になったものはない。
 ちなみに北方支援事業については、人道支援スタート時から、外務省と根室市の間で支援物資は領土返還運動の原点の地である根室市の業者を使う事で取り決められている。又、根室市議会でも、共産党も含めて全会一致で根室市の業者を使ってもらう様決議されている。その約束を外務省が守らなかったので、根室市長、市議会、商工会議所から、「鈴木さん、外務省に約束を守る様話して下さい」と陳情を受け、私がその旨外務省に伝えたものである。公共放送機関で間違った認識、正確でないすり替え発言は迷惑であるし、誤解を与えるのでやめて欲しいと思う。「ムネオハウス」と言う、使われてもいない言葉を使い、看板もないのにあたかもあった様な当時の共産党の言い振りは、今でも憤りを禁じえない。強く指摘するものである。
 佐沼青年会議所創立三十五周年の記念講演講師として、昼から宮城県に向かう。くりこま高原駅で降り、父の実家に挨拶。若柳町、志波姫町の親戚にお参り、挨拶をし、中田町の会場に到着。沢山の親戚の人も集まってくれ、久し振りの面会に皆喜んでくれる。日露関係や郵政民営化の問題、地方分権、三位一体の話を一時間、質疑応答を三十分して閉会。とても気持ちの良い会合だった。太田理事長、佐々木実行委員長のご尽力に、ただただ感謝で一杯。
 直接私と会うと皆一様に、「TVで見るより実物がいいね」と言ってくれる。意図的につくられたTVのイメージは怖いものだ。私の場合、人に会うことによって誤解もとけ、人間性が理解されるので、一人でも多くの人に会う様これからも努力していこう。五年ぶりの両親の里は、有難いものだった。

2004年10月23日(土)

鈴 木 宗 男

 朝から東京事務所で仕事。書類整理、マスコミとの対応、あっという間に一日が過ぎる。夜も会合が入り、時間のたつのが速い。夜六時過ぎ会食中、地震がありびっくりしたが、新潟では震度六強、死者も三人出ているとニュースで流れていると聞き、台風二十三号の被害があったばかりで日本列島 改めて災害の多い事に気がつく。やっぱり普段からの体制整備をしっかりしなければならない。被災者の皆さんに心からお悔やみ、お見舞いを申し上げたい。
 明大の一場投手に現金提供で、巨人に続き阪神、横浜のオーナー辞任が大きく報じられているが、せっかくメジャーでヤンキースの松井選手、ドジャースの野茂投手はじめ多くの人が頑張っているのに、国民的スポーツとも言うべき野球、それもプロ野球で不祥事が出るとはなんと言うことか。日本シリーズでも白熱したゲームを展開しており、残念な事態だ。プロ野球全体の問題として、しっかりやって欲しい。野球をこよなく愛し、高校まで野球をしてきたものとして、プロ野球関係者の奮起を期待するものである。
 京都議定書批准法案 ロシア下院可決 発効来年初めにもと出ていたが、プーチン大統領の決断に拍手を送りたい。アメリカが2001年離脱しているが、地球環境という、人類が生きていくうえで避ける事の出来ない問題に、是非ともテーブルについて欲しいものである。

2004年10月22日(金)

鈴 木 宗 男

 朝九時から東京へ。事務所で仕事。五日ぶりの東京は仕事がたまっている。外国からのお客さんとの対応もあり、久しぶりの東京はあわただしい。
 読売新聞の社説に、防災体制に緩みはなかったかとの見出しで連続台風被害のことを書いてあったが、逆にお聞きしたい。普段から防災に対し、どれだけの関心と提言をしてきたかと。公共事業削減とか、防災ダム、砂防ダム、河川整備に対し、どんな事を言ってきたか、そっくり胸に手を当てて考えて欲しいものだ。何か起きるとマスコミは批判したり、キャンペーンを張るが、それでは平時にあなた方はどういって何をしていましたかとお尋ねしたいと考えるのは、私一人ではないと思う。
 政治団体間献金 上限五千万円で合意し、迂回禁止は見送りへと各紙書いてあるが、今の法律では政治家個人の資金管理団体と政党支部、そして党本部と三つの受け皿があり、更に国民の尊い税金から政党助成金がある。税金をいただいていることを考えると、団体献金、企業献金は廃止し、個人献金のみにすることが国民の理解も得られるのではないか。
 産経新聞六面に、中露国境 主権二分し画定、両首脳合意、作業完了に二、三年と出ていたが、帰属が未確定だった中露国境線上の三島について、お互いが歩み寄り主権をほぼ半分に分割して国境を画定し、両国首脳が合意したと書いてあった。北方領土問題の解決もこうした例も見習ってはどうか。作業完了に二、三年となっているが、これも大きな知恵の発揮だろう。アメリカからの施政権返還も、沖縄と奄美、小笠原とでは時間差がついての返還だったのだから。外交は相手があるので、日本の名誉と尊厳は守りながら、同時に相手の立場を尊重して進めていく事が、成果につながると思う。

2004年10月21日(木)

鈴 木 宗 男

 朝 釧路から丘珠へ。心配された台風も太平洋上にそれてよかった。それにしても台風二十三号は死者・不明者八十人以上と言われ、最悪の被害。被災にあった皆様に心からのご冥福、お見舞いを申し上げるのみである。改めて自然の力に人間の存在の小ささを感じる。同時に、恐怖にさらされながらも、バスの屋根の上で腰まで水に浸りながら肩を組んで励ましあい救助された奇跡に近い様な話は、人間の知恵、信念、念力を考えると、人間の素晴らしさにジーンとくる。
 携帯電話が威力を発揮している事もある。「もうだめ」と言う悲鳴のような声に家族からの「がんばれ がんばれ」という激励。どんなにか勇気づけられ、頑張れた事か。やっぱり人間とは凄いものだ。
 二十一日付朝日新聞朝刊二面で、ポルトガルへの里帰り旅行で五十三年ぶり再会、南米の兄、オーストラリアの弟、ポルトガルでバッタリ と言う報道にも感激。お互いの参加など夢にも思わずホテル行きのバスに乗り、まず頭をよぎったのは親父の顔、そして「あんたは兄貴だ」、後は泣くだけと書いてあったが、奇跡とも言うべきドラマを作れたのは、神様、仏様の加護と言うべき素晴らしい出来事である。

2004年10月20日(水)

鈴 木 宗 男

 朝 名寄を車で出て帯広へ。途中、三国峠標高100メートルからの紅葉は北海道ならではと久しぶりに感激。お昼 帯広での後援会会合に出席し、家によってから釧路へ。三つの会合をこなし、今日も忙しい一日だった。
 台風二十三号で死者、行方不明者五十数人。本当に今年は台風の当たり年で、農産物、水産物、家屋、山林道路、港、様々な被害があったが、何よりも尊い命が数多く失われた事はとても不幸な事であった。自然の脅威を改めて考えながら、「備えあれば憂いなし」先人の言葉をしっかり噛み締めて、普段から体制作り、整備等をしておかなければと思う。「ノド元過ぎれば熱さ忘れる」という風潮を、お互い戒めていきたいものだ。
 国会は参議院でも質疑が行われているが、野党側も政治とカネの問題で相当意気込んで臨んだはずだが、実際のやりとりを聞いていると何かピンと来ない。今一つ迫力がない。もっと言えば新聞情報で質問している例が多く、追及といっても答弁する側が余裕を持っている感じだ。もっと実態を踏まえて、勉強して臨めば効果があるのではないか。自分達も労働組合等から便宜供与していただいていることを参考にすれば、同じ事が各種団体からもあると気がつくのではないか。まず自分の足元を例にして質問すれば、臨場感もあり、現実的ではないのか。同時に、新しい展開が生まれてくると思うのだが。
 政治団体間献金五千万円だ三千万円だと報道されているが、国民の税金で政党助成があるのだから、団体献金は廃止すべきと考える。個人献金だけにするのが大事ではないのか。わかりやすい決断をして欲しいものである。

2004年10月19日(火)

鈴 木 宗 男

 朝八時過ぎから札幌市内朝礼二ヶ所。選挙前とか選挙中の挨拶は良くある事だが、選挙が終わってからの挨拶はそんなに例のある事ではないので、どこも喜んでもらえるし激励をいただく。今朝のはお医者の紹介で、先生も一緒に来てくれ有難かった。
 十一時のJRで旭川に向かい、四時間ほど旭川市内挨拶回り。旭川でも人間関係がしっかりしている事に心強く思う。新しい人の支援も出てきて有難い。
 夕方名寄に向かう。士別までは高速があり便利だが、降りてからの時間がかかる。早く名寄までつながないと高速道路が生きてこない。地域活性化の為にも整備促進が急がれる。  夜より北部十市町村(名寄市、士別市、和寒町、剣淵町、朝日町、風連町、下川町、美深町、音威子府村、中川町)の後援会代表者会議を行う。組織の強化、確立を決めて戴き、参加者に心から感謝。七月の選挙でも本当によくやってもらった。懇談会の席で、名寄の川口昭子さんが私のホームページ「ムネオ日記」を毎日楽しみに見ていると熱く語ってくれ感激。より充実したものにしなければと責任を感じながら、仲間の思いに嬉しい気持ちで一杯になる。上川北部十市町村も農業、林業、商工会それぞれ先行きを心配する声ばかりで、身近な政治がないと嘆いていた。その声をしっかり受け止めて頑張っていこう。
 衆院予算委員会で小泉首相が、「党として迂回献金はないとの報告を受けている」と答弁しているが、私は事実でないと指摘したい。間違いなく党を通じ指定寄附、いわゆる党に寄附した側から政治家個人に渡る様にしているケースがあるにもかかわらず、開き直るのは良くない。透明性が問われているのであり、今まではそうであったがこれから改めるとか、やめさせるとか、正直に言ったほうが国民の理解を得られるのではないか。現に朝日新聞では個人名も出されて、日歯から迂回献金の事実が報じられている。この報道が間違っているならば、党として法的処置をとるべきでないか。一方で黙認しておきながら、一方で開き直ったととられる様な答弁に、違和感を禁じえない。党から活動費一億円をもらい、その使い道を問われて個人の政治活動費だといい、その答弁に更に追い討ちをかけない質問者も情けないと思うものである。
 北海道選挙管理委員会が十九日、二〇〇三年道内届出分の政治団体収支報告書を公表したが、三億、二億道内で集め、これとは別に総務省届出分があり、あわせると四億、三億となる政治家が多数いることになる。私の場合、広く薄く、誰でも参加しやすい仕組みで透明性をもってやってきたが、マスコミにはよく叩かれた。何億のお金を集めてもマスコミに批判されない政治家は恵まれていると思う。

2004年10月18日(月)

鈴 木 宗 男

 一日中札幌挨拶回り。選挙が終わって三ヶ月、挨拶をしながら確実に人間関係が出来上がっていく事を実感する。そしてその輪が広がっていっている。有難い事だ。また、どこに言っても街を歩いていても「鈴木さん頑張って」と声がかかる。特に女性が多い。少しずつ変化が起きていると感じる。地道にしっかりやっていく事が大事だ。
 アフガニスタン選挙でカルザイ氏が勝利し、復興への大きな一歩になったと思う。二十年以上の内戦が続いた不幸を、これからは幸福に変わる様、国際社会はそれぞれの立場で支持していく事が、続けていく事が必要である。勿論、日本の役割は更に大きなものとしなくてはならない。
 日本経済新聞の朝刊「核心」欄で、「心に響かぬ首相演説」と、コラムニストの田勢康弘氏は書いていたが、政治家の言葉について考えさせられる文章である。昨日も書いたが、他国の大統領選挙に自分の好みでモノをいったりする人は、今日の「核心」を読んで参考にして欲しい。
 十七日の読売新聞社説で、「BSE対策 畜産族議員が再び押した横車」とあったが、本当に事実としてあったのか。 「BSE発症時の行き過ぎた業界対策が、補助金不正受給という不祥事を招いたことを忘れたのか」と書いてあるが、BSEが一頭出た時、 消費者の安心・安全を考え、不安が先走りしない為にも全量買い上げを主張したが、その時農水省は市場隔離調整保管の考えで、業界にもその方針でやる様働きかけていた。 BSEの二頭、三頭目が出てきて、共産党はじめ野党も与党も全量買い上げしろとの大合唱になったのが事実である。族議員が動いたとか、横車というのは事実ではない。 国会審議でもよく見てもらえればわかる事である。
 間違った認識で一方的な思い込みで社説に書かれるのは、いかがなものか。 正確に事実を踏まえて、ペンを振るって欲しいものである。 何かあると誰かを悪者にする風潮があるが、マスコミ関係者が不祥事を起こした時の処置・処理はいかがであろうか。 少し身勝手、ご都合主義でないかと指摘したい。

2004年10月17日(日)

鈴 木 宗 男

 夜行列車で朝五時五十分、釧路駅着。午前中釧路市内会合出席、挨拶回り。丘珠空港に飛んで、札幌市内挨拶回り。忙しい毎日だ。
 十六日付毎日新聞 岩見隆夫先生の「近聞遠見」で、「橋本龍太郎の『悔しさ』」の中で、最後に次の様に書いてあった。「橋本には首相経験者の名誉にかけ、洗いざらい語ってもらいたい。語り方によって、政治は微妙に動く」と。国民の側からしても、堂々と国会の場で、政倫審でも証人喚問でも受けて立って欲しいと思っているだろう。橋本元総理の大所高所の判断を期待したい。
 日本が非常任理事国に決まったが、旧敵国条項削除を一日も早くして欲しいものである。敵国扱いされて何の国連か。何のための常任理事国入り希望か。先ず最初に何をしなければいけないか。死文化されているから等という判断ではなく、世界に責任を持つ日本として、立場を明確にしてもらう事が大事ではないか。
 総理や幹事長がアメリカ大統領選挙に触れて物議を醸しているが、誤解を与えない様にした方が国益である。立場につくと「政治家としての考えだ」では通らない。見識が問われたり、キャリア不足と言われない為にも、考えて発言することにより、より評価される事だろう。

2004年10月16日(土)

鈴 木 宗 男

 昨日に引き続き福井県挨拶回り。とても良い天気で気持ちも弾む。主だったところはすべて挨拶を済ますことが出来て良かった。十四時から福井後援会でお世話になっている人の息子さんの結婚式に出席、350人着席の大披露宴。県内の各団体の長、行政の長、議員さんが来ており、久しぶりの面会に話が進む。おめでたい席は楽しいものだ。
 西武の堤オーナーが全役職を退いたニュースも大きな衝撃だったが、有価証券報告書虚偽記載の疑いと出ているが、責任を取って全ての役職を辞めたとするならば、その決断等も評価してやる事も必要ではないか。何でも人を叩く、否定することは、健全な事ではないと思う。堤オーナーの社会に果たしてきた数々の功績もよく考えてやりたいものである。それよりも、ダイエーの問題で経産省が圧力をかけたと受け止められる事の方が問題だと考える。
 政治団体寄附で、上限五千万円と与党が考えている様だが、献金は個人献金一本にすべきだ。パーティー(政治資金規正法に基づく)が認められ、しかも国民の税金が使われ政党助成があるのに、企業献金、団体献金は廃止するのが筋ではないか。企業献金、団体献金を残すならば、政党助成、国民の税金を使うことは、あまりにも政治家の論理での考えと、私は考えるものである。
 政党助成を続けるならば、政治家の政治団体は個人献金のみ、企業献金、団体献金を続けるならば、国民の税金、政党助成は受けないというように、わかりやすくする方が国民の理解を得られるのではないかと思うが、いかがだろうか。

2004年10月15日(金)

鈴 木 宗 男

 朝一番の小松行きに乗り、福井へ。後援会挨拶回り。選挙前、選挙中、北海道に足を運んでくれた方、人間関係で声をかけてくださった方はじめ、心ある後援者に感謝の気持ちを述べる。福井後援会の皆さんにはただただ頭が下がるのみ。本当に有難い。
 新党構想の話とか、今の政治状況、橋本派の動向等について聞かれたので、私の認識、思いを伝える。皆さん理解してくれ、特に私の新しい動きには、とにかく頑張って欲しいと激励を受ける。よりしっかりやっていこう。
 アメリカ大統領選挙のTV討論が終わり、大接戦のまま最終盤へと報道されているが、熱い戦いになっているようだ。 それに比べ、我が国の国会論戦、政治はどうだろうか。緊張感をもってやっているだろうか。 何かが欠けていると思うのだが。心を打つ、心のこもった国民へのメッセージを期待したい。 サッカーのワールドカップで日本代表が一次予選を突破したが、二年後の本番に向かって今年の夏から戦いが始まっている。
 自民党の総裁選挙も二年後だ。今から二年後に向けて戦略・戦術を考えている人が何人いるのだろうか。 間違いなく二年後、総裁選挙は来るのだから、しっかり考えてやっていく事が政治の活力、信頼回復につながっていくのではないか。 「中二階組」とよく言われるが、昭和五十八年当選の人達が、我こそはと手を挙げる時期に来ていると思う。 「中二階組」を飛び越えて俺たちもという迫力を持ってやると、党内活力も出てきて、政治が面白くなり、また国民も関心を持ってくれると考えるのだが。 何人かの人には伝えてあるので、様子を見ていこう。

2004年10月14日(木)

鈴 木 宗 男

 東京事務所で仕事。お客さんも多く、有難い。国会が始まり、先生方も訪ねてくれ、有難い。やっぱり人間関係が一番だ。
 西武鉄道グループの堤義明会長が全役職を辞任とのニュースには驚いた。一体何があったのか。有価証券報告書訂正で引責と報じているが、それだけのことだろうか。様々な分野で影響力を持っていた人なので、惜しい人が第一線から離れたとの残念な気持ちで一杯だ。とりわけ北海道にも情熱、理解を示してくれた人なので、淋しい思いで一杯だ。
 ダイエー産業再生機構に支援要請となったが、ダイエーの高木社長のつっぱりはなんだったのか。民で出来る事は民と言ってきた経済産業省の考えはどうだったのか。終わってみれば責任のない言いぶりだったのではないか。しっかりした検証が大事だ。
 国会論戦を聞いていても、郵政民営化が中心で、自民党代表が外務、安全保障、教育、日本のあり様についての言及がないのは淋しい限りだ。所信表明に対する質問は、国家の将来に関する視点からやって欲しいものである。目先のことにだけこだわっていては、小さく見えてならない。大きな土俵、大きな視点で堂々たる国会論戦をして欲しいものである。
 外交、安保治安、教育。国の柱となる、百年の大計を見据えた議論がなくなって三年。このままでいいのか日本、黙ってられない日本、との思いで邁進されることを、心から祈るものである。

2004年10月13日(水)

鈴 木 宗 男

 鳥取からの朝一便で東京に戻る。空港に向かう途中、鳥取県から釧路に向けて出発した開拓団の記念碑が港のそばにあり、鳥取市と釧路市の関係に改めて感慨する。先人の汗と涙とその労苦にただ頭をさげるのみ。近くに北島三郎さんの「港・春秋」の歌碑があり、北島さんと鳥取との関係も浅からぬものがあることに気づく。やっぱり人間関係の大切さがしみじみと伝わってくる。
 朝刊での所信表明演説の評価は、あまりよくない印象だ。やはり、今関心のある政治とカネ、イラク派遣、在沖縄米軍基地の移転先などのテーマに言及しなかった事がひびいているのではないか。「やれば出来る」愛媛県済美高校の校歌の一節を入れたとの記事があったが、自分自身に言い聞かしているのだろうか。
 代表質問が始まったが、それぞれ一方通行なので、委員会での丁々発止のやりとりを国民は期待している事だろう。毎日新聞の記者の目欄に、「拝啓 古賀潤一郎様」という記事があったが、今、言いたい事だけ話すなと指摘するのなら、事件の最中に、議員辞職する前に書いた方が、本人にもよく伝わったのではないだろうか。同時に選挙の時、古賀さんを時のヒーローみたく扱ったのは、やはりマスコミでなかっただろうか。お互い責任を持ってやっていきたいものである。
 近藤勇を介錯人が手厚く法要、岐阜県揖斐川町で記録発見、剣の使い手同志賞金金額つぎ込むという記事にヒューマニズムを感じ、人の道、礼節という、忘れてはいけない心を教えてもらった様な気がする。歴史とは尊いものである。

2004年10月12日(火)

鈴 木 宗 男

 午前中東京事務所で仕事。午後鳥取に向かい、中川一郎先生時代からお世話になっている人のお見舞い。夜は鳥取後援会との会食。四年ぶりの鳥取だが、変わらぬ人間関係に感謝。出席者から、鳥取も景気が冷え込んでいる、働く場所がない、地方は困っている等の声を聞かされる。小選挙区制になってから国会議員との接触が少なく、政治家の顔、姿が見えてこないとの話も出た。鳥取に限らず全国的に言えることだと思うが、自民党が地方で苦戦しているのは政治家の日常活動不足も一つの要因と考える。政治家個々人のやる気によって打開できる事だと思うのだが。
 臨時国会が開会され、小泉首相の所信表明演説が行われたが、明日の新聞論調はどう出てくる事か。TVニュースを見る限り、日歯の政治献金、イラク派遣など、今国民が関心を持っている事についての言及はなかったように思えるが、国会質疑の中で実りある議論をして欲しいものである。
 七人の集団自殺、それも若い人達。自ら命を絶つ決意があったら、何事も乗り越えられると考えるものだが。友人に予告メールとか、ネットで募るとか、私には理解できないことだ。経営苦、またリストラされ人生を悲観しての自殺が近年多くなっているが、これも政治と無関係ではないと思う。命の尊さ、重さからも、政治家が取り組む重要課題ではないか。二十一世紀は「心の時代」と言われるが、まず足元からしっかり受けとめなくてはならない。
 橋本氏 政倫審出席へと夕刊に出ていたが、政倫審で説明するのも一つの方法であり、その機会を冷静に見つめて行こう。

2004年10月11日(月)

鈴 木 宗 男

 朝、白老を出発、千歳空港から羽田へ。やっぱり東京に着くと暖かいと感じる。三連休最後の休日、東京は静かだ。
 昼ごろ事務所に入り、書類整理を行う。週のうち、五日から六日間道内にいると仕事もたまる。忙しい方が有難い。
 遣唐使の墓誌発見、八世紀初めの事で、歴史的にも貴重な資料となるだろう。三十六歳で客死、遺体は異国の土となったが「魂は故郷へ帰る」と記されているという。時は過ぎても人の道の尊さを教えられる大きな出来事である。

 プロ野球パ・リーグ プレーオフ第二ステージ、西武がダイエーに勝って日本シリーズへ。王さんのダイエーにも勝たせたかったが、勝者は一つ。日本シリーズでは三井浩二投手が登録され、活躍の機会がある事を祈ってやまない。二年前、松坂投手に代わってオールスターゲームに出た時も、第一戦優秀投手に選ばれた。大舞台には強いので、何とかチャンスをつくって欲しいものだ。
 十月も半ば、早いものだ。あっという間に年末が来ることになるだろう。

2004年10月10日(日)

鈴 木 宗 男

 朝六時半に札幌を出て苫小牧へ。市民マラソン参加。台風もそれ、雨も降らずマラソン日和。フラットなコースで走りやすく、10km45分9秒満足のタイム。沿道からも「ムネオ頑張れ」「あ、ムネオさんだ」「ムネオさん応援してるよ」と声がかかる。八重桜会(女性部後援会)の皆さんのドリンクサポート、シンボルマークの熊の旗をふっての応援が大きな力になり、好タイムにつながったと思う。先週に続いての10kmマラソン出場だが、今日は苫小牧市民になった気持ちで走れた。開会式でも走り終わった後も参加者、大会関係者と写真ぜめにあい、ポーズを決める。人生出会い、新しい巡り合わせに感謝。
 レース後白老に移動し、後援会の皆さんと懇談。春の甲子園を目指す秋季高校野球で駒大苫小牧高校が優勝、夏の勢いは生きている。来年の選抜も楽しみになってきた。駒大苫小牧高校で十年前の監督であった荒沢先生とお話してきたが、荒沢先生の基礎づくり、人づくりがあっての今日の栄光であり、改めて指導者の力の大きさを知る思いだった。
 十日の読売、朝日新聞の道内版、スポーツニッポン等に私が九日の帯広での後援会会合で話したことが大きく取り上げられていた。「地域政党旗揚げ、地域政党構想」とか書いてあったが、多くの人の協力を得て新しい声、流れをつくっていきたい。道州制へと進んでいくと、地域によって政治に対する思い、考え、価値観が違ってくると思う。地方の声を、北海道の願いをしっかりうったえ、明日の日本をつくる地にしていきたい。
 アフガン大統領選挙の開票が始まったが、新たな歴史の一ページになるこの選挙をアフガンの将来、世界の平和の為に生かして欲しい。振り返れば平成十三年十月八日総理特使としてタジキスタンに行き、ラフモノフ大統領と会談し、大統領から米国のアフガニスタン軍事作戦に向け、領空と空港使用を認め、必要があれば軍事作戦の為に基地使用を認める考えを表明してくれた。このことを当時の福田官房長官に連絡し、アメリカに伝えてもらったものだ。今でも心に残る仕事をしたと、鮮明に覚えている。あれから三年、いろんなことがあるものだ。

2004年10月9日(土)

鈴 木 宗 男

 久しぶりに帯広の家に泊まる。心配された天気は暑くもなく寒くもなく1500人近い人が集まってくれ、三年ぶりの盛大な野遊会になった。参議院選挙のお礼を申し上げ、次へのステージに向けての決意を述べる。皆さんから「次は絶対に当選するよう頑張るから」と励ましを受ける。後援会との絆に心から感謝するものである。
 それにしても、三連休の初日にイベントを組み、しかも大勢の人が来てくれる我が後援会の結束ぶりを見せつけるものであった。会場には中学、高校時代の恩師が駆けつけてくれた。先生方の存在は、私の大きなよりどころであり、鈴木宗男の真実の一部である。松山千春君のお母さん、八角親方(第六十二代横綱北勝海)の両親も出席してくれ、人生の出会いにめぐり合わせに、手を合わせるものである。
 村岡兼造先生が日歯からのヤミ献金事件で証人喚問に応じると各紙との取材でこたえているが、自ら出席して事実解明に寄与する事は見識ある判断と思う。橋本元首相も堂々と国会の場で自分の考えを述べた方が、国民の理解は得られるのではないか。出席せよと言われる前に、是非とも出させて欲しいといったほうがわかりやすいと思うのだが。小泉総理も説明責任あるとすでに言っているので、ここは村岡流の決断をしたほうが、橋本元総理の為にもなるのではないか。
 九日付け北海道新聞に、ノーベル平和賞受賞のマータイさんの記事の中で、見出し付きで「ムネオ疑惑」の事業に反対運動 と書いてあるが、事実でない事を勝手に書かれては迷惑だ。北海道新聞の名誉の為にも正確を期して欲しい。
 ケニア人への政府開発援助をめぐる鈴木宗男元衆院議員「口利き」疑惑の舞台となった同国西部のソンドゥ・ミリウ水力発電事業にも反対運動を展開、事業見直しをケニア政府に要求していた。同事業をめぐっては、2002年3月の衆議員予算委員会で、証人喚問された鈴木元議員が「覚えていない」を連発、辻元清美元衆院議員が「ど忘れ禁止法を適用したい。あなたは疑惑の『総合商社』だ」と追及した。外務省は鈴木元議員の関与を否定している。

 以上が記事内容だが、辻元さんの質問は一方的な思い込みによるもので、正確でない質問であった。あの時の辻元さんの質問は「あなたはケニアのモイ大統領に会ったでしょう。そこでソンドゥ・ミリウダムを頼まれたのでしょう」というものだったが、私は会ってないから正直に正確に「会っていない」と答えた。間違った認識でパフォーマンスよろしくテレビ向けに話した辻元さんであった。証人喚問であるから、私がウソの答弁をすれば偽証で訴えられるのである。私はこの件で何もお咎めを受けていない。間違った、正確でない質問をした辻元さんを引用するのは適切でないと思うし、辻元さんも迷惑だと考える。
 ちなみに、後ではっきりした事だが、その質問をした頃辻元さんは国民の税金を詐取していた事が判明した。ソンドゥ・ミリウダムはケニア政府が日本政府に要請した事業で、スタート時から私は一切関わっていない。外務省も認めている。はっきりしている事実をなぜ疑惑というのだろうか。
 北海道新聞は先の北方領土に関する社説に関しても、私が指摘した事に返事をしていない。今回の件とあわせて見解を示して欲しい。無責任で勉強不足の、間違った情報に基づいた一方的な報道は、時に人を傷つけ、更にはエスカレートして国策捜査にもつながっていく。他人事と思わず、自分の身になっての正しい報道を促すものである。

2004年10月8日(金)

鈴 木 宗 男

 東京事務所で仕事をし、夕方北海道へ。台風が近づいているせいか東京は雨。しかし北海道は秋の気配はするが、例年になく今日も日中暖かかったとの報告。明日は十勝総連合後援会の野游会。晴れであれば大成功。外でのイベントは天気によって決まるので、晴れますようにと祈るのみ。
 「UFJ銀行強制捜査へ」が今朝の大きなニュースだが、ご丁寧に今日強制捜査とか、家宅捜査とか、なぜマスコミが手の内を明かすのだろうか。報道することによって逆に捜査妨害とも受け取れるが、どうだろうか。誘拐事件では人命に関わるので公表しませんでしたと言うが、悪いものをやっつけるなら、捜査当局の動きを静かに見守るのが筋でないだろうか。悪いものに加担するような報道はやめて欲しいものだ。
 七日の日本経済新聞夕刊に、松野頼三先生が内閣改造をどう見るかで、「『郵政民営化シフト』という面からすれば、今回の人事は95点をつけるね。ただ武部勤幹事長の政治手腕だけは正直よくわからない。武部幹事長と安倍晋三幹事長代理の二人で一つになって党運営に当たってくれという事かもしれない」と述べていたが、武部氏+安倍氏で一つは随分と厳しい見方があるものだ。同時に国民もそう思っているとするならば、是非とも頑張って成果を挙げ、見返して欲しいものである。
 五日の夕刊に、午前に行われた自民党役員会で、郵政民営化に反対論が強いことについて小泉首相が「反対ばかりでは困る。こんな事で選挙に勝てるのか」と強い不快感を表明したとあるが、選挙目当てでの郵政民営化でもあるまいし、その程度のレベルでの改革・民営化なら、小さな目先の話になってしまうのではないか。国家百年の大計を考えての改革の実行、断行であって欲しい。地方切捨て、弱者切捨てととられない様、しっかりした説明責任を果たすことが大事ではないだろうか。
 エジプトでイスラム過激派によるイスラエル人客を狙った同時爆弾テロで35人死亡、100人以上が負傷と夕刊に出ていたが、困った事だ。テロで解決できる話ではないだろうに。エジプトでの大規模なテロが起きたのは、日本人観光客ら62人がイスラム過激派に殺害された1997年のルクソールでの事件以来だそうだが、悪循環の繰り返しがいつまで続くのか。テロに対し、きっぱりとノーといえる体制を国際連携のもとに確立していかねばならない。日本は大丈夫かと心配だが、一人一人の心構えが必要である事を認識し、お互いしっかりした自己責任を持ちたいものである。

2004年10月7日(木)

鈴 木 宗 男

 道南廻り最終日、鹿部町、砂原町、森町を廻って夕方上京。北海道もまだ残暑という天気で東京も同じ。地球温暖化は着実に進んでいると感じる今年の天気である。いずれ北海道が米作りの中心地になるのではと考えると、ゾッとしたり不思議に思う。
 「沖縄海兵隊本土移転前向き姿勢」と米太平洋軍のウォーラス・グレッグソン海兵隊司令官はインタビューにこたえているが、どこか具体的に手をあげているわけでもなく、これからの検討課題なのに外から希望的、評論家的話が出ると、進むものも進まなくなると懸念するものである。本土のどの場所が受け入れてくれるのかしっかり絞って具体的進展を心から願うものである。
 政治資金規正法改良の中で、政治団体献金規制が検討されているが、しっかりしたわかりやすい透明性の高いものにしなければいけないと思う。一億円の小切手をもらって記憶にないとか思い出せないといって何のお咎めもないのでは、国民感情から見て納得してくれるものではない。個人献金にシフトするのが、十年前の政治資金規正法改正の目的だったが、時間が経ってしまうと、まさにノド元すぎれば熱さ忘れるで改革の実行がない。小泉総理は改正の旗はふっているが、実現していない。どこまで本気なのか国民に示す事が必要ではないだろうか。総理自身の決断ですぐやれることがあるので、蛮勇をふるって欲しい。
 イラクが大量破壊兵器を持っているというのが、イラク戦争の大義であったが、大量破壊兵器の捜索を続けていた調査団の団長は、最終報告で未発見、開発計画なしと米議会に提出したと報じられているが、それでは小泉総理のアメリカの言い分に軸足をおいての判断は良かったのかどうか、しっかり検証して欲しいと思う。私は言葉の軽さで終わる話ではないと考えるがいかがでしょうか。
 米大統領選挙でTV討論会が話題になっているが、TVという直感で目に入るもので公平に判断できるのだろうか。ゲーム感覚でこっちだあっちだと色をつけるのは危険ではないかと心配するものである。

2004年10月6日(水)

鈴 木 宗 男

 松前町をスタートし、福島町、知内町、南茅部町、椴法華村、恵山町、戸井町、大野町を回り、函館市で会合。松前では朝六時から松前城、松前公園を見て回る。観光資源としても歴史的由緒ある地としてもっとアピールすべきと感じる。
 浜では昆布の値段が安くて困るとか、輸入が多くて打撃を受けているとか、捕獲したイルカが入るようにしてくれとか、使えなくなったブロックを撤去して欲しいとか、道路整備を早くして欲しいとか、様々な話を聞かされる。国会議員、大臣経験者と話をしたのは初めてとか言われ、こちらが戸惑ってしまう事もあった。政治がもっと身近なものにという、立ち遅れた地域の声を、私は大事にしていきたい。
 それにしても、一番最初に拓かれた地域が取り残されている事に驚いた。政治があったか問われる事ではないか。今日のイタルタスはヴィクトリーイワノフ ロシア大使補佐官の独占インタビューをのせているが、領土問題、平和条約交渉について、町村外相、細田官房長官との会談での受けとめを話している。名前を出して否定的判断をしている事は、違う人との会談、名前の出ていない人とはうまくいったということだろうか。
 私は日ロをダイナミックに動かそうとするなら、森前総理に汗をかいてもらうことがポイントだと考える。ヴィクトリーイワノフ補佐官の話も、今迄の日ロの約束事、積み重ねをもとに進めていこうという事なのだから、戦略的アプローチをしっかり構築してほしいものである。

2004年10月5日(火)

鈴 木 宗 男

 七時二十分奥尻発のフェリーで瀬棚港に向かい、瀬棚町挨拶回り。その後北桧山町、今金町、大成町、乙部町、上ノ国町、松前町と回る。各町を回りながら、皆さんが直接足を運んだ事で喜んでくれる。ハートトゥーハート、フェイストゥーフェイス、民主主義の原点にたっての政治活動は、十分理解していただける。
 檜山管内は道路整備が遅れており、皆さん台風被害、自然被害の経験があるので、その緊急性をうったえてくる。人道的側面からも考えなくてはいけない事だ。人に、命に関わる話は重みがあり、最優先事項だ。奥尻も十一年前の被害の教訓が生かされ、九月の台風18号も最小限の被害ですんだといっていたが、ノド元過ぎれば熱さ忘れる事のないようにしなくてはいけない。各町で、次へのステージに向かって頑張っていこうと励まされ、ありがたい限りだ。勇気をもらって感激だ。
 イチロー選手262安打、首位打者で有終の美、本当に「凄い男がいたもんだ」と口ずさみたくなる。松井選手は惜しくも三割には届かなかったが、二年目で大きく進化した実績はやっぱりたいしたものだ。
 中坊公平氏の事が出ていたが、マスコミは中坊弁護士(当時)を不良債権回収の神様のように報じていたが、今、どういう評価をしているのか是非とも書いて欲しいものである。一方的に作り上げた話は公平でない。そういう報道はいくつもある。しかし、それに対する検証、評価はしない。公平を欠いていると思うが、間違っているだろうか。作られた話に踊らされ、迷惑するのは国民である事を考えていきたいものだ。

2004年10月4日(月)

鈴 木 宗 男

 朝、丘珠空港から函館空港へ。厚沢部町、江差町を回り、フェリーで奥尻島へ。厚沢部も江差も心ある人に協力いただき、心からのお礼を申し上げる。奥尻には三度目の正直、今日はべたなぎで約二時間の船は快適そのもの。今年六月、私も家内も日程を入れたが、悪天候でかなわず、本当に三度目の正直だが、島の皆さんは喜んでくれる。
 振り返れば平成元年、防衛政務次官で自衛隊分屯基地を視察激励したのが最初の訪問で、平成五年奥尻地震の時、あれは私の四回目の選挙中だったが、選挙後防衛政務次官として救援にあたる自衛隊員を激励し、島の被害状況を視察したのが二回目の訪問。その後平成十年に、復興五周年式典では大臣として出席し、今回が四回目である。様々な困難を克服して見事復興された奥尻を見て感激。また、台風十八号で道路が大きな被害を受け、人道道路として早く新しい道路を作らなければと、現場を見ながら痛感する。様々な出会いに感謝しながら、奥尻に来れて本当に良かった。
 これで、利尻、礼文に始まり、焼尻、天売、離島の最後奥尻で締めくくる事が出来て満足。離島では政治を必要としており、政治があったという結果を残さなければとつくづく感じる。
 読売新聞の一面トップで、沖縄海兵隊の一部本土国外移転も打診とあったが、沖縄の痛みを少しでも和らげる事はもちろんだが、極東の平和と安全もしっかり考えて、より日本全体でやれる事からやっていく、お互い負担を分かち合うという責任を持って、対処しなくてはいけない。前にも書いたが、沖縄三事案、とりわけ県道104号越実射訓練本土移転を一つの参考として、取り組んでもらいたいものである。

2004年10月3日(日)

鈴 木 宗 男

 札幌市民マラソン大会10kmに参加。48分台で完走、まあまあのタイムである。好天に恵まれ、エントリーも一万人を超え、一大イベントだ。参加者からも、沿道の人からも、沢山の人から「ムネオガンバレ」と声がかかるし、開会式、走り終わった後、写真ぜめにあい、多くの人と触れ合う事ができた。外で走るのは五月十六日のランニングオン札幌以来で、気持ちが良かった。
 今朝の新聞もイチロー選手の話題が一面を飾る。「野球人生で最高の瞬間」と語るイチロー選手の言葉に、たとえようのない重みと素晴らしさを感じる。人それぞれの生き方があるが、一つの目標を持ってアメリカに渡り、メジャーで四年間トップの座を占め、歴史を作った男は日本人の誇りであり、真の国民栄誉賞ものだと考える。台風被害、殺人事件等暗いニュースが続く日本で、イチロー選手の快挙は光明であり、若者に一つの指針を与えてくれたものと感謝するものである。
 明日からは三泊四日で道南地方回り、奥尻島に行く予定だが、選挙前の六月十九日、悪天候で行けず、選挙中は家内が行こうとしたがやはり悪天候でかなわず。三度目の正直なるかどうか。自然の加護を頼るのみ。
 選挙後、利尻、礼文、天売、焼尻と回ったので、奥尻を回ると離島すべて挨拶回りした事になる。なんとしても行きたいものだ。

2004年10月2日(土)

鈴 木 宗 男

 女満別空港から千歳へ出て、札幌事務所で仕事。お客さんの対応、雑誌インタビュー等で過ごす。
 イチロー選手がやった。八十四年ぶり新記録、鳥肌が立つ。あの耽耽としたバッターボックスでのイチロースタイルに、信念の強さ、たくましさ、情熱が感じてくる。心から大拍手を送るものである。  スポーツの感動に涙や身が引き締まる事がしばしばあるが、政治にそんな感動があるだろうか。サプライズとかパフォーマンスとか騒がれるが、政治の価値、重みを発揮して、多くの人に感動を与えるのが使命だと考えるのだが。
 小泉総理は沖縄米軍基地の一部本土移転を検討と話していたが、私は沖縄米軍の県道104号越実射訓練を矢臼別に受け入れを実現させたが、地元自治体の協力、もっと大事な事は地域の人の最大公約数を得ることだ。反対のための反対は必ずいるので、その壁を破るには人間関係をしっかりとって、行政、地域とりわけ議会対策が大事である。沖縄の痛みを少しでもわかちあう心が、本土で生まれてほしいものである。ちなみに米軍を矢臼別に受け入れた時、私は共産党はじめ、社会党、当時の新進党から地元国会議員からも、マスコミからも、鈴木が圧力をかけたと言われ、散々だった。今は、何も騒がない。結果を出した評価、検証はどうなったのか。はっきりさせる事が、また、次へとつながっていくと思うのだが。私も沖縄の皆さんの願いを受けて、何か出来るか考えていきたい。
 カキの町北海道厚岸産のカキの愛称が「カキえもん」と決まった。若狭町長は、中川一郎先生時代の先輩秘書、道議会議員から町長になったが、今日の北海道新聞で、写真入で久しぶりに元気な様子が出ており、カキの町として、更なる発展を心から願うものである。

2004年10月1日(金)

鈴 木 宗 男

 東京事務所で仕事。京都議定書にロシア批准確実、来春発効へと出ている。プーチン大統領の決断は、歴史的なことだ。次世代を考えてのことで、高く評価すべきである。プーチン大統領の戦略が見えてくる。これでヨーロッパはロシアに入ってくるだろう。アメリカがどう出てくるか、アメリカと欧州の分断かと考えるのは、私だけだろうか。こんな時こそ小泉総理から、プーチン大統領に親書を出すべきである。未来志向で、次世代を考えて対処したプーチン大統領に、心から敬意と感謝を表すことを早急にすべきと思うのだが、外務省にそういったアドバイスできる人がいないのだろうか。少し心配である。

 最多安打記録にイチロー選手王手、後三試合、夢が現実のものとなってきた。イチロー選手頑張れ。
 米大統領選挙テレビ討論、ブッシュ氏、ケリー氏イラク戦争真っ向対立と出ていたが、大量破壊兵器はどうなったのか。小泉総理も、右ならえでブッシュ大統領と同じ認識を国会答弁等でしていたが、この点も、アメリカも日本もはっきりして欲しいものだ。

 今日から十月がスタート。月日の流れは速いものである。夕方は網走に飛び、会合。明日は札幌で、日曜日には札幌マラソン十キロメートルに参加予定。今月も忙しい日が続くようだ。


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